第10話 血濡れのグランギニョル 後編

「グルル……こりゃいいじゃねぇか。肉のやわらけぇガキが、2匹同時に手に入るなんてなぁ」


 リーダーである人狼ワーウルフの言葉に、獲物を取り囲んでいる狼たちが一斉に吼える。


「まぁ落ち着け。まずは俺が一口味見をしてやる。貧相な体をしているのがちと残念だが……2人合わせりゃそれなりに腹も膨れるかぁ! ガッハッハッハー―――—」


 高笑いする人狼の前、抱き合って震えている子供の顔に赤い液体が降りかかった。次いで血の滴る肉片が地面に散らばる。それらの出どころは――。


「その子たちに触るんじゃねぇヨ‼」


 後ろから、大剣で人狼の胴体を切断した勢いそのまま、お菓子の魔女は宙に浮いた人狼の上半身を蹴り飛ばした。

 リーダーが、突然現れた女によって真っ二つにされたという事実を狼たちが理解するより早く、お菓子の魔女は剣を投げる。意思を持った彼女の大剣は、宙を舞いながら正確に狼たちの首を刎ね飛ばしていった。


「……あ。この人狼って葛葉が言ってた標的の1人……1匹? だったのかも……。だとしたらやっちゃったネ。まぁこうなったらどうしようもないか」


 お菓子の魔女はそう呟きながら、とどめと言わんばかりに戻ってきた大剣を人狼の下半身に突き立てる。強靭な肢体と再生力を併せ持つ人狼と言えど、体を完全に裂かれて復活するのは不可能だったようで、人狼の体は1度大きく震えた後完全に沈黙した。


「お、おねぇちゃん……?」


 目の前の出来事を呆然と見ていた子供がようやく言葉を発する。姉弟なのだろうか、よく似た顔立ちをした2人だ。


「大丈夫だった? 怪我とかしてない? その顔の血は……あぁ、こいつのか」


「あ、あの助けてくれてありがとうございます」


 姉の方がぺこりと頭を下げた。目じりの下がったおっとりとした顔の半分に人狼の赤黒い血がべっとりと付いており、そのせいか片眼を閉じている。


「当然の事をしただけだヨ。それより川に行って顔を洗おうか。そのままじゃ帰れないだろうしね」


(それにこんな死体がいっぱいのところにいさせたくはないし。まぁアタシが考えなしに動いた結果なんだけど……)


 お菓子の魔女が手を差し出すが、2人とも腰が抜けてしまったのかうまく立てずにその場にへたり込んでしまう。


「ごめんなさい、体が動かなくて……えっ」


 お菓子の魔女は剣を背に納め、2人を抱きかかえた。


「いいよいいよ。あんなに怖い事があった後だもんネ。じゃ、出発だ!」








「それで、なんであんな所にいたのサ。ここら辺には人狼が出るって話を聞いていなかったの?」


 木にもたれかかりながら、お菓子の魔女は顔の血を落としている少女に話しかけた。


「薪にするための枝を取りに来ていたんです。人狼の話は……ごめんなさい、1度も聞いた事がありませんでした」


(聞いてないって事は、あの猟師とは別の村に住んでいるって事か? ……それにしてもよく謝る子だネ。あそこにもよくいたな、こういう子)


