第108話 幕間:アオハル影とそれなりの日々―②
ビービービー
「なんだ、今の音は――」
バタバタと駆けつけてくる足音、ユキちゃんを抱えて、急いで本棚の上に移動する。
「誰かいるのか!!」
「ニッキーどうしよう」
不安げに瞳を揺らすユキちゃんを視線で黙らせる。
――出来ればしれっと、誰にも気づかれずに帰りたかったけどな。
こうなったら仕方がねぇ。左耳のピアスを外し魔力を込める。
「行け、
手のひらの上に現れたヒト型の風は舞うようにステップを踏んだ後、ヒラリと身を翻して走り去っていく。
「あっちに誰かいるぞ――」
その風を追いかけて、遠ざかっていく喧噪。怒るのは後だ。今のうちに新たな脱出ルートを確保しないと――
「動くなよ、ユキちゃん。俺が戻ってくるまでくれぐれもおとなしくしとけよ。そしてこれは没収!」
「あぁぁぁ!」
耳元で忠告し、ユキちゃんを置いて立ち上がる。ったく、いつの間に忍ばせていたんだ? そんなに読みたかったのかよ……
地上へ上がる階段ルートはもう使えねぇ。窓のない地下室からの残りのルートは――天井か。
――この図書館が建築されたのって確か……200年前だっけか? その時代の建築様式だと……
アーチが交差するように連なっている地下室の石天井。その石と石の隙間に
――確かこのあたりに……見つけた!
少しだけ周りと色の違う石。その部分を力を込めて押し込むと、その石が外れて、床下と地下天井の間の空間に通じる。ヒト一人が通れるようにその穴を拡張して、ユキちゃんのところへ戻る。
「さっきの警備の人が追いかけていったのって何? ぶら下がっていた紐は? あの穴なんだよ!!」
「説明は後だ! 早いとこずらかるぞ!!」
ユキちゃんを抱えて再び天井へ――その身体を穴に押し込め、静かにしてろよ、と口の前で人差し指を立てて念を押す。
――さてと、この本を戻してこなきゃな。
「あ、あの、ニッキー……」
「ん?」
再び下へ戻ろうと穴に手をかけた俺にユキちゃんが声をかける。
「ごめんなさい……」
――そんなシュンってした顔するなら、余計な事してんじゃねぇよバーカっ!!
先にそれやられちゃうと、こっちも怒るに怒れねぇじゃん……今日の俺はユキちゃんに調子を狂わされてばかりだ。
「今度なんかすげー魔導具作って。それで帳消し!」
そう言い捨てて下に戻った。
ユキちゃんが持ち出そうとした、“魔法薬学の真髄とその先へ”。そんなに読みたかったのかねぇ。魔法薬の何がいいんだよ。ポーションと違ってくそまずいじゃん。本当に余計な事しやがって……
気配を殺して、足早にお目当ての棚の前に移動する。戻そうとしたその時、ページの上部に掛けている部分が、折り目がついているのが目に入った。
気になったというか、魔がさしたというか、無意識のうちに手が動く。
これがもし、ユキちゃんがつけたなら――と思ったけど、そうではないみたいだ。年季の入った黄ばんだその折り目はその状態で長年過ごすことが当たり前になっていたようで、元に戻すと白いダイヤがくっきりと刻まれる。
熱心に読み込んだのであろう。他よりも明らかに開きやすいくらい読み癖のついたそのページに載っている魔法薬に目を見張る。
――時間はあと少しってところか。
