第103話 幕間:ライオン騎士のせわしない心―⑨


「サンキュー、アル。」


「んっ……」


 戻ってきた宿のリビングはかつてない程に重く、暗い。


 その空気の一端を自分が担っていることは薄々気づいてはいるが……まだ感情をコントロールするのには時間がかかりそうだ。


「だあぁぁぁぁっ! なんか誰か言えよ!! 2人してむっつり黙りやがって! お互いに言いたいことあるんだろう!? 若は無茶な作戦立てたことを後悔してるし、アルはそれに対して怒ってるんだろ!? 見てりゃわかるんだよ!! さっさと謝って仲直りしろよ。」


 その言葉に顔を上げたジークと目が合う。誰よりも顔を青白くして、後悔のオーラがにじみ出ていやがる。


 ――誰もお前だけのせいとは思ってねぇよ。


 お前も悪いが、俺も悪い。


 騎士団も悪かったし、街の状況も悪かった。


 いろんな悪いが重なった結果が、一番罪なき者を傷つけた。


 最も悪いことにな。


「すまなか……「別に俺はジークに対して怒ってねーよ。」」


「じゃあ何に怒ってるんだよ。」


 眠るあいつを見ながらずっと考えていた。この感情の源泉を。その濁流が流れ着く先を。


「ミコトに危険があるかもしれない、作戦に同意した……あいつを泣かせちまった……あいつを守れなかった……俺自身にだ。」


 護衛騎士の任を受けたはずなのに、余計な欲に流されて、結果傷つけてしまった。最低最悪な俺自身にだ。


 気づけばまたテーブルに八つ当たりしようとしている俺がいて、間一髪でその激情を抑える。ミコトを起こすわけにはいかねぇ。


「お前の作戦を聞いて、それでいいと思ったんだ。俺に責める資格はねぇよ。本来の目的は……成し遂げたしな。」


 周りに責任を問いただすことは楽だ。でもそれじゃいけねぇ。簡単な方を選んだら、またすぐに、何度でも繰り返してしまう。


 溢れそうになる言葉を押し殺す。これ以上、カッコ悪い俺になって堪るかってんだ。


 ――俺は、もう二度と、ミコトを傷つけたくない。


 これが俺なりのけじめだ。


 人を責める言葉を意地でも口に出してたまるか。


「俺の言いたいことは……言ったぞ、ニッキー。」


 ジークが何かに追い詰められているのは見りゃわかる。だが、残念なことに俺はそこまで器用じゃないから……正直一人で手一杯なんだよ。


 大事なヤツのためなら自分で動け。


 周りから情報を仕入れようなんざまどろっこしいことせずに、男なら、男らしく、腹割ってぶつかれ。


 俺が完全にこの件から降りたことを悟ったのだろう。ニッキーは観念したように顔を上げる。


「アルが怒らねぇのなら、俺が怒るぞ。若……あんた一体何を考えている。何を隠しているんだ。」


「――ミコトの、聖女の評判を高めようと思ったんだ。意味のない悪意から守りたかった……」


「…………。」


 あいつの護衛をしていて、それが気にならないってことはなかった。城を歩いていて、突き刺さる軽んじるような視線。


 あの中庭の叫びを聞いたこいつの心に、思うことがあったのだろう。


「他にもあんだろ。それだけで、あんな強引に話進めるかよ……若らしくねぇ。」


「何を言ってんのさニッキー……もうないよ、さすがに。」


 ――まだ何かあるのか?


