第3話
「雨、か」
俺は、窓から教室の外を眺めていた。
文化祭期間中の雨は珍しいらしい。少なくとも、担任の先生がこの学校で働いている間は1度も雨が降っていないと聞いた。
外にはへこんだアスファルトの上に水が溜まっていて、空をぼんやりと映し出している。雨粒がその上に打ちつける度に波紋が浮かんで、映し出された雲は曖昧に揺らいでいた。
「おはよう。ごめん、遅刻しちゃった〜」
心乃葉が、クラスメイトに軽く謝ってから、俺の前へやってきて言った。
「ううん。ちょうどいいくらいの時間だよ。もうすぐチャイムなるし」
言ったそばから、スピーカーからは無機質な鐘の音が聞こえてきた。
途端、教室の中が、廊下が、校門が、途端に騒がしくなってきた。
「それじゃあ、行こうか」
「うん!」
最初に向かった場所は、楽しみにしていたケバブだ。
昨日チーズバーガーの列に並んでいた時も、ずっとスパイシーな香りが漂ってきていて、それが常に空腹のお腹を刺激していた。
ケバブの列は、始まったばかりということもあり、列はまだ少ししか伸びていなかった。もしかしたら、早めに来てればどちらも買えたのかもしれない。
「あそこのベンチで食べようよ」
「ああ。そうしよう」
ケバブを買って、花壇の前のベンチに腰掛けた。
そして、俺達はケバブを頬張った。
「うーん、美味しい!」
香ばしい肉の香りと、ピリリと舌を刺激するソースが堪らない。心乃葉も思わず顔を許綻ばせていた。
俺も1口、また1口と食べ進めていく。
「次はどこに行く?」
「……ライブ、とかかな」
「いいね。私も行ってみたいかも」
今日の予定のことを、俺は感慨深く感じながら話していた。
肩が触れて、寄り添ってご飯を食べる。心乃葉の匂いに思わず酔いそうになる。何となく、恥ずかしくなって顔を下げる。
こんな、甘い青春を演じていることが、不思議でしかない。
少し前に流行っていた、いや、今も流行っているのか、ネットのご都合主義の小説。何となく、自分もその主人公の仲間入りを果たしたんじゃないかなんて思う。
そっかー、俺も○ろう主人公か……。
そう思うと楽しくなって来なくもない。が、そういう事を言いたくなるほど、悠長に過ごしている訳では無い。
むしろその逆だった。心が休まらん。
「ライブってことは、何か見たいバンドとかあるの?」
「いや……なんか盛り上がってそうだし、楽しそうな気がしたから」
「うーん?」
心乃葉が、少し困ったような表情をした。そこで、俺はやっと失言に気づいた。
こんなの、デート中に言う言葉なんかじゃない。
「いや、ほら。友達、今日バンド出るからさ」
口から出た出任せ。でも、心乃葉は納得してくれたみたいだった。
「そうなんだ。えーっと、今日は原田くんのバンドがあったんだっけ」
「あ、そうそう。俺、原田のギター弾いてる姿とか見たことないからさ、少し気になってて」
「それは確かに。私も、ちょっと気になるかも」
「だろ? 行こうぜ」
◇ ◇ ◇
真っ暗の視聴覚室に、大きなステージが作られていて、そこにだけ明かりが灯っている。
濃厚に響く重低音と、耳に突き刺さるような高音。曲名は俺も知っているくらい有名な曲で楽しみだったのだが、正直、聞いてて疲れるような音だった。
曲が終わる度に耳鳴りがして、しかも曲も音が大きすぎてまともに聞こえない。蝶の蛹から蜂が出てきたみたいな、そんなハズレを引いた感覚。これには心乃葉も難しい顔をしていた。
「いやー、やっぱね、音楽はロックだよね。JPOPとかも勿論好きだけど、やっぱ軽音部でこうやってライブして盛り上がるのはすごい楽しいからさ。これは、バンドだからこそできることだからな」
そう言いながらも、盛り上がっている人達は皆軽音部員だけ。所詮、内輪ノリってやつだった。
そして、そのノリからあぶれた俺達は、ステージ後方の席で静かに曲を聴いていた。
「原田くんギター凄い上手いね」
爆音の中、心乃葉が耳元で言った。
吐息が少し感じて、背中がくすぐったくなった。
「うん。なんか、いつものキャラ違うからびっくりした」
「? なんて?」
「原田のキャラが違うからびっくりした」
聞こえなかったようで、1度目より口を大きく動かして声を張った。
「ああ、なるほど。そう! ギャップが凄いよね」
心乃葉の言葉のニュアンスは理解したが、俺もなんて言ってるかあまり聞こえなかった。