余計なことしかしないって思っていたけど、仔イノシシも歩けば棒に当たるってこういうことか。
♢♢♢
「悪ぃ、待たせたな」
「ニッキー、大丈夫だった……?」
「これくらい余裕よ、余裕」
暗くて顔はよく見えないけれど、ユキちゃんの緊張や落ち込みが和らいだのがわかった。
「じゃあついてこい。さっさとここから出るぞ」
「うん、わかった……ねぇここって何?」
「空気穴的な感じかな。窓のない地下室で換気をするための昔の工夫。今は魔導具が発展して必要なくなったけど、天井のこの穴と外部がつながっていて――外からの空気を取り入れていたんだよ。逆に雨が続くと湿気の問題も出てきちゃうけどな」
「なるほどね……もう少し広く設計しとけばいいのに」
「……贅沢言うなよ。でもそれは同感」
人が通ることを想定していないので、立って歩けるスペースはない上に少しジメジメしている。数々の天井裏に潜んできたが、5本指に入る居心地の悪さだな。
這うように進みながら出口を目指す。
「ねぇ、ニッキー、警備員たちを遠ざけた魔法は…….あれは一体何?」
「あぁ、あれは
「あのぶら下がっていた紐は?」
「
「へぇ、すごいな……他にもなんかないの? 影の秘密道具!!」
「お前、ホント調子いいな!?」
切り替えの良さが振り切りすぎていて逆に清々しい。
〈なぁんか時間かかってない――? 大丈夫?〉
〈あぁすまん、ちょっとやらかした。足はついてないと思うけど、とりあえず脱出してからカバー入るわ〉
〈さすがのニッキーもユキちゃん連れてだと苦労しちゃった感じ?〉
〈まぁ、そんなとこ……〉
〈……その割には声が楽しそうだね。安全に無茶せず、戻っておいで〉
心配した若から連絡に返事をしていると、空気の流れが変わってきた。
壁際まで辿り着くと、雨水が入ってこないように少々高い位置に穴が見える。
――先人の知恵に今回は助けられたな。マジで。
同じく狭い空間を昇って、その穴から周囲の状況を伺う。周りに人もいないしこれなら出ていって大丈夫だろう。
「ユキちゃん、昇ってこれそうか?」
「……もう腕に力が入らない」
「ったく、掴まれ」
貧弱魔導士の腕を掴んで引っ張りあげる。本ばっか読んでないで少しは鍛えなさい。
「あぁ、やっと外。空気がおいしい……」
「ほら、まだ終わってないぞ。帰るまでが遠足だ」
ヘロヘロボーイをおぶって再び空へ――目指すはジークの部屋だ。
「おかえり――ってすごい格好だね」
ほふく前進で這い出てきたせいで、俺もユキちゃんも見るに堪えないドロドロだ。
「もう無理……疲れた。影しんどいよ」
「こっちも素人と行くのはもうごめんだね」
「ニッキーが失敗するって珍しいな。一体何が……そっちの罰の悪そうな顔している坊やが何かしたのかな?」
「それが聞いてよ若ぁ~……」
「……反省してるからもう!」
ユキちゃんを適度にイジメながら、結果報告をする。
「――そうか。禁書庫にもなかったのか」
思案した様子で背もたれにもたれかかる若。
「ねぇ――誰かが闇魔法使って裏で糸を引いているの?」
「…………もしそうだとしたら、厄介だよね」
ユキちゃんからの問いに、何でもないようにヘラッと笑ったその表情から視線を外す。
茹だるような暑さが残ったあの浜辺で、途方に暮れていたあの背中――あの時から、いや、もっと前からか?
