Ⅱ:壊れた世界の黒と赤

「再会」の後で

 「…どうにか出られた…」

 息は絶え絶えで、少々汗だくの守那は、学校から繋がる路地を歩いていた。

 既存の法律の力すら打ち消してしまう、『ニホン』時代の当州における、太平洋戦争時の靴と菓子以上の大問題の一端を担う、痣付き由来の体質による弊害も、当然あるにはあるが、それだけだったらまだ、自分にとっては幸運だった。

 「だが、この見た目も考え様だな…」

 思えば、今朝学校に着いてから、もう騒々しかった。

 誰もが自分の顔を見るたび、近寄ってきては男は口説いてきて、女は抱きついてきてと、早く教室に入りたいこちらの都合なんか、まるでお構いなしだ。頬にもっちりとした、柔らかな感触と芳香がまだ残る…。

 まあ、まだ新学期だからというのと、ここが都市部なのもあるのだろうが、脱がしてきたり、躰を弄ろうとしたりする奴がいないだけ、下宿先の主よりはまだマシか。

 「しかし、まさかあの二人と同じクラスになるとは…」

 昨日出会った、二人の少女。

 あいつらにバレるかと思っていたが、まだバレていないみたいだ。よかった…もしあんな所でバラされたりでもしたら…どうなっていたか…。

 名前は確か、赤毛の小柄な方が…うた…ううん、聖鳴歌音、だったな。まだ、その本人だと決まったわけじゃない。茶髪の、痣を露わにした無防備の方が、確か…金石あい…え~っと…あ~、下の名前は聞いてない。聖鳴が「あいちゃん」とは言ってたが、それだけしか分からない…。

 チラホラと見たが、聖鳴は、確かトランジスタグラマーって言うヤツか、隠しきれないモノを実らせてるし、金石も相当…二人共それなりに持ってたな…。

 「…ウチの馬鹿には、絶対に会わせられないな…」

 何せ、自分が経験してるからだ。隙あれば、素肌に触れ身体の洗いっこをして貰う…なんて処じゃない。彼女の場合は胸、尻を揉みしだき、舐め、吸い付き、指先でクチュクチュと…、

 …想像するだけでも背筋が凍る。


 あの戦いの後は、本当に酷かった。

 やっとの思いで家に帰ったら、主であるアイツが、もう帰っていて、「ドコ行ってたのかなぁ~?」って、今にも尋ねてきそうな眼差しをしていた。

 返答に困ったオレは、「…馬鹿をとっちめてた」と、答えたら…、

 「そんな扇情的なカッコで、外で立ってるアンタの方が馬鹿じゃ~!」

 そう言って、部屋の中に引き込んだらすぐに、あれよあれよと何時もの結果。漏らしていた事にも、言われて気付いた。通りで、下半身が温かかったと思ったら…。局所をシャワー攻めされて、あまりの気持ちよさに快感だった。元の姿に戻るのも、嫌になるくらいだったなぁ…あ、ヤバイ。またあの感覚が表に出てきた、落ち着け、落ち着くんだ!

 あんな目に遭わせるくらいなら、会わせない方が良い。

 自分自身、アレで何度貞操を失いかけた事か…。

 アイツ自身も、下手したら警察に送られて、マジで人生終わりだ。自業自得とは言え、そうなったら自分自身も途方に暮れる。何より、叔父さんと叔母さん、ばあちゃんは…。

 …いや、今や捜査すらしないかもしれない。

 何せ、現在の警察はその権限を真面に行使しないし、やりたくても出来ないからだ。昨晩のような事件は、少なくともあの刑事と、その部下らしき奴らは、市民を護ったり、犯人逮捕はしようとはしていただろう、実際、刑事は聖鳴と共に金石を介抱していたし、部下もあの黒装束のみを集中的に狙撃していた。

 しかし、他はどうだろう。この街ではほぼ見かけないとは言え、日常的に行われている羞恥すら取り締まれやしない。自分だっていつそうなるかも知れないってのに、極めて不愉快だ。