 2人が顔を洗い終わったのを見計らい大剣を川に浸していると、不意に奇妙な音が聞こえてきた。2人の方を見ると、少年の方が顔を真っ赤にして腹を押さえている。


「そっか、もうそんな時間か。えーと何か食べるものは……あった!」


 懐を探ると、お菓子のはいった小袋が見つかった。袋を逆さにすると、カラフルな包装に包まれたチョコレートやクッキー、キャンディーが地面に広がる。


「こ……これ食べていいの⁉」


「好きなだけ食べていいよ。お代わりもあるからネ」


 すると2人は弾かれたようにお菓子に飛びつき、夢中で食べ始める。

 その様子を微笑ましく眺めながらも、お菓子の魔女の頭にはある時の光景が浮かんできていた。


 ――ヘンゼルお兄ちゃん、お腹すいたよ……―—


 ―—待ってて、すぐに何か食べられるものを持ってくるから――



「……どう? お腹いっぱいになった?」


「はい! 本当にありがとうございます。助けてもらっただけじゃなくてお菓子まで食べさせてくれるなんて……。すみません、今渡せるものは何も無いんですけど……」


「いいってば。アタシにとっちゃ当然の事だから。家はどこにあるの? まだ狼がうろついているかもしれないし、送ってあげるよ」


 お菓子の魔女の提案に、少女はなぜか怯えたような表情を見せる。


「い、いえ。ここからそう遠くない場所ですし、これ以上お姉さんに迷惑をかけるのも申し訳ないですから! ほら、行くよ!」


 早口でそう言うと、まだチョコレートを頬張っている少年の手を引いて少女は歩き出した。


「おねぇちゃんお菓子ありがとー!」


 無邪気に笑う少年に手を振りながら、お菓子の魔女は近くの木の陰にそっと隠れる。そこから様子をうかがっていると、やがて少年は前に向き直り、少女と話しながら森に入っていった。


(……あの子たちの後、つけてみるカ)








 相手は訓練を受けた兵士でも何でもないただの子供だ。彼らの後をつけるのはそう難しい事ではなかった。

 家に帰るという言葉とは裏腹に、姉弟はどんどん森の奥に入っていく。こんな場所に猟師の言っていた村があるとも思えないし、やはりあの2人には何かあるとお菓子の魔女は確信した。

 

(あれは? おばあちゃんの家……って雰囲気でもないネ)


 やがて前方に見えてきたのは粗末な小屋だった。森の中の小屋といえば、赤ずきんの祖母の家の可能性が1番高いだろうが、どうにも様子がおかしい。家の周りには酒瓶がいくつも落ちており、そこから発せられる独特の匂いが充満していた。

 しかし、それ以上にお菓子の魔女の鼻を刺激したのは、かつて嫌というほど嗅いだあの臭いだ。鼻を抑えたくなる臭いに、彼女の心の底にこびりついた黒い記憶が掻き立てられる。

 姉弟が家の中の入っていく。その瞬間、わずかに見えた2人の顔は暗く、先程までとはまるで別人のようだった。


「……はぁ」


 怒鳴り声。そして何かを叩きつけるような音。すぐに家のドアが開き、子供たちが転がり出てきた。姉は肩を押さえ、弟は鼻から血を流している。もう1度怒鳴り声がすると、2人はお菓子の魔女が隠れている方とは逆に走っていった。


「…………」


 鈍い音がした。銀の義手を木にめり込ませながら、お菓子の魔女は言う。


「…………まったく、反吐が出る」







 小屋の中には5人の男がいた。どうみても一般人には見えない彼らは、そろって肩にタトゥーを彫っている。骨を噛み砕く髑髏の絵柄の悪趣味さが、彼らの素性を端的に表していた。


「ったくバカが。顔は殴るなって言ったろ!」


 リーダーと思しき大柄な男が、そばにいた仲間に酒瓶を叩きつける。


「っ……! す、すいませんボス」


「いいか馬鹿共。あいつらは今は一銭の価値もねぇ屑だが、もう少し待てば良く働く奴隷として売り飛ばせる。近くの村の奴らに目立つ傷を不審がられちゃ困るんだよ。てめぇらの足りない頭でもそんくらいは理解できるよな?」


「でもよ。男のガキはともかく女の方は奴隷としての価値は下がるんじゃねぇの?」


 と、他の男が反論した。


「それは心配するな。前に街で食糧を奪ってきた時に、いいことを聞いた。何でもあの街のお偉いさんが女のガキを欲しがっているらしい。もちろん労働力としてじゃねぇ。まぁ、奴隷としては二束三文だが、娼婦としてならあれも十分に金になるって話――」


 その時、小屋のドアが音を立てて開く。


「あ? てめぇは……」


 入ってきたのは兄弟ではなく、1人の女だった。ここら辺では見なれない服装であることから旅人だろう。


「姉ちゃん、どうしたんだ? もし宿が欲しいって話なら泊めてやるぜ? もちろん代金はタダでいいさ……」


 警戒を解いた男の1人が、下卑た笑みを浮かべて女に近寄った直後。


「……寄るナ」


「何を言って……ぐっ……⁉」


 銀の義手が男の首に食い込んだ。女はそのまま男を持ち上げると、勢いよく床に叩きつける。


「ッ―――」


(こいつ、ただの女じゃねぇ……⁉)


