2.いざ、異世界冒険へ―2
「おまえさえ死ねば!」
強い殺意の籠った言葉と思いが、刃となって胸に刺さる。痛さや熱さよりも、絶望が深く体を支配した。
狭いテントの中。珍しくも高い防御力を誇る魔術師であった『私』も、溜まった疲労に加え動揺して、ついに勇者と弓使いである友人の怒りを防ぐこともできずに受けてしまったようだった。
その弓使いの友人の腕の中に、胸を真っ赤に染めた、この旅で仲間になった筈の、友人でもある治癒師の少女がいた。それだけで、察してしまった。
違う、誤解だ。そう告げることもできず、かふりと息が喉の奥から零れると同時に、口内に血が溢れる。既に鉄臭い匂いもわからず、ひたすらに全身が燃えるように熱く、揺らぐ視界に泣き叫ぶ友人の姿を捉えた。
「おまえが殺したんだ、おまえが、どうするんだよ、もう世界は、……あああああ!」
「俺に振られても未練がましく纏わりついた上に、こいつまで女がいて幸せなのが、妬ましかったのか! もうお前は仲間でも幼馴染でもなんでもない!」
違う、『私』じゃない。あなたの大事な人を殺したのは、あなたたちの後ろで笑ってる、聖女と呼ばれ仲間であった筈の人だ。血だらけの少女の胸に残る魔力は間違いなくそう示しているのに、それを伝える喉は潰された。……やられた。
目の前の彼らは私にとって、仲間であった筈なのに。親に捨てられ、孤児院ではひどい扱いを受け、そんな中必死に協力し合って生きてきた大切な友人で家族だったのに。
その家族から『私』の恋人になった筈の、勇者に選ばれてしまった男は、確かにどこか自信と傲慢を履き違えるようになったり、勇者パーティーとして選ばれた聖女に心惹かれてしまったりしたが、『私』は納得して別れた筈だった。私は未練なんてなかったのだ。纏わりついたもなにも、私たちは同じパーティーである。むしろ別れたその後も押し倒された時は恐怖を覚えたが、それでも世界を守る為のパーティーを壊すことのないよう必死に断ったし、私が彼らに何かした覚えなんてない。
まして、弓使いの幼馴染の恋人にまで嫉妬する筈、ないじゃないか。あの子は私の良き相談相手で親友だったのだから。
よくよく見れば、勇者が新しく付き合い始めた聖女は、時折怪しい動きや言動があったのに。今彼女はその体に、なぜかどろりとした、魔族の魔力を取り込んでいた。謀られた、のだ。
なぜ、こんなことに。私じゃない、信じて。
泣き叫ぶ幼馴染の顔と、その後ろでにやりと口角を上げる偽物の仲間の顔を交互に見つめ、そこで『私』の『一回目の』記憶は途切れている。印象の薄い二回目もろくなものではなかったが、その間に、そう、確か――
「大丈夫か?」
突如聞こえた、低く優しい声。はっとして目を開けると一面視界は白に染まり、訳が分からず己の手のひらに視線を落とし、そこにさっきまであった赤い血の痕がまったくないことに違和感を覚える。胸に開けられた穴もない。さっきの出来事は夢か。なんて悪夢だ、魔王を倒す直前だというのに。
どくどくと鼓動が苦しく主張し、あ、あ、と言葉と涙を零し夢で見た光景を振り払おうとする。一体何だったのだ。あの人に裏切られた。あの人に殺された。まさか、断ち切って昇華したと思っていた勇者への恋心が残っていて、あんな夢を見たのだろうか。ぶんぶんと首を振ると、もう一度、低く優しい声が振ってくる。
「しっかりするんだ、落ち着いて。ここにはもう怖いものはないから」
「……え?」
何を、と顔を上げて、混乱した。知らない男の人が、こちらをじっと覗き込んでいる。
まるで海を覗き込んでいるかのような、どこまでも深い青。流れるような細くさらりとした黒髪が、首を傾げると光を反射して煌めく。色砂が流れ落ち、零れているようにも錯覚するような、美しい輝きだ。
天使様、だろうか。
「えっと……?」
「まだ、混乱してるか。俺はユウ、天界の入り口であるここで、魂の案内人をしてる」
「……たましいの、案内……?」