 もし街中で、便所でも無い所で、大小関係なく垂れ流しでもしていたら…、

 ー…グゥゥゥゥゥ~。

 「…駄目だ、考えてる暇も無い」

 取り敢えず、腹は満たしておこう。

 でなければ、今度昨日のような輩が出てきたら、それが敗因で、自分の生涯をも終えることになりかねない…。

 「…ゴクリ」

 今日こそは「アレ」を食べようか。

 見た目はかなり悪いが、見ていて、かつ思い出したら、ヨダレが出そうになる。

 昨日は「アレ」のせいで昼間っから酷い目に遭ったが、それでも食べたい。あのサクサクとした食感を味わいたい…あの日々のせいですっかり好みが変わってしまったが、それでも…。

 「…もう行くか」

 守那は、いつの間にか止まっていた歩みを再び進めた。


 午後十二時過ぎ、放課後、歌音と藍良は、奈橋の勤めるクレープ屋にいた。

 「んじゃ、アタイも協力してあげるわ」と、奈橋が一枚の紙を店前の掲示板に貼り付ける。

 その紙には、昨晩の黒マントを象ったイラストと『コイツを見たら110番!!』の文字。

 「何時までもそんな事件起こってたら、ウチの店もウンコ塗れのまんまほったらかしだもんね~」

 「うん、ありがとねなばっちゃん」

 能力者であることと、怪物…ナクシヅクリはまだしも、黒マントの風貌の掲載は、警察から許可が出ていたので、目撃情報を募ることは出来た。

 貼り紙を出そうと言い出したのは、歌音の提案だ。

 「けど、天空…守那ねぇ~、ソイツ、そんなに凄いんだ」

 「うん、結構カンワイ~顔してんだけどね。あ~あ、あれで女の子だったらもっと良かったのにさぁ~、まさかの男の娘って」 

 「だから言ったでしょ、女の子とは限らないって」

 歌音はイチゴをトッピングしたチョコバナナクレープ、藍良はキウイ&バニラアイスクレープを、それぞれ頬張る二人と、奈橋の会話は、転校生・天空守那の話題で持ちきりになっていった。

 「でも、あの後すごかったねぇ…」

 「うん、転校生パワーマジ半端ねぇー…」

 

 彼がやってきたこの日の放課後は騒々しかった。

 教師曰く、彼は先月、隣の県の高校から転校してきたらしい。詳しいことは言わなかったが両親は遠方で暮らしており、それぞれ父は会社員、母はパートの共働きで、この街へは彼一人でやって来たという。

 放課後、彼の下にはクラスメイトが群がっていた。

 「ねえ、趣味は?」

 「好きな食べ物は?何かな?何かな?」

 「どうしてゴロドリちゃんと同じ髪型なの?教えて~!」

 それも、女子だけで無く、

 「やぁ~やぁ~、君ィ~、可愛い顔してるねぇ~」

 「アイドル並みのルックス、男であるのが惜しいくらいだ…」

 「って事はアレが付いてるって事かぁ、残念だなぁ…」

 と、男子からも詰め寄られ、質問だけならまだしも、彼の顔を触ったり、手をさすったりする人間が出る始末。

 彼は返答と対応に困っていたようで、頭を抱えていたようだ。

 「カワイイからぁ~、ハグしてあげるっ…ギュ~!」

 「…うぅ」

 特に、女性相手にはドギマギしており、顔を赤くして目線を合わさず接していた…。

 「ふぇぇ~、コレじゃ話も出来ないよぉ~」

 歌音は、その時はクラスメイトの壁に圧倒され、守那に近づく事すら出来なかった。

 …しかしある時、彼とは一度だけ目が合った。

 「…あ」

 それは放課後、歌音と藍良が教室を去ろうとしている時だった。

 彼の目は綺麗で、それでいて自分の顔を見て安堵しているかのような感じだった。

 歌音は、直ぐに正面に視線を戻したが、

 (…何でだろう、何でこんなにホッとしてるんだろ…)

 あの少女に会った時と同じように、彼に既視感を、そして彼と同じように、彼に安堵感を感じていた…。

 自分に対する天空が、男なのは分かっていた。

 だが、だからこそ安心している自分がいるのだ…。

 

