第96話 幕間:ライオン騎士のせわしない心―②

 ジークとニッキーに領主との交渉は任せて、ミコトとユキと屋台街へ夕飯を食べにやってきた。ミコトはピョンピョン飛び跳ねるようにあたりを見まわして、屋台の様子に興奮している。


 そんなに大喜びされると、連れて来た甲斐があるというもんだ。別に今日一日だけというわけじゃないんだから……そんなに悩まなくてもいいものを。あれもこれもと幸せそうに悩んでいるミコトを見ていると、こっちの心まであたたかくなってくる。


 人がいっぱいだなんだとブツブツ言っているユキも、同じようにソワソワしながら屋台を眺めていて、ジークがこいつらに餌付けしている気持ちがよくわかる。


 目をキラキラさせて悩みまくっていたミコトは、押しの強いおばちゃんに流されて、本日の夕飯が決まったが……これが見事に大当たりだ。


 エビとソースが絡んで、非常に美味い。


 いい夕飯だった。


 子どもと来ていなければ、酒をたらふく飲んでいたのに……と少し残念に思うくらい美味いエビだった。


 観光したいというミコトに対し、研究があると颯爽と帰ってしまったユキ。相変わらず自由な奴だ。唖然とするミコトに声を掛け、席を立つ。ラグーノニアの夜景といえば――やっぱり定番のアレだろう。



 ♢♢♢



 灯風船マナ・バロンは観光地にはよくある乗り物だが、とりわけラグーノニアの灯風船マナ・バロンは南国の気風と合わさって、幻想的な時間を作り出す、と聞く。


 ――いつか番いと一緒に来ようと思っていたんだがな……


 そのロマンチック性から、カップルに人気の灯風船マナ・バロンだが、まぁ男同士でもいいだろう。相手がフェイとか他のゴツイ男だったら、何となくテンションが下がるが、ミコトだし。支障はない。


 花の都ではあまり見ることはないから、きっとミコトは知らないはずだ。どんな顔をするのだろうと思うと気が急ってしまって、つい足早になってしまった。


 ミコトの手を握り、微笑みかける妙ちくりんな輩。手を握って笑いかけてくる奴はみんな詐欺師である、と後でミコトには教え込んでおこう。それくらいの警戒心を持っておくくらいが、こいつにはちょうどいいと思う。


 その華奢な肩を抱いて歩きだす。夜といっても、昼の名残と人々の熱気が混ざりあって、歩いていると暑かったのだろう。近くなった距離と、いつもより濃く香るミコトのにおいが鼻をくすぐる。こんな甘いにおいを漂わせているから、変なものが寄ってくるんだ。思わず腕に力が入る。


「あ、アル!? この手離して!! 一人で歩けるから!! 」


 顔を真っ赤にして、俺の手を引き離そうとするミコト。


 なんであいつには気軽に触らせるくせに、俺の時はそんなに抵抗するんだ。モヤっとした感情が心に広がる。


 肩が嫌なら手を、と一瞬伸ばしかけた自分に、驚愕する。


 ――くっそ、海の時から何かおかしい。


 肩を抱くのも、手を握るのも、男同士の距離感としておかしいだろう!! こいつといると、俺の今までの常識や感覚を狂わされる。


 何でもないフリをして、その伸ばしかけた手を下ろして歩き出す。


 行きの馬車で判明した――ハグ魔の少年。その少年が仕掛ける気安さの罠に、これからどれだけの人が引っかかっていくのだろう。俺自身も含めて、注意していかなくてはいけない。聖女護衛の任務に、こんな気苦労があるとは思いもしなかった。隣の少年に気づかれないようにそっと嘆息する。