また一人で考えて、溜め込んで。
――そんなに俺は信用ならないんっスかね。
喉元まで上がってきた言葉を飲み込んでごまかすように手近にあったユキちゃんの頭をグシャグシャにしてやった。
「うわっ! 何すんのさ」
「さぁ、夜も遅いし帰るぞ」
眠そうなユキちゃんを引きずってバルコニーまで移動する。また明日ね、って手を振る若は、悩みの一つもないようないつも通りの涼し気な顔だ。
「……何?」
「……別に」
思わずジト目で睨んじゃった俺は悪くない。
「舌嚙まないように気をつけろよ――んじゃ」
ユキちゃんに一声かけて、再び宵闇へ飛び込んだ。
「わわわ……ちょっとニッキー!」
「スピード上げるからな、ちゃんと口閉じてろよ」
「これ以上!? ってちょっ――うわあああ!」
もっと早く、高く、夜の闇に溶け込むように。
一歩間違えれば怪我をしてしまうような無茶な飛び方は神経を使う。脳みその隅から隅まで、ビリビリと痺れるようで、考えたくないことを追い出してくれる。
このむしゃくしゃごと、全部まとめて、どこかに飛んで行ってしまえ。
「ほい、到着ッ!と」
「んぎゃっ! 雑なんだよ!」
部屋について背中の荷物をテキトーに下ろすと、なんとも言えない声を上げて床に転がっては、目くじらを立てて俺を睨みつける。
「野郎相手になんてこのくらいで十分だっつーの」
少しだけ残っていた良心の一部が邪魔をして、顔をそらしながらそう答えた。
「何なんだよ全くもう……」
ぶつぶつ言いながらもユキちゃんはまだ床に転がったままだ。
「言わなくてもわかるとは思うけど、今日のことは他言無用。知ったことも見たことも全てだ」
「はいはい」
「はいは一回。俺が使っていた道具とかも再現しようとするんじゃねぇぞ」
「えぇ~! なんで! いいじゃんちょっとくらい!!」
「ダメだ馬鹿!」
「ふぎゃあ!」
デコピンを喰らわせると額を押さえて床の上で転がったまま悶絶する。
しゃがみ込みながらその様子をぼんやり見つめてると、反撃とばかりに火球を飛ばしてきたのでこっちもお返しに4の字固めを仕掛ける。
はっ、ざまあみやがれ。
「うぅ~、痛い……ひどい……」
「なぁにこれくらいでヘタってんだよ」
うれっと手を差し出して立ち上がらせる。
このヒョロヒョロめ。あんなに食べてどこに消えていってんだ。
「ところでよ~ユキちゃんや」
「……何?」
「おいおい、そんな警戒すんじゃねぇよ。傷ついちゃうな~」
「だってニッキー今すごい悪い顔している!」
後ずさるユキちゃんにゆっくり距離を詰めていく。
「俺のお願い、何でも聞いてくれるって言ったよな~」
「言ったっけ!? 何ヤダ! 怖い!!」
ガチめに怯える年下クンを壁際に追い込む。そんなにフルフルしなくても、コイツを見ればその心配なんてすぐに消し飛んじまうさ。
「ちょっと作ってほしいものがあるんだわ」
そう言って鞄から羊皮紙を取り出す。
怪訝そうに書かれた文字を一瞥してユキちゃんは目を大きく見開いた。
「ねぇ、ニッキー! これって!!」
「あぁ、ユキちゃんも気になっていただろ? もちろんやるよな?」
「当たり前だろ!!」
部屋の中を飛び跳ねそうなくらい興奮しているユキちゃんを見てニヤリと笑う。お兄サンも相当悪い顔してますよぅ。
♢♢♢
屋敷に戻ると会いたくねぇ顔が待ち構えていやがって、ユキちゃんとの戯れで少しだけ上がっていた心がまた下がった。
「……随分と遅かったんだな」
「こちとら世界を救うために頑張ってんのよ。まぁいろいろとね」
周りは似てる、似てる、っていうけれど、俺はこんなにムスッとしていない。
確かに、髪の色や目の色は同じだけど、そもそもダールセン家のやつはみんな、っつーかこの国では一番多い組み合わせだぞ。くすんだ藁みたいな金髪と雨が降りそうな淡い青の瞳は。
だから、俺と――親父はちっとも似てねぇ。
俺、疲れているから、と足早に通り過ぎようとしたところを制される。交わる視線は同じ高さになったのに、射貫くような鋭さで見られると居心地が悪くて、目を合わすことが出来ない。見上げていた小さい頃のまんまだ。いや、年が経つほどに出来なくなっていることは自覚している。
「……何?」
低い声で尋ねると一瞬の間があって、親父が口を開いた。
「殿下とは、仲良くやっているか?」
「……別に。いつも通り普通だけど」
「そうか」
沈黙が訪れる。
「んじゃ、俺はもう寝るから」
親父が続けてこないのをいいことに、話をぶった切ってそのまま自分の部屋へ向かった。扉を閉めて一息つく。
きっとあのまま話していたら、また言われたはずだ。
『お前はどんな影になりたいんだ?』
光あるところに影あり――ユースタリア王朝が創設されてからずっと続いてきた、王家と影の歴史。
密偵でもスパイでも、ただの従者でも護衛でもない。俺たちが自らを“影”と称す理由。
寝ても覚めても何をしていても、どんなに逃げても隠れても、この世の中の全ての存在に、影は必ず付きまとう。切っても切れない関係性。
あまりにも近すぎるその距離に、時々嫌気がさす。
閉め忘れたカーテンから月明かりが差し込み室内を照らす。さっきまで雲に覆われてわからなかったけど、どうやら今夜は満月だったようだ。
俯いた視界に入る俺の黒い分身。
俺が手を上げると、コイツも手を上げる。
俺がステップを踏むと、コイツも楽しそうに踊りだす。
いや、コイツに楽しいもクソもないか。何も考えず、感じず、主と同じように振舞う影。
主人に対して余計な口は利かない、同じことを、言われたことをただ忠実にこなす――影に心はない。
心なんかいらない。
俺たちは王家の道具だ。
王家の影としての最終試験――心を殺した道具になることが出来るか?
