08 親戚なら男女が一つ屋根の下でも問題ない?

 虚ろな笑顔の咲良が怖い。蛇に睨まれた蛙のようにすくむ俺を見下ろし、彼女は言った。

 

響矢なりや、ご飯作れるよね」

「はい?」

 

 ぱーどん?


「三日に一度来てくれるお手伝いさんが、今日は休みなの」

「だから?」

「私がお味噌汁を作るから、響矢はご飯を炊いて鮭を焼いてホウレン草を湯がいてね」

「それほぼ全部の工程が俺じゃね……?」

 

 どうして料理ができると思われているのだろう。

 いや、簡単な自炊はしたことあるけどさ。

 お腹が空いていたと告白する咲良。先程の異様なテンションは、空腹によるものだったらしい。取って食われるかと思ったじゃないか。

 

 時刻はちょうど正午。昼御飯の時間だ。

 

 俺たちは台所に移動した。

 流し台と蛇口は見慣れた形をしている。

 米や魚は元の世界と同じだ。鍋や調理器具も同じ。いや、ガスコンロがない。どうやって火を付けるんだ。

 

「そんなの簡単だよ。陰陽術で火を付ければ」

「咲良、お前、さては料理したことないな?」

「……」

 

 何となくだが、陰陽術を料理に使うのは普通じゃない気がして突っ込んだ。咲良が黙ったのを見るに正解だったらしい。

 結局、流し台の横にある器具がIHクッキングヒーターと同じようなモノだと分かり、解決した。

 二人で、ああでもない、こうでもないと言い合いながら料理するのは、結構楽しい。

 苦戦したが、素人なりにまあまあな家庭料理は出来上がった。

 

「召し上がれ」

 

 咲良は、丸いちゃぶ台に二人分の料理を配膳した。

 俺と咲良は向かい合って、ちゃぶ台の前に座る。

 ここまで来れば、この家に親がいないことも、咲良が俺と二人暮らしするつもりなのも分かるというものだ。

 

「いやいや、おかしいだろ。一つ屋根の下に年頃の男女二人って。咲良、お前の親はこのこと知ってるのかよ?」

 

 いただきますと唱えて手を合わせた後、俺は後回しになっていた疑問を咲良にぶつける。

 咲良は、綺麗な動作で米を口に運び「おいしい」と幸せそうに頬をゆるめた。

 

「ちゃんと響矢と住んでいい?ってお父さんに聞いたよ。響矢なら良いってお父さん言ってた」

 

 俺は焼き魚をつつきながら考えた。

 確か咲良と出会ったのは法事で、親戚が集まった時だった。

 

「なんでうちは異世界に親戚がいるんだ……?」

「不思議だよね。でも私と響矢は親戚だし、男女だからとか、気にしなくていいんじゃない」

 

 いいのか……?

 血が繋がっているのか分からない男女が同棲しても、親戚だからという理由があれば確かに大丈夫な気がする。親戚だから。一緒にご飯を食べてもいいだろ、親戚だから。ひとつの布団で寝ても良いだろ、親戚だから。うっかり男女の関係になっても良いだろ、親戚だから……いや、良くはない。親戚でもアウトだ。

 

「明日、恵里菜さんに相談するかな……」

「響矢!」

 

 改めて家を探そうかと考えていると、咲良がバンとちゃぶ台を叩いた。

 

「私、昨日まで、響矢は元の世界に帰っちゃうんだと思うととても悲しかった。不思議だよね、響矢と会ったのは小さな頃の数日間だけ。今までの人生で、響矢と過ごした時間は数十時間にも満たないのに、もう会えないと思うと堪らない気持ちになった」

「咲良……」

「でも今朝、恵里菜さんから響矢は帰らないと聞いて、嬉しくなったの。これからはずっと響矢と一緒にいられると思って……響矢はこんな私の気持ち、迷惑かな……?」

 

 最初は強気だった言葉が、段々しりすぼみになっていく。

 咲良は不安そうな表情で俺の答えを待っていた。

 迷惑なんかじゃない。

 こんなに真剣に想われていて、嬉しくない訳がないじゃないか。

 

「迷惑なんかじゃ」

 

 そう答えようとした時、視界の隅に奇妙な物体を見つけた。

 ふくふくした茶色い毛皮の後ろ姿。まんまるい背中から、申し訳程度に尻尾が垂れている。頭に載せた葉っぱは萎れているようだ。

 そこには、存在を忘れられて落ち込んでいる狸がいた。

 哀愁漂う背中を見せつけ、壁側を向いて湿気を放出している。

 しまった。

 朝食に狸を連れていかなかった流れで、そのまま出てきたのだ。宿泊する場所が変わるのに、狸と一緒に引っ越すことを失念していた。

 

「……」

「どうしたの?」

 

 俺の様子から話の風向きが変わったことに気付き、咲良は後ろを振り返る。

 そして狸に気付いた。

 

「ふきゃっ、背後霊?? いや、たぬき、だよね。もしかして響矢の縁神……?」

「話の途中でごめん」

「ううん、別に気にしてないけど、大丈夫? 頭の葉っぱ、萎れてるけど」

 

