第105話 幕間:ライオン騎士のせわしない心―⑪
「よぉ、赤毛の兄ちゃん、嫁と赤ん坊は元気かい? 」
「はぁ? 」
「あぁぁーっと! 元気、2人とも超元気だったよな、なぁアル! 」
ガシッと後ろから肩を組まれて、調子良くニッキーが答える。
「おい! 」
「いいから合わせろ! 」
「安産でよかったよなぁ、おかげさまで。」
「あ、あぁ。」
「ちゃんと嫁さん労ってあげろよぉ。今の時期に適当に相手してると……永遠に言われ続けるぞ。」
「おいおい、そりゃお前の母ちゃんの話かい?」
「あぁ、喧嘩のたびにおっかねぇたらありゃしない! 」
ガハハハと笑う親父どもに、おめでとうと言われ続ける……一体これは何だ。
「ニッキー……」
「表彰式すっぽかしただろ。あのとき場を収めるために、“嫁が産気づいたらしいです”って言ったんだよ。おめでとう、アル。お前もこれで立派な父親だ。」
「なってたまるか! 」
――ったく……俺が言えた口じゃないが他に何かなかったのか? 嫁が産気づいたって……嫁が……嫁が……嫁か!?
ミコトが嫁かっ!?
いやいや、あいつはアレだ。ガキの方だ。
「……向こうの様子を見てくる。あとは任せた。」
「お、おう。」
親父どもの相手はニッキーに託して、その場を後にする。
――あぁ、仮面があってよかった。
何だって俺はこんなことで、顔を赤くして狼狽えているんだ。
♢♢♢
生ぬるい風を受け、船はまるで怖いものなんかないとでもいうように、先の見えない夜の闇の中、軽快に進んでいく。今宵は風も波も穏やかだが、時折大きい波を超えるためにどうしても船体が傾くのは避けられない。
不意打ちの揺れは心臓にとてもよろしくない。
大きい波に備えるために海面を睨みつける。
――あぁ、くっそ。
下ばかり見ていると、揺れと合わさって段々と気分が悪くなってくるのは必然で――そんなどうしようもないときに、ミコトが腕の中に飛び込んでくるだけで立ち直れるのは何故だろう。
周りにばれないように少しだけ顔を近づけて、無意識に嗅ぎに行ってしまうのは何故だろう。
昨日一緒に寄り添って寝たことで、ミコトについた自分のにおいに――くすぐったくてどうしようもなくて、なのに無性に満足している――この心のざわめきは何故だろう。
頭をよぎった疑問は残念なことに、渦に巻き込まれ流され、逞しい腕力に全てを持っていかれてしまった。
♢♢♢
「ミコト様~、こっちにもください~! 」
「はいはい~! 」
ニコニコといい笑顔で、ビール瓶片手にあっちにフラフラ、こっちにフラフラ……
何故かそれが無性に気に食わない。
楽しんでいることはいいことであるはずなのに、何故だろう。
「ミコト、あいつらにあんまりお酒を注ぐな。」
そう、声かけるとキョトンとした不思議そうな顔をする。
「アルは、いらないの? 」
いるかいらないかで言われたら……いるに決まっている。
そんなに嬉しそうに目を細められて、ハイどーぞ!と注がれると、悪い気はしない。
むしろもっと、となる。
そりゃあ、いろんな奴らに誘われるわな。心の中で舌打ちしながら麦泡酒を搔っ食らう。
悔しいことになんかうまい気がする。
何故だ、なんでだ。
聖女様は何か特別な魔法でも使ってんのかよ?
見下ろしたこいつの顔は、周りの陽気が移ったのかいつもより薔薇色で、目もなんか潤んでいて――そんな顔でオズオズと見上げてくる。
ダボっとしたシャツとベストと、いつも通りのミコトのはずなのに、あの白いワンピースの、女の子の姿が脳裏にチラつく。
「ミコト……」
――お前、そんなにかわいかったか?
