第117話 なんだかすごいことになりました
「それで――早速、緑の領主の館に忍び込むの?」
「いいや……大衆の心を掴む物語には、何事も“
そう言って第3王子は大胆不敵に微笑んだ。
緑の都を舞台にした盛大な茶番劇が、今、幕を開ける――
♢♢♢
「この手紙は――」
「はい、朝、私が新聞を受け取りに行こうと表へ出ると、このドアに刺さっておりました」
「貴方は――」
「フリージア様にお仕えしております。ポールと申します」
「毎日、貴方が新聞を?」
「はい、モーニングティーを嗜みながら新聞に目を通すのが我が主のルーティーンでして」
「なるほど……あ、副団長。お疲れ様です」
「聞き込みごくろう、キールザント。ポール殿も忙しい中、捜査に協力いただきありがとうございます」
「いえ、この老人で良ければ何でもお話いたしましょう」
「カルバン副団長! 離宮に届いたものと同様のものが新聞社の方へ――面白がった記者がこのことを記事にしたため野次馬が外に集まって騒いでおります!」
「野次馬は適当に相手しておかえりしてもらえ。ったく、悠愛祭の前だから浮かれやがって――王家の離宮に忍び込もうってどんな馬鹿野郎なんだ。ご丁寧に予告状まで出して、騎士団呼び寄せてよ……」
――今宵、月が十と二つ、時を奏でる頃、
貴女がお持ちの一番美しい宝石を
頂きに参ります――
――――怪盗シエル――――
「アル、ありがとう――ただの愉快犯かと思ったけど、姉上のこともあるし念には念を入れて早めに捕まえたくてね。聖女様の護衛もあるのに君には苦労を掛けるよ」
「いえ、お構いなく殿下――私たち第3騎士団が来たからには、すぐにとっ捕まえて見せます。まぁ、この警備にしっぽ巻いて、ヤツは姿すら見せないかもしれませんが――ハハハハハ」
「ハハハハハ」
ジークとアルが、いかにも雑魚な会話をしている。うん、教育の賜物だ。
平和な離宮を揺るがした一通の予告状。
いつもなら虫の声に耳を傾ける穏やかな時間が流れるはずだが、今宵は大勢の第3騎士団と野次馬と……大勢の観客でにぎわっている。
陽が沈み、徐々に月が上空へと登っていく。
長針と短針が近づいていくにつれて、興奮していた人々が一人、また一人と静かになっていき、静寂が場を支配する。
――ゴーン、ゴーン
鐘が12回、鳴り響き終わったその瞬間、明るく輝いていた月を分厚い雲が覆い隠した。
――フッ
「うわっ! なんだ!! おい、早く灯りをつけろ!!」
「レディース、エーンド、ジェントルメーン!!」
月が隠れるのと同時に辺りの照明がすべて消える。突然の暗闇に突如として高らかに響いた男の声。ざわめいていた人々は水を打ったように静まり返る。
その男の声は、何かの始まりを期待させるような、そんな不思議な魅力があった。
「美しいお嬢さん、カッコイイお兄さん、そんなに焦らずとも、今宵の美しい月のスポットライトがすぐに差し込む。暗転も
男は歌うように、笑うように、そして別世界へと誘うように、抑揚をつけながら話し続ける。
「誰だ、お前は!!」
男の作り出した雰囲気に飲み込まれていた聴衆は、その声で我に返る。
そうだ、これは演劇などではない。現実なのだ。
「お初にお目にかかります――副団長殿。申し遅れましたが、ここで自己紹介を」
コツコツコツ――足音が響くけど、それがどこから聞こえるか、よくわからない。上からも下からも。上下左右360度聞こえてくるその音に、クラクラして酔ってしまいそうだ。
「夜に虹はかからないと誰が言った――不可能を可能に、幻は現実に――美しい宝石に魅せられた憐れな
足音が止まる。そして雲が動き、月が顔を出した――
「我が名は怪盗シエル――以後、お見知りおきを」
月光に映し出されたその姿に、ある者は目を丸くし、またある者は驚きの声を上げる。
まるで舞踏会から抜け出してきたのかと誤解してしまうような、優雅なタキシード。夜風にはためく重厚なマント。
窓際に立ち、月光を背に受けているシエルの顔は影になっていてよく見ることはできない。
でも、その
赤から橙、黄色、緑、青、紫へと――怪しく煌めいている宝石のような瞳。
見ている者の心を一瞬で捕らえる――いや、捕らえるなんて可愛いもんじゃない。
あれは一度見たら最後、心に根を張り、絡めとって、巣食い続ける、魔性の瞳だ。
「――っ!! 捕まえろ!!」
空気を断ち切るかのような、鋭い副団長の号令に続いて、固まっていた場が一斉に動き出す。
