第106話 イノシシ魔導士と冷めたミルク

 足早に通り過ぎていくマントの人々。コツコツという石床を鳴らす音以外が聞こえることはめったにないこの場所では、ルパート・ハインツのポヨンという音はそんなに目立つのだろうか。


 他人にはいつも無関心で、手に持った魔導書ばかり見ているような連中が、顔を上げ驚きに目を見張る様は少し面白い。


 ここは王立魔法研究所――バーベリオン。

 宮廷魔導士たちが日々魔法について分析・解明を行い、最先端魔法技術を駆使して新魔法の創造に取り組む、本の都の魔法学園――バラメイアと並ぶ魔法学の研究機関だ。


 すれ違っても会釈はしないし、もちろん挨拶もない。興味深そうにルパート・ハインツを眺めてもまたすぐに手元の魔導書へ意識が戻る。魔導士は一般的に変わり者ばかりだと評されることが多いらしいけど、僕らにとってはこれが当たり前だ。


 魔法は奥が深い。


 火・水・土・風・そして光、5つのエレメントを元に構築された基礎と、最先端魔法技術を応用し、融合させ、新時代に即した新魔法の創成を目指すのが僕たちの役割。元来の魔法の分析を行い、あらゆる可能性を模索して仮説を立て、実験と立証を繰り返しながら複雑に絡み合った要素を読み解いて、かつ個人の魔力の質に左右されない普遍的なものに落とし込み――時間は有限、やることは無限。他人に構ってる暇なんかない。これが僕ら魔導士の当たり前。


 そのはずだったのに、目が合うと軽く会釈を返そうとしちゃおうと反応してしまう自分にむず痒さを覚える。ここではそんな必要はないのに……あいつらと過ごす時間が長くなっていくに連れて、僕は毒されてしまったのかもしれない。


 長い廊下を歩いた先、目的の場所に辿り着いて重い木の扉を開ける。ノックしたって分厚すぎて部屋の中に聞こえないし、手が痛くなるだけだから無駄だ。


「……失礼します。」


「待っていたよ、エルモンテ君。」


 白い髪の眼鏡の男が顔を上げる。アシュベリー教授――古代魔法研究の第一人者で、このシビス・マクラーレンの魔導具研究班の責任者だ。


 花の都に戻ってきてからは毎日この研究室に通っている。あの胸毛が教えてくれた聖力という力、古の民たちがかつて使えたのであろう――今はミコトだけの力。そして至宝はその聖力の高エネルギー結晶体――この情報を元にシビス・マクラーレンの残した魔導具の解析が急ピッチで進められている、世界で一番痺れる場所だ。


 花の都の舞台展開装置、風の都のダンジョン内の転移装置、そして今回見つけた大規模結解。聖力という僕らの常識とは異なった別エネルギー源で稼働するそれらの魔導具について、発見時の状況を説明しながら彼らと協力して魔導回路の解明や、魔力に変換した場合の運用法について頭を悩ませる日々。


 これが最高に楽しいのなんのって!!

 知らない魔法、未知の力、精巧に作られた芸術的な魔導回路。シビス・マクラーレンは間違いなく大天才だ。魔法陣を読み解いていく度に思う。もし彼が生きていたら――今の世の中どうなっていたんだろうって。


 不謹慎かもしれないけど、期待してしまう僕がいるんだ。


「さぁ、行くぞ。」


 ボサボサの麦色の髪をした男が、水魔法を展開させる。僕たちが立つ実験室のガラスの壁の向こう側に現れた水の滝。男はそのカーテンのような滝を真剣な目で見つめたまま――手元の魔法陣に魔力を注いでいく。


 魔法陣が光ると、一拍置いて、水の滝に街の風景が映し出された。


 ここからだ。どこにでもあるような街の風景から緑豊かな森へ――あの日見た舞台のように。ここに来るまで、失敗と検証を何十回、何百回も繰り返した。今度こそきっと――


 ぼんやりと街の形が輪郭を失っていく。霧に隠されたように白ばんで、その霧が少しずつ晴れていくと――


「――森だ。」


「成功だ!! 」


 おぉぉぉっと歓声が上がる。ロザリー歌劇団のように鮮明にとはいかないけれど、そこに映るのは確かに森だ。


「やったなぁ、坊っちゃん!! 」


 バシッと勢いよく背中を叩かれよろめく。そんな僕の様子を気にもかけずに上機嫌に笑うボサボサ髪の少々くたびれた印象を残す男――ケビン・オルセンス。実験の実技を担当していた男だ。


 光魔法を用いて思い描いた景色を映し出す――ミコトが何でもないように呟いた異世界の常識はこちらの理をひっくり返した。


 光で風景を? どうやって? 


