第6話 タチアナと出会いの季節 後編
今日もまた、少年はタチアナの指導の下特訓に励んでいる。
「よし、しばらく休憩だ。午後は筋トレから始めるよ」
「はぁはぁ……は、はい!」
少年は荒い息をしながら地面にへたり込んだ。
「まぁ最初に比べればだいぶ体力はついてきたけど……。まだまだ強い男には程遠いねぇ」
「前は広場を十周走るだけでへばってたからね。特訓の成果が出てきたんじゃない?」
ゲルダとカイも初日からずっと特訓に付き合っている。少年の頑張る姿に感銘を受けたゲルダと、無理やりゲルダに引っ張ってこられたカイという構図だが、カイも同性の目線から度々アドバイスをしているらしい。
「それで、タチアナはこの後の事は考えているの?」
ゲルダが尋ねる。
「どういうことだい?」
「今は筋トレだったり体力づくりを主にやっているでしょ? でも『強い』と一言で言っても色々あるじゃない。あの娘が言う強い男がムキムキの男の人とは限らないのよ?」
「じゃあ度胸をつけさせる特訓でもするか? 渓谷から飛び降りるとか」
「雪山の頂上で愛を叫ぶのはどう?」
「……止めといたほうがいいよ(やっぱり僕がいないとこの2人何やらかすかわからないな……)」
しかしゲルダの言う事も一理ある。「強い」という言葉の意味は多岐にわたり、特に肉体の強さと精神の強さを取り違えた場合、彼女の望む強さとは全く真逆のアプローチをしてしまったという事にもなりかねない。
「どこかに手軽に心を強くできる物があればいいんだけど」
「やっぱりポエムじゃない? 自分の心の内を詩という形でさらけ出すことで精神的に成長できると思うの」
「「うーん……」」
「何よその反応!」
3人が悩んでいると休んでいた少年が起き上がった。
「タチアナさん、午後の修行をお願いします!」
「お、やる気だねぇ。だったらまずは筋トレ各30回ずつ!」
「はい!」
(やる気はあるんだよな。たしか初日に自主練習したいって言いだしたのもあの子からだし。それにしてもなんでタチアナは自分がいないところでの練習を禁止したんだろう……)
「ん?」
カイの足が何かを蹴飛ばす。
「なんだろ、これ」
それはひとかけらの氷だった。それ自体はこの地域ではなんら珍しいものではない。カイが注目したのはその形。
(鳥の羽? 氷細工か何かか?)
まぁいっかとカイは氷を地面に投げる。落ちた氷は澄んだ音を立てて粉々に砕けた。
それから幾日かが経った。継続は力なりの言葉どおり、少年の腕は少し膨らみ走り込みも難なくこなせるようになった。
そうなると問題になるのは今後の修行方法である。
「ちょっと! 大変よタチアナ!」
灰色の空を見ながらタチアナが悩んでいると、町の方からゲルダとカイが走ってきた。
「2人ともそんなに急いでどうしたんだい?」
「それがっ、はぁはぁ……、例の子に強い男が好きってどういう意味かって聞いてみたのよ。そしたら『私の事を守ってくれそうな男の人』の事だって……!」
「なんだって⁉」
「まいったね。体力をつけるって言う事は決して間違いじゃなかったけど、それだけでもダメってことだ。あの子は強い=力の強さだと思っているみたいだけど」
「強さ、というより包容力よね。相手に安心感を与えられるような、そんな男の子を彼女は求めているのよ」
「うーん……」
正直なところ、それはタチアナにはよくわからない話だ。少年はただ単に強くなりたくてタチアナに修行してくれるよう頼んだのだろうし、その方面は他に適役がいるのではないだろうかと思える。
「……ねぇ、何か聞こえない?」
カイの言葉に2人は耳を澄ませる。たしかに、山の向こうから何か小さな音が聞こえてくる。甲高い叫びのように聞こえるそれは少しずつ大きくなり、こちらに近づいてきているようだ。
「まさか……⁉」
タチアナは走っている途中だった少年を呼ぶ。
「なんですか?」
「全員逃げる用意をしておいてくれ。この時期に目覚めるなんて……」
やがて山の頂上からそれが姿を現す。鷲を二回りほど大きくした体躯に藍色の翼を持つ怪鳥は、タチアナたちの姿を認めると一際大きく鳴いた。
「っ……⁉ あんな大きな鳥見たことないわ……」
「ステュムアイス。ここからそう遠くないところに巣を構える怪鳥さ……。あの大きさからして子供か?」
「ゲルダ、後ろに下がってくれ」
カイがゲルダの前に進み出る。
「当然肉食なんだろ?」
「あぁ。特に人間が好物って話だ。今までは決まった時期にしか出現しなかったから町の男が総出で追い払ってたんだが……」
ステュムアイスは上空を旋回しながら4人を品定めしている様に見える。まだ狩りの経験が少ないからか、相手の力量を計りかねているのだろう。
「……」
