第7話 伝わる体温
今日はもう寝てしまおう。
精霊王からその言葉が出た時、リリアはなんとも不思議な心地がした。
「精霊様も睡眠を必要とされるのですね」
「精霊体の時はそうでもない。だが今は人の形をとっているからな」
そういうものなのだろうか。
もしかしたらそういう事も精霊教会で学ぶのかもしれないが、リリアには分からない事だった。
そんな事より問題は。
ベッドは一つしかないわ……。
リリアはこっそり頭を抱えた。
木製の簡素な一人用ベッドは小屋より後に持ち込まれたのか、まだ使える状態だった。
運んできたシーツや布団を敷けば問題なく眠れるだろう。
勿論リリアが使うわけにはいかない。
床で眠るのに慣れていて良かったとリリアは思う。
だが一般的なサイズのベッドは長身の精霊王にとってもギリギリのように思える。
大きめのベッドを用意しなくちゃね。
早くもリリアのスローライフの目標が出来たのだった。
持ってきた寝具は簡素なもので、孤児院で散々してきたベッドメイキングはすぐに終わった。
「それでは私は床で寝ますね」
灯りが多いおかげで小屋の中はほんのり暖かい。これなら凍えて眠る事もないだろう。
それにリリアは凍えてでも眠らなければならない時がある事を知っているので何の問題もなかった。
「なぜだ?人間はベッドで寝るだろう」
「精霊王を床で寝かせるわけにはいきません!」
「なるほど。床の方が良い、というわけではないのだな」
「はい。私はどこでも眠れますので」
「どこでも、か」
にやりと精霊王は笑う。
そしてゆっくりとリリアに近づき腰を取った。
「へっ?」
あっと思う間もなくリリアは後ろから抱き留められベッドへ横になっていた。
「えっ?ええっ!?」
美貌の精霊王はしなやかですらりと細身な印象だったが、抱きしめられると力強い腕をしている事が分かる。
誰かに抱きしめられたことなどなかったリリアはただただ混乱した。
心臓がバクバクと、信じられないくらい暴れている。
どういう状況なの、これ……!?
横向きに寝かされたリリアは後ろから抱きしめられていた。
「どこでもいいのなら、私の腕の中でも文句はないな」
「そんなっ……!」
背中から高めの体温を感じる。
呼吸を忘れていたのか急に苦しくなり、慌てて息を吐いて吸い込むとふわりと甘い花の香りがした。
精霊王は固まってしまったリリアにお構いなしだ。
後ろから腕を回しリリアの手を自分の手を重ねる。
どんな状態でも眠れるリリアだったが、この状況は眠れる気がしなかった。
婚前に男性と眠るなんてそんな、見られたらふしだらな女だって思われるわ!
考えてみれば、この状況を見るような人はいないから問題はない。
だがこの国の貞操観念はリリアにもしっかりと根付いていた。
戸惑いと混乱に襲われる。
今まで煌々と灯っていた灯りがすっと消えた。精霊王だろう。
視界が闇に包まれると、今まで意識していなかった森のざわめきや鳥の声が改めて聞こえた。
孤児院ではいつも人の気配がしていたのね。
夜遅く、子供たちの院長の目を盗んでのイタズラや話声。
酔っ払ったおじさん達が道を間違えて孤児院まで来ては奥さんに怒られながら一緒に帰っていく様子。
それらをリリアは屋根裏で聞いていた。
喧騒の中にいると気づかなかったが、一人でいる事はこんなにも静かなのだ。
いえ、一人じゃないわね。
自分を軽々と抱き上げた腕を改めて意識する。
腕はまだリリアをしっかりと抱きしめて少しの身じろぎ程度では解けそうにない。
リリアが落ち着くのを待っていたのか、精霊王が背中から語りかける。
「リリア。気になっていたのがが、お前はそういう離し方が普通なのか?」
「といいますと……」
「どうも祭司……だったか?それに語りかけられているようだからな。人間から精霊へと、人間同士では堅苦しさが違うだろう」
祭司様の言葉は分からないが、きっと精霊にとって堅苦しいものなのだろう。
リリアは村の人の気紛れに対し、いつでも命乞い出来るようにする癖がついていた。
精霊王を前にしたならば敬うのは当然だ。
「我が乙女とは対等でありたい。いつも通りに話せ」
だが精霊王は人間の小娘に対して対等でありたいと願う。
それなのに命令口調で、リリアはなんだかおかしかった。
リリアにとっては精霊でも人間でも下手に出て顔色を伺うのは当然の事だ。
それなのに精霊の王は対等でありたいと言う。
誰もそんな事をリリアに言った人はいない。
「対等ね。わかったわ。……これでいい?」
「ああ。そっちの方が良い」
なんだか肩の力が抜けちゃったわ。
満足したのか精霊王はそれきり静かになった。
眠ってしまったのかしら。
相手は精霊なのだから、こうやって抱きしめられているのも、きっと暖炉に当たっているような感じなのだろう。
人間相手とは違うのだ。
何を意識することがあるのだろう。
この様子だとふしだらな女だと思われてないわよね……。
先ほどまでのドキドキが、段々安心に変わっていくのをリリアは感じていた。
思えば教は森に入ってから色んな事がありすぎた。
そのことを意識してしまえば、今まで気を張って抑え込んでいた疲れが一気に襲ってくる。
花の香りと背中から伝わる温もりに誘われていつの間にかリリアは眠りに落ちたのだった。
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