主人の考えや言動を察し、同じように振舞うことが出来るか?
決して逆らわず、付き従え。
5年かかってもまだ、これが出来ない俺は、ダールセン家の出来損ないだ。
年々、俺を見てくる親父の瞳が責めているように感じる。
まだ出来ないのか、って。
影に関する技術のことは徹底的にやるあの人のことだ。スチュアートや他の従兄弟たちと違っていつまでもうだうだしている俺のことを、きっと恥ずかしく思っているんだろう。
顔を合わせりゃ、周りも気まずくなるくらいの沈黙で。
その重い口がやっと開いたと思ったら、「殿下と最近どうだ?」とか「影として……」とうんぬんかんぬん。
あぁもう、うるせぇうるせぇ!
こっちはユキちゃんに振り回されて疲れてんの。逃げて大正解。
――ま、これが手に入ったのはラッキーだったかな。
手を開くとそこには数本の髪の毛があって、その使い道を想像してはほくそ笑む。きっとここにユキちゃんがいたら、「悪い顔」ってまた呆れるんだろうけどそんなユキちゃんもきっと同じ顔をしているはずだ。
誰にしようか迷っていたけれど、これで息子が影としてより高みにいけるなら中年の貴重な髪の毛も喜ぶでしょ。
ユキちゃんが持ち出そうとした“魔法薬学の真髄とその先へ”――その中にあった1つの魔法薬、“
これがあれば俺は――姿や仕草だけじゃなくにおいまで完璧に別の人になれる。
誰に
そうすれば一人前になれるかな。
一人前になったら、若も――ジークも、俺を頼ってくれるかな。
一人で抱えるその背中を見るのはもう嫌だ。
――クーキュルキュルキュル
腹が鳴って夜更けのいい時間だということを思い起こさせる。考え込んでいる暇はねぇ。明日もあるから早く寝ないと。
あぁ、でも今ここに、若と食べた肉サンドと骨付きリブがあったら間違いなくえらい勢いで食べつくしただろうな。
また、食べたいな。
今度は、みんなで。
♢♢♢
――高くなったなぁ。
なんで同じ空のはずなのに、季節が変わるだけで高さが変わるんだろう。
まだ暑さは残っていても、空の高さが変わったことで秋の訪れを感じる。
俺の秋は毎年こうやって始まっていく。
――お、あれはミコトとアルじゃん。
若からのお仕事の帰り、城全体に張り巡らされた影の通り道からミコトとアルが歩いている姿を発見した。
なんだかミコトは嬉しそうで、窓ガラスに映った自分の姿を確認しては髪の毛を弄り、アルに声をかける。
対するアルは、いつもどおりのムスッとした表情で。いや、なんだか少し機嫌は悪そうだな。二言三言、返事をしてはミコトの歩みを促す。
そしてまたしばらく歩いて、またミコトは浮かれたように自分の見た目を気にして……って何やってんだあいつら。
面白そうなので声をかけずに黙ってついていくと、その行き先に予想がついて足が止まる。
――そりゃミコトも浮かれますか。
踵を返して、元来た道を急いで戻る。余計な事をしなきゃよかった。でも大丈夫、まだ間に合う。
――顔を見なけりゃ、痛くもなんともない。
俺の、一生来てほしくなかった、特別な秋が始まる。
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