第98話 幕間:ライオン騎士のせわしない心―④

 


 ――目ぇ、覚めちまった……


 寝起きのぼんやりした頭で周囲を見渡す。見慣れない天井や壁は――自室ではない場所を意味していて、そういえば海の都に来たんだっけか……と思い出させる。


 昨日も遅かったのに、こんなに早く目が覚めるってことは、俺の頭はまだ混乱しているのだろう。注意しなくてもすぐに嗅ぎ分けられる魅力的な香り。


 ――やっぱりいいにおいなんだよな。


 うつらうつらした脳みそに、その甘さはひどく心地がいい。ミコトを抱いて眠ったあのダンジョンの夜はとてもよく眠れた。心まで満たされるような安心感を与える、あたたかいにおい。


 こいつが一晩過ごした部屋は、その甘酸っぱいにおいでいっぱいになっている。何度も共にした夜で、こうやって寝ている間も無意識に嗅いでいたら覚えるものなのかもしれない。


 こんなにこいつのにおいで溢れた部屋で過ごしているんだ。俺にもこいつのにおいが移っていたりするかもな。そして、こいつからも俺のにおいがすれば……


 ――あぁ、すげぇ最高じゃないか。


 布団の温もりをゴロゴロ感じながら、まどろみの中で考える。誰からでもわかるくらい、濃厚に、俺のにおいをつければ、変な奴も近寄らないかもしれない。


 隣のベッドで気持ちよさそうに眠っているあいつの寝顔は俺の心にあたたかな安らぎと癒しを与える。


 永遠に見ていたいような、でもこのにおいに包まれてもう一度眠るのも悪くないような。



 その時、ミコトがモゾモゾ動き出した。大きなあくびをしながら、軽く伸びをした後に、2、3秒宙を見つめて――いきなりクルッとうつぶせになったかと思うと、言葉にならない声をあげながら急にバタバタし始めた。


 ――朝から何をやっているんだ。こいつは!?


 その思いもしない行動に、まどろんでいた思考が覚醒し始める。いつも俺の方が遅く起きていたから気づかなかったけど、これはミコトのモーニングルーティーンなのか!?


 声を掛けるにかけられず、その奇行を眺める。


 しばらくして落ち着いたらしいミコトは、ゆっくりとこちらに顔を向けて――そのまま固まった。


 丸い目をさらに丸くして、呆気に取られた顔。首元から徐々に徐々に、赤さが広がっていく。


「――っ!?!? 」


 勢いよく身を起こして困惑しているミコト。予想以上のリアクションに、つられて頬が緩む。


「お前は、朝から面白いんだな。」


「――ぅっ!?! お、俺顔洗ってくる!! 」


 赤い顔のまま、ミコトは俺の視線から逃げるように、部屋を出ていった。


 ――もう少し見ていたかったのになぁ。


 残念に思いながら寝返りを打って布団にくるまる。新しいミコトを見つけた喜びを感じながら再び夢の中へ――


 ――って何を考えているんだ俺はぁぁぁーっ!? 


 一気に目が覚めた。


 ベッドの上で座り込んで、頭を抱える。寝起きの頭だからといって、考えていいことと悪いことがある。


 心臓が痛いくらいうるさい。


 なんでこんなに脈が速くなっているんだ。自分自身の思考回路に身体まで驚いちまったのか。


「本格的にやべぇな……」


 手に負えずに持て余すこの感覚に、暴走する思考回路に、名前があるなら教えてほしい。この正体を知ることが出来たら、どう対処したらいいかわかるはずだ。


 こんなにうるさい心臓では、もう二度寝は出来そうにない。寝不足で気怠い身体を動かして、リビングに顔を出した。俺と同じくらいの時間にしか寝てないはずなのに、リビングにはすでにジークとニッキーがいて、驚く。こいつら超人か。


「おはよ~アル。ミコトのあの感じだとうまくいったの? 」


 赤い顔して出ていったミコトを見られたのか。さっきは何もしていないのに、変な誤解を与えてそうで、罰が悪い。かといって正直に言うのも憚られて、ジークの目から少し視線を外し、少しだけ嘘を織り交ぜながら答える。


