第6話

 お気に入りの場所、か。

 薄情な人間のお気に入りの場所は、単純だ。

 自分の殻の中。それが、1番お気に入りの場所。

 小学校、中学校と、俺は友達はそれなりにいた。

 それなりにいたが、桜田以外、誰一人として話さなくなった。

 誰がどこの高校に行ったのか全く知らない。その人の顔も、霧で霞んだように見えない。記憶から何とか掘り起こそうとすると、硬い地盤に当たったかのように思考が止まる。

 結局、今まで出会った人とはその程度の関係だったってことだ。

 つまるところ、俺は薄情な人間だ。


「わからないな……」


 卒業アルバムを捲って、友達の顔を思い出し、そしてその友達との思い出を探って、そこからまた深く思い出を探す。

 それでも無理なら、パソコンに眠る家族との思い出。それらを深く深く、穴を掘り進めて探していく。

 思い出ならいっぱい見つかった。家族で買い物に行ったら、有名人に出会ったとか、運動会の打ち上げとか。

 どれも凄い盛り上がったし、楽しかった。

 でも、それが宝物かは分からない。


 もしかしたら、俺にとっての思い出は子供の頃遊んだおもちゃのようなものかもしれない。時間が経つにつれ必要ではなくなって、邪魔になってゴミ箱へ放り投げる。

 それが燃やされて灰になって、形もわからなくなって、それが積み上がっていく。

 俺にとってはその程度なのかもしれない。

 

 バイブが鳴った。電話のようで、酒川からだった。


「もしもし」


「おう。突然ですまんけど、今空いてるか?」


「ああ」


「ちょっと、喫茶店でも行かないか? 俺の知り合いの親が喫茶店やってて、そこのコーヒーがめっちゃ美味しいんだよ」


「いいよ。今から行く」


「よし。じゃあ、今から30分後に集合な。場所は今から送っとく。じゃあな」


 電話は切れた。


◇ ◇ ◇


 酒川に呼ばれたのは、木々に隠れるようにして立っている小さな喫茶店だった。

 少し戸惑いつつも先に中に入っているらしいので、目の前の扉を開いた。

 外装から何となく予想はしていたが、一昔前の喫茶店を思わせる、レトロな喫茶店だった。

 椅子のクッションは真っ赤に染まり、カウンターにはファミコンとテレビが置いてある。テレビはブラウン管テレビで、四角くてブロックのようだった。

 

