第9話 血濡れのグランギニョル 前編

 ここは虚の想区。神たるストーリーテラーを失った、ただ崩壊を待つだけの世界。

生命の色を感じさせない、灰色の荒涼とした大地がどこまでも続くその世界に2人の男が立っていた。

 1人は白い仮面をつけた黒衣の男。鼻も口もない、のっぺりとした仮面には2つの穴だけが開けられ、その奥に見える赤く昏い瞳からはいかなる感情も読み取れない。生者でありながらこの死の大地に違和感なく馴染んでいるのは、それが身に宿す溢れんばかりの混沌がなせる業だろうか。

 もう1人はそんな男の傍で、落ち着かなさそうに腕をしきりにさすっている。上物の服を着た彼から普段の尊大な態度はすっかり失われ、何かに怯えるように小さく縮こまってしまっていた。

 実際、彼は怯えている。前の想区――フォルテムの想区での失態、手駒の中でも屈指の実力を誇っていたガリヴァーと親指姫を失い、万象の栞の奪取にも失敗した。仮面の男――デウス・プロメテウスはその失敗も織り込み済みだったようだが、裏を返せばそもそも栞を奪取してくることなど期待されていなかったという事でもある。

 プロメテウスの想区での調律の巫女、再編の魔女一行の抹殺に続く2度目の失敗を彼は許した。だが……おそらく。次失敗すれば、かつて嘲笑った彼女ヘカテーのように駒として使い潰されるか、もはや利用価値すらないと断じられ殺される。それを直感していたからこそ、男は「ともだち」であるはずのデウス・プロメテウスに怯えていた。


「それじゃあ手筈通りに頼むよ。君にあげたあれは好きに使ってくれ。きっといい働きをしてくれるはずだ」


「あ、あぁ。分かっている、分かっている……」


「万象の栞のもう半分……必ず手に入れてくれ。僕は君を信用しているからね」


「……‼」


 ビクリと震える彼を見て、デウス・プロメテウスは心底楽しそうに笑う。


「なぁ……あの女は、ついてこないのか?」


「彼女には後から合流してもらう。再編の魔女一行がたどり着くのはもう少し先だろうし、彼女の出番はそれからだ。それとも……彼女が一緒にいた方が良かったかい?」


「はっ、まさか……! それじゃあ僕は行くぞ」


 吐き捨てるように言って、彼は現れた霧の中に消えていく。デウス・プロメテウスにとって自分が「ともだち」ではなく、「使えるから残しておいた道具」であることなど気づかずに。


「あぁ、頑張ってくれたまえ。僕のために、ね」








「ふふ……この感覚、久しぶりね。誰かの体じゃなくて自分の体で歩くこの感じ……いえ、あれが私の体で今の体の方が偽物だったかしら。まぁどうでもいいけれど」


 沈黙の霧を抜けた彼女は手をかざす。


「出なさい、あなた達」


 その瞬間、今まで何もなかった空間に4つの影が現れた。禍々しい空気を纏う彼らの中から、狐面の陰陽師が歩み出て、彼女の前に膝をつく。


「いかなる用でございましょうか。


「葛葉童子。この想区の主役か、それに準じる人間を探してちょうだい。なるべく力の強い子が良いわね」


「仰せのままに」


 葛葉童子の背後から九つの尾が広がり、一斉に燃え上がる。その焔の1つ1つに、星空が映し出されていた。


「昼に星見なんて酔狂なもんだネ」


「星は夜にしかないものでは?」


「いえいえ、星はいつでも空にあります。日輪の輝きに隠されてはおりますが……ほぉら、視えてまいりました。ここから北に1つ、西に3つ、強い輝きを持つ星があります。北の星の周りには小さな輝きがいくつも。おそらくは街でしょうな」


 葛葉の報告に、モリガンは不満げにため息をついた。


「そう。もう少しいると思ったのだけど……。ダンテ、あなたは北をお願い。イルザ――」


「おっと、その呼び方は止めてって言ったよネ」


「そうだったわね。じゃあお菓子の魔女とドニアザードは西に向かいなさい。生かしたまま、私のところに連れてくるのよ」


 他の人間は好きにしていいわ。邪魔なら――殺しなさい。モリガンがそう言い終えたのと同時、風が巻き起こる。ダンテと呼ばれた司祭服を着た異形が、翼を広げ飛び立ったのだ。


「……いこう、ベアトリーチェ」


 傍を漂う半透明の女性に、愛おしそうにそう語り掛けると、ダンテはそのまま北に向かって飛んでいった。


「あーあー。ダンテが行ったならその街とやらは壊滅だね。ご愁傷様ー!」


「あなたたちも無駄口を叩いてないで行きなさい。早く、器を満たして、あの人のところに行かないと……そうすればあの人も……!」


「行きましょう、お菓子の魔女」


 踊り子のような恰好をした少女――ドニアザードに促され、お菓子の魔女は立ち上がる。


「そうだネ。モリガン様の事は頼んだよ、葛葉」


「えぇ。ご武運を」


 モリガンを葛葉童子に預け、2人は西に向かって歩き出した。









「くっそ。ドニアザードの奴、飛べるからってさっさと先に行きやがって……」


 森に入ってからどれくらいの時間が経っただろうか。鬱蒼とした森の中では方角さえ分からなくなりそうになるが、そんな時は木に登って太陽の位置から方角を判断している。


「方角だけじゃなくて大体の位置くらい教えとけヨ!」


『すっかり失念していましてね。いやはや申し訳ない』


 お菓子の魔女の肩に乗った折り紙の猫がそう答えた。ついさっき合流したこれは葛葉童子の使役する式で、この式を通して葛葉は会話している。


『ですが心配ありません。すぐ後ろにいますよ、目標が』


「はっ⁉」


 聞き返した瞬間、魔女の後頭部に硬い物が突きつけられた。


「手をあげろ、そのままゆっくり後ろを向け」


 凛々しい男の声だ。声に震えはなく、下手な事をすれば躊躇なく後頭部に突きつけた何かを使うだろうということは容易に察せられた。


(ここは従うしかないか……)


