第112話 ※これでもまだ旅の初日です


 今日この時ほど、男の子のふりをしていてよかったと思うことはない。


(オーケイ、ミコト。落ち着いて~)


「初めまして、ミコト・ナカムラです。今日は突然お邪魔してしまって……」


「そんなに緊張しなくていいのよ。ようこそトリニートへ、飛び込み客は大歓迎よ」


 歌うように笑った時のえくぼがチャーミングな小柄なおばちゃん。


(この人がアルのお母さん――!)


 アルもミシェルさんもシャンとしたタイプだから、もっとバリキャリみたいな人を想像していた。どちらかといえば、頑張った時には飴玉をくれるような、甘やかすタイプのおばちゃんである。


「アルったら、いつも任務のついでに顔出しに来るから急なことはもう慣れちゃったわ。事前に連絡しなさいって言っても無駄なのよ~」


 このバカ息子は、って言いながら笑っているその顔はとても嬉しそうで、対するアルは相変わらずムスッてしているけどどこか照れくささがにじみ出ていて、こっちまでつられて笑顔になってしまう。久しぶりに会う息子と母親ってこんな感じなんだね。


「なんだ、帰ってきたのか」


 奥からヌッとあらわれた巨体。この迫力、この低音ボイス、そして眉間のシワ――


「親父」


(そっくりじゃん!)


 誰がどうみてもわかる。この気難しそうなおじさんがアルのお父さんだ。


 アルと同じくらいの背丈に、貫録をました雰囲気。アルに渋さを足すとこんな感じ――ってわけで、もろタイプのイケオジ登場!


「ひゃ、ひゃじめまして! ミコト・ナカムラです!」


 嚙んじゃったのは仕方ない、不可避!


 そんなミコトをジロリと一瞥して、おじさんは再びアルに視線を向ける。


「それで、今回はいつまでいるんだ」


「グラスノーラに行く途中で寄ったから明日の朝には出発する予定だ」


「そうか」


(アルって、低めの声だって思っていたけど、お父さんと比べるとちょっと高くて柔らかいんだな~)


 でもどっちにしろ、同じ声質で似ている。そして何度でも言おう、どちらも、もろタイプである。


 年齢を重ねると、迫力とともに声も低くなっていくのかもしれない。自分より年上の男の成長を楽しみにする日が来るとは思わなかった。


「それで、ミコト君はシングル一部屋でいいのかしら?」


「あ、お願いし……」


「あぁそのことなんだが……」


 ミコトの言葉を遮るようにアルが口を開いた。


「うちに泊めてもいいか? ミシェルの部屋が空いてんだろ? 本人に許可は得てきた」


「はい!?」


「あまり詳しくは言えないが、任務で俺はコイツから目を離せねぇんだ。いくらうちの宿でも一人で泊めるわけにはいかない」


「ちょっと、アル! 心配しすぎだって!! 俺は一人で大丈夫だから!!」


「そんなわけねぇだろ。うちがダメなら、二人部屋にしてくれ。俺もそこに泊まる」


「アルゥー!!」


(お主正気か!?)


 もう無理、本当にもう無理。いや、自分が意識しすぎているだけで、周りはなんとも思ってないんだろうけど!


 こんなことなら、ジークたちも巻き込めばよかった。


「そうねぇ、それなら仕方ないわね。私は別に構わないわ。あなたは?」


「好きにしたらいい」


「じゃあそういうことで。行くぞミコト」


「えぇっ! ちょっと!!」


「それよりも問題はアルの部屋よねぇ」


「俺の部屋?」


「まさか帰ってくるとは思わなかったから、この前大掃除した後にちょっと物置にしていたのよね。母さんたちは手が離せないから、自分で整理して頂戴。適当に廊下に出してて構わないわ」


「……わかった」


(ワタシハ、ナニモワカラナイ……)


 さも当たり前のように会話は進み、ライオン親子は解散した。口をはさむ隙もなかった。


(もうどうとでもなれ!)


 こうなったら思考は放棄。浮草のように流されて生きていこう。


「ミコト、ここが1階。フロントとラウンジがある。ラウンジでは朝はパンとスープ、夜は酒と軽いつまみが食べれる、親父の趣味みたいなもんだから大したことはないがな」


「へぇ」


 アルの実家の宿屋“とまり木”。


 よく手入れされた木の扉をくぐると、アルのお母さんがいたフロントがある。その隣の扉からはラウンジ――今は夜だからか、暖かい色のランタンが揺れる大人な雰囲気の中、これまたカウンターの中にアルのお父さんが激渋いオーラを醸し出しながらお酒を作っていて、うわ何だここ行きたい。


