第102話 幕間:ライオン騎士のせわしない心⑧

 大会最終日――今日で何かが動くのか、それとも何事もなく終わるのか。


 少しでもあいつが危険な目に遭わないことを望みながらも、どんな人ごみの中にいても目を引いてしまう存在感に、これでは誘拐犯たちの目に留まるのも時間の問題だと思うと胸糞悪くなる。


 あいつは花束の主役になるようなバラとかユリとかそんなタイプじゃない。どちらかといえば野原でのほほんと咲いているスミレとかタンポポとかシロツメクサとか……ロマンチックが足りねぇと太鼓判を押されている普段の俺なら絶対見逃すような小さい花みたいなやつだ。そのはずなのに、どんな大輪の花々の中にいても、すぐに見つけられるような不思議な感覚は、異世界人特有のものだろうか。


 どうか犯人たちの目に止まらないでくれと願う護衛騎士のアルと、誘拐された少年少女の身を案じる副団長のカルバンが、心の中でせめぎ合う。副団長の立場と、試合の優勝を手放して、今すぐにでも飛んで行って周囲に威嚇すればこの荒ぶった感情は消えるのか。


 ――いや、待て。威嚇ってなんだ。


 落ち着け。俺。


 あいつも男なんだから、黙ってどしっと見守っていればいいはずだろう。


 これから成長するとはいえ、俺がしゃしゃり出たらあいつの男としてのプライドを傷つけることになるからここは黙って静観して……いや、でも、あの女みてぇな細腕じゃ、誘拐犯にいいようにされる可能性も……


 ――いいようにってなんだっ!!


 自分の妄想に腹の奥底がカッと熱くなる。居てもたってもいられなくなって、座っていたベンチから思わず立ち上がる。


「うおっ! どうしたアル。そんな怖い顔して。」


「いや――何でもない。」


 いつの間にか近くにいたニッキーの驚いた声でふと我に返った。


 俺の些細な感情より、目の前の大局、闘技大会に集中しないと。至宝探しも大事な任務の一つで、ミコトとユキだけで海底都市に行かせないようにすることも、一周回って護衛騎士の大切な役割だ。


 ――今の俺に出来ることに、集中しろ。優勝したら、すぐに飛んで行ってやればいい。


 そう思うことで、無理やり感情を抑え込みながら、深呼吸をして気持ちを切り替える。


「まっ、アルが怖い顔なのはいつものことか――それよりもあっちだな。」


「あっち? 」


 ニッキーの視線のその先、普段の様子からは考えられないくらい真面目な顔をしたジークが座っている。


「何か聞けたか? 」


「いや……俺じゃ無理だ。はぐらかされる。」


 試合の合間や宿に戻ってから、タイミングを見計らってはジークにそれとなく探りを入れるが、のらりくらりと躱される。


「そこを何とか頑張ってくれよ、副団長!! 」


「元々俺は、聞きだすより話し出すのを待つタイプだ。様子は気になるが……あいつにも何か考えがあるんだろう。いざとなったら言うんじゃないか。」


「……あんな張り詰めてる顔してんのに、黙って見守れってか? 」


「そんなに心配なら自分ですればいい。なんで俺を通して回りくどいことをする。」


「……俺は影だからな。」


「あぁ? 」


「こっちにも事情があるんだよ。俺からは聞いちゃいけねぇの。」


「はぁ? 」


「だからアルが頼りなんだよ〜。頼むって!! 」


 くっそ、めんどくせぇ。ただでさえこっちはミコトのことでヤキモキしているのに……


「あいつが言わんことには聞けん! 」


 そしてあいつが言う気になるのは、俺よりもおそらく……


 納得いかねぇって顔でこっちを睨みつけるニッキーを俺も睨み返す。


「言いたいことがあるなら自分で言え。」


「チッ……使えねぇー。」


 そう言い捨ててジークの方へ向かうニッキーの背中を見ながら嘆息する。


 ――使えねぇとはなんて言い草だ。

 

 ただの仲良しこよしの関係じゃねぇみたいなあいつらの訳がわからん。お互いに溜まっているものぶちまけりゃ楽になるのに…… 


 軽く息を吐いて、そのままジークや部下たちと絡みだした後を追いかける――おっと、何やら面白い話をしてんじゃねぇか。


「俺の後輩たちの成長に、一役買ってくれよ。」


 男が成長するには、多少の逆境やピンチが一番だ。目の前の強敵から何を学べるか、悔しさをバネにして如何に立ち上がるか――団長の影響もあるのだろうが、俺たち第3騎士団にはその考え方が染み込んでいる。