「嘘つけよ!! 」


「難しい顔して考え込んで……何を抱え込んでいるんだよ!! 」


「……至宝について考えていただけだ。」


「それだけじゃねぇだろ!! 」


「うるさいな――何もないって言ってんだろっ!! 」


「静かにしろ、ミコトが起きるだろうが――」


 床に落ちかけたグラスを間一髪で受け止める――俺が我慢しているのに、お前らが暴れてんじゃねぇ! ったく……


 幸いなことに水が入っていなかったから悲惨な事態は免れたが――水、水かぁ。


 ――ミコトは喉、乾いていないだろうか。


 気絶する前もボロ泣きだったし、眠ってからずいぶん時間が経つし、そろそろ起こして一回水分補給をさせてあげてもいいかもしれない。


 脱水状態だと休まるモンも休まらねぇ。


 またあいつらが騒ぎ立てるようなら後でまとめて摘まみだせばいい。とりあえずミコトだ。


 部屋に入って様子を伺う。あどけない顔で眠り続けるその姿。満月の月明かりに照らされて、その肌はいつもより青白く見える。


 もう痕は残っていないはずなのに、月明かりの影の中にその幻影を見てしまう。治ったことを確かめたくて、そっとその首筋に手を伸ばした。


 細くて柔らけぇ――力任せに触ると折ってしまいそうで、指一本でそっとなぞる。


 首って場所はどの動物にとっても弱点だ。生きるために必要な空気や食べ物が通る場所、頭に必要な血が通る場所、そして身体を動かす神経が通る場所、こんなにも大事なのに――骨に守られることもなくむき出しになっている急所。


 獣の親が首を噛んで子どもを移動させるのは、その大切な場所を抑えられたらどんなやんちゃ坊主も動けなくなるのと同時に――愛を刻みつけるためだ。


 歯形という目に見える痕、唾液という目に見えない痕――隠されることのないその場所に刻まれる印は親から子への愛と独占欲の証だ。


 すぐに成長して立派に4本足で旅立ってしまう、我が子を守っていられる短い間にしか刻むことのできない獣特有の愛情表現。


 そして獣の子がその急所を噛むことを許すのは親のみ――親からの愛に全幅の信頼で応える。


 首になぁ、痕をつけるっていうのは、お互いの愛と信頼の上でしかやっちゃいけねぇ行為なんだよ。


 泣いた顔で、嫌がる相手に、無理やり刻み付けていいもんじゃねぇ。


 治癒士の手によって痕はきれいさっぱり消されたことは知っているのに、なぞる手が止まらない。


 まるで身体が勝手に上書きするみたいに……


「……っん…………。」


 その小さな音に我に返って手を引っ込める。少しうごめいて止まったかと思うと、ゆっくりその目が開かれた。


「気が付いたか――。」


「あ……ゴホッゴホッ!! 」


 何か言いかけようとしてむせ込んだ背中をさすりながら、ポーションを渡す。喉を抑えながら咳き込むその姿が痛々しくて、眉間にシワが寄る。


「アル――! あの子たちは? 」


「彼女たちは今頃親御さんに会っている頃だろう――お前が治してくれたおかげで怪我も大丈夫だ。」


「そっか。よかった――――。アル、助けてくれてありがとう。なんであそこにいるって……? 」


 ――ありがとうじゃねぇ。


 目を覚ましてすぐに他人の心配をするこいつの優しさが、俺らのせいだとは微塵にも思っていないその純粋さが、心に突き刺さる。


「アル? 」


「――入るよ。話し声が聞こえたけど……ミコトっ!! 」


 俺が謝罪の言葉を口にするよりも先に、部屋に入ってきたジークがことの顛末を話し、そして――


「今は1人にしてほしい。出ていって…………」


 今までにないくらい、低くて冷たい声で、拒絶された。


 ――覚悟はしていたけど、これはだいぶ……堪えるな。


 リビングにいる誰も言葉を発することが出来ない。後悔と罪悪感が混ざりあった重たい空気が漂う。


 一番呆然としているのがジークの野郎で、ニッキーが思わず心配して声を掛けるくらいには顔から生気が抜けていた。


「すまない、少し頭を冷やしてくるよ。」


 そう言い残して、ジークが部屋を出ていく。


「アル……聖女ちゃん落ち着いたらまた来るわ。」


「……あぁ。」


 フェイたちも帰り静まり返った部屋。生ぬるい夏の夜の風がカーテンを揺らし、波の音がいつもよりも大きく聞こえる。


「若はさ、優しすぎるんだよなぁ……」


 ソファにだらしなく座っていたニッキーがボソッと呟いた。


「人が好きで、大好きで、関わろうとして……その笑顔を見るために頑張っちまうんだ。全員を幸せにすることなんて出来ないのに、それがわかっているのに、何回も、懲りずに、やろうとしちまうんだよ。――それで何かあったら自分で背負い込んで傷つくんだ。」