 「…はあ、これは多分お乳様は期待できんねぇ…」期待を裏切られて、溜息を着く藍良。

 「今までぼくにセクハラしてたから、神様があいちゃんにバチを当てたんだね~」

 「あ~、それであたしにお乳様じゃなくて、おちんち…」

 「…おい、お前ら」

 「どわぁぁぁっ!?」

 話題に更ける二人に、その本人…守那が話しかけてきた。

 学び舎を出て直ぐ二人に出会して、「…何でいるんだよぉ…」と、ボソリと呟く守那。

 コイツらマジで嫌がってたってのに、買えるワケねぇじゃねぇかよ…。

 嘆く彼の顔は、少し汗ばんでいる。

 「あっ、天空君、いつからここに!?」

 「…さっきここに来たばかりだ…ったく、撒くのに本当苦労したよ」

 ああ、だから汗だくなのかと、歌音は守那の顔を見て思った。

 只でさえあのルックスだ。男女関係なく彼に纏わり付くのは仕方ない。

 けど、何でだろ、どうして天空君はガッカリしてるんだろう。

 何か、欲しいものがあったのに、買えなかったとかかなぁ?

 「…それと、金石…だっけ?残念だったな、オレが女じゃなくて」

 「あ~ん、辛いぃ~、夢なら醒めてぇ~」

 嘆く藍良をよそに、歌音は更に疑う。

 十代後半の、男の声にしては高すぎる。どう聞いても女性の声だ。多少声を低くしている様だが、耳は誤魔化せない。

 ただ、歌音にはそれ以上に気になる事が。

 (どうして天空君が、あいちゃんの苗字を知ってるんだろ…)

 自分も、藍良も、網河ですら彼に苗字を教えていない。

 なのに、彼は知っている。

 あ、そう言えば昨日の女の人が言ってたっけ。

 『居候がいる』って。

 もしかして、天空君が、その居候さんなのかなぁ…。

 あの女の人、『男の人にはされてない』って言ってたし、あいちゃんも、あの人のを見て『ヴァージン』…処女って言ってた。ボコボコに殴られたようなアザもなかった。

 少なくとも、天空君はあんなだから、女の人にそういう事するような人には見えなさそうだし…。

 …けど、なんだろう。

 ぼくと目が合ったとき、どうしてか安心してたように見えた。

 何で関係ないはずの天空君が、あんな目をしてたのかなぁ…、

 「聖鳴?」

 「…ふぇっ!?」

 守那の呼びかけに、我に返る歌音。

 「どうかしたのか?」と、守那の目は歌音の顔を眉間にしわを寄せながら見つめている。

 彼は、自分のことを心配しているのか?

