05 異世界最後の一日

 どうして例の印が、俺の手首に?

 混乱して危うく狸を放り投げるところだった。

 こういうのは弘の役割だろうに、なんで俺のところに来るんだよ?!

 

「とにかく、隠しておかないと……」

 

 弘が買ったリストバンドを拝借する。

 黒い帯は派手じゃなくて、手首を隠すのにちょうど良い。

 当たり前だが、翌朝、早速、弘に気付かれた。

 

「おはよう村田……なぜ俺が買ったリストバンド付けてるんだ?」

「なんか気に入ってさ。どうせ弘は他にも持ってるんだから、ひとつくらい俺がもらってもいいよな?」

「構わないが……そうか! 村田もやっとお洒落に目覚めたのか! 親友として俺は嬉しい!」

「ぐぇっふ」

  

 弘は勢いよく俺の肩を叩いてきた。

 

「今日は、村田の服をどこかで見繕うとしよう! もちろん金は俺が出すぞ!」

「異世界の金は、恵里菜さんたちが支給してくれたものじゃ」

「細かいことは気にするな! なにしろ今日が異世界最後の一日だからな!」

 

 俺は、遠い目をして狸を抱えた。

 ふくふくの毛皮が気持ちいい。

 昨夜は結局、布団の中に狸が入ってきたので、諦めて一緒に寝たのだった。

 咲良の言っていた妖怪と仲良くなるな云々は、もはや手遅れという気がしないでもない。こいつ俺の縁神よりがみになったのかな。

 今朝、起きがけに、俺と狸が同衾しているのを発見した弘は悲鳴を上げたが、綾に殴られて黙った。それ以来、俺と狸に誰も突っ込まない。

 

「最後の一日で、少しでも資料や知見を得て、元の世界に戻りたいものですね。弘様が世界征服をするために……」

 

 佐藤さんが真面目な顔をして言った。

 この人、本気で言ってるのか冗談なのか、たまに分からなくなる。

 

「それでは今日は皇居外苑部を案内しましょうか。江戸城に明安天皇がいらっしゃって東皇都が出来てから、まだ百年ほどしか経っていないのですよ」

 

 恵里菜さんがニコニコ笑顔で俺たちを外に案内する。

 彼女は俺の抱えた狸を見て、一瞬目を見張ったが、特別何も言って来なかった。異世界の妖怪、ナチュラルに日常に溶け込み過ぎている。

 

 俺たちは、パラレル日本最後の観光に繰り出した。

 天気も良いので、握り飯でも買って、公園で食べようかという平和な話をしていた時、激しい警報音が鳴り響いた。

 驚いた烏が一斉に飛び立つ。

 

『本土防衛線が、突破されました。国民は速やかに近くの寺社結界に避難してください』

 

 どこからか女性のアナウンスが響き渡る。

 恵里菜さんが顔色を変えて携帯を取り出した。

 

「この前に引き続き、どういうこと? 堅牢な天岩戸あまのいわとに守られた本土に上陸を許すなんて……まさか、考えたくありませんが敵の内通者が防人さきもりの中にいるのでしょうか」

 

 脇から恵里菜さんの携帯をのぞくが、画面は白く発光していて文字も画像も見えない。のぞき見防止か。大した技術だ。

 

「この近くには築土神社つくどじんじゃがあります。そこに急ぎましょう!」

 

 晴天に黒雲が沸き、轟音が鳴る。

 俺たちは恵里菜さんと一緒に、避難場所へ向かって走り出した。

 走りながら見上げると、前に見た白い機体が空を飛んでいた。

 雛壇に飾られる人形のような三角のシルエット。広げた翼の先に灯る、紅蓮の炎。

 

「コノハナサクヤ!」

 

 恵里菜さんが叫ぶ。

 

「コノハナサクヤ……桜の古神……さくら……咲良?」

 

 俺は気付いた。

 あの古神に乗っているのは、咲良だ。

 恵里菜さんが反対の空を見上げて、青ざめる。

 

「あれはアメノクラト? なぜ味方に攻撃しているのですか!」

 

 緑の蛇を模した機体が、水鉄砲を吐いてコノハナサクヤに攻撃している。

 流れ弾が近くの地面をえぐった。

 土煙が立って、前が見えなくなる。

 

「ごほっ……たぬき、お前が守ってくれたのか」 

 

 いつの間にか俺の腕から飛び降りた狸が、くいっと顔を上げ四肢を踏ん張って立っていた。

 狸と俺を中心に半透明のドームが形成され、流れ弾を逸らしている。

 

「すげーな、たぬき」

 

 褒めると狸の鼻からビローンと鼻水が垂れた。お前それがデフォルトなの?