タチアナはステュムアイスを刺激しないようゆっくり手元の弓に矢をつがえる。倒す必要はない。大きな一撃を与えられれば相手は戦意を喪失するはずだ。
弦が引き絞られたのと時を同じくしてステュムアイスが鳴き、一気に降下。その目はタチアナに向けられている。
「なかなかいい眼しているじゃないか。けど……遅い!」
タチアナが矢を放った瞬間、風が吹き矢の軌道がぶれる。しかし右にずれた矢はステュムアイスの顔の代わりにその翼を射抜いた。
「やった……!」
「まだだっ。全員伏せろ!」
一瞬ステュムアイスの体が揺れるが、そのままの勢いで突っ込んでくる。伏せたタチアナの髪をステュムアイスの爪が掠めた。
(あいつの爪と嘴、翼の先は氷で覆われている。そこに当てても氷が剥がれるだけだ)
素早く第2矢をつがえるが、ステュムアイスは緩急をつけて旋回を続け狙いが定まらない。持っている弓も訓練用の簡素なもので、とてもではないがステュムアイスのいる高度までは届かないだろう。
再びステュムアイスが鳴き4人に襲い掛かる。
「……っ!」
その時、背後で狼狽していた少年が突然タチアナの前に進み出た。
「ぼ……僕がタチアナさんを守ります! だから安心してください!」
言い合っている余裕はなかった。回数を重ねるほど相手は学習する。ここで決めるしかない。
タチアナは時間をかけ慎重に狙いを定める。ステュムアイスはすぐそこまで迫ってきていた。冷たく光る爪を間近で見た少年は思わず目を閉じる。
「この……一昨日来やがれぇぇぇぇぇ!」
ステュムアイスの爪が少年に掴みかかった瞬間、肩越しにタチアナが矢を射る。至近距離から射られた矢はステュムアイスの目の中心に突き刺さった。
甲高い声を上げ、ステュムアイスは空に舞い上がる。断続的に叫びをあげながら、脇目もふらず怪鳥は山の向こうへと消えていった。
「追い払った……のか?」
「多分ね。目を射抜いてやったから当分こっちにくることはないはずだ」
大きく息を吐いて少年がへたり込んだ。
「す、すいません。気が抜けたら立ってられなくなって……」
自分と同じかそれ以上の大きさの動物に真正面から対峙したのだ。冷静になって、自分がどれほど無謀なことをしたのかが分かったのだろう。
「まぁ今日はここまでだな。一応町の方には話をして見回りを強化してもらうとして……明日もやるかい?」
「はい‼」
タチアナの問いかけに少年は大きくうなずいた。
その日の夜。
「それでタチアナはあの子だけでの修行を許可しなかったのね」
「そう言う事。氷の欠片だったり小動物の死骸だったりステュムアイスがここら辺に来ているかもって印はあったからね。でも本来はもっと寒くなってからじゃないとこっちの方には来ないはずだから、警戒だけにとどめておいたんだ」
ゲルダの家で3人そろっての夕食は久しぶりだ。
「2人とも、ご飯できたから持って行って」
「わぁーシチューね! とっても美味しそうよカイ!」
「ゲルダが教えてくれたレシピで作ってみたんだ。美味しいといいんだけど」
「カイの作ってくれたものなら何でも美味しいわよ!」
(まぁた始まったよ。ほんとにラブラブの二人だね)
ニヤニヤと笑いながらタチアナは3人分のスプーンを机に並べる。
「「「いただきまーす!」」」
「それで、明日からの修行はどうするの?」
カイが尋ねた。
「まぁしばらくは体力作りだね。精神の方はもう必要なさそうだし」
「あの子には元々『強い男の子』の素質はあった。ただそれを出すだけの自信がなかったってことなのね。でも今回の事で意識は出来たでしょうし、少しずつ自信をつけてあげれば彼女の言う『強い男の子』になれるんじゃないかしら」
「よくよく考えれば、タチアナにいきなり修行のお願いが出来る時点で度胸は十分あっただろうし」
「それはどういう意味なんだい……?」
さぁね、と素知らぬ顔でカイはシチューを口に運ぶ。
「そう言えば、カイって腕立て伏せは何回出来るの?」
「えっ……」
「タチアナは50回は軽くできるし、カイも40回くらいなら軽くできると思うの。ねぇ、どう?」
ゲルダの何気ない質問がカイを追い詰める。ゲルダ本人には悪気がないと言うのがなおの事質が悪かった。
「いや、僕は頭を使う派だから……タチアナもそう思うよね」
「カイは男だからね。60回は普通にできるはずさ」
「……⁉」
さっきの意趣返しと言わんばかりのニヤニヤ笑いのタチアナ。
「え、カイすごいじゃない! やっぱり筋肉のある男の人って憧れるわよね」
「え……いや……そ、そうだよね……」
「なぁ。今なら特別に無料であたいがコーチングしてやるけど、どうする?」
「うっ……」
翌日から広場で汗を流す少年の姿が1人から2人に増えたとか増えないとか。
<終>
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