 努力のない勝利はねぇ。


 そして努力し続けるためには、目の前の壁が必要だ。


 手に届きそうで届かない、あと少しで越えられそうなちょうどいい壁を用意するのも、先輩の役割だ。


 同じ年頃のヤツと戦うことは、こいつらにとっても、ジークとニッキーにとっても、いい刺激になるだろう。


「いいよ。第3騎士団の本気を――見せてくれよ。」


 握手を交わすザックとジーク。せっかくいい機会に恵まれたんだから、お互いにいっぱい吸収していけよ。


「出たっ! カルバン副団長の谷落とし!! 」


 もう一方の騎士団チームの奴らがこっちの動向に気づいて笑っていやがるが――これが強くなる一番の道だからな。男相手なら容赦なく、突き落とすに限る。


 ♢♢♢


 準決勝を終え、帰ってきた控室。


 ――なんだこれは。


 昨日までとは打って変わって、女のむせかえるような香水と差し入れのお菓子や食べ物のにおいで溢れている。


 ――早く来い、ミコト。


 まだ姿を見せないミコトのにおいを感じようと鼻に意識を持っていくと、香水のにおいに当てられてクラクラする。


 ――なんで人間の女はこれをいいにおいだと思うんだ。


 もっといいにおいのものを知っている身からすれば、臭くてかなわん。意識すればするほど、あいつのにおいが恋しくなる。突っぱねるのは簡単だが、事を荒立てたくない。差し入れを渡してくる手をやんわりと跳ね除けながらその恋しいにおいを待てども、待てども――


「ジーク……ミコトが来ない……」


 香水でわかりづらくなっていたが近づいていたはずのミコトのにおいが、いつの間にか遠くなっている。でもこのくらいだとまだ闘技場からそう遠くへは離れていねぇか。


「アル、方角は? 」


「東の方へ……少しずつ。お前の予想通り港だな。」


 わかってはいたことだけど、何も出来ない時間にいら立ちが募る。早く終わってくれ……


「ジーク!! 」


 額に汗を浮かべて、切羽詰まった様子のユキが控室に入ってきた。嫌な予感に、全身の毛が逆立つような感覚を覚える。


「これ、聞いて――」


 ≪……っぅ!! ≫


 ≪あぁ、いいわ。最高だわ、この子。≫


「貸せ! ユキ!! 」


 絞り出したようなミコトの声と、正反対に楽しそうなザラついた男の笑い声。


「ミコトは! 今ミコトに何が起こっている!! 」


 なんでこんなにミコトが苦しんでいる。この男はミコトに一体何を――


「ミコトはたぶん……首を絞められている。」


「んな――っ!! 」


「ふざけんじゃねぇぞ……」


 身体中の体温が一気に抜け落ちたみたいに頭の中が真っ白になったのもつかの間、自分でも意識する前に壁に拳をぶつけていた。


「騎士団は――何をしている!! 」


 壁を殴った拳から、ジンジンとした熱が広がっていき、腹の奥底のから湧き出てきた黒い塊と混ざりあう。沸騰してんじゃねぇかってくらい熱い。なんだこれ。


「僕、何か出来ることあるか……とりあえず行ってみるね! これ、置いてくから。」


 ――っ!! 


「落ち着けアル――あと少しで決勝戦だ。それが終わるまで我慢だ。」


 走り去っていくユキに続いて1歩踏み出した足は、ジークによって止められた。肩に置かれた忌々しいその手、振り返ると鋭い目をしたジークと目が合った。


「――チッ! 速攻で終わらせてやる。」


 ――これは怒りか。


 怒りって名前がふさわしいのかどうかもわからない。


 俺が、これまでに経験したことのないくらい、暗くて、重たくて、冷たいのに熱い感情が身体中を駆け巡る。


 腹の中のものを今すぐぶつけてやりたいのに、どうしようも出来ずにこの場にいるしかない俺が、一番腹立たしい。


 ――何が試合が終わればすぐに駆け付けてやればいい、だ。


 ――あいつが一番ピンチの時に傍にいてやれなくて何が護衛騎士だ。


「審判――っ!! 」


 正直、試合のことはあまり覚えてねぇ。身の内に燻った感情に任せて棍棒を振るった。


「――!? 試合終了!! これまで!! 」


 その言葉を頭で処理するよりも先に足が走り出す。


「アル――っ!! 」


「ジークっ!! 表彰式は任せたぞ!! 」


 ――ミコト! ミコトっ!!


「すいません! 通ります!! 」


「うおっ! なんだ兄ちゃん、そんな急いで。」


 ――くっそ。人が多い。


 海絆祭ラウトアンカーの中心地である闘技場周辺は人であふれかえっていて思うように進まない。


 ――急がねぇと!


