第2話 創造主たちの愉快なお茶会 後編
マザーグース。彼女は実在した人物ではなく、語り継がれた童謡の集合体が「ガチョウおばさん」の姿をとった存在である。それゆえ他の創造主たちと違い、彼女には強い自我というものが無かった。自分だけが自己を確立できていないという彼女の焦りを知ったドロテアは、グリムノーツを抜け自身の心の置き場所を探す旅に出る事を提案する。かくしてマザーグースはグリムノーツから離れ、流浪の旅に出る事になり――。
「兄さま。今日は本当にありがとうね」
「かわいい妹の頼みだ。これくらいどうという事もない」
白色の三角帽子を脇に置き、マザーグースは席に着いた。
「ここが兄さまの家……。兄さまらしい上品な場所だわ」
手入れの整った庭を見て、マザーグースは感想を言う。
「後で他の島にも行ってみるといい。認めたくはないが、あの兄弟の島も中々美しいからな。……さぁ、グースも来た事だし、改めてお茶会を始めようか」
「そうね。ハートの女王、ハンプティ・ダンプティ、戻りな」
軽い音がして、イマジンがシェイクスピアたちの前から消える。
「で」
マザーグースの目が固まったままの二人に向けられた。
「「……っ!」」
二人の額からは滝のように汗がふき出ている。
「久しぶりだね。調子はどうだい?」
マザーグースの一言目はそれだった。
一見すればただの挨拶。しかし、シェイクスピアとルイスにとってその言葉は挨拶でもなんでもなかった。
(分かっているな恥さらし、もし返答を間違えれば……)
(分かってるよウィリアム、もし返答を間違えれば……)
((待つのは死のみ……‼))
「どうした、二人して急に黙り込みおって。さっきまではあんなに賑やかだったというのに」
(余計な事を言うなこのたわけ!)
シェイクスピアは心中で毒づくが、うっかり口に出そうものならシャルルを兄と慕うマザーグースに何をされるか分かったものではない。おまけにこの場でマザーグースを止められる唯一の人間がシャルルなのだ。一時の怒りに任せてそのストッパーを手放すほど彼は愚かではなかった。
「ひ、久しぶりですな、レ……マダム。息災なようで何より」
「僕たちは絶好調ですよ! ね、ウィリアム?」
ルイスが腕をぶんぶんと振って元気の良さをアピール。
「あ、あぁ。心身ともに満ち足りた素晴らしい状態だ」
「そうかい、それはよかった」
自分から聞いた割にはさほど興味のなさそうな様子で、マザーグースはカップを口元に運ぶ。
「あと、あんたは鬱陶しい」
「むきゅう……」
一言でルイスが落ちた。
「せっかくのお茶会だ。借りてきた猫みたいに縮こまってないであんた達もケーキを食べたらどうだい?」
マザーグースに言われ、シェイクスピアはゆっくりとティースタンドに手を伸ばす。シェイクスピアの足蹴によって蘇生したルイスもおずおずと手元のケーキを切り分け口に運んだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
無言。
四人は一言もしゃべることなく、黙々とケーキとスコーンを食べ、紅茶を飲む。
これが正式な英国式茶会――というわけではない。
(ちょっと、ちょっとウィリアム!)
左側に座っていたルイスが、テーブルクロスの下からシェイクスピアの手をつつく。見れば、口だけでシェイクスピアの事を呼んでいるようだった。
(どうした恥さらし)
役者としても一流であるシェイクスピアにとって読唇術など容易いものだ。対面に座るマザーグースから視線を外さないようにしながら、シェイクスピアはルイスとの会話に応じる。
(どうにかしてよこの状況! もう泣きそうなんだけど!)
(シャルルが静観を続けるのは想定外だったな……。とは言えこれが続くのは私としても好ましくない。まずは貴様が
(ひどい⁉)
(しかしこのまま動かないでいても状況は好転しないだろうな。シャルルの奴には期待できそうにもない。さてどうしたものか)
(だったらせーので同時にしゃべりだすってのはどうだろう? それだったら二人とも平等になるじゃないか)
(確かにな。いいだろう、裏切るなよルイス・キャロル)
(いくよ。せーのっ!)
「……」
「……」
沈黙、継続。
(やると思ったよ君は! もう僕は騙されないからね!)
