再び舞う黒い影

 その日の夜、とある繁華街。

 「全員、相手の能力発動に備えろ!」

 「行くぞ!」

 匿名からの通報を聞きつけた、網河を陣頭に、警官隊が、現場に急行した。

 色とりどりの、ネオンの光が照らすそこには、老若男女、国籍問わず多数の野次馬が集まっていた。

 「おいおい、分かってはいたが多過ぎだな…」

 

 それは、ほんの十数分前に遡る。

 ー…プルルルル…。

 神河警察署にある、とある部署の電話機の受信音が鳴り響く。

 「…はい、こちら神河警察署」

 網河は受話器を手に取り、その向こうにいる人物との邂逅を始める。

 『…何だ、アンタか。だが丁度いい』スピーカーから聞こえる、やけに高い声。どうやら、女のようだ。

 「…誰だお前、ふざけてると公務執行妨害で…」

 『いいから聞け!』電話の主が、声を厳かにして網河の説教を遮る。

 『…女を剥いてヤろうとしているナクシビトを見つけた。さっさと来い!』

 「ナクシビト…?」

 網河の対応に、声の主は少し溜めると…、

 『…アンタ等で言う所のルインレスが、女とっ捕まえて犯そうとしてやがったから、とっちめてやったって言ってんだ!』と、怒鳴るようにハッキリと言った。

 「とっちめたって…大体、お前何で『それ』を知っている!?」思わぬ展開に驚く網河。

 『言ったからな、場所は⚫⚫通りの繁華街、ヤロウは体ガリガリの三十路か四十路!わかったら直ぐに来い!!』

 「お、おい…!」

 ー…プツン。

 怒号と共に、その通話は切れた。

 「…どうして、あいつは『その名』を知っているんだ…?」

 ルインレス。

 それは、人智を超えた力を有した人間達の総称。警察以外ではあまり知らない呼び名だ。

 彼等は皆、地上の英知では傷を付けることも、自らの手で、自らを終わらせることも出来ず、例え天災でも、その身を滅ぼすことは適わない…文字通り、己の滅びと引き換えに、人外へと進化した存在だ。

 体の中には、まるで水のように透明になった血液が、全身を巡廻し、その命を繫いでいる。

 (だが、この声は聖鳴とは違うな…)

 この声には聞き覚えがある。

 それも、ほぼ毎日…ではないが、最近も聞いたものだ。

 金石とも良く揉めるので会話はするし、他にも部署の女性警察官や協力員とも、雑談や会議はする。しかし、この声は誰とも当てはまらない。

 (待てよ…まだ一人いるぞ!?)

 だが、その人物を思い出すと居たたまれない気持ちになる。

 先日からずっと黒髪の能力者の行方を捜していた網河達だが、それは苦労の連続だった。

 目撃情報を募っても、外見が酷似する人気モデルの名前が出てきて、部下の間でそのモデルの話題で盛り上がりそうになったり、似ても似つかない人物の顔写真が送られてきたりと、有力な情報は何一つ掴めていなかった。もう、ほぼお手上げだった。

 しかも今回の人物は、わざわざこの部署に直接通報した。それを知っているのも、同じ科や、協力員を含む関係する人間のみ。どれもコレも気にはなるが、今はあの匿名電話だ。アレが、本当だとすれば…。

 「…行くぞ」ロングジャケットを羽織り、拳銃を手に取る網河。

 「でっ、ですが…」

 「ですがもテストもあるか、出動するぞ!」

 是非も聞かず、網河は部屋を飛び出した…。

 

 密集する人の群れに圧倒される網河達だが、立ちすくんでいる暇は無い。

 ルインレスは、普通の人間よりも体の回復が早い。四肢程度なら切断してもくっつければ、軽い擦り傷や切り傷なんかは直ぐに治ってしまうからだ。例え欠損した部位を完全に灰燼に帰したりして、再生不能にしても、時間さえ経てば、トカゲの尻尾がまた生えてくるかのようにまた生えて元に戻ってしまう。通報者は『とっちめた』と言っているが、もしそれが前者なら…危険すぎる。

 「…急ぐぞ!」

 網河達は警察手帳を見せ、「警察だ、どいたどいた!」、「はいはい、下がって下がって!」と、事件現場に辿り着くために野次馬の群れをかき分ける。

 そしてようやく、惨劇の現場に辿り着くと…、

 「…ぐすっ…」

 網河に、靴と靴下以外全裸に、ボロボロのシーツを纏っている、若い…左の脛に痣が光っている少女が、泣きながらうずくまっていた。

 その傍には、「ちからが…ボクの力がぁぁぁ…」と嘆く、痩せ細った一人の男が絶望感に包まれた顔で、金的をされて痛いのか股間を押さえて突っ伏していた。

 (…『ヤる』、『犯す』…やっぱり婦女暴行か…)