「……いや。まだだ。逃げられた。」


 これは本当だ。見ていたら逃げられた。


「ふーん、そう。出来るだけ早くしてくれよ。」


「……っ。わかってるよ。」


 ――もう完璧です。ってはさすがに言えないなぁ。


 引かれる未来しか想像できない。


 誰にも相談できない悩みを胸に秘めたまま、朝の支度に向かった。



 ♢♢♢


 ジークが今回の至宝についてミコトとユキに伝えて、各々その準備に入った。


 今の俺に与えられた役割は、騎士団との橋渡し。うちのサマンサ・ルーエンやナターシャ・ベイリードといったミコトと面識がある者たちが、今日はミコトと一緒に外出する手筈となっている。女装をして、目立つように。


「ルーエン、ベイリード、これは遊びじゃない。気を抜くな。指一本、変な奴に触れさせるんじゃねぇぞ。」


「……おい、アル。それは無茶な話だろう。どこの世界に触れずに誘拐できる誘拐犯がいるんだ。サマンサもナターシャも気にするな。警戒を悟られないように、楽しそうにキャッキャッしちゃって。あ、そうだ。そんなに心配なら俺も一緒に……」


 鼻の下伸ばして提案するフェイを睨む。なんでお前とミコトが買い物に行かなきゃいけない。


 へへへ~冗談よ、冗談――と手をひらひらさせながらフェイは笑い飛ばす。調子のいいヤツめ。


「それにしてもアル……お前、昨日からおかしいぞ。なんでそんなにイライラしているんだ。」


「……別に。普通だ。」


 フェイに聞かれても、誤魔化すしかない。俺にだって、わからないんだから。


 そんな誤魔化しも、妙に勘のいいこの男にはお見通しみたいで、意味ありげな視線を向けられながら宿までの道のりを移動する。


 海沿いの道、行きの時よりも高くなった太陽が、ジリジリと肌を焦がしていく。


「あぁ~くっそ暑いなぁ。溶けてしまいそうだぜ。」


 騎士服の襟元を広げながら、フェイが吐き捨てるように言った。


 至宝探しで来ている俺や、オフ設定のルーエンとベイリードと違って、フェイや他のヤツらは騎士服をつけている。夏仕様でいくらか涼しくなる工夫がされているとはいえ、暑いものは暑い。


「海で綺麗なチャンネェーと過ごす熱さならいくらでも耐えられるのに……なんでラグーノニアに来て仕事してるんだよ~」


 昔からこの男はずっとこうだ。口を開けば女の話しかしない。スルーして歩く。


「涼しい顔して歩きやがって……お前も騎士服着ろよ、アルぅっ!! 」


「寄るな。暑苦しい!! 」


 抱き着いてきたフェイを引き離なす。暑いといいながら、人に近づくこの男は理解不能だ。昔からこいつは所かまわず誰にでも――


 ――そうだ。こいつとは長い付き合いじゃねぇか。ミコトよりも。


 騎士学校の寮で、相部屋だった。俺が入学してきて、こいつが卒業するまでの3年間、ずっと一緒だった。同じ部屋で寝泊まりしていたこいつのにおいを俺は覚えてもおかしくないのに――


「アル……? 」


 急に足を止めた俺を、訝しそうに見ながらフェイが声をかける。


「なぁ、フェイ。なんで俺はお前のにおいを覚えてないんだ? 」


 ミコトは、ミコトのにおいは、もう頭から離れないのに……


「――はぁっ!? 」


 思わず口にしてしまった疑問。周囲の空気が固まる。


「ちょっ……アル……俺のことそんな目で見ていたの……」


 両手を交差させて、顔を赤らめながら、胸を守るような仕草でクネクネしだしたフェイを見てハッとする。


 ――何を言ってるんだ! 俺は!! 