 

「弘ー? 佐藤さんー? 綾さーん?」

 

 近くにいたはずの弘たちがいない。

 近辺は俺ひとりだ。

 先に逃げたのかな。

 とにかく、この場所から退避しようとした時。

 凄まじい轟音と共に、空から白い機体が落ちてきた。

 皇居の外堀をかすめるように墜落する。

 

「咲良!!」

 

 緑色の蛇の機体が、コノハナサクヤに向かって進んできている。

 

「緊急脱出装置とか、無いのか?! とにかく逃がさないと……!」

 

 危険に飛び込む馬鹿がどこにいる。火中の栗を拾うようなものだ。

 しかし咲良は知らない仲ではない。

 流れ弾は狸が防いでくれることが分かった今、助けに行かない理由は無かった。

 俺は、煙を上げて動かないコノハナサクヤに駆け寄った。

 

 

 

 

 人間であれば心臓に位置する場所に、古神の操縦席はある。

 球体の操縦室の内装や、座席の柔らかいクッションは、後から天照防衛特務機関によって追加されたものだ。古神本体は人が作ったものではない。

 古神は強力な兵器だ。メンテナンスは神水に浸けるだけでいい。多少の傷は自動修復される。だが大きな損傷を受け、破壊されれば、現在の人類の技術では復旧不可能だ。

 それゆえ、どこの国でも、貴重な古神の獲得に熱心なのである。

 

「……天岩戸あまのいわとの抜け道について、敵に情報を流したのはあなたかしら。一体どういうことですか? アメノクラト、いえ、伍代茂ごだいしげる!」

 

 味方機は、霊話で会話できるようになっている。

 咲良は、回線を開いてアメノクラトに呼び掛けた。

 

『僕は古神を持って海外に渡る。海外の方が、僕の能力を高く買ってくれるからね』

 

 アメノクラトの操縦者、茂から応答がかえってくる。

 その返答に、咲良は愕然とした。

 

「あなた、防人さきもりの誇りをどこに捨てたの? 恥を知りなさい!」

『伝統だとか血統だとか、下らない矜持だな。操縦者を出せずに没落した久我こがの方が、神華七家だから実力者の揃った伍代よりも上だという。古臭い価値観に固執しているから、日本は世界に追い付けないんだ!』

 

 古神を遺跡から発掘し、操縦法を確立した神華七家は、防人の中でも特に家格が高い。

 しかしそのせいで実力があっても認められないと、茂は鬱屈した思いを抱えていたらしい。

 

「そんな理由で故郷を捨てるなんて!」

 

 咲良は怒りを込めて、コノハナサクヤの砲門から炎を放った。

 対するアメノクラトもカウンターで水流を放つ。

 

『五行相克、水克火! 水は火より強い! 水の古神であるアメノクラトに、火の古神のコノハナサクヤが勝てるものか!』

 

 炎をかき消し、水流がコノハナサクヤの翼を直撃する。

 右腕に痛みが走った。

 

「っつ……!」

 

 古神をスムーズに操縦するために、防人は古神と感覚を共有している。

 咲良は腕の痛みを必死にこらえた。

 

『西園寺咲良、お前は殺さない。一緒に来てもらおう』

「ふざけないで! 虜囚になるくらいなら」

 

 この身を大神に捧げよう。

 そう決意しかけた咲良に、別の回線から制止が飛び込んできた。

 

『止めなさい、咲良! 誰もあなたの犠牲を望んでないわ!』

「恵里菜さん、でも」

 

 一瞬の躊躇を見逃さず、アメノクラトの水流砲が、コノハナサクヤの頭部を叩く。

 頭部はセンサー類を積んでいる。操縦室の内装に投影された外界の映像にノイズが走り、激しい衝撃が操縦席を襲った。

 ただでさえ古神のダメージは操縦者にフィードバックされるのに、当たりどころが悪い。それを狙ったのだろうが。

 

「きゃあああああ!!」

『咲良!』

 

 コノハナサクヤは墜落する。

 自分に対する呼び掛けを遠くに感じながら、咲良は意識を失った。

 

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