 この州が併合された後もこれかよ…。

 男の存在を愚かしく思う網河は「おい、どうした、何があった?」と、少女に尋ねてみると…、

 「…うっ…ううっ…あたしっ、この男に、変な力で襲われて…服を、砂に変えられてっ…!」嗚咽の止まらぬ少女は、男を指差す。

 男の周りには、クリーム色のみとは限らない、無数の砂が散乱し、風で舞い散っていた。

 「やっぱりか…」

 網河の予想は当たっていた。

 通報者は、『ルインレスが起こした』と言っていたし、この神河には違法風俗は一つも無い。

 しかも男は、確かに「力」と言っていた。

 (ルインレスによる犯罪か…)

 男の体には、外傷が全くと言って良いほど無いんだ、まず間違いない。

 こういう輩はよくいる。

 見た所、男は無職か、あまり真面じゃない職に就いている。

 こいつらには生活保護とは別に、補助金制度とかもあるってのに、何をやってるんだ…。

 呆れる網河だが、少女は更に…、

 「そこを、もう行っちゃって、いないんだけど、黒髪の、女の人に…助けて貰って…」

 「黒髪…?」

 網河はその言葉を聞き、少し納得した。

 黒髪の女…通報したのも、男を懲らしめたのも、多分あの少女だろう。

 彼女の話を聞いた民衆も、「そう言えば、そんな人いたよね」、「電話したら、直ぐにどっか行っちまったな」と、ザワザワしていた。

 まだ暗くなって、そんなには経っていないし、何よりこの、人工的に作られた光の量。

 目視するのはいとも簡単だろう。

 網河は周りを見渡すが、少女の姿は見当たらない。よく似た人間はいたかも知れないが、特徴が一致する人間は居なかった。部下達も聞き込みをするが、「跳び上がってあっち行っちゃった」、「結構ナイスバディだったなぁ~」と、詳しい行方は掴めない。少なくとも、ここには知人もいないようだ。恐らく、少女を襲った男をのした後、野次馬が集まってきたのも重なり、こちらに通報して直ぐ退散したのだろう…もう、ウチの監察官の事は、許してやってくれないか、アレはただの事故じゃねぇか…。

 「…なっ」部下に連行される男が、ボソリと呟く。

 「…ん?」

 「…あのクソアマァ…よくもボクの力を壊してくれたなぁ…!」

 網河は、男のその言葉を聞き逃さなかった。

 (ルインレス能力が、「壊」された?)

 どういう事だ…?

 彼等の力は、ある特定の条件下でしか完全消滅出来ない。

 それは最悪、やられた本人の生命にも関わる、危険な行為だ。それに、下手すれば実行する人間が、あらぬ罪を科せられる可能性だってある。江戸時代の仇討ちに、奉行が立ち会う様に、警察が立ち会う必要がある位だ。

 なのに男は、五体満足。五感もある様子。被害者にも外傷が無いので、恐らく、そうなる様な悪事はしていないのだろう。

 更に網河は、ある事が気になった。

 (昨日の…黒髪のアイツが…?)

 彼女も、男と同じルインレス能力者だ。

 一個のビー玉を銃に、刀に、変えて外敵と戦っていた。しかも、あのアクロバットな動き…、

 …彼女は、戦い慣れしている。

 でなければ、こんな男を相手に、五体満足で生かしたまま、力を無効化したのはとにかく、苦戦するはずはない。

 間違いない。

 彼女が、その力を使って、相手にしているのは…、

 「…同族か…」

 網河は、澄んだ夜空を見渡すしかなかった…。

 

 翌日、歌音達のクラスにて。

 「ノンちゃん、アイさん!」

 登校したてで、若干寝起き気味の歌音、藍良の二人の眼前に、突然海鈴がタブレット片手に飛び出してきた。

 「なあ、今日さ、一年のクラスにさ、人気アイドルの子にそっくりな女の子がいてさ~」

 「おいおいそれマジか、気のせいじゃねぇの?」

 「いやいや本当だって、髪の色と瞳の色は全然違うけど、それ以外はもうソックリなんだよ!」

 という、クラスの話題話には目もくれない。

 二人は、「ふぇぇっ!?」「海鈴っ、いきなり出てこないでよ!」と驚き、眠気も完全に吹き飛んでしまったようだ。

 「それより、二人とも…これ見るです!」

 海鈴は、持っていたタブレットの画面を、歌音達二人に見せる。

 「ふっ、ふぇぇぇぇ!?」

 「えっ、これに写ってるのって…」

 目を疑った二人は、ネット掲示板の記事のページを開く。

 「おとといの、あの人だ…」

 「見た所、マッポ連中も、捜して無いみたいね…」

 記事のタイトルは『(速報)黒髪の女(※痣付き)にシバかれるレイプ魔乙www』。

 載っている写真に、あの日に出会って以来、姿を見ていない、守那によく似た少女と、思しき人物が写っていたのだ。

 撮られた時間は夜中で、暗くてよく判らないが、彼女の右手には木刀が握られており、傍らには裸に剥かれた別の少女が居る。奥には痩せ細った男…掲示板の記載ではレイプ魔がいる所を見ると、黒髪の彼女は、少女を男からを護っている事が伺える。