「いくら流行りだからといって、俺、そっちの気はちょっと……」


 流行りって何だ。そっちの気って……まさか。


「待て、違う。冗談だ!! 」


「冗談ってひどい……! 俺のこと弄んだのね!! 」


「何を言ってんだ! やめろ、そのポーズ! 気色悪い!! 」


 三十路のおじさんのモジモジしている姿は見たくねぇ。おちょくってるのがわかるから、余計に腹が立つ。ルーエンもベイリードも、なんでそんな興奮した目でヒソヒソしているんだ。


 自分の失言に後悔しながら、歩く宿の道のりはやけに遠く感じた。


 ミコトの謎は余計に深まるばかりだし――


 ♢♢♢


「よぉ~っす。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンだ。」


「呼びはしたが、飛び出てくるのは迷惑だ。」


 俺のことを散々イジリ倒して上機嫌なフェイが、ジークに適当な挨拶をしている。お忍びとはいえ、仮にも王子だぞ。身分関係なく、フレンドリーに絡みに行くこいつの豪胆さはマジで凄いと思う。


 テーブルに置かれたブラをフェイが見逃すはずもなく、そのまま男どもは盛り上がっていく。ニッキーの趣味、俺はいいと思うぞ。


 ――そんなことよりも、ミコトはどこだ。


 においは感じるから宿のどこかにいるらしいが、姿が見えない。部屋にいるのか? 


 確認しに行こうと腰を上げたとき、ゆっくり部屋のドアが開いた。


 顔を出したミコトの姿に、頭が真っ白になる。


「おう、ミコト。一人で着れたか。」


「ミコト~似合うじゃん!! どっからどう見ても女の子だよ! 」


 ジークとニッキーの言葉に目を丸くしているミコト。


「聖女ちゃ~ん!! すっげぇかわいいよ~!! おじさんにもっとよく見せて~!! 」


「おい、待て!! なんだその手は!! ミコトに近づくな!! 」


 衝撃にまだ頭は働いていないけど、身体勝手に動いてフェイを抑え込んだ。ナイスだ。


「フェイラート副団長!? なんでここに!? 」


 首を傾げたことで、背中まで伸びた髪の毛がサラリと流れる。ミコトと目が合った瞬間に、金縛りにでもあったかのように身体が動かなくなった。


 華奢だと思っていたその身体が、いつもとは違う柔らかい素材のフワフワした服で強調され、なだらかな曲線を描く。今までは何も気にしていなかった、細い手首や、少しだけ見える足首、鎖骨のラインに思わず目が行く。


 鎖骨からゆっくり視線を下ろしていくと、普段のあいつにはない柔らかそうな膨らみ。昨日海で聞いた話が、妄想した内容が頭の中でグルグル回る。あれは作り物なんだよな? 本物じゃないんだよな?


 逸らせない視線を固定したまま、ゴクリと喉が鳴る。心臓が痛すぎて呼吸が浅くなる。ドキドキしすぎて飛び出てくるんじゃないかって錯覚してしまう。普段の姿より、この姿の方がいいんじゃないかってくらい、自然に着こなしているミコトに、湧き上がる感情。


 ――くそかわいいじゃないかっ!!


 男に対する言葉じゃないってわかっているのに、その言葉をかけたくなってしまう。


「あっ……やあっ……」


 恥じらうようなその声に、脳みそが痺れて、思わず手を緩めてしまった。


「聖女ちゃ~ん、すごくかわいいよ~。おじさんデレデレしちゃうなぁ~。男にしておくのがもったいない!! ほい、ぎゅ~!! 」


「んっ――!? 」


「しかしまぁ本当にこの詰め物すげぇな。近くで見ると偽物とは思えねぇ……触り心地も本物そっくりだわ!! しかしおじさんの好みはもうちっと大きいほうが――」


「――――っ!?!? 」


 ――てめぇふざけるんじゃねぇぇぇぇぇっ!! 


 油断した。不覚だ。戸惑っている隙にフェイにしてやられた。渾身の蹴りをお見舞いしてあいつはもう動かなくなっているが、ミコトに触れたその右手を切り落として灰にしてやりたい衝動に駆られる。


 まるで宝物を傷つけられたかのように、腸が煮えくり返って仕方がない。


 赤い顔をして憤慨しているミコト。あの天使を汚しやがって。


 ――俺だってまだ触ってないのに!!


 怒りで燃えた俺の思考回路は冷静なツッコミをいれることが出来なくなっていた。

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