 あれから国に選ばれた優秀な魔導士たちが必死で頭を悩ませていたなんて、のんきなミコトは思ってもいないだろう。


 テアトリージョみたいなただの壁では駄目だった。ぼんやりとしか映らずこれでは何かわからない。魔導具の解析を進めながら、様々な媒体を試行錯誤していく日々。


 今日、立証された仮説は――魔力を通わせた媒体であるとどうなるか。


 結果はご覧の通りだ。


 シビス・マクラーレンの魔導具のように色鮮やかではない、切り替えるときのあの幻想的な幾何学模様は再現出来ていない。でも確かに、魔力を使ってあの魔導具のような効果を立証したのだ。


 自然と顔がほころぶ。この技術は何に活かせるんだろう。どんな魔法が、魔導具が生まれるのだろう。あぁ、とてもワクワクする。


 互いに喜びを分かち合いながらも、再び魔法陣と向き合う。


「水だと使い勝手が悪すぎる。他の素材――あの舞台のように壁に映し出せたら……」


「風魔法で圧縮した空気だと色をつけるところまではうまくいくんですけどね~、具体的にはっきりした形を映し出すとなると……」


「魔法陣も改良が必要だ。光魔法を使える者は少ないんだ。誰でも出来るように……光の魔石インクで試してみるか……」


 一つ乗り越えても更に壁はまた一つ。実用化までの道のりは果てしない。


「まぁこれで山場は一つ超えたんだ。今日くらいは早めに帰りましょうよ~、教授。連日連夜、残業続きですよ。俺、子どもを風呂に入れたり、相手してやらねぇと……そろそろ嫁の不機嫌ゲージが堪ってきていて。」


 肩を回しながら気怠そうに告げたオルセンスの言葉に耳を疑う。おい、嘘だろう? 


「それもそうですね……皆さんお疲れさまでした。結果をまとめ次第、今日は上がりでいいですよ。」


 僕が口を挟む前に、その言葉を聞いた魔導士たちは――腐っても優秀なんだ、テキパキと書類をまとめ上げ、蜘蛛の子を散らすように帰っていった。


「エルモンテ君、君は帰らないのですか? 」


「改良点はまだたくさんあります……帰れません……なんでみんな……」


 興味深そうに眼鏡の奥から僕の顔を覗き込んだ、アシュベリー教授は少し考えるような素振りを見せては、口を開いた。


「よかったら、少しお茶でもしませんか? 」



 ♢♢♢



「エルモンテ君は蜂蜜はどのくらい入れるのがお好きですか? 1杯? 2杯? 」


「無くていいです。」


「そうおっしゃらずに……とりあえず1杯入れますね。」


 僕の返事を聞いているようで、聞いていない。都合よく解釈されながらアシュベリー教授の部屋でホットミルクを飲んでいる。お茶じゃなかったのかよ。


「頭を使った後の蜂蜜は格別ですね~。そう思いませんか? 」


「はぁ。」


 子どもが好きそうな甘さのホットミルクはどこか懐かしさを覚えるような味で、ハァッと自然と息をつく。


 どうでもいいようなことを話しかけてくる教授に相槌を打ちながら、ミルクを飲む。なんなんだ、この時間。


「聖女様や第3王子とは、旅の間どんなお話をしたりするんですか? 」


「どんな……特に他愛ない話ですよ。この店のご飯は美味しかったとか……あぁ、でもジークフリート殿下は趣味で料理をされるのでリクエストをよく聞かれて答えます。あと、聖女様に魔法を教えることは引き続き……城内と特に変わることはありません。」


「ラグーノニアでは、海で遊びましたか? 」


「はい、初日に――。王子と……あぁー……王子に海の中に突き飛ばされたりして散々でしたがまぁそれなりに楽しみました。」


「そうですか、そうですか……」


 僕の何の面白みもない返答を、とても喜ばしいことのように目元を和らげては聞いている。


 なんでだろう。


「ところでエルモンテ君――君は私たち魔導士が一体なぜ魔法の研究をするのか、考えたことはありますか? 」


「それは世のため人のために――魔法体系を解明することで、より国民の生活を豊かに、快適なものに変えて社会に貢献していくためだと考えています。」


 当たり障りのない模範解答で答える。なぜ魔法を研究するのかだって――掘れば掘るほど謎に満ち溢れていて、常に刺激があって、面白いからに決まっているだろう?


