第5章 緑の都 グラスノーラ

第109話 お任せくださいお姉様

 海の都から帰ってきて3週間。

 朝方は肌寒さを感じるようになってきて、少しずつ秋の気配も深まってきたある日のこと。


「こんにちは、聖女様。お越しいただきありがとうございます」


「こ、こちらこそお招きいただきありがとうございます!」


(緊張で声が裏返っちゃったよ! あぁ~ヤバい美人……何だかすごくいいにおいがするのは気のせいかな!)


 目の前に座るは、金髪碧眼ゆるふわウェーブ。その場にいるだけで、パァッと周りが明るくなるような、華やかで麗しくて、まさに女神のよう……ゲフンゲフン。


 失礼、女神なんて言葉を使っちゃいけないね。まるでバラの妖精のように可憐で、同じ女同士なのになんだかドキドキしちゃうような素敵な女性、アイリス姫様から直々にお茶会にお呼ばれしたのです!


 誰もが憧れるような美人と二人っきりになった高揚と緊張感。胸毛人魚のときとはまた違った意味で手が震える。


 このサンルームに来るまでに、何回もアルにおかしなところがないか確認しちゃったくらい、舞い上がっている自信がある。逆にアルはどんどん眉間にシワが寄っていったけど……そんなにしつこかったかな? でもこんな素敵な人とお茶するんだもん、少しでも失礼のないようにしないとね。


 出来るだけ優雅に見えるように、精一杯頑張りながら、紅茶を一口頂く。


(あ、これ好きかも……)


「うふふ、その紅茶お気に召したかしら? 最近、お気に入りなのよ」


「はい、とてもおいしいです。これはアップルティー?」


 それにしては風味が少しスパイシーなような……


「残念。これはアップルパイティーよ。アップルパイをイメージして作られた紅茶……少しだけ甘味とシナモンが入っているの。ミルクを入れても、お砂糖でもっと甘くしても美味しいわ」


「そんな紅茶があるんですね! 初めて知りました」


「うふふ、面白いでしょう」


 ちょうどそのとき、メイドさんたちがワゴンを押して入ってくる。


「アップルパイティーと一緒にアップルパイを食べるのがマイブームなの。お兄様やリックには呆れられちゃうんだけど……ねぇ、よかったら聖女様も一緒につき合ってくれない?」


 美人なお姉様が、少しだけ照れくさそうに、でも茶目っ気たっぷりに微笑みながら誘ってきたら……全人類、いえ、世界中の生きとし生ける全てのものに断るすべはありません!! 


(あぁ~幸せ……)


 さすが王家のアップルパイ。少しだけ大きめにカットされたリンゴで作られたアップルフィリングの甘酸っぱさとサクサクのパイ生地のハーモニーが絶妙だ。バターの風味が強めの生地はリンゴの甘酸っぱさをさらに引き立たせる。その逆も然り。甘さ控えめなアップルフィリングはパイ生地の香ばしさを高めていく。食べる手が止まらなくなってしまう無限ループだ。


 夢中になっている手を止めて、アップルパイティーを味わうと、リンゴの香りがより深まって口の中に広がる。


 その温かさにほっとひと息つく。


 そしてまたアップルパイに手が伸びる。


 控えめに言っても最高です。


「ん~、やっぱり初秋のリンゴは最高ね。ちょうどいい歯ごたえと酸味と……アップルパイにぴったり。ま、私は年中食べちゃってるんだけどね」


 ちょっとだけ照れくさそうに目元を赤らめて、パイを堪能して口元を綻ばせる。


 美人で気さくでリンゴ好き。この属性に落ちない男も女もいないと思う。


 ゆるんだ顔で話している自覚はある。だってアルの視線がすごく痛いもん。でも、これに抗うことは無理だ。


 クリスティア姫様のこと、至宝探しの旅の珍道中、孤児院のことやロザリー歌劇団のこと。アイリス姫様は聞き上手で、コロコロと鈴が鳴るような声で笑ってくれる。マジ女神……ゲフンゲフン、失礼、まるで聖女だ。


(私が聖女のはずなのに!!)