 水を掛けたら復活するのかな。いや、狸が気にしているのは、俺が彼の存在を忘れていたことだ。

 俺は皿の上に残っている焼き鮭を、皿ごと持って狸に近付いた。

 

「忘れていてごめんな、たぬき。仲直りしよう。ほら、鮭だぞ」

「……」

 

 狸はゆっくり振り返る。

 俺を見上げ、そして数十秒かけて皿に目を移した。

 何も言わないが一気に雰囲気が明るくなる。

 皿に鼻を突っ込んで鮭を食い始めた狸に安心して、俺は席に戻った。

 

「さっきの話の続きだけど」

 

 切り出すと、咲良は緊張した様子で姿勢を正した。

 

「家が見つかるまでは、咲良の家に厄介になろうと思う」

「気にしないで! 私も響矢が残ると聞いて、浮かれていたんだわ。そうよね、普通は年頃の男女が一つ屋根の下だと、困るよね」

 

 冷静になると、彼女も突っ走っていたと自覚したらしい。

 俺の意を汲むかたちで会話を続けてくれる。

 

「というか、響矢は、久我こがの家に帰れるんじゃない?」

「久我……母方の名字だったな。久我家が異世界と繋がってたのか」

 

 そういえば古神に乗った時も「久我響矢」と表示されていた。

 久我の家には、一度行ってみる必要があるだろう。

 

「食べ終わったら、一緒に久我の家に行ってみる?」

「咲良さえ大丈夫なら、頼む」

 

 腹が満たされると、眠くなってくる。

 外出は昼寝をしてからで良いだろうか。

 軒先に吊ってある風鈴が、初夏の風の音色を奏でた。

 この家は、広すぎず、狭すぎず、二人で住むにはちょうど良い大きさだ。自分で「家が見つかるまで」と期限を切ったにも関わらず、咲良と二人で過ごす時間が居心地良さすぎて、出ていきたくないと考える俺がいる。

 

「響矢、寝てるの? もう……」

 

 縁側に転がった俺の傍に、咲良が座った気配がした。

  

「お礼を言うのが遅くなったけど……昨日は助けに来てくれて、ありがとう、響矢」

 

 照れ臭くて俺は狸寝入りを決め込んだ。

 起きるのが遅くなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 置いて行くと狸が湿っぽくなることが分かったので、咲良に鞄を借りて狸を入れていくことにした。ダイコンやネギが入りそうな買い物用の鞄に、雑に狸を突っ込む。

 俺は天照防衛特務機関から支給された、白シャツに黒いズボンの恰好だった。落ち着いたら、服や下着は自分で買いたいな。

 咲良は、藍地に雲模様の着物に着替え、下駄をはいている。

 白い日傘を持って洒落た風情だ。

 

「久我の家は、今は叔父さん夫婦の二人だけなんだよ」

「咲良の苗字は、西園寺だよな? 久我家と苗字が違うけど、本当に親戚なのか?」

「親戚だよ。神華七家は、古神の操縦者どうしで結婚することが多いから……」

 

 タクシー代わりの乗合馬車をつかまえ、途中まで乗せてもらう。

 咲良が案内した先には、今にも崩れそうなボロ屋敷が建っていた。

 塀の石垣は、ところどころ石が抜けペンペン草が生えている。元は偉容を誇っていただろう屋根付きの門構えは開け放たれ、空虚さをさらしていた。敷地の広さから相当な土地持ちだと分かるが、いかんせん人の気配が感じられない。

 

「ここ……?」

「うん。家の手入れをするお金が無いみたい。中に入ろう」

 

 咲良は、さっさと門をくぐって中庭に入っていった。

 おっかなびっくり後に続く。中庭の池は水位が下がり、謎の緑の藻が大量発生していた。

 

「だから、四の五の言わずに古神を寄越しなよ! お宅にはもう操縦者がいないんだろ?!」

 

 いきなり、甲高い少女の声が鼓膜を叩く。

 

「どうか、お引き取りを……」

 

 苦々しい表情で中年の男性が答えている。

 何やら玄関口で揉めているようだ。

 

「あのは、恵里菜さんの妹の、一条桃華いちじょうももかさんね」

 

 咲良がさりげなく少女を紹介してくれる。

 少女は、恵里菜さんと同じ制服を着ていた。最近はやりのルビーチョコレートみたいな赤みがかった茶色の髪を、頭の高い位置でポニーテールにしている。

 俺は目測で彼女の身長をはかって、首をかしげた。

 

「小学生?」

「背が低いって言うな!!」

「誰もそこまで言ってないけど」

 

 ポツリと漏らすと、すごい勢いで振り向いて怒鳴ってきた。

 彼女、桃華は身長の低さを気にしているらしい。

 

「なんだ、あんた西園寺咲良じゃないか。隣の男は誰だ? 見ない顔だな」


 桃華は少し不思議そうな顔をしたが、すぐに俺から視線を外した。

 きっと咲良をにらむ。

 

「西園寺咲良、勝負だ! 根性なしの久我の代わりに、私と戦え! 私が勝ったら、久我の古神オモイカネは、私が頂く!」

「……そんな無茶苦茶な」

 

 後ろで中年の男性がぼやいていたが、桃華は無視して、人差し指を咲良に突き付け、宣戦布告した。 

 

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