(成長したではないか。さぁその調子で彼女に成長した貴様を見せてやれ)
英国創造主二人による高度な心理戦(みにくい足の引っ張り合いとも言う)が始まったその時。
「……グース」
沈黙を続けていたシャルルが口を開いた。しめた、とばかりに心の中でガッツポーズをとる二人。これで拷問もかくやという沈黙から解放される。
「兄さま、少し黙っていて」
しかし、それを止めたのは他ならぬマザーグースだった。
「――覚悟を決めるよ」
小さく呟くマザーグース。しかし、その声は二人のところには届かない。
シャルルの助け舟が不発に終わり、さぁ再び高度な心理戦のスタートかと思われたが、意外にも次に口を開いたのは、
「ルイス。シェイクスピア。まだアタシがグリムノーツにいた時の事、覚えているかい?」
マザーグースその人だった。
「あぁ、もちろんだ(忘れられるものか)」
「グースさんがいた頃は、本当にいろいろあったからね(悪い意味で)」
うまく言葉を選んで二人は答える。
誤解を招かないように言っておくと、シェイクスピア達はマザーグースの事を嫌っているのではない。むしろその逆、英国出身の創作者に少なからず影響を与えている「マザーグース」そのものである彼女に対しては尊敬の念すら抱いている。
だからこそ、他の創造主たちのように対等には付き合えないし、必要以上に萎縮してしまう。
「そうだね。言い訳をするつもりはないけどあの時のアタシは焦りや不安からずいぶん荒れていた。兄さまやドーロット、ドロテアさんがいなければ、どうなっていたことか……」
マザーグースは一瞬口ごもり、こう続けた。
「あんたたちにもずいぶんつらく当たっちまったね。まずはそれを謝らせてくれ。すまなかった」
「………………え?」
マザーグースがそう言ってから実に二十秒。ルイスが間の抜けた声を漏らした。
シェイクスピアも目を見開いてマザーグースを見つめている。
まずスマナカッタという謎の単語をすまなかったという謝罪の言葉に変換するまでに十秒。その言葉が自分たちに向けられたものだと理解するのに十秒。長い時間をかけ――シェイクスピアとルイスはマザーグースに謝られたのだと理解した。
「まさか我々が今日呼ばれたのは……」
「そうさ。一度、あんた達には謝っておかなきゃいけなかった。それに、アタシは感謝もしているんだ。どんなにつらく当たっても、あんた達はアタシから離れようとはしなかった。グリムノーツを抜けた時だって、あんた達は霧のすぐ側まで見送りに来てくれた。その時は礼の言葉一つ言えなかったけどね」
「グースさん……」
ルイスが言葉を詰まらせる。
「ずっと謝れないまま、ここまで来ちまった。いまさら許してもらおうとも思ってない。けど、どうしても伝えておきたかったんだ」
その時、シェイクスピアが小さく笑った。
「ウィリアム……?」
訝し気なルイスに構わず、シェイクスピアは朗々と語り始める。
「マダム。感謝など我々には過ぎた言葉です。イギリスの創作者は皆、貴女の子供と言ってもいい。マザーグースが無ければ、今の我々もまた、存在しないのです。そして、貴女の強い叱咤のおかげで、我々は驕らず、物語と真摯に向き合う新米作家でいられた。であれば貴女がどんな人であろうと我々の貴女に対する敬意は変わらない。今も昔も、貴方は偉大なる母親です」
もしここにラドヤードやロバートがいても同じことを言ったでしょうな。シェイクスピアはそう締めくくった。
シェイクスピアの宣言の前にあっけにとられた様子のマザーグースだったが、やがて微笑み、
「子供……ね。アタシはあんたらみたいな生意気な子供をもった覚えはないんだけどね」
柔らかな口調でそう呟いた。
「善き結末に収まったようだな……さて、お茶会はまだ始まったばかりだ。まだケーキやスコーンもたくさんある。存分に楽しもうじゃないか!」
シャルルが指を鳴らすと、彼のイマジンが新しいティースタンドとポットを運んでくる。彼の言う通り、お茶会はまだこれからのようだった。
二人が帰った後、静かになった庭園でシャルルとマザーグースが向かい合っている。
「兄さま、今日は本当にありがとうね」
「気にするな。しかし……お前からいきなり連絡が来た時には驚いた。正直なところ、あやつらとお前の溝は埋まらないものだと思っていたからな」
シャルルの言葉にマザーグースは苦笑する。
「アタシもそう思ってたわ。ただ……ドロテアさんに言われて気づいた。アタシはあいつらに嫉妬してたんだってね。確かな自分ってやつを探す旅に出て、ますますそう思うようになった。そっからまぁ、色々あって。ようやくあいつらと面と向かって話せるようになったの」
「そうか、お前も善き出会いを見つけられたようだな。ドロテアもきっと喜んでいる」
「ドロテアさん……か。あの人にもずいぶんと心配かけちゃったわね。本当だったら直接言いたかったんだけど……次にフィーマンの想区に行った時にでも報告しておきましょうか」
それにしても、とマザーグースは橙が入り始めた夕空を見上げる。
「ここはいい場所ね。ハンスやあいつらがここに住む事にした理由もよく分かる……」
「元々ここは『ペロー童話の想区』だ。吾輩の名前を冠した想区だから当然だな!」
シャルルが胸を張る。
「お前もこちらに来るか? ここは広い。お前の島を創っても手狭になる事はないだろう」
その問いかけに、マザーグースは笑って首を振る。
「残念だけど、遠慮させてもらうわ。
それじゃあそろそろお暇させてもらうわね。そう言ってマザーグースは立ち上がる。
「あぁ。吾輩の顔が見たくなったらいつでもこい」
「ふふ、そうさせてもらうわ」
こうして夕日とともに魔女は去っていった。
「英国の茶会というものも存外悪いものではないかもしれないな……」
残されたシャルルはイマジンと共に食器を片付けている。
「なぁ、猫」
「なんだい、我が主」
「次に買い物に行く時にはティーカップを多めに買うぞ」
「なんでまた。別にカップを割ったわけでもないのに」
「さぁな。ただ、買い足しておいた方がいいと思っただけだ」
知らず知らずのうち、シャルルの顔には笑みが浮かんでいた。
<終>
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