 こんな素敵な人が聖女と名乗るにふさわしいんだと思う。今すぐにでもバトンタッチしてしまおうか。


 お茶会が始まって1時間もたってないのに、アイリス姫様の笑顔を見るだけで心がぽわぽわ温かくなる。もっとずっと、貴女の笑顔が見たくなる。


 これはアレですね。心の中で、大きな声で、叫ばせて頂きましょう。


(惚れてまうやろぉぉぉっ!!)


「すみません、俺ばっかり話をして……」


「聖女様の話ってどれもすごく面白くて……あぁもう!こんなに笑ったのは久しぶりだわ。涙が出ちゃった」


(やだ、かわいい……好き……)


 笑いながら涙をぬぐうその動作の一つですら、惚れてまうやろう。


 たくさん話して、たくさん笑って、夢のような時間を楽しんだあと、紅茶を一口飲んで、落ち着いたところで、アイリス姫様が口を開いた。


「今日聖女様をお呼びしたのは、お話ししたかったことはもちろんなんだけど……

 個人的なお願いを頼みたくって」


「お願いですか?」


(何でもやりますよ、姫様!!! )


「えぇ。実は私、今度結婚するのだけど……」


「なるほど。結婚ですか……ってえぇっ!? 結婚!?」


 憧れの美人お姉様、まさかのもう人妻(予定)だった件――こんな美しい人を世の中の男がほっとくわけないって知ってはいたけどさぁ~そうかぁ、そうなのかぁ……


 改めて目の前のアイリス姫様を見る。


 一見すると堂々としていて優雅にふるまっているように見えるけど、カミングアウトが恥ずかしかったのか、少しだけその頬を赤らめている。視線を伏せて、紅茶を飲むその姿。しっとりとした色気が漂う素敵な女性なのに、その照れた様子は花が咲いたばかりの少女のようで……


「お相手は? その世界で一番の幸せ者はどんな人でしょうか?」


「顔が怖いわ! 聖女様!?」


 顔も名前も知らないけれど、こんな素敵なお嫁さんを迎える男は、一瞬で妬みの対象にリストアップだ。


「だって……だって!! 出来るのなら、俺が……結婚したかった!!」


 氷河期から時代を超えた風が、背後から吹いてきた気がしたがもうそれどころじゃない。


 目の前で「まぁ!」と口を覆っているアイリス姫様は本当に可憐だ。長いまつ毛に縁どられた瑠璃色の瞳、陽に当たるたびにキラキラ輝く黄金の髪、リンゴのように赤く艶めいた唇から紡がれる少し低めの穏やかな声は笑うと少し高くなる――艶然とした雰囲気と気を緩めた時のそのギャップ、こんな女神、ゲフンゲフン、聖女と結婚するという概念がなかった。


 だが、そんな常識をぶっ壊し、手を伸ばしてつかみ取った恐れ知らずの男がいるらしい。


「メイドたちから聖女様はお上手だって聞いていたけど……本当にそうなのねぇ」


「だって!! 姫様と病めるときも健やかなるときも、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓えるんですよ!? これを幸せと呼ばず何と言う!?」


「そんなに言われたらくすぐったくなっちゃうわ」


 姫様や給仕している周りのメイドさんたちがクスクス笑いながら、微笑ましい温かい目で見こちらを見られているけれど、先を越されて悔しいものは悔しいし、ちょっとくらいの嫉妬は可愛いものだ。


「かわいいプロポーズをありがとう聖女様。でもごめんなさいね、私の旦那、ちょっと嫉妬深いのよ」


「そんなぁ~、心の狭い旦那様なんてほっといて俺にしましょうよ~」


 せっかく仲良くなれたのに、なんだか遠くに行ってしまうようで少し寂しい……けれどミコトの駄々をコロコロ笑って聞いている姫様はとても輝いて見える。


 姫様はジークのお姉ちゃんなだけあって、永遠にその顔を眺めていたいくらいとっても美しい。でもそれだけじゃなくて、きっとその旦那様に愛されて満たされて、幸せだからこそ零れるような輝きがにじみ出ているんだろう。