「…………。」


「ほんと、欲張りで、傲慢で、俺がやるんだって自意識過剰で、どこまで行っても王族だ……」


 ふー、と息を吐いてニッキーが立ち上がる。


「俺もちょっくら、外の空気吸ってきます。」


「ニッキー……」


 扉を開けようとした背中に声を掛ける。


「俺は口も悪いし、話すのも得意じゃないから黙っていることが多くて……相手を退屈させたり不快にさせちまうことも多かったんだけどな……そいつを知りたいって思ったときは自分のことをまず話すようにすることを教わってから、まぁなんとかうまくいくようになって……」


“俺は、父さんと母さんと、やかましい妹がいる。お前の家族は? ”


“俺? 俺は、お父さんとお母さんと、おじいちゃんとおばあちゃんと、あと双子の弟がいるよ。”


“ほう、双子か……珍しいな。年は? ”


“えぇーっと、11コ下だから……あれ? 1歳……? ”


“まだ小さいんだな。”


“うん、そうなんだ……あは、あははははは……”


 ふと、懐かしい会話が頭をよぎり言葉に詰まった。


「……それで? 」


 怪訝そうにニッキーに聞かれて我に返る。


「それから、肉だ。肉を食えば口は軽くなる。」


「肉……? 」


「あぁ……肉と家族の話は相手が口を割りやすくなる。かつ丼とか……」


「それ、騎士団の事情聴取のやり口だな? 」


 ――そんな呆れた目でこっちを見んじゃねぇよ。


 意外と効くんだぞ。この手口。


「ま、ちょっと何言ってるかわかんないっすけど、俺、ホントに外の空気吸ってくるだけだから。誰とも話す気なんてないし~。」


 後ろ手に手を振ってニッキーが出ていった。


「ねぇ、アル……」


「なんだ?」


「ジークは戻ってくる? ミコトは元気になる? また……いつもに戻れる? 」


 震える声で尋ねられた。


「大丈夫だ。ジークのことはニッキーに任せておけばいい。ミコトのことは――俺が何とかする。」


 今にも泣き出しそうな顔をしたユキの肩にそっと手を置く。


「今日はいろいろあって疲れただろう。騎士団と一緒に街の鎮静も頑張ってくれたし……部屋に戻って休んだらどうだ? 」


「いや、いい……もう少し、ここにいるよ。」


「そうか……」


 そのままどのくらいの時間が立ったのだろう。沈黙を先に破ったのはユキだった。


「ミコトにさ、全部言っていていたらこんなことにはならなかったかな……」


「どうだろうな……変わっていたかもしれないが、今となれば全て、結果論だ。」


「言ってた方が絶対よかった……」


「ユキ……」


「嘘つきながら、平気で笑顔で振舞ってさ、何も知らないような顔してさ、めんどくさいんだよ……だから嫌いなんだよ。人間ってやつは……」


「……ユキ。」


「みんな正面切って思うことぶちまけたらいいんだ……馬鹿だよ……」