 手をあげたままゆっくりと振り返る。


「見ない顔だな。こんな森の奥で何をしていたのか、教えてもらおうか」


 お菓子の魔女の後ろにいたのは中年の猟師だった。猟銃を油断なく構えたまま、鋭い目でこちらを見ている。


(こりゃ逆らわなくて正解だったネ。あんなの近くでぶっ放されたらいくらアタシでもただじゃすまないだろうし)


「道に迷ったんだヨ。こっから北の方にある街を目指してんだけど、森に入ったらここがどこだかも分からなくなってね。というかあんたこそ、こんな場所で何やってんのさ」


「私はここからそう遠くないところにある村の猟師だ。最近、この森で人狼による被害が多発している。だから見回りをしていたのだが……君は何も知らないのか?」


(人狼……猟師……強い輝きを持つ星……ふーん、なるほどねェ)


「あんた、赤ずきんの猟師だね?」


「? 君は私の事を知っているのか? ……いや、そんなことはどうでもいい。今話したように、この森は危険だ。私の村まで案内するから、北の街にいくならそこから――」


 お菓子の魔女は口を大きく開け、舌を突き出す。その上では、小さな人型のクッキーがよろよろと立ち上がるところだった。


「なっ……⁉」


 クッキーがジャンプし、そして爆発する。猟師が顔を覆った隙に、お菓子の魔女は飛び退りながら背に負った大剣を構えた。


「貴様……魔女か‼」


「ダイセイカーイ! 恨みはないけどモリガン様のために捕まってもらうヨ!」


 猟師の鉈とお菓子の魔女の大剣がぶつかり合い、火花を散らす。


「ベイビー……あぁ殺しちゃいけないんだっけ、なら『リビングクッキー』!」


 お菓子の魔女が剣を持っていない方の手を振ると、そこから先程のクッキー人間がわらわらと出てくる。

 対する猟師は鉈をスライドさせ大剣を受け流す。間髪入れず背後に跳んだ次の瞬間、一瞬前までいた場所が爆発の連鎖に飲みこまれた。


「ふーん、一筋縄じゃいかないか。……あ、そうだ。あんたの村にいる赤ずきん、アタシの仲間に狙われてるよ」


「何だと⁉」


「なぁんてネッ」


 猟師が動揺した一瞬を見逃さず、お菓子の魔女は一気に切りかかった。今度は逃げられないよう、上段から大剣を叩きつけ、武器の大きさを利用して猟師を抑え込む。


「正確には狙われているかも、かな。まぁ主役赤ずきんなら間違いはないでしょ。ここで終わるあんたには関係のない話だけどネー♪」


「くっ……舐めるな魔女! あの子に手出しはさせん!」


 猟師が後ろに倒れた事で、前のめりになっていた魔女の体勢が崩れる。その隙を逃さず猟師は魔女の腹に蹴りを入れ、後ろへと投げ飛ばした。


「……痛ぁ。やってくれるじゃん……!」


 振り返った彼女が見たのは、こちらに銃口を向ける猟師の姿。


「終わりだっ」


 魔女の額に向けて放たれた弾丸は、差し込まれた銀の手甲によって阻まれる。


「残念ー! こんどはこっちの番だヨ!」

 

 お菓子の魔女が自分の大剣を猟師に向かって投げつけた。

 それを紙一重で躱した猟師は次弾を素早く装填、引き金に手をかける。


「死ね――ぐぁっ……⁉」


 しかし、引き金を引こうとしたその瞬間、猟師が何かに押されたかのように倒れこむ。弾丸はあらぬ方向に発射され、発砲音だけが空しく森の中で反響していた。


「一体……何が……」


 手元に帰ってきた義手を嵌めなおしながらお菓子の魔女が答える。


「アタシの剣はただの剣じゃない。何人もの罪人の血を吸ってきた、意志ある剣サ。わざわざ剣を投げたのはあんたの視界から外すため。そして注意が逸れた瞬間にあんたの足を斬りつけたってわけ」


「そ、んな……」


「さて、両足を斬ったから逃げる事はできないだろうけど……。まだ仲間がいるかもしれないし、声を出されると面倒くさいな。葛葉、どのくらいなら壊してもいいんだろうねぇ?」


『それは私には分かりかねますな。少し時間はかかりますが、眠らせる術をかけることも出来ますが』


「じゃあ頼んだヨ。アタシはその間少し遊んでくる……」


 その瞬間、森の中に叫び声がこだました。1人ではない、複数人の叫び声。声の大きさからしてすぐ近くから聞こえてきたものだ。

 それだけであれば、お菓子の魔女はそれを放っていたかもしれない。しかし、


「子供の声……⁉」


 叫びを聞いたのと同時、無意識にお菓子の魔女は走り出していた。葛葉童子の制止も聞かず、彼女は森の奥、声のした方向に消えていく。後に残されたのは呻く猟師と、途方に暮れたように立ち尽くす折り紙の猫だけだった。



 


 

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