「おめでとうございます、アイリス姫様!」


「ありがとう、聖女様」


 ひとしきり駄々をこねて、笑いあった後には自然とそう伝えることができた。


(あぁ、姫様はとっても幸せなんだな)


 大好きな人に愛されている女性の輝き。


 後ろの護衛騎士に恋をしている今の自分では、手に入れることができないその輝き。


 それは少し苦しいくらい眩しくて――でもいつかは、ってきっと女の子なら誰でもその夢を見るだろう。


「俺にできることなら――――やらせてください、アイリス姫様」


 アイリス姫様のお手伝いをすることで、憧れるその未来に近づけるかもしれない、なんて――久しぶりの恋の話に少し浮ついた心で、そう答えた。


 少年のフリをしていても、ナイスガイとナイスガイはすぐに掛け算しちゃっても、やっぱり女の子だもん。


 苦しいだけじゃない、ただ甘いだけの恋に酔いしれたい時もある。


 世界で一番幸せ者のその人は、アイリス姫様と同じようにアップルパイが大好きで、ううん、その人の影響で姫様もアップルパイが大好きになって――


「今まではお互い忙しくて中々会えなかったけど、これからは毎日顔を見ることができるの――」


 照れながら、でも少しつつくだけで簡単にお相手のことを惚気ちゃうアイリス姫様のことが、胸が苦しいくらい羨ましかった。


 ♢♢♢


「ミコト様――! どうかお体にお気をつけて!!」


「ミコト様――! 無事に至宝が見つかって、早くラスカロッサに戻ってこれるようお祈りしています!」


「ミコト様――! アル様と仲良くお過ごしくださいませ!!」


 ミコト様! ミコト様!!


 今回もメイドちゃんたちやロザリー歌劇団の皆様がお見送りに集まってくれた。


「みんなありがとう! ロザリーも……テアトリージョで修行させてくれてありがとう。その成果を次の旅で活かせるよう頑張ってみるよ!」


「こちらこそお二人の頑張っている様子を見れて、とても萌え――いえ、世の中を明るく華やかにさせる作品作りへの意欲に繋がりました。またいつでも、好きな時に、我が劇場を使ってください」


「ありがとう、ロザリー! でも今回は修行もあって、あまり話せなかったから寂しいね……何回言ってもアルが離れないしさ!」


 向こうでアルが騎士団の人と話しているのを横目で見ながら、これ幸いとロザリーに愚痴る。


 だって本当に朝から晩まで――アルは離れてくれなかった! こっちの気も知らないで、仕事にまじめすぎるのも本当どうかと思う。


「それだけ大事なんですよ、ミコト様のことが」


「でも俺だってみんなと話したかったのさ……」


「「「ミコト様!!!」」」


 ミコトの言葉に嬉しそうな笑顔をしたみんなと、ハグをしようとつい手を広げそうになったけど……アルとジークと、なんか他にもいろんな方向から鋭い視線が突き刺さったので、まだ未遂ですよ~と何でもないフリをしてその手を下ろす。


 もう気まずい車内はごめんだからね! 


「というわけでね! 俺もっとみんなと話したかったけど、もう出発だし時間もないからさ……手紙書いてきたんだ!」


「手紙……ですか?」


「そう! ちゃんと一人一人にあるよ」


 四次元鞄から手紙が入った袋を取り出す。アルに気づかれずに、どうにかしてロザリーにマフィアの若き十代目と人外マッチョの切れ者幹部のネタを伝えたい――そんな苦肉の策の結果がこの大量のお手紙たちだ。


 思いついたのが昨日の夜だから、大したことは書けなかったしほぼ徹夜に近い睡眠時間で今も眠いけれど、これならジークに怒られずにみんなと交流ができ――


「出発!」


「えっ? もう!? まだ早くない――ってあぁ!!」


 ジークの掛け声とともに、アルが連れ去りにやってきて、あっという間に馬車に担ぎ込まれてしまった。


 ハグがだめなら、一人一人への愛のこもったラブレターくらいよくないですか……?




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