第8話 供物と恵み
「いい天気~!」
外に出たリリアは大きく伸びをする。
森は穏やかに晴れていた。
初夏の風は心地良く、久しぶりに清潔になったリリアの身体を優しく吹き抜けていくのが気持ちいい。
孤児院にいた時は自然と夜明け前に起きていたが、昨夜は珍しくぐっすりと眠った。
(今は8の刻くらいかしら)
リリアが起きた時には精霊王は既にベッドにいなかった。
まあ、あまりに現実感がなさすぎて一瞬忘れていたくらいなのでそれはよかった。
そんな事よりリリアには問題にすべきことがある。
「なっなにこれ!?」
寝起きの頭でもはっきり分かるほどテーブルの上には山盛りの果物や木の実、野菜が置いてある。
リリアが村から持ってきたものは、保存食と簡単な生活用品と、生まれたときに身に着けていたらしいおくるみだけだ。
となるとこの瑞々しい食料は新たに持ち込まれたという事で、リリアに覚えがない限りはもう一人がやった事になる。
慌ててベッドから降りる。
「精霊様!!」
「呼んだか、私の咲き始めの薔薇。寝起きで髪が元気に踊っていて愛らしいな」
どこからともなくふわりと精霊の王は現れた。
「余計なお世話です!」
色んな意味で真っ赤になりながらリリアは慌てて髪の毛を直す。
昨日から思ってたけど、もしかして精霊の王様は口説き魔なの!?
まるで村で見かけた、恋した人がその好きな人ににかける言葉のようだ。
何度かそういう場面に遭遇してしまい気まずくなったのを覚えている。
だいたいは二人ともうっとりとして、世界に二人だけだという感じだったので見つかる前にこっそり避けていた。
だがリリアは自分が精霊から愛されているとは思えなかった。
きっと目にかけて貰えているのだろうとは思う。
(でもきっと、無加護だから逆に珍しいってくらいの事よね)
髪を抑えながら赤くなった顔を落ち着かせる為に当初の用事である果物を指さす。
「ところでこれどうしたの!?」
「ああ、人間の身体をとっていると腹が減ったからな。食べごろを用意した」
確かに食べごろだ。どれもこれも美味しそうで、つやつやとしている。
孤児院では食べた事がないような高級品だ。野生種ではない。
どこから持ってきたのだろう、とリリアが不思議に思っていると。
「リリアは食べないのか?」
「あっ!」
既に美しき精霊王は宝石のようなファイアベリーをヘタごと無造作に食べていた。
甘くてうまいな、などと呑気に感想を述べている。
「用意したって、そういうのは多分すっごく手間暇かけて育ててるの!野生種はあんまり美味しくないし、虫や鳥につつかれた後があるはず……だから……」
「だから?」
「困ってる人がいるんじゃないかなって……」
形が良く傷もない、そんな果実は一般家庭にも出回らないだろう。
高級なものはだいたいが奉納用だ。
「だが、私の甘く小さいファイアベリーよ」
「……もしかしてそれ、私の事?」
「ああ、リリアも美味しそうだからな」
(……精霊って人間が食べ物に見えるのかしら)
そんな話は聞いたことがないが、人間を食べたりするのかもしれない。
精霊に詳しくない事を自覚しているリリアは少しだけ警戒する。
「ここにあるものは全て私に捧げられたものなのだが」
「あっ」
(そうだ、この方は精霊王だった)
各地の精霊教会で毎日のように色んなものが捧げられているはずである。
なんならリリアのいた村、ルーペス村でもその日の恵みを精霊への感謝の印に捧げていた。
あげる、というのだから貰っても、何も問題はない。
「一番量が多かった首都から持ってきたのだが問題あったか?人間のルールは良くわからないものが多くてな」
リリアが力説したせいなのか、精霊王は少し不安げにしている。
精霊の王様が私みたいな人間の言葉でうろたえるなんて、意外だわ。
リリアはくすくす笑って、精霊王ににっこりと向き合った。
「私も、精霊の事全然知らないし、人間社会のルールも同じくらい分かってないわ。これから一緒にすり合わせていきましょう。