 とにかく、何か応えなければ、彼に失礼だ。

 「あのっ」意を決して、歌音は守那に話しかける。

 「ん?」

 「昨日の事件、覚えてる?ほら、あの殺人事件」

 何か間違えてる気もするが、そんな事はどうでも良かった。

 ここにいる彼が、あの事件に関わっている筈が無い。

 あの血生臭い、残忍な殺戮に。

 でも聞いてみたい。

 彼の、その口から。

 「ああ…」

 昨日のことを聞いてくるだろうとは思ってはいたが、夜に起きたあの血生臭い方か…。

 只でさえ、吐きそうな気分になったのに…コイツ、肝が据わってるな、本当…。

 昨日の地獄絵図の話は、あまりしたく無かった守那は、仕方ないと思ったのか一瞬ごもりつつ、

 「それなら、ニュースで見た」ハッキリと、返答した。

 「そう…」

 やっぱり彼女とは違うんだ、似ているだけだ。

 警察以外で、あの事件の詳細を知っているのは、自分と藍良の他に、守那に似たあの少女を含めた数名の生存者だけなのだ、彼が知るはずもない…。

 歌音は彼の返答を聞き、昨日の彼女とは別人と認識した。

 歌音は「…だよね、ぼくもニュースで見たけど、本当酷い事件だよね…」と、守那に変な疑問を抱かせないように、嘘をついた。

 「本当…早く終わって欲しいものだな」

 実際は自分もその場に居たってのに、嘘だと思いたいって事か…いや、オレに余計な心配を掛けさせたくないって方が正しいか。

 まあ、そう言うオレも人のことは言えないか…。

 守那は、歌音の結論にため息をつきながら、事態の収束を祈った。

 「ねぇ…アンタさ、どっかで会った?」蚊帳の外で、守那の顔を見てキョトンとする奈橋。

 あ、突然だったから忘れてたと、「天空、ちょっとごめんね」と言って、藍良が守那の腕を引っ張り、奈橋の目の前に連れて行く。

 「あ、紹介するねなばっちゃん。この子が、今日うちの学校に転校してきた、天空守那。天空、この人は、このお店の店員さんの、奈橋…えーっと…」

 「えるは。奈橋えるは。二人から話は聞いてるよ。よろしくね」奈橋は守那に手を差し出す。

 うん、昨日までに見ていたが、そこの二人と違って平らだな。

 けど、握手か。しかも、相手は女性。オレがマジで苦手なヤツだ。只でさえ緊張するってのに…。

 だからといって、何も対応しないのは失礼だ、向こうも気が済まないだろう。

 覚悟を決めよう。何してる。何時までもあの馬鹿にやられっぱなしの人生で良いのか?良くねぇだろ。絶対良くない。手ェ出せ。早くしろオレ。さぁ、早く…。

 「…よろしく」

 守那は、少々流し目になりながら奈橋と握手を交わした。

 (そうだ。天空君は女の人が苦手だった)

 守那の奈橋への態度を見て、教室での出来事を思い出す歌音。

 会ってそう時間も経っていないのにそう思うのは早いかも知れないが、学校でのあの光景を見たらそうだとしか考えられない。

 「でもさ、アタイもあのニュースにはビックリしたよ~、朝起きてテレビつけたら大々的にやってたんだもん。あれ、まだ犯人捕まってないんだよね」奈橋も、昨晩の事件に触れる。

 「ああ…」昨日の地獄絵図の話は、あまりしたく無かった守那は、仕方ないと思ったのか一瞬ごもりつつ、

 「…しかし、アレだけの人数を一人で殺るとは、とても考えられないな…」と、返答する。

 「でしょ、下手したらウンコも散らばってたかもしれない所でね、たくさんの掃除屋とサツが殺されちゃったってんだから。きっと仲間を連れて一緒にやってるんだよ、だって、食い散らかされた死体もあったんでしょ?ほら、愛禁法が施行される前にあったじゃん、塾の子が皆殺しにされちゃったって事件」

 「…グロゲーにのめり込みすぎた阿呆を何人も連れて、大量虐殺ってか?」

 「そう、アイツらのせいで何でもアレ駄目コレ駄目って言うようなバカ親共が『すぐに保全法を施行しろ~!』、『マンガとゲーム許すまじ~!』、『作者と演者全員死刑にしろ~!』って言って、愛禁法に反対する人がドンドコ減っちゃったんだよね~」

 「今じゃ逆に、それを言う馬鹿も最悪極刑、良くても無期だしな。どちらも自業自得だ」

 二人のやり取りを見た歌音と藍良は、「そう言う二人ものめり込みすぎ!」、「話題が逸れてる!」

 と、ツッコミを入れたかったが、両者共にあった事実を話しているので、二人に何も言い出せなかった…。

 「…で、アンタはどれにする?」血生臭い話題はもういいと、奈橋はラミネート加工されたA4サイズのメニュー表を掲げる。

 今回は×印がほぼ無く、誰でも何でも選び放題だ。

 「…そうだな…」

 守那は、イナゴのクレープに虫系増し増し…と、言いたかったが、そこにいる女子二人に配慮した方がいいなと考え、ここは堪えた。

 昨日は二人共、今にも吐きそうにしていたからな…我慢しよう…食べたかったのになぁ…。

 (だが…)

 並んでいるクレープの写真、これだけ見ていても口内で唾液が分泌されて、飲んでも飲みきれない。喉から手が出るほど欲しくなる…これは甘酸っぱそうだし、これもまったりしてそうで捨てがたい。これなんかサクサクっとしてそうで、これは果実すらなくてシンプルだがそれでも良し…、

 …あ~、選べない。どれもコレも欲しい。けど、持ち合わせがあるかどうかも分からない。支給される分であっても怖い。何せ、どっち道バレたらウチのアイツが…まあいい、結局はあのスケベ女の自業自得、たまには、痛い目に遭って貰おうじゃないか。今回は一品だけにするが、それでも分けてやらないからな、オレが平らげてやるんだからな。後から知って、ギャーギャーわめいても駄目だぞ、本気だぞ、本気だからな、果実一切れも、クリーム一口も、くれてやらねぇからな…。

 「じゃあ…」覚悟を決め、にんまりした守那は、メニューに指差した…。

 

 「けどさ、あんたそれ、一人で食べるの?」

 藍良が、歌音の持つ袋を指差す。

 袋からは、大量のフルーツが刺さったクレープが二つも姿を見せている。

 「ぼくが食べるんじゃないよ、これはかなちゃんと、ウロコさんの分だよ。こっちのがかなちゃんので、こっちのがウロコさんの」 「…全然判んないけど」説明されるが、頭が回らない藍良。