何を言っているのだろう。それが天使様の仕事なのだろうか。思わず呆けて見つめ返すと、海色の瞳が戸惑うように揺れ、ああ、と納得しながらも困ったような声がかけられる。
「……君は死んだんだ。ここは、天界でも輪廻転生を迎える魂の案内所の一つだよ」
「え、……ああ、そっか。そうだ、夢じゃ、なかったですね」
すとん、と言われた瞬間納得がいってしまった。そうだ、そうだった。さっきのは夢じゃない。取り乱すより先に納得がいってしまい、不思議と心が凪いでいく。
「世界は、どうなったんでしょう」
「世界? ……ああ、そうか。君は、この世界の勇者の仲間だったんだな」
顔を上げると、水晶のようなものに視線を落としていたユウと名乗った青年が、僅かに眉を寄せ、これは、と呟いた。
「……この、前の世界は、君の転生先の候補にはなっていないよ。さて、落ち着かないと思うけれど、俺は君に次の人生を、案内しなければいけない。受け入れて、少しこの先でゆっくりしたら、今度は幸せな人生を生きるんだ」
「しあわせ?」
どこまでも追い求めたものだった。
幸せってなんでしょう。首を捻ると、彼も困った様子を見せながら首を捻り、あれこれと提案してくれた。どうやら、話し相手になってくれるらしい。
のんびりとした場所のせいもあるのか、知る限りで一番、穏やかな時間に感じた。
生まれた時から世界は魔族という脅威にさらされており、休まる時などなく、生きる為に必死になり、そして騙されて死んだ。ああ、そうだ、そういえば。
「彼は……」
「え?」
「……いいえ。ふふ、なんか未練がましい、のかな。もうそんな気持ちない筈なのに。だって、私だって怒っていい筈でしたもん、あんな、あんな別れ方」
治癒師も魔術師も死んだ。あのパーティーが生き残るのは厳しいだろうと知っていて心配してしまったが、冷静になれば怒りたくもなる。聖女の件はともかく、おい勇者、あの言い方はなんなんだ。一発くらい殴っておけばよかったかも。
だが何を思っても……もうどうにもならないのである。せめて魔族の脅威から世界を救うことは成功してほしいところだが。
「……無理に笑う必要はないぞ」
「え?」
何を、と頬に手を当て、首を捻る。笑っていただろうか。
「とにかく、前世のことなんて忘れてしまえ。そんなことしかできないが……そうだ、希望はあるか? すべてに沿うことはできないが」
「……希望。次生きる為の希望ですか?」
「ああ。例えば、もっと強くなりたいとか、美しく生まれたいとか。完全には添えないが」
「そうだな……いえ。そういうのはいいから、普通に……そうだな、魔族がいない世界がいいな。魔物とか、魔族とか、もうたくさん」
「魔族、か。でも、君の魂はすごい魔力を秘めているようだけど」
「魔力? 肉体だけじゃなく、魂にもあるものなんですね。それは知らなかったな……けどこれでも、勇者パーティーの魔術師だったんですよ、私」
「知っているよ」
「あ、そっか。さっき言ってましたもんね」
手に持つ水晶がどんな力を秘めているのかわからないが、それをのぞき込んで私の情報を得ているようだったので、お見通しなのだろう。少し恥ずかしい気もするが、相手はこんな不思議な空間の不思議な案内人なのだ。
どこまでも白い、本来触れることができない筈の雲に包まれたような空間だ。きっと私の知らない不思議だらけの場所なのだろう。
それだけでいいのかと問われ、私は悩んだ。幸せになりたいと思ったが何が幸せなのかはわからない。そう答えると、それは難しいなと一緒に悩んでくれた彼の優しさがくすぐったくなって、私は自分が考えることだからと、希望通り魔族のいない世界に転生した。
ニホン、と確か呼ばれていたその新たな国での生活は、正直、幸せだとは言い難かった。私はどういうわけか、本来失う筈の前世の記憶を持ち越したまま生まれてしまい、ひどく混乱する羽目になったのだ。