 食事よりも、睡眠よりも、ずっとずっと満たされる。


 魔法について思いを巡らせる以上の喜びを僕は知らない。


 それなのに、オルセンスとか周りのヤツときたら……


 家族とか、子どもとか……そんな目に見えない訳の分からない鎖で縛られるなら僕は一生無縁でいい。


 こんなときは僕はエルモンテ家で本当に良かったと思うのだ。父様も姉様も、自分の興味に夢中だ。僕も僕で好きなだけ魔法について考えてよくて――小さい頃は口うるさかった母様も最近は諦めている。


「……その顔は何か不満があるようですね。言ってみなさい、ここには私以外誰もいない。」


 その言葉に息が詰まる。さぁ――と優しく催促をされては恐る恐る口を開いた。


「先ほどの魔法陣はまだ改良点が山のようにあります。魔力媒体も……水ではない他の物質とあらゆるものをかけ合わせて検証していかないと……やっと一歩進んだのになぜ休むかがわからないのです。シビス・マクラーレンは大天才だ。誰も知らなかった聖力を利用した魔導具を作り出して――思いもよらない効果を生み出して……彼の魔法に近づいたのになぜここで足を止めるのか……魔導士としての責務は一体どうなっているのでしょうか。」


「ふむ、そうでしたか。その疑問に答えるためにはいくつか質問をしなくては……エルモンテ君、君は最近、鏡を見ましたか? 」


「……鏡ですか? 毎朝見てますけど?」


「よろしい。では、気づいていますか? 旅に出て戻ってくる度に君の表情が柔らかく、豊かになっていることを――ここに配属された頃とは大違いです。」


「はぁ……」


「なぜ私たちは魔法を研究するのか、魔導具を作り出すのか――先ほど君は国民のためと言いましたね。では具体的には、それはどんな人ですか? 」


「どんなと言われても……困っている人ではないですか? 」


「その方は一体何に困っているんでしょうね? 年は? 性別は? その方を取り巻く周りの環境はどのような感じなのでしょうか? 」


「……。」


 そんなこと言われたって……知ったこっちゃない。僕らが発明したことを必要だと思ったら、勝手に使ってくれるだろう。


「便利の裏には何があるかわかりますか? 」


「……不便ではないのですか? 」


 僕のことを見る目は、お茶に誘われた時と、ラグーノニアについての話を聞いていた時と、何も変わらない。なのにその視線から思わず逃げたくなるのは何でだろう。


「不便ではないですねぇ、正解は危険です。どんなに策を講じても、これは切っても切り離せない――エルモンテ君は、魔導具を作るのが怖いと思ったことはありますか? 」


「…………いえ。」


「私は時々、怖くなりますよ。新しい魔法を生みだすたびに――どんな人が、この魔法を使うのか考え始めてしまうと……自分の想像をはるかに超えた予想外の使い方をされたらどうしようって。どんどん悪い方向に考えてしまいます。」


「…………。」


「私は恐ろしい、シビス・マクラーレンは一体なぜこの魔導具たちを作ったのか――ただ至宝から人を遠ざけたかっただけなのか、本当にそれだけなのか。」


「…………。」


「国民のため――大いに結構です。素晴らしい答えだ。ただ、年寄りからのアドバイスを一つだけ……その魔法の完成が近づいたら一度立ち止まって家に帰りなさい。家族でも、友人でもいい、誰か他の人と話しなさい。そして考えるのです。今、私たちが作り出そうとしている物は、どのように使ってほしいのか。世のためなんて考えなくていい、今、目の前にいる人のためになるのか……。私たちは『創造者』だ。良くも悪くもこの国を作った女神様と同じような……」