 歩くスピードは変わらないが、心ここにあらず、といった具合のこいつ。


 いつ転んでもいいように、触れないけれどすぐに支えられるよう、距離を少し詰めて、目的地まで向かった。


 ♢♢♢


 これから何が起こるの?って不思議そうな顔をするミコト。


 浮き上がった瞬間の、丸い目をさらに丸くして、慌てるミコト。


 夜景を見下ろして、目を輝かせるミコト。


 1つ1つの表情から目が離せない。


 案の定、ミコトは灯風船マナ・バロンのに気づいてなかったみたいで……いいリアクションをしてくれた。思わず、口元がニヤケてしまう。連れてきたことに後悔はしていない。楽しそうなミコトの様子を見て、満足している。


 けどな――心臓を直接素手でくすぐられているような、この落ち着かない感覚は一体なんだ。


 頬をくすぐる夜風。あたたかなオレンジ色で照らされる空間。いつもより近くなった星しか、俺らを見ている者はいない。


 誰も見ていないということは、誰にも邪魔されることはない、ということだ。


 ――くっそ、カップルに人気といった訳がよくわかった。


 ミコトが動くたびに、ランタンで照らされた黒髪が艶やかに光り、あぁ綺麗だなぁと思う。この柔らかい髪を、思う存分撫でまわしても、ここでは誰にも咎められない。


 ――だから俺は何を考えてるんだ……


“髪を褒める”が口説き文句であると言われているのは、“頭を撫でる”は親しいものにしか許されない、親愛を深め合う行為だからだ。誰にも見られないからといって、そんな変態行為は行えない。


 ――頼めば触らせてくれそうな、あいつの雰囲気のせいだろうな。


 夢中で眼下を見下ろしているミコトに気づかれないよう、そっと息を吐く。落ち着け。たかが少年相手にこの思考回路はどこからくる――この落ち着かない感情は一体なんだ。


 ちょうどよくミコトから質問が来たので、海絆祭ラウトアンカーについて、説明することで、その気持ちを追いやる努力をする。夜風で時折乱れるそれをチラチラ目で追ってしまって仕方がないが……このときほどポーカーフェイスでよかったと思ったことはない。


 ゆっくりと灯風船マナ・バロンが高度を下げていく。名残惜しそうに外を見つめるミコト。その横顔が切なそうに見えるのは、ランタンの灯りのせいだろうか。さっきまで笑っていたんだ、きっとそうだろう。


 影を帯びたあいつは、普段よりずっと、大人っぽく色っぽく見えて、話しかけるのがためらわれる。何を考えて、そんな顔をしているのか、聞くことが出来なかった。



 ♢♢♢



 さっきみたいに人通りの多いところだと、また変なのに絡まれるかもしれない。ニッキーからのメモにあった、“歩きやすくてオススメ!”な道のりをミコトと二人、歩いて帰る。


 主張をしすぎない、お洒落な店構えが連なる通りは、表通りの喧噪を感じさせず、夏の夜を楽しみながら歩くことが出来る。


 どちらかといえばデートコース向きだな。


 フェイとかが好んで利用しそうな通りだ。調子のいいあの男は、隠れた名店を探すのが上手い。いつの間にか常連になって、「マスター、いつもの。」と「あちらの方からです。」を繰り返す、という行動をよく見かける。あいつが飲みに行ってない花の都の酒場はないんじゃないか。



 なんて読むかわからない、お洒落な文字と間接照明に照らされた看板を横目に見ながら思う。もし、俺じゃなくてフェイが護衛だったら、ミコトも同じようにどこかいい感じのところに連れ込まれていたんだろうな。


 ――なんか無性にイラっとするのだが。


 騎士学校時代からの長い付き合いだし、尊敬している先輩ではある。女遊びは激しいが傷つけたりはしないし、後輩たちの面倒もよく見るいい先輩だ。


 だが、ミコトを連れ込むのだけは納得がいかない。


 俺の想像の範疇でしかないが、同じ状況だったらあいつはやる。間違いなくやる。百パーセントやる。


 ――あいつがするんだったら、俺もしていいんじゃないか?