生活水準は確かに高かった。魔物もおらず、魔族もおらず。そうした世界に生まれたことに安堵したのは短い期間で、敵がいないわけではないと思い知ったのは十歳を超える前だった。その時の私の環境は平和な国でも一般的な家庭として表現されるものではなかったようで、前世よりも手軽に手に入れることができる『情報』のせいで知りたくもないことを知り、言葉が最大の凶器だと、慣れぬ世界で大変な思いをしていた。
それでも魔族と命懸けの戦いをするよりはとも思ったが、肉体以外にも死はあるのだと知った。心の死……魔族との闘いの中で何が辛かったのかを、私は忘れていた。そもそも私の前世の死因が魔族のものとは言い切れなかったのに、忘れていたのだ。
唯一夢中になったのは、サブカルチャーと言われる創作の世界だった。勇者もそうだが、魔法使いも、戦士も、剣と魔法の世界とされた話を読むのに抵抗があったのは最初だけであり、私は自分の知る世界に近い、いや似て非なるものでも多くの世界観を知って、自分の前世のことを客観的に見るようになったのだ。
ああ、いろんな世界があるなと夢中になったが、今思えばもしかしたら、自分のいた世界が綴られている物があるかもしれないと探していたのかもしれないし、別世界でもいいからハッピーエンドを迎える物語を知りたかったのかもしれない。
最も、再び私は若いうちに痴情のもつれか何かに巻き込まれて命を落としたのだが。その辺はっきり記憶に残っていなかったのはまだ幸いだったのかもしれない。
「あ……? あれ、お前……また来たのか。……悪い、俺は上手く案内できなかったんだな」
水晶に視線を落とした彼は、久し振りに再開する魂の案内人、ユウだった。どうやら、覚えてくれていたらしい。
思わず零れたといった様子の言葉だったが、悲し気な顔でお前は覚えてないかと付け足した彼に「お久しぶりです、ユウ」と声をかけたことでその表情を驚愕と表現していいものに変え、どうしてと戸惑う彼に記憶があるまま転生してしまったのだと苦笑して言えば、彼は大きな衝撃を受けると共に頭を下げた。
「高い魔力には気づいていたのに、魔力のない世界に転生させた。もしかしたら、弱い肉体しか持たない世界に転生させた弊害かもしれない」
「ということは、私はやっぱり魔力のある……あの世界風に言うならファンタジーな剣と魔法の世界に転生したほうがいいのかもしれませんね。まぁ、もう正直言えば転生したくないんですけど」
「……悪い、俺の、」
「あなたのせいじゃないですよ」
にしても困った。もう本当に転生なんて勘弁だ。いや、記憶は今度こそなくすのかもしれないが、と考えていてふと、目の前に、転生していない存在を見つけて、何となく聞いてみたのだ。
「あなたは転生しないの? 同じ魂じゃないの?」
「俺は、魔力の質がいいらしく、しばらくここで働いて磨いた後、転生になると言われている。前世のことは覚えてないんだけどな」
「磨く……魔力ってつまり、戦うの? 勇者みたいに?」
「そう、かもしれないな。正直勇者は遠慮したいが……とにかく俺の前世は魔力がない世界だったみたいで、ここで磨く必要があったらしい。戦うのかもな。それでも俺は転生してみたいと思うよ、生きてみたいんだ」
どこか困ったように笑う彼を見て、何か、言葉にするのが難しい感情を胸に抱いた時だった。
ふわふわの、白い雲に包まれたような世界。そこにいたはずが一気にその白い雲は暗雲のように色を変え、どんよりとした空気に包まれて警戒すると、なんだ、と焦るユウが慌てたように私を背に庇い、轟く雷光から距離を取る。
『時は来た。……なんと、もうひとつ、極上のものがあったか』
「……神」
ぽつりと呟いたユウの言葉に、え、と混乱したその時。
『 』
何かを言われた。それだけしか理解できないうちに、私の身体……いや、魂は、恐らく転生させられたのだろう。この、世界に。
それはまるで、一つの物語を読むように。
完全にではないが知識として急激に思い出したそれは間違いなく私の二つ前からの生きた記憶であり、唐突に、理解する。目の前で今命尽きた少年は、声が懐かしいと好ましく思ったこの少年は、恐らくあの時私と共にあった、ユウだ。
戦う。それでも生きたい。その言葉は、今もそのまま彼の言葉だったのだ。
