第3話 パンとアヒルと重労働
「……君もそろそろ作業に参加してくれると非常に嬉しいんだけどね。見てくれよこの木の束。この調子だと夜になっても終わらないぜ?」
もうこれで何度目だろうか。みにくいアヒルの子はうんざりした顔で木材の上で丸くなっている毛皮の塊を説得しようとする。
「嫌よ。こんな寒いところに居続けるのも嫌だし働くなんてもってほかよ。早く終わらせてちょうだい」
毛皮の塊が蠢き、中からインゲルの顔が現れる。言いたい事を言った次の瞬間には、インゲルは再び毛皮の中に閉じこもってしまった。
「はぁ。なんでこんな事になったかな……」
みにくいアヒルの子はそう言って深いため息をつく。木材の山は積みあがっていく一方だった。
長旅の途中、アンデルセンが訪れたのは雪の降りしきる極寒の想区だった。アンデルセンは物資を調達するため、雪山で出会ったキャラバンに同行し街を目指す事にしたのだが、ここでアンデルセンにとって不幸な事が二つあった。一つはこのキャラバンが物語に深く関わる重要な役割を担っていた事。そしてもう一つは、この想区のストーリーテラーが異分子を一切を許さない、とても狭量な性格だった事だ。
キャラバンは吹雪に紛れて近づいてきた氷種ヴィランに襲撃を受け、馬車は半壊、馬も散り散りに逃げてしまった。アンデルセンの力でヴィランは撃退できたが、キャラバンは吹雪が収まるまで立往生を余儀なくされることになった。
近くにあった遭難用のロッジに一行は避難し、この吹雪をやり過ごす事にしたのだが……。
「まいったな。まさか燃やすもんが何もねぇとは……」
キャラバンのリーダーが頭をかく。
「すまない。僕のせいでこんな事に……」
「あんちゃんのせいじゃねぇさ。しかし実際問題どうしたものかねぇ」
雪山での遭難において火の確保は死活問題だ。雪や風は防げても、寒さまではどうにもならない。
「なら僕が木材を取ってくる。外には木が多くあったからそれを薪にすればいい。雪で湿ってはいるだろうが、無いよりはましなはずだ」
アンデルセンの提案に、リーダーは目を丸くする。
「まさかこの吹雪の中出ていくつもりか⁉ んな無茶な!」
「もともとこれは僕が招いた事態だ。それに僕の体は特殊だから、この程度の吹雪ならどうという事はない」
「うーむ……。たしかにあのバケモノどもを一掃したあんちゃんにとって吹雪なんて屁でもねぇのかもな。それにこうしていても状況が良くなるわけでもないし……。よし。おい、野郎ども! てめぇらが持ってる毛布を全部貸してやれ!」
威勢のよい掛け声と共に何枚もの毛布がアンデルセンに投げられる。
「すまねぇが頼んだぜ」
「あぁ。任せてくれ」
こうして吹雪の中、アンデルセンは薪を得るために外に出て行った……。
「で、薪調達のために僕らが駆り出されたわけだけど……。全く、我が主は人選を間違えたと言わざるを得ないね! どうせなら沼の王の娘のヘルガを出せばよかったんだ。あーあー、インゲルとヘルガ、どちらも沼と関わりのある女だというのにどうしてこうも性格に違いが出るのかねぇ。沼に沈んだか沼から出てきたかの違いか?」
「挑発しても無駄よ。口を動かす代わりに手を動かしなさい。そしてさっさと私をこの寒さ地獄から解放してちょうだい」
インゲルの顔が再び毛皮の中に引っ込む。そのすぐ後に「へっくしゅ」と小さなくしゃみが聞こえた。
(くそっ、分かっているさこいつがこういう女だってことは。デウス・アンデルセンの中にいた時も何かと一緒にいたからな)
みにくいアヒルの子とインゲルに与えられた仕事は、切られた木材の運搬だ。山頂にいるカーレンと親指姫が切り倒した木をスズの兵隊がいくつかに切りわけ、山の中腹で待機している二人がそれをふもとのゲルダとカイのところまで持っていく。最後にそれを斧で薪として使える大きさまでゲルダとカイが切るというのが一連の流れである。