 奥のテーブル席で、酒川が静かに手を振っていた。


「お疲れ」


「おう」


 短い挨拶を交わして、俺は席に着いた。


「先にメニュー頼んじゃえよ」


 そう言われて、俺は店員に渡されたメニューを見た。

 正直、コーヒーはそんなに飲まないし、コーヒーの違いなんて何が何だかさっぱりだ。


「そうだな……あ、俺カフェオレで」


「じゃあ、俺はコロンビア」


「かしこまりました」


 コロンビア……。なんかの豆の種類なんだろうが、まあ、よく分からない。呪文みたいだ。

 俺からすれば、ニンニク入れますかとそう大差はない。


「なんで、急に俺を呼んだんだ?」


「ああ、1度ここら辺で話をしようと思ってな。最近、明日川の様子はどうだ?」


「どうだって……。何も無いよ、進展は無し」


 学校で話すにも、ほとんど時間は限られてる。まともに会えないし、1度部活終わりまで学校で待とうかと聞いたが、嬉しいけどそこまでしなくてもいいよと断られた。

 そして学校で話す内容といえば、取り留めのない話だ。部活でどんなことがあったとか、勉強が……とか。そんな、なんでもない内容の話。

 そんなことで、何かが進むはずもない。

 あ……でもそうだ。


「デートだ。来週の日曜、デートすることになった」


「おっなんだよ、ちゃんと進展あるのか。それなら、そのデートでビシッと決めないとな。自分でそのデートをどうしたいとか、ちゃんと決めたのか?」


「ん? ああ、決めたというか、お互いのお気に入りの場所に誘って思い出を共有しようってことになった」


「いいね。絶対盛り上がるよ。それで、何処に誘うかは決まってるのか?」


「いや、まだ」


 そこが問題なのだ。この町近辺にある思い出に残った場所。それが見つからない。


「インパクトに残る思い出っていうのが無いんだよ。結構探したけど」


「まあそうだな。お前の家、結構金あるしな」


 ちょっとだけ、イラッとした。


「嫌味かよ」


「そうじゃない。お前のための真面目な話だ。寧ろ褒めてるよ。羨ましいのは、嘘ではないけどな」


「そっか」


 まあ、俺と酒川の仲だ。高校からだけど、嫌味なやつではないのは分かってる。


「幸せもんなんだよ。お前は。幸せが、ずっと続いている。でも、だからこそお前は幸せを幸せと気づかない。楽しい思い出が多すぎて選べないんだ」


「そう、なのかな」


「ああ、俺は少なくともそう思ってるよ。確かに、友達は高校に上がって1度ゼロになったりしたかもしれない。それでも、呉橋は幸せ者だ。俺から見ればな」


 そっか。まあ、そうなのかもしれない。酒川が言うのなら、多分そうなのだろう。

 でも、もしそうだとして。


「それじゃあ、解決にならない」


「ああ、その通りだ。でも、この話はまだ続きがあるんだ。そういう人の印象深い思い出って何になるんだろうなって。時間が経つにつれて色あせてしまう思い出なら、1番輝いている思い出は、1番新しい思い出だろ。呉橋、お前の人生をガラリと変えてしまうようなでっかい出来事が、最近あったはずだ。もしかしたら、思い出せないだけで、大事な思い出がまだ眠ってるかもしれない。でも多分、今お前が引き出しから取り出すなら、それしかない」


 でっかい出来事。それはもうひとつしかない。


「でも、それってありきたりだし、向こうも逆に怪しまれるんじゃ……」


「それならそれまでだよ。どう足掻いたとしても、最後にはそうなる運命だったんだ。でも、分かってくれるさ。それが本心なら、ちゃんと伝えるべきだろ?」


「お待たせしました。コロンビアとカフェオレです」


 透き通るような黒、なんて言ったら矛盾に聞こえるかもしれないが、多分、このコーヒーはそう表すのが最適な気がする。

 酒川の頼んだコーヒーは、どこまでも聡明で、透き通っている。

 俺のカフェオレは、そこに白が混じり合う。

 潔白、穢れのない白。そこに、透き通った黒が混じり、香りも一風変わる。

  白でも黒でもない。それは中途半端だなんて言う人もいるかもしれない。でも、これも1つの個性なんだ。


 俺は、カフェオレをゆっくりと口へ流し込んだ。クリーミーで、そして香ばしい香り。


 その個性はちゃんと受け入れてくれる。受け入れてくれないのなら、その人と最初からそれまでの関係だった。

 だから、恐れることは無い。寧ろ、早めに確かめた方が良いだろ?

 そう言いたいのだろう。

 

「俺さ。最近コーヒーの勉強を始めたんだ。

コロンビアは、結構日本では定番らしくて、それで飲んでみた」


「へぇ。美味しいの?」


「うん。苦味の中に、ちゃんと甘みもあるんだ。正直、この喫茶店でコーヒーのイメージが変わった」


「凄いな。色んなことに挑戦してて」


「色んなこと?」


「イベントサークルとか」


「いやいや。やりたいからやってるだけだよ。少しでも変わりたかったからさ。俺、小中って弱虫だったから」


「そうには見えないけど」


「そう言ってくれるとありがたいけど、うん。少しづつだけど、俺は変われてるのかもな」

 

 そうか。酒川も、最初からこんな人を巻き込んで色んなことに挑戦しているわけじゃないんだ。

 誰だって、そうなろうとした経緯がある。


「俺も、変われるかな」


「ああ、変わりたいって気持ちがあるなら、呉橋も変われる。俺も応援するよ」


 頑張れよ。そう言って、酒川はコーヒーを啜った。

 俺も、それに釣られてカフェオレを啜った。


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