 「ふ~ん、判らないんだ。じゃあ…」

 歌音が、藍良の耳に囁く…。

 「…え~~~!?あのチッパイケメンの方には、ム…」

 その真相に思わず大声を上げる藍良の口を、歌音が「ダメだよぉぉぉぉっ!!」と、慌てて塞ぐ。

 「ぼくだってかなり我慢したんだよ、あの中に、判らないように入れて貰うの、凄く嫌だったんだからね…」

 藍良は、それまでのことを少し振り返る。

 そう言えば、歌音が奈橋とコソコソ話してた。

 で、奈橋がクレープを作っている時、歌音は、ちょっとだけ苦い顔してたような…。

 しかし、あの中にあんな仕掛けが…、食べたら、チッパイケメンがどんな顔するか…。

 「…なばっちゃん、凄えな」

 カウンターでクレープを作る、奈橋の方に振り向く藍良。

 あんな名人芸を誰にも判らない様に披露するなど、改めて感心する。

 「…あたしも、あのヤサ刑事にやっとけば…」

 …あ、マッポは市民からプレゼントとか贈り物貰うのは、ダメだったっけ。ま、高校生相手なら、そんなの…、

 「あいちゃん、駄目だって言ってたよ。刑事さんが、賄賂とか疑われるからって」

 う、心読まれてる…いや、違う。歌音は心から正論を言っているだけだ。

 それに比べ、自分はなんて事を考えているんだ、仮にも相手は市民の犬、じゃなくて味方…。

 「…そんな事考えてる、あたしって…」

 ほんとに阿呆だわ。

 己の愚かしさに一人、藍良はうなだれた…。

 「…今度は金石かよ」守那が、注文した品物を貰い、二人の眼前に戻ってきた。

 「あ、天空君、戻ってたんだ…」

 …うゎーお。

 守那の手にある物を見て、歌音はあ然とする。

 彼の持っているアイスミルクティーは至って普通だが、セットで頼んだのだろうクレープは…。

 「…花束だ」

 そのクレープはチョコアイスを土台に、バナナにオレンジ、キウイ、イチゴ、(ウサギ型に切られた)リンゴ、ブルーベリー…等々、大量のフルーツとチョコプレッツェルやフレークチョコがこれほどかと埋まり、刺さり、そこへホイップクリームにチョコソース、更にダメ押しに、色とりどりのチョコスプレーが散りばめられていた。具材が、今にもこぼれ落ちそうだ。