それと、あなたに捧げられたものならきっとあなたの好きにしていいはずよ。何の想像もせず非難しちゃってごめんなさい」
「いや、私こそいきなりすまなかったな。リリアと、なるべく人の世界を混乱させないようには努めよう」
「ありがとう。私にも精霊の事、教えてちょうだい」
二人で笑いあう。
こんなに穏やかな日々はリリアには初めてだった。
「私に捧げられたものはリリアに捧げられたも同じだ。食べると良い」
そんな風に言われると落ち着かない。
リリアは一人の人間の前に、無加護として生きてきたのだ。
リリアに与えられるものと言えば残飯と泥と石、蔑みの目と憎しみの感情だった。
さすがに目の前の彼のようには考えられないがせっかく勧めてくれたのだ。
ありがたく頂かないとそれこそ失礼だろうとリリアは考える。
「そうね。恵みに感謝していただきましょう。今日からやる事が山積みよ」
荷車から大きめのお皿と一枚とバスケットをもってきて、二人で昨日のようにテーブルにつく。
朝食分をお皿に果物を乗せ、余ったものや調理しないといけないものはとりあえずバスケットに入れた。
真っ赤で大きく形の良いファイアベリー、ぷっくりと食欲を誘うアクアチェリー、切ったらどんな芳香が鼻に広がるのか楽しみなテラキウイ。
リリアは近くにあった太陽のようなテラロレンジを手に取り食前の祈りを捧げる。
「精霊よ、恵に感謝してこの食事をいただきます。この食事を祝福し私たちの心と体を支える糧としてください」
「ああ、構わん」
「……まあそうなるわよね」
目の前の精霊王はにこにこと答えている。
手には齧りかけのテラキウイだ。
土色の皮には微細なトゲが生えていて剥かないと普通は食べられないのに、その皮ごと食べている。
精霊への祈りなのだ。
精霊の王たる彼への言葉と同じなのだから、それに応えてくれたのだろう。
教会の人たちが聞いたらありがたすぎて卒倒するかもしれない。
これに慣れる日はくるのかしら。
「それにしても、こんなに量があるならどんどん保存が効くものにしていかないといけないわね」
テラロレンジの柔らかい皮を剥いていく。
「保存。だが望めばいつでもここへ持ってくるが?」
「何があるか分からないもの。あっ、お、美味しい!!」
テラロレンジはいくつかの房に分かれて薄皮に包まれている。
薄皮ごと食べられるので口に入れたら途端にじゅわりとリリアの口の中が甘さで満たされた。
「なにこれ…。これがテラロレンジ…?さすが高級品ね…」
リリアが普段口にしていたテラロレンジはそのそも非常に痩せて形が悪いものだ。
それを孤児院の子供たちに出して、残ったものを頂く。
パサパサしていて震えあがるほどすっぱい。それがテラロレンジだ。
だが高級なテラロレンジは見た目からふっくらとして、甘い果汁で満ちている。
「頭が溶けそうなほど美味しい…」
感動のしすぎてリリアはぐったりしてしまった。
そんなリリアを精霊王は愛おしそうに見つめている。
リリアの真似をしていそいそと皮を剥き、長い指でひと房つまんでリリアの口元へ持っていく。
「さあ、どんどん食べると良い。リリアは他の人間と比べて痩せているようだしな」
「じ、自分で食べられるわよ!」
ファイアルビーより真っ赤になったリリアは自分の手の中のテラロレンジを口にいれる。
おいっしい~~~!!味が沢山ある…!
「人間の身体だと確かに皮を剥いた方が食べやすく美味いな」
豪快な食べ方をしていた精霊王も、リリアの食べ方を真似てその利点に気づくとそれを採用するようになった。
面白そうに手元を見つめているので、リリアは丁寧に説明する。
そうして二人で食べていると大量に見えた果物もあっという間になくなってしまった。
孤児院を出てから良い事だらけ…というわけでもないが、とにかくリリアは幸せだった。
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