03 仏心でつい妖怪たぬきを助けてしまった

 八年前、法事で連れていかれた親戚の家で、彼女と出会った。

 幼い頃も非常に可愛い子だったが、輪をかけて綺麗になっている。

 

「え? え? なんで咲良さくらが異世界にいんの?」

「な、響矢なりやこそ、どうしてここに……?!」

 

 混乱しているのは、お互い様らしい。

 ふらふら歩み寄ってきた咲良の手首をつかみ、俺は目を見開いた。

 

「咲良、それ、その手首の印って」

「あ……!」

 

 彼女の両手首の内側には、勾玉のような青い紋様が浮かんでいた。

 俺は思わず咲良の手首を引き寄せて、しっかり確かめてしまった。

 普通は見知らぬ女の子相手にこんなことしないのだが、相手が幼い頃に会った咲良と知って、気が緩んでいたらしい。

 

「ちょっと、響矢!」

「ごめん」

 

 叱られてパッと手を離す。

 

「咲良は、古神の操縦者なのか……?」

 

 悪魔のお姉さんが言っていた「勇者の印」、絵里奈が言っていた「古神の操縦者を狙っている」というキーワードを組み合わせれば、答えは一つだ。

 古神の操縦者は、手首に印を持っている。

 

「うん……あ、そうだ。響矢、妖怪と仲良くなったら駄目だよ」

 

 頬を赤く染めた咲良は、唐突に変なことを言い出した。

 

「へ? 妖怪?」

「外で私と会っても知らない人の振り。分かったね?」

「お、おぅ」

 

 言っていることが、よく分からない。

 首を縦にかくかく振ると、咲良はやっと安心したように表情をやわらげた。

 

「絵里奈さんに、響矢のことを聞いてこよう……じゃあね!」

「あ、咲良」

 

 マイペースな咲良は、急に思い立ったら人の言うことを聞かない。

 艶やかな黒髪が風になびいて、桜の花びらが舞い散った。

 彼女は軽やかに身をひるがえして、止める間もなく去っていく。

 

「結局、説明なしか。なんだってんだよ……」

 

 仕方なく俺は花見を切り上げて、弘たちの元に戻ることにした。

 立派な日本家屋の客室が、俺たち向けに用意されている。

 

「ただいま……って、何やってるの、弘」

「おおおおかえり、村田! あああ、あれを見ろ!」

 

 浴衣に着替えた弘が、和室の隅っこを指さす。

 そこには、ふくふくの毛皮をまとった狸が一匹、微動だにせず片隅に鎮座していた。

 

「なんだ、たぬきじゃないか」

「なんだじゃない! 危険な妖怪やモンスターの類だったらどうする?!」

 

 狸一匹に、大げさな奴だな。

 彼女が弘に呆れていないのかと思って横を見ると、あやは据わった目であぐらをかき、煙草を吸っていた。

 

「アヤ、生きた毛皮に興味な~い。佐藤、あいつを摑まえてファーに加工してよ」

「無茶言わないでください。異世界で何が起こるか分からないのに、あのような正体不明の生き物に近づけと?」

 

 執事でマネージャーの佐藤さんは、触れぬ神に祟りなし、という信条のようだ。

 

「あれ? 俺の布団は?」

「あの生き物が邪魔で、敷けませんでした」

 

 三人分の布団を敷いたのは佐藤さんらしい。相変わらず、俺に対する扱いがひどい。

 ともあれ、狸をどかさないと俺の今日の寝場所は確保できないようだ。

 思い切って一歩一歩、畳を踏んで狸に近づく。

 狸は微動だにしない。

 よく見ると狸は、頭の上に一枚の葉っぱを乗せていた。

 超重力なのか、表面張力なのか、木の葉は狸の頭から落ちてこない。

 妖怪たぬきかぁ。

 ふと、咲良が「妖怪と仲良くなったら駄目だよ」と言っていたことを思い出す。

 仲良くなる訳ないだろ。

 

「おい、たぬき」

 

 呼びかけて、目の前で、手をひらひら振る。

 狸は動かない。

 湿った鼻先から、びろーんと鼻水が垂れた。

 ……気絶しているようだ。

 

「おい!」

「……!」

 

