第13話 チョコレートは砕けない~ラァァブ イズ パワー~
「ハ……ハハハ……! できた、ついにできたぞ……!」
暗い研究室、紙と謎の物体が散乱する中で男は歓喜の声を上げた。その手には淡い光を放つ煉瓦色の結晶が握られている。
「いやーずいぶん作成には苦心したけど、なんとか期日には間に合いそうだ。さぁてあとはこれを量産すれば……」
その時。
結晶が一際眩しく輝いた。
「なっ、これは――⁉」
結晶から溢れ出した光の奔流は研究室を満たし、そして――――――。
「ん……ふぁぁー」
窓から差し込む朝日がヨリンデの意識を覚醒させる。
「ヨリンゲル……?」
起きた彼女が最初に感じたのは違和感。寝起きでまだ完全に働いていない頭でも、数秒かからずに彼女はその正体に辿り着いた。
同居人であるヨリンゲルの気配が家のどこからも感じられない。
ヨリンデはベッドから起き上がると、カーディガンを羽織り寝室を出る。
「ヨリンゲルー? いないのー?」
浴室……いない。トイレ……いない。リビング…………いない。
「あら?」
リビングを出ていこうとしたヨリンデだったが、その寸前でテーブルの上に羊皮紙が1枚置かれている事に気づいた。
ヨリンデは手に取ってそれを見てみる。そこにはヨリンゲルの字で、彼女へのメッセージが書かれていた。
―—おはようヨリンデ。昨日は夜遅くまで何かをしていたみたいだから、ゆっくり寝かせてあげようと思って、今日は僕だけでラァァブを広めに行くことにしたよ。夜までには帰ってくる。 ヨリンゲルより――
「私を気遣って起こさないでいてくれるなんて……さすがヨリンゲルね! さすヨリよさすヨリ!」
でも……。ヨリンデの声がわずかに沈んだ。
「今日ぐらいは2人でいたかった……なんて言うのはわがままかしらね」
ヨリンデはリビングを出てキッチンに入ると、そこにあった戸棚を開ける。その中にはキレイにラッピングされた小袋が1つ、置かれていた。
「……ううん。ヨリンゲルは愛とラァァブの伝道師の使命があるんだから! さ、私も準備をしてヨリンゲルのところに行かないと!」
「「「わぁチョコだー!」」」
お菓子が一杯に詰められた袋に子供たちが群がる。
「チョコはまだあるからね。ゆっくり食べるといい」
その様子を微笑まし気に見ているヨリンゲルに、眼鏡をかけた老婆が声をかけた。
「いつもありがとうねぇ。みんな、ずっと楽しみにしていたみたいで、昨日からソワソワしっぱなしだったのよ」
この孤児院の院長でもある彼女とは、ここへの訪問を始める前からの知り合いである。
「子供たちが喜んでくれてたのなら良かったよ。それじゃあ僕はそろそろ……」
「えー、もう行っちゃうのー?」
2人の会話を聞きつけた少女がヨリンゲルの袖を掴む。
「あぁ。僕にはまだ行くべきところが残っているからね。でも安心してくれ。またすぐに遊びに来るさ。それじゃあ……ラァァブ!」
「「「ラァァブ!」」」
ヨリンゲルの別れの挨拶に子供たちが大きな声で応える。もうラァァブが何なのかと尋ねる者はいない。尋ねても自分に理解できる答えが得られない事は知っているし、なにより、そんな事は些末な問題だと分かっているからだ。
「さて、次は協会でチャリティーイベントか。ラァァブを待っている人たちのために急いで行かないとね!」
愛とラァァブの伝道師である彼にとって、今日は1年の中でも特に忙しい日だ。だがそれを大変だと思った事はない。愛とラァァブを広める、それこそが自分の使命なのだと固く信じているからだ。
それに街中から愛とラァァブが感じられるこの日は、ヨリンゲルにとっても素晴らしい1日なのである。
「ん、あれは……」
ヨリンゲルが鼻歌交じりに協会に向かっていると、前方から奇妙な2人組が歩いてくることに気づいた。
1人は菫色の髪をした絶世の美少女。黄色の服にアクセントとして赤い薔薇を付けた彼女は、まさに1輪の華であり、すれ違う者皆を振り返らせる美しさを持っている。
男なら決して放っておかない美貌の持ち主の彼女だが、不思議と彼女に声をかける男は現れない。
それも当然。彼女の側を歩く同伴者は、見るも恐ろしい獣人なのだから。
常人より一回り大きい体躯に、鋭利な爪の生えた手、口元からのぞく巨大な牙に、相手を威圧する眼光、それに加えて、骨など造作もなく切断できそうな戦斧を背負っているとなれば、声をかけるどころか近づくことも恐ろしいというものだ。
「あら、ヨリンゲルさんじゃない。お久しぶりね」
ヨリンゲルに気づいた美少女――ラ・ベルが大きく手を振った。
「久しぶりだね2人とも! 君もベット君も元気そうでなによりだよ」
「おかげさまでね。それで、ヨリンゲル君は何をしていたんだい? 私たちは食材の買い出しに来たんだが、もし予定がないのなら一緒に昼食でもどうだろうか」