2曲目が終わり、長いMCに入ったので、爆音に耐えられなかった俺は、心乃葉を連れて視聴覚室を出た。
「あはは。凄かったね、なんか私、耳が変になりそう」
「俺はもう変になってるよ、なんか、耳鳴りがすっごい」
耳に粘土でも詰められたような気分だ。
あんな調子で、軽音部は他の場所に行かず、ずっと視聴覚室であんなのを聴き続けるのだろうか。在学中に耳が聞こえなくなりそうだ。
「心乃葉」
「何?」
「今日も一緒に帰れるの?」
「んー。ごめん! 今日からまた部活が始まるから」
そういえば、ラグビー部のマネージャーをしてたんだっけか。
文化祭終わってすぐ練習とは、忙しくて大変だな。
文化祭が終わればますます接点が無くなるし、これだと本当になんで付き合ってるのか分からなくなりそうだ。
「心乃葉はさ。俺といて楽しい?」
「勿論! だって、好きな人と一緒にいられるんだよ? 楽しいに決まってるよ」
「それなら良かった」
「将大は?」
突然そう聞かれて、俺は答えに迷った。
「俺は……うん、楽しいよ」
嘘ではない。俺は、本当に楽しい。
でも、その楽しさは、ここにいる人が誰であっても変わらない気がして、必ずしも隣で寄り添ってくれる人が心乃葉である必要はない気がした。
流されるがままに告白を受けて、そして今に至るまで、俺は自分の意思を殺して生きている。
それは変わらないといけないことだと分かってはいるが、どうしても、変わってくれないのだ。自分自身の意思が弱すぎるせいで、他人の意思を強く尊重してしまう。
せめて、もう少し積極的になれたなら――。
そんなことは高望みでしか無い。
◇ ◇ ◇
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「ああ、俺も楽しかった」
心乃葉は、今日の文化祭を十分に楽しめたみたいだ。笑顔は晴れやかで、見ていて気持ちが良かった。
……よく、こんなので満足してくれたなぁ。
こんな考えは最低だと分かっている、でも、ふわふわとそういう思考が浮かび上がってくる。
今日は失敗だった。俺は、碌なエスコートが出来ず、ただ心乃葉について行くだけだった。
「……ごめん」
つい、言葉が漏れていた。それを、心乃葉が笑顔を潜めて、見つめていた。
「俺、今日かっこ悪かったよな」
「うーん。でも気にしないよ。かっこいいから、好きになったわけじゃないし」
「でも、失敗だよな」
今の俺は、本当にかっこ悪い。なんで、カノジョの目の前でグチグチ言ってるんだよ。
そんなことしたって、嫌われるだけなのに。
――突然背中に衝撃が走った。
「痛った……」
「もうっ。そんなこと言わないでよ。私は楽しかったし、もし明日も文化祭があったら、また将大と文化祭に行くよ。絶対に」
「それは、嬉しいけど……でも、ダメだよな。これは」
「……そっか。じゃあ、うーんとね……ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「ああ」
聞きたいこと……?
「――将大、私の事そんなに好きじゃないでしょ?」
俺は、サーッと血の気が引いた。
「あっはは! そんなに驚くってことは図星ってことかぁ……ちょっとショックだなぁ」
「……ごめん」
「いいよいいよ。だって、お試しでーとか言って付き合う人もいるくらいだし。なんならそれでなんだかんだ長く続く人も私は知ってるから」
なんだか、スカッとするほど思い切りがいい人だ心乃葉は。
「でも大丈夫! 私は絶対に惚れさせてあげる。私、それなりに経験があるから自信があるんだよ」
「そうなんだ」
モテるもんね。知ってた。
「だから、気にしないでいいんだよ。そんなに気負わなくても」
確かに、考えすぎていたのかもしれない。
心乃葉の言う通り、気にしないで良いのかもしれない。俺のことが好きなままならその方が心乃葉にとって都合がいい。
でも、俺はこのままでは行けないと思っている。
久しぶりな気がする。こんなにも、強い意思を持てたことは。
これは、俺が解決すべきことだ。ちゃんと、本当は自分がどうするべきなのか、考えなくてはならない。
「俺、変われるように頑張るよ」
「そっか。私も、将大を惚れさせるために頑張る」
うん、ちょっと思ってたのと違うけど、まあいいだろう。頑張るよ、俺。
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