あわや口から出そうになったその言葉を必死で押さえ込む。いやいやいや、男にかける言葉じゃない。
それを言われてどうする。
ただ、ミコトが困るだけだろう。
あぁ、俺は一体どうしちまったんだ。夏の暑さと疲れでよく回るか酒のせいか?
触れてはいない、ただ隣にいるだけの距離。間には空気の層があるはずなのに、俺の熱が伝わりそうで、こいつの熱を感じそうで、そのもどかしい距離から動くことができない。こんなに意識するなら離れちまえば話は早いはずなのに――金縛りにあったみたいに動けない。
脈打つ鼓動は、アルコールのせいか?
それとも――
「聖女ちゃ~ん! ごめんよぉ、おじさんが不甲斐ないばっかりにぃ!! 」
霧散したその空気を惜しいと思う心に、気づかないふりをする。
フェイ、てめぇ余計なこと言ってんじゃねぇよ。
そしてミコト、頼むからそんな妙な言い方はやめろ。
誤解されるだろうが。
俺はただ、そこで飲んだくれている王子様のご命令に従ったまでだ。
あんな嗅ぎ方って――うまそうにうなじを晒しているお前がいけないんだ。俺は悪くねぇ。
♢♢♢
「おいおい、前も言ったじゃないか。女の子ってのはな、迷いたい生き物なんだって。買い物にしろ、なんだってそう! 気になっているときは、大事な時は、一回必ず迷うんだよ。その時にどう背中を押すか、それがいい男の格の違いってやつだ。まだまだだな~若ぇの!! 」
「副団長ぅ~! 」
第3騎士団飲み会あるある――飲み会中盤になるといつの間にか始まっている、“行列のできるフェイラート相談所”。今宵もまた一人、迷える哀れな若者がその扉を叩く。
団員にとってはいいだろう。だが、俺にとってははた迷惑だ。
なぜなら――
「なぁにやってんだよ、お前は。どっかのいい年して恋を知らないお子ちゃまライオンじゃあねぇんだからよ! 」
必ず俺をダシにしてくるからだ。
「えっ!? アルって初恋もまだなの……? 」
「……何か文句あるのかよ。」
驚いてきた顔で絡んできたニッキーを睨みつける。
「いや、だって……あぁ、そうか、獣人ってことは……」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情が、段々と崩れていき、しまいには肩が震えだす。
「女の子に取り囲まれても涼しい顔して対処していたくせに、初恋まだかよっ!! 番いがいないってことはそういうことになるのか!! ハハハッ……」
「うるせぇ!! 」
笑い転げるその頭を抑え込む。悪かったな、仕方ねぇだろう。
「はーい! 男女のアレコレはお任せあれ! フェイお兄さんからよい子のみんなに質問だよ!! 」
「うぃーっす!! 」
「さて問題です。相手が好きかどうか、この気持ちが恋かどうか、どうやって知ることができるでしょうか。はい、ザックくん。」
「えっと……胸がドキドキする? 」
「30点! はい、ニッキーくん! 」
「えっ!? 俺!? あぁ〜、その顔を少し見ただけでも嬉しくなって落ち着かなくなるとか? 」
「お前……意外と可愛いな。50点!」
「やめて、恥ずかしい! そして手厳しい!! 」
「なんだなんだ、お前ら揃いも揃ってお子ちゃまか? アルといい勝負だぞ〜、あの朴念仁と一緒だぞ〜。どいつもこいつも未経験か?? 」
「早く教えてくださいよー。」
「わかったわかった。かわいいあの子に対する、この気持ちが恋かどうか。その見分け方はだな――」
焦らすかのように、そこで一端口を閉じ、フェイはおもむろに手で皿の上の生ハムを一枚掴んだ。
皿の上から宙に浮かんだ生ハムは、照明に照らされ桃色に透ける。
「キスが出来るかどうかだ。」
目を細め、こちらに視線を定めたまま、出された赤い舌が生ハムを絡めとる。
咀嚼して飲み込んだ喉仏が上下する。
チュポッ、と音を立てて、指先の塩気を舐めとりながらその男はニヤリと笑った。