 「…間違いないよ、この人の顔…」

 二人は少女の顔に注目する。

 彼女の顔の左側に、あの光る鳥型の痣があったのだ。

 あの日、二人が会った彼女に間違いなかった。

 「最近知ったっつっても、マッポも本当腐ったわね。あんなヘンタイちゃんに仕事取られてんだからさ」

 言い過ぎとは分かっていながらも、藍良のこの発言には歌音も少し頷いた。

 現在は徐々に改善されているが、戦後の『ニホン』警察は、かつての罪のせいで真面に権力を行使することが出来ず、誘拐や人質を伴う事件に至っては練度不足も重なり情報の漏洩が立て続けに起こり、犠牲者も続出した。結果、犯人確保には賞金稼ぎの協力を仰ぐケースも保全法公表以前よりも増えてきている。今回のソレは、容疑者は恐らく指名手配犯ではないので、幾らかの報奨金と、感謝状が授与される程度になるだろうが。

 歌音達が、その黒髪の少女…この犯罪者狩りと初めて会ったのは、一昨日の朝。その彼女が能力者だと知ったのも、同じ日の夜。自分達は生で、その活躍を目撃している…。

 だがその後、警察のヘマで素っ裸にされてその場で失禁、挙げ句全裸で走り去ってしまい、当分、その羞恥心から公衆の面前に出られなくなってしまったのではないかと、互いに思っていたが…。

 (やっぱり、ヤバイんじゃないのあの人、平然とあんな場所で長物ブン回してるし、あの場でオシッコ漏らしても気にしないし、きっと殺し屋やりながら、ヌーパブで働いてるんだよ…あの調子だと後ろからも…)

 (助けて貰ったのに、そんな事言っちゃダメ!それにヌーパブって、あいちゃんだってハダカで外出そうになっちゃった事があったでしょ!あと、あいちゃんあの人の見てバージンって言ってたでしょ、それ忘れちゃったの!?)

 (ごめんそうだった…だから、新人さんか、本番NGとかなんだって、出なきゃ、バージンじゃないなんて、あり得ないわ!)

 「…あの、また江戸上の方から鴉狩りが、しかも名の知れてるのが忍び込んで来たんじゃないかって話なんですが…多分見る所間違ってますし、聞いてませんね二人共」議論中の二人に置いてけぼりの海鈴。

 と、そこへ、

 「…悲鳴を聞いても来てねぇとか…ふざけやがって…」

 守那も、教室に到着した。始業式があった昨日とは打って変わり、ネクタイは緩く、カッターシャツも鎖骨が少し見えるくらいに開けている。中は肌着を着けておらず、可憐さも相俟って男とは思えない艶めかしさが漂う。

 「あっ、天空君おはよ~!」

 クラスの女子達が、一斉に守那に声を上げる。

 イラついていた守那は、若干落ち着いた程度でほぼ無表情のまま、少し頷くだけで同級生たちの元に向かうことなく自分の席に座り、持っていたスマホ画面を起動する。

 「あ~、本当人気だねぇ、天空君」

 「かんわい~顔してるからね~」

 女々しい外見の転校生の、女性人気に圧倒される歌音と藍良。

 「ね、海鈴」

 藍良は、海鈴にも話し掛けるが…。

 「…」

 海鈴は、その場で固まったまま動こうとしない。

 「…海鈴!」

 「あっ…ごめんです」

 耳元で叫ばれ、ようやく気付く海鈴。

 「どうしたのりんちゃん、天空君が来てからずっと変だよ?」

 「…何でも、ないです」

 海鈴は、そのまま歌音の問いに口を濁しながら自分の席に戻る。

 「多分、あんまりにもゴロドリ姐さんに似てるから、緊張してんじゃない?」

 「あはは、そうだよね…りんちゃん、ゴロドリさんのファンだし、きっと天空君が男の子だったのがショックだったんだね」

 後は当人が、せめて女性なら…。

 二人は、それが残念に思った。

 「…そう言えば、日曜の事件の犯人もまだ捕まっていないよね」

 「うん、アレだけ傷を負ってのにね…」

 昨日の夜も、奴に…黒マントによるものと思われる、掃除屋を狙った大量殺戮が発生していた。

 結果、現場はゴミだらけのまま…ならまだいいほうで、血肉飛び交う殺人現場となり、ビニールシートで覆われて立ち入り禁止。街ゆく人々は困惑しながら生活しているという。

 しかも、発生するのは専らこの区のみ。例え怪物…ナクシヅクリを従えていても、捕まらないはずもないのだが…。

 (きっと、あの女の人も…)

 歌音は、あの夜以来遭っていない、黒髪の少女の事を考えながら、俯いていた…。

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