「そうだな……」


 ――あぁ、エラそうに生意気なところはあるけれど、まだ子どもだなぁ。


 そう思った。


 そしてそれが純粋に羨ましいと思った。


 本音と建前をまだ使い分けれない時代、俺にも、ジークにも、ニッキーにも、多分そういう時代があった。


 バリアの壁がない分、周りと派手にぶつかって、傷ついて、同じ分だけ傷つけて……そうやって大人になっていった。


 どこかで学んできた、遠慮という線の引き方。上手に引ける奴ほど、周りと表面上はうまくやっていける。


 ――大人になるとなぁ、ぶつかるのが怖くなっちまうんだよ。


 これ以上入ってくんなよ、って線を引いて境界を作って、せっせとバリアを張って、事故らないように頑張っちまうんだよな。


 子どもはその分のエネルギーを、ぶつかり合うために使うのに。


 いつからだろうな……こうなっちまったのは。俺が、最後に誰かとぶつかり合ったのはいつだったか……


 ――あいつらは、ちゃんとぶつかり合えているかな……


 ジークが変に達観している分、もしかしたらちゃんとぶつかり合わずに、歪な形で大人になってしまったのかもしれない。踏み込むべきかもしれないが、それを躊躇してしまうのは、やっぱり俺が大人だからだろう。


「お前みたいなやつが必要なのかもな……」


「えっ……なにさいきなり。」


「独り言だ。」


 不思議そうな顔をしているユキを無視してソファに深く座り直して背もたれにもたれかかって目を閉じる。


 視界が閉ざされて、鋭敏になった耳は、扉の向こうの小さな音を拾う。


 ――また泣きだしたか……


 少し落ち着いていたミコトのしゃくり声がまた聞こえてきた。さっきから何度も何度も、落ち着いては泣いてを繰り返して……正直心臓に悪い。


 ジークにゃ悪いが……ミコトが泣いているのを想像するだけで胸が苦しくなって頭がいっぱいになる。


 その扉を開けて、大丈夫か?と聞きたくなる。


 震える背中をさすりたくなる。


 このまま一人にしてしまったらどこか遠くに行ってしまいそうで、全力でその手を掴みたくなる。


 締め出された部屋の外で、入ってくるなと拒絶されて、何も出来ずうろうろしているだけの自分が情けない。


 大きく溜息をついて、眉間のシワを揉む。


 俺のため息でまたユキがピクリと、怯えたように反応する。


「悪いな……」


「別に……」


 もそもそとクッションを抱えて、ソファの上でさらに丸くなるユキ。


 今日一日で見せられた暴力や恐怖の爪痕で、ユキは神経が鋭敏になっているようだ。早く寝りゃいいのに頑なに寝室に行こうとしねぇ。心配で仕方ねぇって顔で、ずっとジークとニッキーの帰りを、ミコトが部屋から出てくるのを待っている。そんなユキを怖がらせたいわけじゃないのに――態度の1つも気を回せないくらい、ミコトの泣き声は俺をおかしくさせる。