「…………。」


「エルモンテ君の表情が豊かになってくれて私は大変嬉しい。同年代の、聖女様や殿下の影響でしょうな。今の君は水を吸ってグングン大きくなる木と同じです。周りからの刺激というたくさんの光を浴びて、心という葉を揺らし、将来の大きな花に繋げてほしいと思っています。


 知っていますか? 温室で大事に育てられた実よりも、寒さで冷やされ、強風に煽られ、雨に打たれた実の方が中身が詰まっていて美味しいということを。年寄りの戯言と思って聞き流してくれて構いませんが――君もこの旅で心揺さぶられる大きな何かがあったのではないでしょうか。」


「…………。」


 戸惑い、逃げる街の人々の声――畳みかけるように問いただすニッキーと声を荒げたジークの声――魔法を封じられて抵抗も出来ずに呻き、どんどん小さくなっていったミコトの声――誘拐犯に向けたアルの怒りの声――


 苦しむミコトの様子を見てはあざ笑ったあの耳障りな声――


 どれもこれも全部、忘れたくても、忘れることなんて出来ない。


「感動、喜び、驚き、恋……心揺さぶられるのはいいことばかりではないでしょうねぇ。怒り、悲しみ、焦り、後悔……パッと思いつくだけでもこんなにあります。なぜ君たちが今、成長期と呼ばれているか知っていますか? 」


「……身体が大きく変わっていく時期だからでしょうか。」


「その答えは正解ですが不十分です。大人と違ってね、同じ感情でも心の揺さぶられ方が大きいんですよ。君たちは大人から見れば、些細なことでもすぐに心を揺らしてしまう。


 でもね、それは悪いことではないんです。だって揺らさないと立派な木にはなれない。揺れやすい今は心の成長期でもあるんです。鈍くなってしまう大人になる前に、たくさん揺らしてきなさい。多少の痛みは伴うかもしれませんが……痛んだ部分の実は強くなろうとしてとても甘いんですよ。


 君は才能に溢れた立派な魔導士だ。だが、目の前の人のためにたくさん心を揺らすことで、もっともっと成長できる。そして、凝り固まってしまった大人といるよりも、若く柔軟な心を持った同年代の仲間たちと刺激し合うことが、一番いいのではないかと――だからこそ、私は君に、きちんと学校は卒業してほしいと思っていますよ。」


 ゆっくりと穏やかに、でも僕が口を開く隙は与えないような、そんな話し方で言い切った教授は残りのミルクを口に運び、壁時計に視線を向けた。


「おや、もうこんな時間ですか。長い時間、年寄りのおしゃべりにつき合わせてしままいましたね。」


 さぁ、残りのミルクを飲んで帰りなさいと、教授はニッコリと微笑みながら僕を促してきて――その勢いのまま部屋を追い出された。


 ルパート・ハインツと二人、夕焼けに照らされたオレンジ色の馬車の中でぼんやり考える。


 アシュベリー教授はやっぱり僕の話なんか聞いちゃいなかった。なんでみんな帰るんだ、魔導士としての責務はどうしたんだと聞きたかったはずなのに――便利の裏側の話をしたかと思えば、誰のために魔導具を作るんだ、挙句の果てにたくさん心を揺らしてこいなんて……人に散々質問するだけしといて僕の疑問には答えてくれなかったじゃないか。


 教授の話を聞いている間に冷めてしまったミルクは、妙に胃に残っている感じがあって軽くお腹をさする。お残しも許されなかった。


「あんなしんどい思いはもうしたくないんだけどな……」


 ポツリと呟いた独り言に、ルパート・ハインツが返事をするかのように震える。答えを求めてはいないけど反応があることに少し心が安らいだ。


 正直言ってもうごめんだぞ。ギスギスしたあの感じがまたあったら……僕はミコトの護衛を下りてやる。魔導具にいち早く触れる権利より、バーベリオンで至宝とその魔導具の研究をしていた方がずっとマシだ。


 それに学校ねぇ。すでに知っていることを繰り返される、新しい刺激も何もないつまらない授業に話のかみ合わない同級生――正直言って時間の無駄だ。


 教授のことは嫌いではないし尊敬しているけど……


 一人でシビス・マクラーレンの魔導具の研究をしていたらきっとこんなに早く、魔法体系を確立出来なかっただろうけど……


 ミコトたちと出会う前、部屋に引きこもって魔法の研究をしていた時の心の平穏が少し懐かしく思えた。















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