「あ、あぁあああっ」
掠れた、声とも呼べない小さな呻き。神様、なんで彼までこんな目に。長い間転生できず、それでも生きるのを楽しみにしていたのではないのか。私と同じ年の彼は、たった十五年しか生きていない。戦う前に命を落としたのではないのか。
ふわりと、炎が目の前に広がる。もうこの研究所らしき場所も終わりだ。私も死ぬ。彼も死んだ。なんなんだ、と行き場のない怒りに任せて叫んでふと、目の前の炎が、研究所を包むそれではない、優しい炎であることに気づく。
フェニックスだ。
「ユウを、たすけて」
げほ、と咳が出ると同時に、口内に何かが溢れた。あれほど痛んだ身体が急速に冷えていく。もう痛くない。ああでも、彼は。
「大丈夫か! しっかりするのじゃ!」
突如耳に飛び込んできた声。体が揺さぶられ、なんだ、と目を覚まし、違和感を感じる。つい先ほどと同じ、いや少し荒れ具合が増しているが、同じ場所だ。そこに、知らない、大きな杖を持ったおじいさんがいる。
「よぅし、目を覚ましたか、む? そうか、おぬしテイマーか! それでフェニックスが思いに応えたのじゃな」
「……え?」
フェニックスが応えた? なんの話だと考えて、まさか、と目を見開く。慌てて鈍く痛む腕や体を見下ろせば、服はぼろぼろであるというのにそこには傷一つない己の身体がある。嘘でしょう。違う、助けてほしかったのは私じゃない。
「なっ、ユウは!?」
「ユウ? ああ、そこの坊主か。そやつも命は残っておる。まだ目は覚ましておらんが……おい! 脱出するぞい!」
「わかってるわ、ったく、あたしは魔法専門だよ! ルイードはどうしたんだい!」
「やつなら魔道具を回収しておる! 神級の転移補助の魔道具があったわ、お前はそれで転移を成功させい!」
「ふざけんじゃないよ、殺す気かい!」
「ふん、殺して死ぬタマか!」
喧嘩している。いや、そこにある気安さから仲間内での会話だとはわかっているのだが、思わずびくりと身体が震えると、初老のローブを着た杖を持つ男が私に視線を移し……しかし気にしている余裕はないと立ち上がった彼に促され、ずるり、と身体を起こす。
「チチッ」
「なんともまぁ、フェニックスが最期の最後に蘇らせたのが自身ではなく青い鳥とはの。既に己を蘇らせる程の力がなかったか」
「……ルリ!」
肩に乗る馴染んだ気配に顔を向け唖然とすると、それがフェニックスが蘇らせてくれたのだと知って、驚いた。ルリは確かに、ここに連れてこられた私の服に隠れ潜み、発動した魔法陣で真っ先に死んだ筈だったのに。
来いと呼ばれて足を引きずりながらもついていけば、ローブに身を包むこれまた私を起こした男性よりも少し若いだろう年齢の女性が、ユウ……いや、ユーグリッドの身体を引きずっていた。そこに、プレートメイルを身に着け大剣を持つ大柄な男が腕一杯の大きな袋を抱えて駆け寄ってくる。
「こいつがあれば転移できるだろ!」
「ああ……ってこれ使い捨てではないか」
「まじか、いやでもな、ここから脱出する方法はもうこれしかないぞ」
「はやくやらんか、わしら老いぼれはともかく、この若者たちまで犠牲にするつもりか!」
「コンフェルドル様、俺まだ三十代……」
いったい何がどうなっているのか。尋ねたくともその勇気も出ず、というよりそもそもそんな余裕もなく、わかったよ、と叫んだローブの女性が杖で床を叩き、その瞬間魔法陣がぶわりと回転しながら展開された。
今の命では狭い集落で得られる知識しかないが、記憶として前世の……正確に言えば二つ前の人生を思い出していた私は、足元に広がる魔法陣の複雑さと強力さに息をのむ。私が知る限りでも群を抜いて扱いが難しいとされる、転移系の空間接続魔法にそっくりだ。いくら魔道具の補助があるとはいえ、一人でそれをやるとは、とごくりと息をのんだその時。ふわり、と身体が、強烈な浮遊感に包まれたのだった。
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