「おおっと。そんなに慌てなくても。まるで虹の足を見つけに駆け出す子どもじゃないか。我々は大人なのだから――追いかけっこはもっと優雅に、ね」
ヒラリとシエルのマントが宙を舞う。
追いかける騎士たちとまるで遊ぶかのように、突如として現れた怪盗は蝶のように頭上を舞い踊る。
「待て! お前いつそれを手に入れた!!」
「そんな無粋な質問はナンセンスですよ、副団長」
いつの間に手に入れたんだろう、その手には金色に輝くネックレス。中心にある大きなダイアモンドは月光を反射して、シエルとともに騎士団員をあざ笑うかのようにキラリと光る。
「しかしながら! 残念なことに、こちらの宝石は私のお目当てのものと違ったみたいです――この宝石は私が持つより、貴方の胸元が――ほら、一番輝いていますよ、レディ」
遊び飽きたのだろう、必死になって追いかける騎士団を馬鹿にしたように笑って、シエルはフリージアの傍に降り立った。驚きに目を丸くするフリージア様の首にそっとネックレスをかけ、優雅に、膝をついて手にキスを送る。
夢を与えてくれる
はたまた、忠誠を誓う
その様子に、この場の誰もが、目を奪われた。
「夜の虹は何度でも架かる――またお会いしましょう、騎士様方」
次の瞬間には、シエルはもう、バルコニーの縁に立っていて――大胆不敵に笑いながらマントを翻し大空へとその身を投げた。
シエルの黒と夜の黒が溶けあっていく。
「何なんだ、あいつは……」
呆然と呟く、アルの声。誇り高き騎士団が手も足も出なかった。
軽やかに宙に消えていったその姿。目視で追いかけることは厳しいかと思われた。
が――
「んっ?」
シエルが飛んでいった方向に、虹が続いている。
月光に輝く夜の虹――しばらく空に架かった後は、星屑の雨ように、キラキラ地上へと降り注ぐ。
その幻想的な光に、人々の歓声が上がる。
「くっ、どこまでもふざけやがって……あの虹を追いかけろっ!! 気障な野郎を捕まえるんだ!!」
シエル様に続いて、走り去っていく騎士団。
離宮には先ほどまでの喧噪の余韻だけが静かに残された。
♢♢♢
「へぇ、ニッキー中々やるじゃん。それにあのアルの顔も、見た? あれ割とガチだったんじゃないの?」
「えぇっと……ねぇ、ユキちゃん」
「何?」
「あのですね、あの虹って……?」
「あぁ、あれね。花の都の、ロザリー歌劇団の魔導具、その研究を少し応用してみたんだ。虹に乗るなんて何を馬鹿な、って思っていたけど。うん、思ったよりも悪くないね。とっても綺麗で幻想的だ」
自身が作った魔導具の成果に満足したのだろう。満足げに微笑むその顔は普段のふてぶてしさが抑えられて、年相応だ。
「うん、綺麗だよ。綺麗だけどね……」
――ツカツカツカツカ
「この馬鹿っ!! なんで余計なひと手間を加えるんだ!」
「痛いっ!!」
ミコトのままで表に出ちゃダメって、アルがすごく怒るから――影からこの様子を見ていたミコトとユキちゃん。一息ついたところで、目くじらを立てたジークがやってきてユキちゃんの頭に、拳骨を喰らわせる。
「何すんのさ!!」
「あれだとシエルがどこに逃げていったか丸わかりだろう!!」
「だって、ミコトが虹に乗れる魔導具作ってっていうから!!」
「え、ちょっと!」
ユキえ〇んはやるときはやるタイプのロボットだったのを忘れていた。しかしこんなところで外野がぎゃーぎゃー騒いでも仕方がない。
(ニッキーの逃げ足と、アルの手腕にかけよう)
ミコトはそっとエールを送った。
夜明けごろにげっそりした顔で帰ってきたニッキーが、ユキちゃんに再び拳骨を喰らわせたのは言うまでもない。
そしてアルは戻ってこなかった。想像以上に大事になってしまったのだから、仕方がない。
♢♢♢
『グラスノーラに夜の虹――犯人は“怪盗シエル”!?』
『神出鬼没!大胆不敵!! その男の正体は如何に!?』
光の雨により、街中の目を目覚めさせたお騒がせ怪盗は、翌日の新聞の大見出しを飾り、人々の関心を集めた。
「
「――わかりました」
「そして、先日の新聞を見て――リュカ・サミュエルという男から連絡があった。泥棒の心理や手口を研究していて、今回のシエルの案件で何か協力できることがあれば……ということらしい。今、こちらに向かっているから、明日には着くはずだ。ぜひ一緒に協力してくれ」
「はっ――」
「俺、ちゃんと大人しく修行しているからアル頑張ってね」
「――あぁ」