「……ただいま。」


 戻ってきたジークとニッキーにホッとしたように駆け寄るユキの姿を見て、こっちも知らずに入っていた肩の力が少し抜ける。


 二人の顔もいくらかは出ていった時よりは落ち着いて見える。


「アルはもう少し……気にしてくれたっていいと思うけど? 」


「喧嘩でも仲直りでも何でもしろ――俺は今、お前らに構ってる余裕はないんだ。ミコトで手一杯だ!! 」


 ジークのことも、ニッキーのことも、ユキのことも気がかりであることは確かなのに――自分でも驚くくらい、何を考えても、話していても、ミコトにすべてを持っていかれる。


 騎士団にいたころはもっとうまくやれていたはずなのに――今までの俺はどうやっていたんだろう。


 気づけば再びミコトの泣き声が大きくなっていて、頭を抱えたくなる。


 ミコトに謝りたいというジークの顔は、すっきりしていても疲労がたまっていることが丸わかりで、いいから寝ろと、落ち着かないユキちゃんと3人まとめて寝室に押し込んだ。


 一人になったリビングでミコトの嗚咽を聞きながら、時間が過ぎていく。


 そのドアを開けて、傍に行けばいいのに――なんでこんなに俺は、ビビっているんだろう。



 ♢♢♢



 ミコトの部屋からも何も聞こえなくなって、大分時間が経ってからやっと寝室へ入ることが出来た。


 ベッドの横にゴミ箱を持ってきて、その中はティッシュでいっぱいで、目元を腫らしたまま事切れたように眠り込んでいる。中庭で爆発したあの時の夜と同じだ。


 水道の水で濡らしたタオルでそっと目元を押さえる。少しでも、腫れが引くように。明日、鏡を見た時に、思い出さないように……


 ぼんやりとその寝顔を見つめているうちに、段々と高ぶっていた心が落ち着いて、隣のベッドに身体を横たわらせて俺も目を閉じた。


「……っ……うぅっ……ぅうっ……」


 疲れていて夢も見ていないくらい深く眠っていたはずなのに、その苦しそうな声で一気に覚醒した。


 隣を見ると汗をびっしょりかいて、眉間にシワを寄せて、うなされているミコトの姿。


 急いでベッドから飛び起きてその肩を揺らす。


「………ト。…………ミコトッ!! 」


「……アル。」


 首に手を当て呆然とするミコト。そんなミコトに水を飲ませて落ち着かせる。


 ミコトの首にはもう何も痕は残っていない。


 そのはずなのに、悪夢という名で見えない鎖がミコトを縛りつけて離さない。


 ――なぁ、俺はどうやったらその呪縛からお前を救うことが出来るんだ?


 ♢♢♢


 あれから一週間以上経ってもミコトの調子は戻らない。夜寝れない分、昼間もボーっと部屋に引きこもっていることが多くて……飯だけはちゃんと食べていることがせめてもの救いだ。


 あんなにわかりやすかったミコトの心が見えない。笑って、おどけて、目を輝かせては興奮して――表情豊かだったミコトが今はまるで人形みたいだ。


 毎日考え込んで、張り詰めたような顔をして、心配になって声を掛けるとぎこちない笑顔を形だけ向けてくる。


 いっそのこと、大きな声で、泣いて、罵って、爆発してくれればいいのに――あいつは変なところで大人だ。叩いても叩いても響かない、強固な殻に閉じこもられて、手を伸ばしても取っ掛かりも何もなくツルりと滑ってしまう。


 その殻の前で、何も出来ずオロオロしている情けない男4人組がいるだけだ。


「ねぇ――アレでミコトは大丈夫なの? 」


 閉ざされたドアの方を向いてボソリとユキが呟いた。


「明日を逃すと、もう海底都市には行けないんだ。ミコトに行ってもらわないと……」


 無理はさせたくないんだけどね……ジークの小さな独り言はリビングに虚しさを残して消えた。


「正体不明の化け物のこともある――アル、明日は出来るだけミコトから離れないでくれ。」


「あぁ。」


 言われなくても――そのつもりだ。


 危なっかしい状態のあいつを引っ張り出さないといけない、不甲斐ない話だ。重たい気持ちを押し込んで、席を立つ。


 ――ガチャリ


 大きな黒い目から、ボロボロと涙をこぼして、床に座って泣くその姿――何でまた、一人で泣いているんだよ。


 パシンッ――――


「あ、いや、違うんだ……」


 思わず伸ばした手に走る痛み。拒絶された衝撃で思わず固まるが、何でお前の方が俺よりも何倍もショックを受けたような顔をするんだ。


「違う、違うのに……」


 青ざめた顔で、小さい肩を更に丸めて抱きしめて、必死で自分を守るように、何かと戦うように、身を震わせる。






 助けて、って声が聞こえた気がした。







 フェイが言っていたみたいに、優しくそっと抱き寄せるなんてできなかった。


 俺と視線を合わせようとせず、一人で耐える姿をもう見ていられなかった。込み上げてきた思いのまま、荒々しく、その震えた小さな身体を胸の中に閉じ込める。


 無理やり殻を破っちまったら、きっと怖がってますます遠くに行ってしまう。出来るだけ優しく……と思っているのにやっと近づけたその距離は離れがたくて、腕の力を抜くことが出来ない。