「2階と3階が客室だ。行こう――俺の家はこっちだ」


 アルのお母さんの趣味らしい、よく手入れされた花や草木が目を楽しませる、中庭を通り抜けた先の離れがアルの家だ。


「お邪魔しまーす」


「この時間は誰もいないから、別にそんな緊張しなくていい」


 借りてきたネコみたいだな、ってアルに笑われる。だからそんな顔で笑うんじゃないよ。好きだわ、その目尻のシワ。


「俺らの部屋は2階だ。荷物置いて……腹減っているならなんか食うか? ラウンジに行ってもいいし、ここで俺がなんか作ってもいい」


「へっ!? アル料理出来るの?」


「簡単なものならな……なんでそんな目を丸くしてるんだ」


「いや、だってあまりイメージなくて……」


 今までの旅でそんな素振り見せなかったじゃないか!!


「まぁ最低限は出来るさ、一人暮らしは長いんだ……あんま期待すんなよ?」


「う、うん!!」


 えぇっと……アルのおしゃべり(?)クッキング、スタートです。



 ♢♢♢



「そんなに見られると緊張するのだが」


「まぁまぁ、俺のことはジャガイモだと思って」


「俺に食われたいのか?……って冗談だ」


 ハハハハハ。


 えぇ、はい。


 冗談、そう冗談。


(我心頭滅却煩悩退散明鏡止水!!)


 心の中で印を結んで呪文を唱えたので無問題モーマンタイ

 エプロン着けて、冷蔵庫の中身を物色しているアルなんて……アルなんて!!!


「サラダと、チャーハンでいいか?」


「うん、任せる」


 野菜を洗う。


 皮を剥く。


 玉ねぎをみじん切りにするリズミカルな音が静かな台所に響く。


 1つ1つがなんてことない当たり前の調理過程だ。


「出来たぞ」


 卵と玉ねぎと挽き肉の、シンプルなチャーハン。


 レタスを千切って無造作にミニトマトを乗せただけのサラダ。


「どうだ?」


「美味しい。ありがとう、アル」


 ドキドキしすぎて味なんかわかんない――なんてそんな少女漫画みたいなことはなかった。


 根っこから可愛い女の子だったら、緊張しちゃってあまり食べれないって、アルを困らせちゃったかも。


 米粒ひとつも残さず完食した自分の食い意地が恨めしいような、男の子なんだからこれでいいんだ、って思うような。


(この少し胡椒が強めのチャーハンの味を忘れる日なんて来るんだろうか)


 特別な材料なんて使ってないのは見ていてわかっているのに、特別美味しく感じたのはなんでだろう。


「お礼にお皿洗いは俺がやるよ!」


 その答えには知らんぷりだ。



 ♢♢♢



「くっそ……思ったより多いな」


「わぁ……」


 これぞ実家あるあるって感じ。


 無造作に置かれた年季の入った箱やガラクタたち。ミシェルさんの部屋は、きっとフィリップくんのために揃えたんだろう子どもグッズで溢れていたけど一晩過ごすには問題なさそうだったので、お風呂に入ってアルのお手伝いだ。窓を開けて換気をして、大きなものは廊下に出して、寝れるように部屋を整えていく。


「あれ、この箱って……」


「こんなものまだ残してたのか」


 だから片付かないんだ、ってブツブツしているアルに許可を取って蓋を開ける。


「わぁ!」


 ぬいぐるみに絵本、それから木製の短剣にドールハウス。


 アルとミシェルさんのおもちゃ箱だ。


「すごーい、たくさん残ってる! 何かフィリップくんに使えないかな!」


「古いもんだしどうだろうな…」


 口ではそう言いながらも1つ1つ手に取って、真剣に物色しているアル。新米おじたんの心構えが出来てきたようでとても微笑ましい。


「それにしても……なんか歯形付きすぎじゃない?」


「あぁ――」


 ぬいぐるみとかはよくわからないけど、木製のおもちゃには、それこそ小さいときに遊ぶ積み木なんて特に、歯形が残っているのが目立つ。


「俺らは――ライオンだからな」


「え?」


「だから、ライオンだから……ライオンのガキはとりあえず何でもかんでも噛みつきたくなるんだよ」


「へぇ!」


 気恥ずかし気に目をそらしたアルから放たれた衝撃の事実。


「それはそれは……やんちゃだねぇ」


「よくお袋に怒られていたな……お袋を噛んだら親父が更に怒ったが」


「アハハハハ」


 小さい子の容赦ない噛みつきって痛そう。ウサギといい、ライオンといい、人間にはない習性には驚かされる。


「あ、これって……」


 小鳥やお花が木彫りされたかわいらしい小箱が出てきた。箱の底についたゼンマイ――オルゴールだ。


 錆びついてはいたが、少し力を籠めると問題なくネジは周り、優しい音色を奏でだす。


「素敵なメロディだね」


「たしか有名な、歌劇の主題だ――」


 どこかせつなく聞こえる、けれど聞いているうちに心が洗われていくような、穏やかな旋律。


(これ、好きだなぁ)