こうしてみると、二人に割り当てられたのはずいぶん簡単な仕事だ。だが……。
(僕一人でこなすにはいささか重い仕事というのも事実……。何とかしてインゲルに手伝わせなければ……)
「なぁ、僕一人じゃあどんなに頑張っても今日中に仕事を終える事は出来ない。するとどうなる? 全員を温められるほどの薪が届けられなくなる。もしかしたら寒さに耐えかねて死ぬ奴も出るかもしれない。それを我が主が許すとでも?」
「別に死んだっていいじゃない。その穴を代役が埋めるだけで、物語の進行には何の影響もないわ」
予想していた通りの解答がきた。みにくいアヒルは続ける。
「そうさ。でも我が主はそうは言わないだろうね。いくら温厚な彼と言えど、罰として君を自分の中に戻さず、暗く寒い外に一晩放り出すかもしれない。今寒さに耐えて労働するのと罰を受けるのと、どちらが得策なのかよく考えた方がいいんじゃあないのかい?」
「……」
(こいつは自分本位で傲慢な女ではあるが、莫迦じゃあない。損得勘定くらいはできるはずだ)
もちろんアンデルセンはそうあるようにインゲルを創ったわけだし、多少の事では彼女を咎める事はないだろう。それはインゲルも分かっているはずだ。だがそれに他の人間が関わってくるなら話は別である。
「……分かったわ。ただし、本当に最低限のことしかしないわよ」
毛皮の塊が立ち上がり、積もっていた雪を払い落とす。心底嫌そうな顔をしたインゲルが積み上げられた木材を持ち上げた。
「で? これをどこに持っていけばいいわけ?」
「ここをまっすぐに下りたらゲルダとカイがいるはずだ。彼らにそれを渡せばいい」
「はいはい。……はぁ、めんどくさいわね……」
ぶつぶつ言いながらインゲルが坂を下っていく。
「あの」インゲルが自分の華麗な説得で労働してるという事に奇妙な満足感を覚えながら、みにくいアヒルは木の束を持ち上げた。
「ふふ……あっちはいよいよ大詰めといった様子だね」
吹雪で白くなった視界に、遠くにそびえ立つ氷の塔が映った。こちらに聞こえてくる戦闘の音も激しさを増している。それを見るに、メガ・ヴィランも戦場に投入され始めたようだ。
「此処のストーリーテラーはひどく狭量だと我が主が言っていたが……。そこまでして異分子を排除したいのか。異物を排除したいという気持ちは僕にはさっぱり分からないがね。まぁあちらが派手にやってくれているおかげで、こちらは邪魔される事無く仕事ができる……」
坂を上った先で見えたのは、木材に背を預けてうずくまるインゲルの姿だった。
「おいおい勘弁してくれ。まだ三束も運んでいないじゃあないか」
「うっさいわね。少し休ませなさいよ。これを持っていこうにも、もう腕が震えてどうしようもないの!」
そうだった、とみにくいアヒルは頭をかかえる。インゲルは奉公先の貴族に可愛がられ、つらい仕事を割り振られたことはなかったと聞く。地獄に落ちた後も身動きが取れない状態で長い間救いの時を待っていた。
要するに、インゲルは労働というものを全くしてこなかったのだ。文字通り「箸より重いものを持ったことのない」状態であり、そんな彼女が突然吹雪の中で決して軽くはない木材の束を運べと言われたらどうなるか。結果は見ての通りである。
地獄での罰が永劫の荷運びであればどんなに良かったか、そう考えずにはいられない。
「はぁ……、しょうがない。しばらく休憩していいぞ。その間は僕一人でやっておく」
その言葉にインゲルが顔を上げた。その顔にはわずかに驚きの色が浮かんでいる。
「……意外だわ。あなたのことだから『つまらない嘘をつくのはよしたまえ』とか言って無理やり働かせようとすると思ってたのに」
「伊達に長い間ペアを組んでいたわけじゃない。もし仕事をサボる気なら嘘などつかずに堂々とそれを言い放つ、君はそういう女……待て、今の鼻につく喋り方は何だ? まさか僕の真似をしたつもりか⁉」
「さぁね。じゃあお言葉に甘えて少し休ませてもらうわ」