 自分と同じくらいの身長の人間を持ち上げ、さらに一撃でノックダウンするなんて事が普通の女に出来るはずもない。ボスの判断は早く、すぐさま手元にあった銃を構え銃口を女に向けた。


「う、動くんじゃねぇぞ!」


 一瞬遅れて、部下たちも持っていた武器で女を威嚇する。


「……臭いがする」


 しかしそれを意に介さず、女は腕を上げた。

 

「あの街と同じ、腐った大人の臭い。臭すぎて鼻が曲がりそうだヨ」


「撃てっ――」


「『ベイビー・キャンディーロケット』」










 突如森に響いた爆発音が、小屋のある方向から聞こえてきた事に気づいたのはどちらだったか。弟を残し、駆け付けた少女が見たのは、小屋があった場所を中心に形成されたクレーター、そして、その中に立っている女だった。甘ったるい匂いが充満する中、少女を見つけた女はニヤリと笑う。


「お姉……さん……」


「あぁ、そこにいたんだ。ここにいた人、♪ キミたちの居場所を聞いたんだけど、なかなか答えてくれないから。馬鹿だよネー」


「……あの」


「あぁ、そういえば! まだ自己紹介をしていなかった」


 少女の言葉を遮り、彼女は仰々しく背から大剣を抜き放つ。


「アタシはお菓子の魔女。こわーい、こわーい、悪い魔女だヨ」


「あなたは!」


 なおも言葉を繋ごうとする少女の横を、疾風が掠めた。魔女の投擲した大剣がすぐそばを通り過ぎたのだ。少女の背後で、切り裂かれた大木がゆっくりと倒れる音がした。


「あちゃー外したか。次は、ちゃんと当てないとネ♪」


 手元に戻ってきた大剣を再び構える魔女。それを見た少女は、唇をかみしめると、魔女に背を向け走り出した。


「逃げても無駄だヨ! ここから西にある村に行かない限り、アタシはキミたちを追い続ける! 精々頑張って逃げてみな!」


 背後では、魔女の高笑いがいつまでも聞こえていた。









『……殺しは、しないのでは?』


「さーネ。言ったかなそんな事。てかよくここが分かったね」


わたくしが真面目に仕事をこなしている間に、遊び惚けていたどこかの阿呆が打ち上げたロケットを見ましたから!」


 いつの間にか、お菓子の魔女のそばにはドニアザードと、ムキムキの肉体に猫の首がちょこんと乗った異形の生物が現れていた。


「…………キモイ」


『あなたが置いていった猟師を運んであげているのに酷い言い様ですね』


 見れば、ムキムキ猫は両肩に赤ずきんと猟師を担いでいる。


『あなたが殺してしまった人狼については上手く言い訳するとして……。撤退です。少々暴れ過ぎましたね』


「私たちが、というよりはダンテが、ですけれども」


 ドニアザードの指さす先の空には、黒煙がもうもうと立ち上っていた。


「まさか本当に街1つ焼き払うなんて……。おかげでストーリーテラーにこちらの動きが気づかれてしまいました」


 いつ現れたのか、クレーターを囲むように、いくつもの黒い顔が穴を覗き込んでいた。空中を飛んでいるのも含めれば、その数は2桁ではきかないだろう。


「甘い匂いに釣られてきた……ってわけじゃなさそうだネ」


『私はモリガン様の防衛と2人の運搬で手一杯ですので、お二方にお任せしますよ』


「「了解!」」


 お菓子の魔女が大剣を振り回し、ドニアザードが敵を打ち抜いて、道を作る。

 モリガンがいる方向に走りながら、お菓子の魔女は1度だけ後ろを振り向いた。


(モリガン様とあいつが何をしようとしているかは分からない。けど……いつか必ず、アタシは楽園を作る。そうしたら迎えにくるからネ)

 




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