 強く呼びかけると、狸は急にビクっとした。

 こっちまで驚くわ。

 丸い黒い目が、俺を見上げてうるうるし始める。

 何となく、狸の感情が分かった。

 

「もう怖くないからなー、よしよし」

 

 分厚い首まわりの毛皮に指を差し込んで手触りを堪能した後、両手でえいやっと狸を持ち上げる。

 狸はなすがままだ。

 そのまま畳を横断して、縁側の地面に狸をそっと降ろした。

 

「もう人の家に入ってきたりしちゃ、駄目だぞ」

 

 こちらをじっと見る狸の視線をさえぎるように、障子をさっと閉める。

 

「ナイス村田」

「すごいな村田! 妖怪を追い出した!」

「弘様の役に立って何よりです。さあ寝ましょう」

 

 綾、弘、佐藤さんが口々に好き勝手言う。

 だが寝るのは賛成だ。

 疲れを癒して新しい明日に期待しよう。

 

 

 

 

 翌朝、狸はまだ縁側にいた。

 

「……」

 

 しかも昨夜、雨が降ったらしく、狸はびしょ濡れだった。

 ずびずびと鼻水をすすり上げ、こちらを見上げる。

 あまりに不憫な姿に、俺は音を上げた。

 

「村田、朝食だって」

「先に行ってくれ」

 

 弘と綾と佐藤さんは、怪訝そうにしながら、朝食が出る場所に移動して行った。

 残った俺は、押し入れをかき回して使ってなさそうな毛布を見つけ、狸を拭く作業に熱中した。

 

「頭の葉っぱ、取れねーな」

 

 謎だ。狸は気持ち良さそうに、俺の手に身を委ねている。

 

「村田、まだここにいたのか」

「弘、もう朝飯たべてきたのか?」

 

 狸が元通りふくふくの毛皮になった頃に、弘と綾と佐藤さんが帰ってきた。

 三人は手にスマホのような端末を持っている。

 

「それ何? 携帯?」

「ああ、これは、この世界のスマホらしい。身分証明もクレジット払いも、これ一つで出来るそうだ。すごいぞ! 電力の代わりに霊力で動いているらしい!」

「霊力?」

「人間の霊力を電池代わりにするから、充電しなくても良いんだと。ほら見てくれ、村田! 俺の霊力値は一万越えだそうだ!」

 

 弘が興奮して、異世界スマホの画面を見せつけてきた。

 筆文字フォントで「霊力値: 一萬七百五拾一」と表示されている。

 霊力ってなんだろう……MPの代わりかな。

 

「恵里菜さんに、普通は数百だと驚かれたんだ」

「へえ、さすが弘だな」

「弘様なら、当然のことです。このままチートスキルで異世界を乗っ取ってもおかしくはありません」

 

 佐藤さん、ラノベの読みすぎじゃない?

 

「でも~、明後日には、帰れるんでしょ?」

 

 綾が腰に手をあてて言った。

 帰れる?

 

「え? 元の世界に戻るのは難しいんじゃ」

「何でも~、上の偉い人が動いたとかで、アヤたちを魔法で元の世界に返してくれるんだって~」

 

 恵里菜さんは、帰れないようなことを言っていたのに、事態は急変したらしい。

 脳裏にちらりと、昨夜出会った咲良の姿がよぎった。

 彼女が裏で偉い人に俺たちを帰すように言った、と考えるのは些か考え過ぎだろうか。

 

「アヤ、パラレル日本の建物や食べ物の写真を撮りまくって、帰ったらインスタに載せるんだ~」

「良い考えだな! よし、パラレル日本を観光してから帰ろう」

 

 弘と綾は、帰れると聞いて大層喜んでいる。

 

「弘様の異世界征服が始まるところだったのに……」

 

 佐藤さんは残念そうだ。

 ところで俺は朝食を取り損ねたのだろうか。腹が減ったなー。

 

「……」

 

 くいくいと、服の裾が引かれる。

 振り返ると笹の葉に乗ったお握りを差し出す狸がいた。

 

「ありがとう?」

 

 お握りがどこから出てきたのか謎だが、ありがたく頂くことにした。

 これはもしかして狸の恩返しって奴なのかな。

 

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