ベットが牙を剥き出しにしながらそう聞いてくる。もちろんこれは彼なりの笑顔だ。
「いいんじゃないかしら。どうせならヨリンデちゃんも誘って、4人でピクニックにでも行きましょうよ」
「ヨリンデとピクニック……いや、その申し出は嬉しいけど、今日は遠慮しておくよ。まだこの街にはラァァブを待っている人が大勢いるんだ。愛とラァァブの伝道師としての使命が僕にはあるからね!」
そう言って、ヨリンゲルがピシリとポーズを決めたその瞬間。
凄まじい爆発音と共に、ヨリンゲルの後方から爆炎が立ち上った。
「なっ……⁉」
振り返ったヨリンゲルは絶句する。爆発が起こったのはおそらく街の西端。そして煙と炎に包まれたそこから、巨大な怪物が姿を現した。
無機質な風貌で、煉瓦色の透き通った鎧を身にまとったそれは、右手には盾を構え、左手にはメイスを携えている。
『—――—』
怪物がメイスを振り上げ、地面に叩きつける。その衝撃で地面が揺れ、メイスが掠った建物が一瞬にして瓦礫と化した。
「―—ベル! 住人の避難を頼む!」
この異常事態に、真っ先に動き出したのはベットだった。背負った戦斧を抜き、怪物に向かって走っていく。
「ベット!」
「大丈夫! ベット君には僕が付いていく!」
少し遅れてヨリンゲルもベットの後を追う。
「っ……! 皆さん、落ち着いて街の東に避難してください!」
突然の出来事に固まっていた街の住人たちも、ベルの声でようやく事態を把握し始める。あの怪物が夢でも幻影でもない、現実の脅威なのだと――。
『—――—』
怪物の目が怪しい光を発する。すると、瓦礫の山の中から茶色の物体が次々と飛び出してきた。今日のために用意されたチョコレートの山が、怪物の開かれた口の中に吸い込まれていく。
チョコレートを吸い込んだ怪物が一度大きく身を震わせると、その背面、鎧に包まれた部分が大きく盛り上がり、煉瓦色の結晶が鎧を砕くようにして出現した。
「チョコを食べている……?」
「ヨリンゲル君は逃げ遅れた人がいないか確認してくれ。私は、あいつを叩くっ」
ベットはそう言うと瓦礫を踏み台にして高く跳びあがり、怪物に向かって戦斧を振りかざす。
「これ以上の狼藉、この私が許さぬ! 砕け散れぃ!」
『—――—!』
怪物の盾と、ベットの戦斧が起こす薔薇の嵐がぶつかり合う。雷撃を伴うその嵐は、あらゆる壁を粉砕し敵に一撃を叩き込むベットの大技。
しかし。
「な……何……⁉」
全力の一撃を受けたはずの怪物の盾には、傷一つ付いていなかった。
『—―—』
怪物が盾を払うと、ベットの巨体がたやすく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「がっ……!」
「ベット君!」
動けないベットに向かって、怪物がメイスを振り上げる。
「ま、待ってくれ! 戦う前に僕と話をしようじゃないか! 僕のラァァブが伝わればきっと君も……⁉」
ヨリンゲルの説得が通じたのか、怪物はヨリンゲルの方に振り向き――そのままメイスを振り下ろした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
地面にひびが入り、メイスが深々と地面に食い込む。間一髪その一撃を避けるが、生じた衝撃でヨリンゲルは吹き飛ばされる。邪魔者を排除した怪物は、メイスを引き抜くと再びベットの方に向き直った。
「くぅっ……説得は通じないか……! ここはベット君を連れて逃げるしかない!」
ヨリンゲルはベットの元へ駆ける。
「これ貸してもらうよ!」
盾をベットの腕から外し、防御姿勢を取る。盾の扱い方ならヨリンゲルにも覚えがある。一撃なら受け止めることも出来るだろう。
怪物は腕を後ろに下げ、メイスを横向きにする。薙ぎ払いで2人まとめて吹き飛ばすつもりだ。
『—――—!』
「さぁ来るがいい! 僕のラァァブで君を受け止めよう!」
瓦礫を吹き飛ばしながらメイスが迫ってくる。
次の瞬間、盾を構えた腕が粉々に砕けそうな衝撃がヨリンゲルを襲った。
「ぐ……うぉぉ……!」
しかしいくら踏ん張ろうともヨリンゲルと怪物では力に圧倒的な差がある。数秒耐えたものの、怪物の一撃は止めるにはあまりにも重すぎた。
2人は吹き飛ばされ、まだ形を留めていた家屋に叩きつけられる。
先程よりは弱い、しかしヨリンゲルの意識を飛ばすには十分な衝撃が全身に走り。
(僕は……まだラァァブ……を……)
ヨリンゲルの暗転した視界で最後に見えたのは、こちらにむかってくる怪物の姿だった。
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