 ふと、そんな考えに至った。チラリと少し後ろを歩くミコトを見る。灯風船マナ・バロンでの興奮が嘘だったみたいに、ミコトは何も喋らずに歩いている。少し顔が赤い。時折、手で仰ぐような動作をしている。


 暑いのかもしれない。屋台街を出てから水を飲んでないし、そろそろ休憩が必要な気がする。


 正直迷う。まだあまり遅くない時間とはいえ、子どもを夜の酒場に連れていくのは、あまり褒められた行為ではない。


 だが――まだ帰りたくない、という自分がいた。


 後ろを向いて、ミコトを見る。いきなりで驚いたのだろうか。ポカンとした顔で俺を見るあいつ。


 別に、女をデートに誘うわけじゃないんだ。この裏通りの大人な雰囲気に飲まれるな。普通に、普通に誘えばいい。


 わかってはいるんだけど、なんか気恥ずかしくて、顔を見れないまま誘った。


「喉……乾いてないか? なんか冷たいもんでも飲むか? 」


 思春期のガキか? 俺は?


 他の部下を誘うときはもっと気軽に行けるのにーーなんでだ? そんな俺の下手な誘いも、あいつは嬉しそうに返事をするもんで、ホッとした。


 こいつと二人なんて久しぶりだ。もう少しこのまま――過ごすのも悪くない。



 ♢♢♢



 酒を飲む気はなかったのだが、ミコトに笑顔で「いいじゃん!」と言われると、まぁいいかという気持ちになってくる。あいつの親父さんの力説が、後押ししたのもあるかもしれない。


 暑い日の麦泡酒は、やっぱり格別だ。


 ミコトは興味津々で酒のことについていろいろ聞いてくる。まだ飲めないのにな。いつか、大人になったあいつと飲みに行くのも、楽しいかもしれない。


 そんな未来を夢見ながら、お酒の味について聞かれるままに話す。


 あいつにお酒を注がれると、いつもより美味しく感じてしまうのは何だろう。気づけば思ったより飲んでしまっていた。1杯だけと決めていたのにな。トイレに行った後に、ボチボチ帰ろうか。


 戻ってくると、手に持ったグラスとにらめっこするミコト。そのまま恐る恐る、グラスを口に近づけて――


「こーらっ! 悪ガキめ。」


 話を聞いて興味が湧いたか。だが未成年飲酒はいけません! グラスを持った手と、そのイタズラな口を覆う。


 このくらいの年だと、隠れてコソコソ悪いことをするのが楽しい時期ではある。もちろん俺にもあった。だからわかるんだよ。何か企んでいるガキの気配。


「――あまり大人を舐めるな。」


 やたらとお酒を注いでくるとは思ったけど、そういうことだったか。こっそり出し抜こうったってそうはいかない。


 単純なミコトの作戦に思わず笑いが零れる。健気にお酌してくれたしな。怒るべきなんだろうが、なんか可愛いから良しとしよう。


 バレたことでびっくりしているのか、こっちを見て固まっているミコト。後ろから阻止したから、すぐ近くにあいつの頭がある。


 ――困ったなぁ。手がふさがっているからこれでは撫でれない。


 仕方ないから頬でその柔らかさを感じる。フワッと香った、ミコトの甘いにおい。そのまま心行くまで堪能したかったが――マスターの生暖かい目に我に返った。


 ――何をやったんだ! 俺は今!! 


 一気に酔いがさめた。そんなに酔ってないと思っていたが、そんなことなかったのか!? 慌てるように店を出て、宿に帰った。ミコトは終始無言で、上の空で――なんかいろいろとすまない。





 その寝顔を見ながら考える。


 こんなに触れたいと思った相手は初めてだ。なんでだ?


 ――ミコトと他のヤツは一体何が違う。


 真剣に悩みすぎたのか、帰ってきた音に気づかなかった。部屋に突如響いたノック音に驚く。


「アル~入るぞ~、もう寝てんのか? 」


 帰ってきたジークは、“騎士団に行こうぜ!”と笑顔で俺を引っ張っていった。


 ラグーノニア初日の夜はまだ終わらない。

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