街中の人々の話題も、シエル様一色だ。
たまたま事件の当日、現場に居合わせた第3王子は、同じくたまたま居合わせた第3騎士団副団長を筆頭にした“怪盗シエル対策本部”を設立し、専門家も呼び寄せて本格的な捜査に乗り出すらしい。
人々の興味を一身に集めたことに味を占めたのだろう、舌の根も乾かぬうちに怪盗シエルはまたしても予告状を出してきた。
「おい、これ見ろよ! あの怪盗とやら王家に引き続き今度は“領主の館”へ忍び込むんだとよ」
「へぇ!! あのお堅いジジイに喧嘩を売るなんて、相当クレイジーな野郎だぜ」
「いくら何でも、あの領主がしてやられるわけねぇだろう。それに前回は油断していたらしいが……今回は本格的な捕縛体制が敷かれてるって話じゃないか。さすがに捕まるんじゃないのかい?」
「いいえ、シエル様が捕まるはずはないわ! だってあんなにカッコイイんですもの。まるで物語の主人公よ」
「騎士団の追撃をものともせず、屋根から屋根へ、ヒラリヒラリ。虹色に光りながら飛び回る姿はとてもクールだったわ。ねぇ、せっかくだから見に行きましょうよ」
「そうね! ベティ様の“前夜祭”もあることだし、私も会ってみたいわ、シエル様」
――貴方の屋敷に隠された
この世で一際、光り輝く宝石を
受け取りに参ります――
――――怪盗シエル――――
大衆は新聞にでかでかと掲載された予告状を見ては、あれやこれやと好き好きに憶測を立て、彼の次の
♢♢♢
「はんっ!くだらん!! こんな男返り討ちにしてやるわい!!」
「ねぇ、パパ。シエルってカッコイイのかしら。何か聞いてる?」
「ベティや、そんな低俗な男なんか放っておけ。パパがお前にふさわしい婿を見つけてやるからな」
新聞を険しい顔で睨みつけていた男は、一転して相好を崩し、愛娘の蜜柑色の髪を撫でる。目を細めて嬉しそうに喉を鳴らす様は亡き妻に似てとても愛くるしい。
娘が手元から離れてしまうことを考えると、心中穏やかではないが、心配させまいと笑う娘の顔はもう見たくはない。
今年こそは――目立ちたがりな阿呆に邪魔されて堪るものか。
♢♢♢
「なぁ聞いたか、シエルとやらの噂」
「あぁ。王家に、領主に、盾ついて……このつまらねぇ世の中も面白くなりそうじゃないか」
「しかし面倒だな。ヤツのおかげでただでさえ警備が厳しいってのに、更に邪魔くせぇ騎士が増えやがった」
「関係ぇねぇだろう、俺達にはどうせよぅ……」
場末の酒場。噎せ返るようなタバコの煙で溢れている。まともな獣人であれば、決して近づかないであろう場所。虚な目をした男どもの瞳は、もう明日を映さず、過去さえも振り返ることはない。
「胸糞悪ぃなぁ。この浮かれた空気の、何もかもが」
「この男が全てぶっ壊してくれるといいんだがなぁ」
新聞に描かれた月をバックに笑う怪盗。タバコの煙をふー、と吐き出しながら灰皿代わりにタバコの火を押し付ける。
「シエル様ぁ、私を連れ去って!ってか? その辺の小娘と同じようなこと言ってんじゃなぇよ、気色悪い。てめぇみてぇな熊男にゃ似合わねぇよ」
「んだとコラ!」
「やんのかオラ!」
「おい、くだらねぇことで喧嘩してんじゃねぇ。だからお前らはクズなんだよ。同じ熊でも王女を手に入れた熊とは大違いのな」
今まさに始まろうとしたしょうもない小競り合いを、とある男が止めにかかる。
「あぁ? てめぇもだろ」
凄むように睨みつけてくる視線を軽くいなして、男は笑った。
「一緒にすんじゃねぇよ。俺はよぉ……」
――ガシャーンッ
「何しやがんだ!」
「いいぞ、やれやれ!!」
男の声は、最後まで語られることなく別の喧騒に遮られた。だがそんなことは、この場所では日常茶飯事で、話していた男はおろか、もはや誰も気にしない。
酒、そしてタバコ。
見たくないものを見えなくしてくれる魔法。
飛び交う怒号と気晴らしに繰り出される暴力に支配された酒場。
騒ぎの最中、テーブルに無造作に置かれた新聞が床に落ちる。タバコの火によってポカリと空いた顔のない怪盗なんて、そう時間の経たないうちに、泥まみれの靴で踏まれて、グシャグシャになることは目に見えていた。
♢♢♢
さぁ、これにて役者は揃った!!
紳士淑女の皆様方、ご準備はよろしいですか?
緑の都を舞台にした盛大なドロケイごっこの、始まり始まり。
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