「さあ、全裸になろう」

 一年後、新作『美しき冒険旅行』が完成し、ひっそりとアップされた。前宣伝は何もなかった。派手な予告も何も。音楽も静かで、最初のうちは環境音楽のように見える。登場人物はまだ二人だけ。14歳の姉メリーと、8歳の弟ピーターだけだ。二人は飛行機事故でオーストラリアの奥地に投げ出される。

 二人の境遇については何も語られない。飛行機に乗ってどこに行こうとしていたのか、親が何をしているのか、そもそも苗字が何なのかも不明のままなのだ。これは原作のジェイムズ・ヴァンス・マーシャルの意図したものだ。最初のうち、メリーとピーターに余計な設定を与えないこと子役で、観客が自分の中にある設定を勝手に空想して当てはめてもいいのだ。

 そうこうするうち、最初のシーンだ。メリーの最初の水浴シーン。14歳のメリーが一糸まとわぬ裸で観客の目の前に立つのだ。 


 ああ、何と美しいシーンなのか。


 ハイドロジェットPは画面にいかなる修正も加えなかった。すべては観客の目の前で起きた。メリーの長く美しい金髪が水面に広がる。そして背景のオーストラリアの大自然。状況を説明するための最低限のナレーションがある程度だ。

 言うまでもなく、すべてはコンピューターグラフィックスであり、メリー役の子役も、いや人間の俳優など一人も登場しないのだが。

 そしてブッシュボーイとの出会い。ここでもハイドロジェットPはまったく世間の視線に遠慮などしない。彼は原作通りに素っ裸である。そしてメリーは驚愕する。彼に悪意ある感情などまったくないことは分かるのだが、どうしても白人の常識が邪魔をするのだ。

 そしてそれが悲劇の原因となる。

 白人の少女が自分に向ける恐怖の視線。人種差別や偏見というものを理解できないブッシュボーイは、それを「死の予兆」と解釈してしまうのだ。メリーが自分に向ける恐怖の視線がそんなものだなんて、彼には理解できない。そしてメリーは、自分の視線がブッシュボーイを死に追いやっていることに気づかない。絶望的な視線の相違……。

 メリーの誤解を解こうとブッシュボーイは努力するが、彼女が服を脱いでいるところを見てしまい(もちろん生まれてからずっと裸でいるブッシュボーイは、白人の少女のヌードになど欲情することはありえないのだが)、メリーは歯をむき出しにして威嚇する。彼女に嫌われたと思いこんだブッシュボーイは、いっそう「死」の予兆に激しく取りつかれる。

 そしてメリーがついにブッシュボーイと和解するのは、彼の死の瞬間であった。


 そしてブッシュボーイが死んだ後も物語は続く。メリーとピーターはブッシュボーイの死に導かれたかのように、死の砂漠でサバイバルを繰り広げ、たくましく生き続ける。そしてコアラの赤ちゃんに衣服を破かれたのがきっかけで素っ裸で堂々と暮らすようになる。もう彼女には衣服についてのこだわりなどない。ブッシュボーイと同じく、全裸で暮らすのが当たり前だと思っているのだ。

 物語はメリーとピーターがアボリジニの家族と出会い、文明社会に帰る道を教わるところで終わる。

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