 ミコトが泣いていた。ミコトが苦しんでいた。早く、早く、助けてやらねぇと……


「チッ……埒が明かねぇ。」


 この人混みじゃ道は無理だ。周囲を見渡すと、商店か何かの建物だろうか。屋上まで続く外階段のある建物が目に入った。


 その階段を駆け上って意識を集中する。


 ――落ち着け。研ぎ澄ませ。


 手足が変わっていく。鼻がより鋭敏に、周囲の音がより鮮明になっていく。


 二、三歩後ろに下がり、助走をつけて飛び出した。


 ――急げ、急げ!! 


 屋根から屋根へ、目指す先はこっちのこと気持ちなんてお構いなしに、キラキラしている海。潮のにおいが、波の音が近づいていく中で、段々と濃くなっていくあいつのにおい。


 ――ここか。


 黒い馬車が停まっているカビくせぇ建物。包囲の準備をしている、フェイたち騎士団の姿。


「フェイっ!! 」


「うおぉぉっ! アルか!! お前どうしてここに!! 」


「お前ら一体全体何やってんだよ!! 」


「しゃあねぇだろっ! 何もかもがイレギュラーすぎる!! 」


「情けねぇ姿晒しやがってっ――これからか突入か!? 」


「あぁ、裏口を抑えに言ったヤツらからの合図が出たらな……っておい、アル。俺のビアンカを取るな! 素振りをするな! そのイッちゃってる目つきやめろっ!! お前、その恰好で参加する気か! 海絆祭ラウトアンカーの出場選手が、騎士団員で、しかも港で暴れているなんてヤバいから……」


「構わんっ!! 」


「構うわバカタレ!! あぁくっそ、ザック! お前今すぐアルに装備譲って、待機班に移動だ。」


「はいっ? 」


「さっさと脱げ! ザック!! 」


「へっ? って――ひょえぇぇぇぇ!! 」


 ザックから身ぐるみ剥いで奪い取った騎士服を身につける。


「アル――試合は? 」


「終わらせてきた――後はこっちだけだ。」

「おうおう、久々にブちぎれてんなぁ……じゃあもうひと暴れよろしく頼むわ。」


 フェイの左手が上がり、周囲の空気がピンと張りつめる。


「――突入。」


 ピイィィッーー


 振り下ろされた手と共に、笛の音が鳴る。


 ドアを蹴破り、上へ、ミコトのにおいがする方へ――


 ――――――ドガッ!!


 ミコトの上に馬乗りになった男が顔を近づけている。その姿が視界に入った瞬間に、腹の中で溜まって燻っていたものが一気に爆発した。


「汚ぇ手で触ってんじゃねぇよ。このクソがぁっ!! 」


 力任せに蹴り飛ばした男が床の上を転がり、壁にぶつかる。まだだ。まだ足りねぇ。あいつを泣かせたヤツは生まれてきたことを後悔させるくらいボコボコにしてやらねぇと……


「――ゴホッ――ゴホッ!! 」


「すまん、ミコト――すまなかった! 大丈夫かっ!? 」


 その苦しそうにむせ込んだ音に我に頭が冷えた。床にうずくまりながら荒い呼吸を繰り返しているミコト。その身体を抱きかかえると、首に赤黒い線が何本も――


「あの野郎――っ!! 」


 こんなに細い首を、痕がつくまで何度も、力任せに。


 地獄よりも辛い目に合わせてやる。


「――ゴホッ! あ、アル腕のこれ……」


「あ、あぁ……」


 その今にも消えてしまいそうな、弱弱しい声に促されるまま、乱暴に縛られた腕を解放する。


 必死で暴れたのだろう。グローブを外した手首にも縄の跡がくっきり残っていて、その痛ましい様子に更に怒りが湧いてくる。


 ミコトを安全な場所に送り届けたら、俺も取り締まりに合流して……


「おい、ミコト!! 何をして……」


「ごめんなさい。ごめんなさいっ!! 」


 ――なんでそんな……


「私が、私がさっさと至宝を見つけられないから……っ! こんな嫌な思いをさせて……ごめんなさいっ!! 」


 ――違う、そうじゃない!!