 あの日の、虫まみれのクレープブーケとは、華々しさが俄然違う。こちらの方が、全然美味しそうだ。いや、絶対旨い。あんな禍々しいモノを食べるよりは、断然…。

 「…聖鳴?」

 「…フェェェェェッ!?」

 守那の顔が眼前に迫り、歌音の意識は現実に引き戻される。

 「お前、一度だけならず、二度も瞑想入りか?一体どうした?」

 「ううん、天空君が持ってるクレープが、すっごい豪華だなぁ~、ブーケみたいだな~って思って。昨日の人のとは違うなぁ~、って…」

 「うっ…」

 そんな風に見てたのか…。

 歌音の感想を聞いた守那は、昨日の事を思い出し、気まずくなった。

 「うんうん、昨日の花束…いや虫束よりはいいよね~。あの人、あの後ヤラシ~目に遭ったみたいだし」

 いつの間にかうなだれから復活した藍良が、守那に追い打ちをかける。

 「ヴッ…」

 守那の脳裏に、あの淫靡なお仕置きの光景が蘇る。

 あの二体のセクシーボディが眼前にドン、と迫り、そうやって自分の躰の隅々を弄くり倒す。純潔や、ファーストキスこそ奪いには来ないが、ただソレだけ。後はお構いなしだ。

 「…すまん、もう行く」

 最近の事をネタに弄られた守那は、あまりの気まずさに、もうこの場から立ち去りたくなったようだ。

 「あれ、もっとゆっくりしていけばいいのに、もっと仲良くなれるかもよ?」奈橋が引き留めようとするが、

 守那は「いや、どうせ明日教室で会う」と断り、店から離れていく。

 そうして、歌音の傍を通り過ぎようとする守那は…、

 「…本当にされてないんだからな」

 少々赤面しながら小声でそう言って、三人の目の前から姿を消した。

 歌音も、もう引き留めるためのネタが無く、黙って彼を通した。

 「けど、本当に似てるよね~、天空って」

 「似てるって、ゴロドリさんに?」

 「ううん、あの昨日の人に。まあ、天空の体に痣が見当たらないのもあるけどさ~」

 「それは天空君が服着てるせいで見えないからでしょ。それにあいちゃん、痣を見たいからってハダカ見ようとしたら、それこそヘンタイさんになっちゃうよ」

 だが歌音は、守那にシンパシーを感じていた。

 あの事件の真相の一端は、報道では伏せられている。

 超常現象で人が死んだ事も。

 異形の怪物が現れた事も。

 そして、自分達がいたことも。

 (あの人と、違う筈なのに…)

 

 守那は、「食べたかったなぁ…」と呟くと、多量のフルーツやチョコがトッピングされたクレープを頬張り、立て続けにアイスミルクティーをストロー越しに口に運ぶ。

 仕方がなかったとは言え、後悔は、しない方のが大きいって、誰かが言ってたっけかなぁ…。

 「しかし、アレだけ喰らって、まだ捕まっていないのか…」

 あまり振り返りたくないのに、結局振り返ってしまう。

 かの、切り裂きジャックもドン引きの、黒装束の猛獣使い。

 あの化け物使いのナクシビトが、今ものうのうと生きて、無数の人間をバラ肉に作り替えている。あんなのが居たら、ようやく掃除ができるって時間に人が集まらず、朝歩く人間は気持ちよく出歩けない。オレだってそんなのは御免だ。

 しかも、あの事件の現場に、この二人も居たってのに、容赦無用で能力を使った。恐らく奴は、オレと同じ境遇を経験しているだろうが、それでも思想が危険すぎる。向こうは分からなかったのだろうが、実際に女子高生を巻き込んだのだ、きっと小さい子供が居ようが居まいが関係なく、能力を使うに違いない。そう考えると、野放しには出来ない。まだ、心の中に何かが引っかかるが、あいつら二人が生き延びることが出来たのは、幸運でしかないのだ…。

 「…けど…」

 一方のオレは、折角命を救ったのに、最後の最後に、あんな恥を…。

 なのに、快感だった…。

 繊維の苦しみから解放された快感と、皮膚が外気に触れる心地よさに加え、本当は他人に見られるのが嫌なのに、嬉しかった。彼女に似ていたからではないし、過去に見せた事もない。

 只、自分の裸体を、あいつに見られるのが、妙に懐かしかった。

 (…しかし、聖鳴…か)

 思い浮かぶのは、今同じ店で友達と談笑している彼女の事。

 忘れられないあの名前。

 何処か懐かしさを感じる雰囲気。

 あの赤毛。

 あの瞳。

 よく考えたら、昨日初めて出会ってから、どこか変だった。あの惨劇の夜の事だけは偶然だとしても、後は自分に対して既視感を抱いているのでは、と思わせる態度だった。特に今日は、昨日以上に普通に顔をよく見るので尚更だろう。

 (だがしかし、聖鳴の顔、本当あの娘によく似てるな…)

 歌音の顔を長く見ていると、やはり、幼い頃に一緒に遊んだ、小さい少女の事を思い出す。

 彼女も、歌音と同じような赤い髪を持っていた。一人称と、よく思い出せないが瞳の色はとにかく、後は何もかもが酷似している。 

 まるで、子供のまま成長したかの様に…。

 もしや…。

 「…いや、今は考えない方がいい」

 何度も心の中に呼びかけろ。

 あいつが…聖鳴が、彼女と同一人物かどうかはまだ確定ではないんだ。

 だから、子供の頃のように接するのは止めろ。

 それまでは、あいつは只の…同級生、クラスメイトだ…。

 「…でも、それだけならまだ良い」

 もし、それ以上の「秘密」が知られてしまったら、二人を、いやこれから巻き込んでしまうだろう、多くの者達を苦しめることになる。

 自分には、時間はまだたっぷり残っている。

 きっと、『その日』が訪れる前に、解決するだろう。

 例え、自分が望む答えで、全く無かったとしても…。

 守那は、これ以上暗い事を考えまいと、クレープにひたすらがっついた…。

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