 ――一人で泣いてんじゃねぇよ。


 ――限界になるまで抱え込んでんじゃねぇよ。


 掛けたい言葉が次から次に溢れてくるのに、口に出そうとすると胸が熱くなって苦しくなる。


 この触れた場所から、俺の気持ちがミコトに流れていけばいいのに――柄にもなく女々しいことを考えてしまう。


 少しずつ落ち着いてきたのだろう。ミコトの震えが止まる。こわばっていた身体の力が抜け、無意識なんだろうが俺にもたれかかってくる。


 ――そう、それでいい。


 甘えてきたことがなぜか無性に嬉しくて、痛くないように力を加減して抱きしめ直す。


 少し冷えていたミコトの体温が上がり、速かった呼吸が落ち着く。溶けあうように穏やかな時間が流れる。


「なんで、また泣いていた……」


 もっと言いたいことはあるのに、結局出てきたのはそんな言葉だった。


「教えてくれ……」


 察するなんて器用な真似は俺は出来ねぇ。一回りも年下の少年に対して、申し訳ないが俺は、お前にちゃんと言われなきゃわからねぇ。


「呑気なままではもういられない。ちゃんと教えてほしい。この国について――聖女としての役目を果たしたいから、子ども扱いしないでほしい。」


 ――やめてもいい、お前がそんなに抱え込まなくてもいい。


 そんな言葉をかけてあげてもミコトはきっと喜ばない。この世界に呼ばれてきたミコトは聖女の役目が無くなると、きっと迷子になってしまう。


 擦り寄ってくるミコトを受け止めて、もう一度抱きしめながら、言葉の意味を考える。


「ちゃんと、自分自身の義務は果たしたいんだ。任せっきりじゃなくて、俺もみんなの力になりたい。あの最低クソ野郎に植え付けられたトラウマになんて負けたくない。」


 聖女としての責務を果たすことが今のミコトのすべてで、守ってやると建前に俺らは――ミコトを軽んじていたのかもしれない。


 現実を知った。


 その重さに打ちのめられそうになった。


 それでも、立ち上がってまた歩き出そうとしている。


 やっぱり変なところで、ミコトは大人だ。

 それが聖女として呼ばれた所以でもあるのかもしれないが――このまま一人で歩かせて堪るか。


 続いていく旅の中で、見たくないものまで見ちまう時もあるだろう。泣いて、驚いて、怒って――お人好しのお前だ、いろんなことで悩むときもあるかもしれない。


 聖女だと、無駄に敬って、後ろから寂しそうな背中を見つめることをやめた。


 かといって、あらゆる敵から守りたいと前に出ると、後ろでこいつがどんな顔をしているかわからない。


 屈託なく笑う様をいつまでも眺めていれるように、隣で守る――今までやってきたどんな任務より難しい。


 自分の背負っている荷物の重さに今回のことでミコトは気づいてしまった。


 俺の役目は、ミコトがちゃんとその荷物を抱えて歩けるようにしてあげること。ただ代わりに荷物を持ってあげる方が楽なのに――俺は、ただの騎士だから、お前の代わりにその荷物を背負ってやることはできないし、きっとミコトもそれは望まないだろう。


 俺は、聖女の護衛騎士――この世界の誰よりも、お前の近くにいることが出来る。


 ミコトがその重さに疲れたときに、休める場所になろう。

 誰よりもまず先に、俺を頼ってくれるように。

 もうこの先、一人で泣かないように。


 今みたいに、甘えた姿を見せてくれるのが、俺だけであるように。


「アルに……お願いがあるんだ。」


「なんだ? 」


 ミコトの殻にヒビが入る。その隙間から手を差し伸べて、ミコトがもう一度羽ばたけるように――


「俺の首、締めてほしい――」


「はぁあっ!? 」


 ――オレノクビ、シメテホシイッ!?


 脳がその言葉を処理した瞬間、反射で距離を取る。


 ――お前、今、自分が何を言ったのかわかっているのか!?


 声にしたいのに言葉にならない。心臓だけが、無駄に大きく音を立てている。




 どうやら、とんでもねぇ雛が孵化しちまったらしい。




 キョトンとしたその顔が腹立たしいのに――久しぶりに見た泣き顔以外の表情に反論の言葉が消え、思わず見入っちまった。

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