「わかったか……お子ちゃまども。」
「えっろ!! 」
「キスっつーか、確実に何か他のもの食いに行ったぞ! 」
「やだーっ! 俺、妊娠しちゃう!! 」
「よっ! 騎士団所属のエロモンスター!! 」
「花の都に咲く触手ったぁ、あんたのことだよ! 」
「おいおい、なんて言い分だ野郎ども。俺は、子猫ちゃんからの罵倒しか受け付けねぇぜ? 」
あぁ、どいつもこいつも興奮して騒いでくそうるせぇ。
そして心底くだらねぇ。
獣人の俺には関係のない話だ――好きかどうかなんて、一目見りゃわかるだろ。
キスなんて必要ない。
フェイの話はためになることもあるが、今回はハズレだった。
それにしても、運命の相手がすぐにわからないヒトっていうのは――――難儀だよな。
0点!!とか言うな。
♢♢♢
「今日もお願いしていい? 」
「あぁ。」
聖力の修行をするんだい!と意気込んでいるミコトは毎日のようにテアトリージョへ通うことが日課となった。
護衛騎士として、その傍について回る。
ミコトはどうやら俺を休ませたいみたいだが――目を離したすきにまた何かあったらと思うと気が気でない。俺の心臓のためにも一緒にいさせてくれ。
それに、お前をここに連れていくのは俺の役目だろう?
テアトリージョの壁際、ミコトに獣化した姿を初めて見せた場所。
ミコトが聖女としての力を周りに証明してみせた場所。
お前は俺以外の誰に、こんなところまで連れてきてもらうつもりだったんだ。
高いところは怖いと、全身で擦り寄ってくるくせに。
ペシン、ペシン――
不機嫌に揺れるしっぽが床を叩く音が聞こえる。この姿だと感情が顕著に表れてどうしようもない。
だから、俺の毛並みに顔をうずめるようにスヤスヤと眠るその横顔を見て、嬉しそうに揺れて擦り寄るしっぽを止めることが出来ず――妙に気恥ずかしくて、しっぽが満足するまでミコトを起こすことが出来なかった。
あぁもう、勝手に巻き付いてんじゃねぇよ。
♢♢♢
――チッ、気に食わねぇ。
至宝を3つも見つけたこと、誘拐事件は聖女様のおかげで解決したのだと、ジークが大々的に謳ったことにより、ミコトへの周りの評価は変化した。
胡散臭いものを見る目から、媚へつらうものへ――国を救うかもしれない英雄と隙あらば接点を持ちたいという意図が丸わかりだ。初めの頃のお前らの対応が、ミコトの神経をどんなにスリ減らしたと思っているんだ。
つくづく傍にいて思うが、ミコトはこういう対応が苦手だ。適当にあしらえばいいものを話しかけられたら最後、丁寧に話を聞こうとしてしまう。一生懸命隠そうとはしているが、ちょっと困っています、という感情が顔に出ている。
それに――むやみやたらと知らない男と話す姿を見ていると妙にむしゃくしゃしてくる。
鉢合わせないよう気配を探り、神経をとがらせ、俺が周りに睨みを利かせているというのに、鈍いこいつは気づかずにまた話しかけられて――
「あぁぁぁ、くっそ!! 」
財務大臣に話しかけられたあとに思わず八つ当たりしてしまった。手の平返したように近づいてくるヤツはもちろん論外だが、初めからミコトに近づいてきたこの男も気に食わん。
こいつの狙いはなんだ? 百パーセントの善意ではないことは確かだ。微笑んでいるように見えるが、その目の奥は虎視眈々とミコトを見据えていて、その視線を見ると首の後ろがチリリと焼けつくように熱くなる。
その視線から遮るように身体でミコトを隠して、足早に歩いた。
根拠もクソもない、ただの勘だが――なんとなくミコトとあいつを近づけたくない。
なんて説明したらいいかわからないこの感情を、うまく言葉に出来なくて――伝えられたのはこの一言だけ。
「俺から離れんじゃねぇぞ、ミコト――。」
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