 いつのまにか作業の手が止まって、アルと二人、聞き惚れていた。


「お袋は、小夜啼鳥サヨナキドリの獣人なんだよ」


「へ?」


「渡り鳥の一種だ。だからなのか、お袋は旅が好きで、各地をめぐっている途中にここで暮らしていた親父と出会って、自分のような旅人が休めるように宿を作った。俺とミシェルを連れたり、時にはキースのところに預けたりして、二人でよく旅行に行ってて――これは確かミシェルへのお土産だった気がする」


「――――」


「旅先で見たとても素敵なお芝居だったって。帰ってきてからも、しばらくはこれに合わせてお袋ずっと歌っててさ――まだ残ってたんだな」


 アルの家族の思い出の一曲。


 懐かしそうな表情を浮かべて、珍しく饒舌に喋るアルに耳を傾けている間に、次第にメロディはゆっくりになって、ポロンと名残惜しそうに響かせて終わる。


「――贅沢なオルゴールの聞き方、してみるか?」


「へっ?」


「ミシェルとマリオンがよくやってたんだよ。たしか目一杯ネジをまわして……ほら」


「うわっ!」


 アルに手を引かれて、シーツを引いたばかりのベッドに二人で横たわる。


「ベッドに横になってずっと聞いてるのがいいんだとよ。あいつら、なぜか俺のベッドで毎回するから……困ってたよ」


「アハハハ」


 一人用のベッドに、二人で身を寄せ合いながら、オルゴールの音色に耳を傾ける。


「あぁ、これは最高の贅沢だね……」


「あいつらがよくやっていた理由はわかる気がするな……」


 人のベッドでしていた理由はわからんが――と呟くアルの言葉にまた笑いが零れる。


「ねぇ、アル……これ贅沢すぎて、俺、寝ちゃいそう……」


「寝るなら……部屋に戻れよ……」



 ♢♢♢



「コラーッ! いつまで寝てるの! 起きなさーい!! あなたたち朝早いんでしょう?」


「ふぇっ!?」


 窓から差し込む眩しい陽の光、小鳥のさえずり、そして扉から顔を覗かせるアルのお母さん。


(うわああああ!!)


 恥ずかしい、これは恥ずかしい。


 二人して飛び起きては顔を見合わせる。


「まったく、掃除も途中で、窓も開けっ放しで、布団もかけずに寝ちゃうなんて――風邪ひいちゃうわよ」


「――――っ!!」


「ま、でも二人で仲良く寄り添ってたから寒くなんてなかったかしらね」


「――――――――っ!!!!」


 下に朝ごはん置いてあるから冷めないうちに食べちゃいなさいよ~と言い残してアルのお母さんは去っていった。


「アルの馬鹿ァ!! なんで起こしてくれないのさ!!」


「――っ! 先に寝たのはそっちだろう!?」


 言い合いしながら慌ただしく準備している様子を見られて、またアルのお母さんに笑われてしまったことは言うまでもない。


 穴があったら、地球に続くまで深く深く掘ってから入りたい。


 もちろん一人で! アルと一緒に入ったら意味ないからね!!


 ♢♢♢


「もう行ったのか」


「ほんと、来るときも行くときも騒がしかったわね――寝ているときは二人とも大人しかったのに」


「男が自分のなわばりに、よその男を連れ込んでいるんじゃない」


「フフフ、そんなしかめっ面しなくてもいいじゃない。仲良さそうで何よりなにより」


「フンッ――」


「それにしても、アルったらかわいいところあるわね」


「ったく、どこで見つけてきたんだか」


 夫婦は顔を見合わせて、夫は呆れたように、妻は嬉しそうに。


「お前の(私の)若いときにそっくりだ(ね)」


 そのまま機嫌よく妻は歌いだす。旅立ちを祝した、思い出の歌を。


 夫はその歌声に耳を傾ける。朝の片付けは、もう少し後でいいだろう。





 緑の都の玄関口、トリニート。


 グラスノーラとラスカロッサを繋ぐ街道沿いにある、小さな町の小さな宿。


 朗らかな女将さんと、強面の旦那さんの細やかなサービスがウリの宿。


 長旅の合間にふと羽根を休められる、止まり木のような宿。


 ぜひ一度泊まりにいらっしゃい。


 貴方の運が良ければ、女将さんの歌声に、尻尾を揺らしてリズムをとる旦那さんが見られるかもしれません。

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