言うが早いかインゲルは再び毛皮の塊に戻ってしまった。
「まったく……、僕も肉体労働は得意じゃないんだけどね……」
深いため息をつき、みにくいアヒルは木材の束を持ち上げる。木材はまだ山のように積み重なっている。インゲルの言う通り、今は口ではなく手を動かすのが賢明だ。
それから数時間後。木材の山はすっかり無くなって……とはならなかった。山はわずかに小さくなったが、それでも木材はまだ大量に余っている。
しかし、増えるに任せる状態だった先ほどを考えれば、減っただけでも大きな進歩だと言う事ができるはずだ。
休憩を入れたインゲルが予想より早く復帰してくれたのもありがたかった。二三回往復してはその倍の時間休息を取るといった状態ではあったが、予想よりははるかに頑張ってくれたと言えるだろう。
「はぁっ、はぁっ……! もう無理! もう限界!」
インゲルが毛皮の上でうつ伏せになって騒いでいる。
「まぁ君にしてはよくやったものだ。とりあえずお疲れさまと言ってあげよう。ほら、これでも食べて休むといい」
「……なにそれ」
インゲルが差し出された茶色の物体に目を向ける。
「何って……普通のパンだが?」
「はぁ⁉ パン⁉ これだけ働いたのにパン一つ⁉ ステーキは⁉ ワインは⁉ ケーキは⁉」
「そんなものがあったら僕が一人で食べているさ……。運ばなければいけない木材はまだあるんだ。ないものねだりをしてないで少しでも腹を満たしておくんだね」
(まぁインゲルを働かせる必要はもうなさそうだが……)
いつの間にか、インゲルの騒ぐ声以外何も聞こえなくなっていた。木の倒れる音も、もう聞こえない。おそらく親指姫たちの仕事は終わったのだろう。それなら彼女たちに協力を仰ぐことも出来るはずだ。
「しかしそれにしても静かすぎる。まさか、吹雪がやんだのか……?」
みにくいアヒルの言葉通り、吹き荒れていた風もおさまり今は雪だけが静かに降っている。
周りが少しずつ明るくなってきていた。上空の雲が少しずつ薄くなってきてるのだ。まだぶつぶつ言っているインゲルを置いて、何かに取り憑かれたようにみにくいアヒルは高台へと歩を進める。
「こんなパン一つでお腹が膨れるわけないじゃない……」
インゲルが不満をもらしながらパンに口に含んだのと同時、空を覆っていた厚い雲の切れ目から日の光が差し込んできた。吹雪がやんだのだ。
灰色の雲の群れが退き、現れたのは澄み渡るような空。降り注ぐ日光が一面の銀世界、そして林立した青藍の氷塔を輝かせた。
「ふふっ……! 氷結した世界……なんて美しいんだ……! インゲル、君もこちらに来てこの光景を目に焼き付けるといい――」
この世の物とは思えない絶景に心を震わせながら、みにくいアヒルはインゲルの方を振り向く。
しかしインゲルはみにくいアヒルの声に反応することなく、手に持った食べかけのパンをじっと見つめている。
「インゲル……?」
「ねぇ、これあなたの分もあるのよね」
インゲルは残りのパンを乱暴に口の中に放り込むとすっくと立ちあがり、みにくいアヒルの方に向かってくる。
「あぁ、それは当然、僕も持っているが……」
「それもらうわ」
みにくいアヒルの取り出したもう一つのパンを、インゲルは有無を言わさず奪い取ったかと思えば口の中に詰め込む。
「いきなり何をするんだ君は!」
「ふっふぁいふぁね…………これからの仕事のためよ。まずいパンだけど、しょうがないから食べてあげるわ。まずいパンだけど!」
言いたい事だけ言って、インゲルは高台を下りていく。
「はぁ⁉ なんなんだあの女は!」
みにくいアヒルも憤慨しながらその後に続くのだった。
結局、他のイマジンたちの助けも借りて仕事を終わらせた二人が後日、そろって筋肉痛に悩まされるのはまた別の話――。
<終>
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