虚城

@Lazyer

第1話

 いつか、家族総出で海水浴に行ったことがある。内陸県の出身であった私にとって自分の目で海を見たのはそれが初めてであり、まだ小学校にも上がらない弟と一緒になってはしゃぎ倒したのを覚えている。丸一日かけて浜辺で出来ることは一通りやり尽くしたが、中でも一段と印象深いのが砂のお城づくりである。

 初めは一足先に昼食を食べ終えた弟が手慰み程度に砂で作っていた小山だった。浜辺に打ち捨てられていたバケツに水を汲み、砂を固めてこねながら、一人黙々となだらかな山を積み上げる。それを横目に見ていた私も、今にしてみれば何を思ったのか、いつの間にかそこに加わっていた。それからしばらくして父と母も手伝うようになると、それからは一心不乱に城の建造を進めていった。

 一番楽しんでいたのは母だったように思う。母は普段から手芸に凝っており、日に日に増えていく色とりどりの小物が家じゅうを鮮やかに飾っている。その成果はここでも遺憾なく発揮され、母の指示によりただの円やかな砂山は見違えるように形を変えていった。私と弟はそれに従うだけだったが、見る見るうちに城へと近づいていくその様子には子供心に深い感動を覚え、作業にはより一層身が入るようになった。

 それからは砂や海水の運搬を父が担当に、彫りだしを他の三人で行うという形で作業は進行した。考えてみれば父には少々きつい役割を負わせてしまい申し訳ない気もしたが、本人は楽しかったらしいのでそれ以上は野暮だろう。

 彫りだしは単純だが、成果が目に見える分楽しさもひとしおであった。無意味だったはずの砂山の表面にも、少し手を加えるだけで新たに意味が付与される。それは窓であったり、幾何学的なレンガの継ぎ目であったりする。さすがに彩色までは行うことはできなかったが、水を含んだ砂の鈍色が城らしい重厚さを演出しているようにも思えて物足りなさは感じなかった。そしていつしかその繰り返しの中で、私は神秘的とでも言えるような不思議な感覚に襲われた。母の正確な指示もあって自己らしい事故は一度もなく、だからこそ今まさに姿を現さんとしているそれが、私には実在の城のように思えて仕方なかったのだ。あれも多感で無垢な子供故だったのだろうか。真に迫る崇高さは最早児戯の域を超えており、ある種の魅了状態にあった。とにかく私は数時間、憑りつかれたように作業に没頭し、ようやく完成したとき私の中には信仰心にも似た何かが芽生えていた。その後はずっとに熱に浮かされた様な妙な精神状態にあり、実際にはそれから宿に泊まったはずなのだが一切記憶には残っていない。

 ようやく正気に戻ったのは翌日の朝の事である。私はあの傑作を目に焼き付けていこうと、帰り際に再び浜辺へと寄ってもらった。昨日の熱は薄れていたがやはり少なからず残っており、鼓動は自然と高まっていた。しかしそこで見たのは無残にも崩れ去り、跡形もなくなった城の姿であった。背後で父が満潮だねと呟いたのをよく覚えている。

 だがそれよりも鮮烈に記憶に残っているのは、私の中で確かに芽生えていたはずのあの神秘的な感覚が一瞬にして消え去ってしまったことである。私はまさにその時まで砂の城が崩れ去るなんて考えもしなかったし、むしろ時を越えて永久に残されていくのだと本気で考えていた。今にして思えばなんと馬鹿馬鹿しいことか。それでも当時の私にとってはその砂の城こそが、この世の何にも増して尊い存在であったのだ。幼心に手にしたはずの形而上の真理は、こうしてなすすべもなく瓦解した。

 

 今でも海の側を通りかかると、あの砂のお城をどこかに探してしまう。無垢で純情な心はすっかり忘れてしまったが、妙な生々しい感覚だけは、褪せることなく心の奥底に居座っているのだ。

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