「……っ……ミコトやめろ。」


「私は何も出来ないから……せめてこれだけはさせてっ!! 」


「……っ! 」


 最後の一人の治療が終わって、糸が切れたのだろう。そのまま気絶してしまったミコトをそっと抱きかかえる。


 部屋にいる誰も言葉を発さない。


 声なき叫びが、悲痛と後悔の嘆き声が、静まり返った部屋にいつまでも木霊していた。



 ♢♢♢


「ちったぁ頭が冷えたか? アル? 」


「…………。」


「気持ちはわからんでもないが……あんな力任せに暴れたら、謹慎ものだぞ。」


“おい、お前、何でこんなことをした。”


“痛てててててっ!! 話す! 何でも話すから!! 何でもクソもこいつら商品だろ。どうせあっちの国に行ったら碌な目に合わねぇんだ。予習させてあげたんだよ。首絞め? どうせ首輪の痕がつくから首だったら別に構わねぇってそっちの親父が。それに……”


『今、目をつけているガキは光魔法が使えるからな。そいつに治してもらえばいいさって――』


 自分で遊びで傷をつけておいて、それをミコト自身に治させるだと? ふざけるのも大概にしろよ。


 何度殴っても殴り足りないくらい、忌々しい。


 ――くっそ!!


「だからやめろって言ってんだろうがぁっ!! そうやってすぐに壁に当たるんじゃねぇ!! お前の悪い癖だ!!! 」


「うっせぇな!! 正論振りかざしてるんじゃねぇよ!! 」


 まだ拳を握っただけだ。行動を先読みされた居たたまれなさと発散できなかった鬱憤で思わず荒い声をあげてしまった。


「そうやってお前は何度、壁をぶっ壊してきた!! せっかく寝ている聖女ちゃんを起こしちまっていいのか!? 」


「……くっそ。」


 ド正論過ぎてゲボ吐きそうだ。腹の中のものを飲み込んで、意識して手の力を抜く。ミコトを起こすわけにはいかねぇ。


「もう少し頭冷やしたら会いに行ってやれ……救護室の1番奥のベッドだ。」


「……チッ。」


 舌打ちで返事した俺に片眉をあげて、しょうがねぇって顔をして、フェイは部屋を出ていった。


 態度が悪いことはわかってるよ。この年になって、ガキみてぇに荒れてしまってすまねぇなとも思っているよ。


 ――でもな、どうしても感情がコントロールできねぇんだよ。


 何でこんなに自分が怒っているか、全くわからない……



 ♢♢♢



 ベッドで眠るあいつの顔の、涙の痕をそっと濡らしたタオルで拭う。


 治癒師に治療されたミコトの姿は、一見、朝別れたときと何も変わらないように見える。


 ――傷つけた。


 ――絶対に、守ろうと思っていたものを傷つけた。


 余計な欲を出したばかりに……周りに流されてしまったばかりに……


「くっそ…………」


 あんな悲しい涙は初めて見た。あんな苦しい懺悔は聞いたことがなかった。


 ミコトの声が、頭でずっと響いている。心が痛ぇ。腹の中が熱い。なのに芯はすっげぇ冷えていやがる。


 ――俺のどこが護衛騎士だっ!! 


 護衛対象の、身体だけでなく、心まで傷つけた、こんな不甲斐ない護衛騎士がどこにいる。


 何も変わらない姿で眠っているからこそ、却って心に刺さる。


 何度思い出しても、怒りで目の前が真っ赤になる。


 フェイが止めなかったら、俺はいつまでもあいつを殴り続けていただろう――騎士らしからぬ行為だ。


 何で、あんなヤツらの性癖に……ミコトが、何の罪もない子どもたちが、巻き込まれなきゃならねぇ。俺たち騎士団は、なんでそれを防げねぇ。


 情けねぇ。何もかもが、情けねぇ。


「アル……」


 控えめに掛けられた声に振り向くと、痛ましそうに眉を落とすニッキーの姿。


「ミコトは……」


「傷、治してもらって寝てる……身体は……大丈夫だ……」


「……そうか。」


 お互いに何も発さない。身体の続きに続く言葉を知っているからこそ、何も言えない。


「……宿に、戻ろうぜ。その方がミコトもゆっくり休めるだろう。」


「あぁ……そうだな。」


 騎士団支部は、今回の捕り物に街の騒ぎの後処理に、少し離れたこの救護所までざわめきが聞こえてくるくらい騒がしい。


 ずっと眠り続ける、その身体を抱えて馬車に乗り込む。


 ――小せぇなぁ。


 俺の腕の中にすっぽり入っちまうくらい、小さくて、細くて、あたたかい。


 丁寧に扱わないと、壊れてしまいそうだ。


 俺はそれを知っていたはずなのに、他人に預けてしまった。その結果、乱暴に扱われてしまった。


 本当に大切なものは、誰にも見せないように宝箱に閉まっておかないといけないのに……


 そんなことを考えていたからだろうか。一瞬目が合ったジークの視線から、思わずミコトを隠しちまった、馬鹿みたいな行動をする俺がいた。

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