Ⅰ:光る練成者達の出逢い
悪夢と少女
少女には、いつも見る夢がある。
それは、物心ついた頃から、ずっと見続けており、高校生になった今でも、全く変わっていない。
そこは緑豊かな広い公園。数々の遊具が設置され、いずれの遊具も多くの子供たちでにぎわっていた。
『…ちゃ~ん、いっしょにあそぼ~!』誰かが少女を呼ぶ。
少女は声のする方へと振り向く。すると、黒髪の綺麗な、幼い男の子が元気に立ち、上に上げた両手を大きく振っていた。
「うん!あそぼ!」
少女は、男の子の元へ駆け寄り、二人で遊び始めた。
砂遊びに始まり、続いてブランコに、シーソー、滑り台、ジャングルジム、遊具に飽きたらかけっこ、おままごと、木登り、水遊び…。
少女も男の子も、無性に楽しくてたまらなかった。
このまま、この時間が続いて欲しい…。
ずっと、こうして遊んでいたい…。
少女は、心の中で願った。
このまま、この幸せが続いて欲しいと。
永遠に続いて欲しいと。
これが夢でも構わない。
例え夢であっても、永久に覚めない夢であって欲しいと…。
しかし、楽しい時間は長くは続かない。
『お~い、そろそろ帰る時間だぞ~』
『早くしないと、暗くなっちゃうわよ~』
遠くから大人の男女が帰る時間だと、少女と男の子を呼ぶ。顔がまるでテレビのバラエティ番組で観るような、ぼかし表現のように隠れていて見えないが、間違いない。あの二人は確実に自分達を呼んでいた。
『行こう、…ちゃん』
「うん!」
男の子が、少女の手を取り、男女の元へ走る。
彼はアハハと、声を出して笑っていた。
少女自身もウフフと、声を出して笑っている。
「…ちゃん…」
知らない筈なのに、何故か懐かしく、暖かい感覚が心の中に広がっていった…、
…そのはずだった。
『…ちゃん…痛いよぉ…』
途中で映像は、暗転と共に阿鼻叫喚の惨状に一変する。黒く、暗く、光も届かない薄汚れた檻の中に、先ほどの男の子が、全身汚れと、傷だらけの姿になって横たわっていた。髪もあの時の美しさを失い、煤に塗れてボサボサになっていた。
また、暗くてよく見えなかったが、彼が一糸纏わぬ姿なのはすぐに分かった。
『寒いよぉ…だれかぁ、助けてぇ…』
他の檻には、多くの子供たちが、しかも皆性別や年齢層お構いなしに、かつ彼と同じく素肌をさらけ出した全裸で入れられている。檻の中には布切れ一枚すらなかったのだろう、その多くが、恥部を手足で隠していた。
『見ないでぇ…あたしのハダカ見ないでよぉ!』
『はぁ…はぁ…いい…あいつ、いいおっぱいしてるぅ…』
『投獄』されている子供達の様子も様々だ。
一人はただ蹲って、一人は大声で泣いて、一人は他の投獄者をオカズに…とにかく、一人ひとりの個性が、文字通りあられもない姿で表れており、その状況はまるで、家畜として飼われている豚や牛のようだった。
ただ、それは少女にとって問題の一つにしか過ぎなかった。
もう一つ、気になる事があったのだ。
―鳥さん…?
子供たちは皆、身体のどこかに黒い鳥の姿をかたどった痣が在ったのだ。個人個人で痣がある場所も、その痣の形も、濃さも違っている。
だが、男の子だけは、何処に痣があるかが見えなかった。顔にあるのではと思ったが、ボサボサの髪が、邪魔で見えない。しかもこの暗さだ、他の子供にある痣だけでも見るのに苦労したのに、確認しようにも眼が慣れてこない…。
しかし、その興味は直ぐに消え失せる。
ー…バッ!!
突然、ドアが物凄い勢いで開き、その場に、白装束に身を包んだ男が現れた。
その向こうでは、
『いやぁぁぁ…お願いだから許してぇ…』
『何でもするから…助けてよぉ…』
男と同じ、白装束の連中が全裸の子供達の腕を、足を引っ張り、何処かへと連れて行く。
子供達の中には自分の体をまさぐってアピールする者もいるが、連中は子供の体には興味が無いのか、まるで効果がない。
『…クソガキ共が』
男は、後ろで連行されていく子供達を小声でけなしながら、ツカツカと音を立てて男の子に近づき、その長く伸びた髪を掴む。
『時間だ、出ろ』
こうして男の子は、他の子供達共々白装束の連中によって檻から出されると、どこかに連れ出された。
ー…ちゃん!
少女は、男に腕を引っ張られて連れて行かれる、男の子を追ってその先に行く。
―何…これ…。
少女は、その先にあった光景に目を疑った。
『オラオラァ、走れ走れぇっ!』
『なんだテメェ…止めていいとは一言も言ってねぇぞ!!』
そこでは、あの男の子を含めた全裸の少年少女たちが、まるで死後の世界、八大地獄で受けている罰の様な拷問を受けていたのだ。
子供たちは、男たちに純潔を奪われこそしなかったが、それぞれ剣山の上を走らされ、体をドライアイスで冷やされ、刃物で切り付けられ、球体の何かを打ち付けられ、何かしらの異物を口に入れられ、火に炙られ、猛犬に身体を噛みつかれ、中には指や手、足、耳、眼球、それと…とにかく、体の何処か一部を、文字通り「奪われた」者もいた。
『嫌だ、嫌だぁぁぁぁぁぁっ!』
『お家に帰りたいよぉ…、誰か助けてぇぇぇぇぇ…』
『見ないでっ…ぐすっ…こんなとこ見ないでぇ…』
連日、子供たちの苦痛に満ちた声が、部屋中に響き渡った。自殺を図る者も、逃げようとする者も、中にはいた。
しかし、
『ギャーギャーうるせぇんだよ、ガキ共ぉっ!!』
『テメエ等に帰る家なんかなぁ、もぉ無ぇんだよ…おらぁっ!!』
と、男達はそんな子供たちの悲痛な声を、聞き入れる事どころか、怒号を響かせながら彼らをなじる。更に悪いと足蹴にする等、情け容赦の無い暴行を加えた。
ー…うえっ…おうぇええええ…。
ー…ブリュッ、ブリブリブリ…プシャァァァァ…。
拷問に加え、暴行を受けた子供たちの多くは、早くここから抜け出したいといわんばかりにその場で嘔吐や失禁をし、その汚物や排泄物で床や拷問道具を汚した。中には男に便を投げつける子供もいた。
だが、対する男達は、
『このガキ…人の服を汚しやがって…許さねぇぞコラァ!』
尚も子供たちをなじり続け、子供の顔を汚物に押しつける。便を掴んで、子供の口に突っ込む大人もいた。そんな阿鼻叫喚の地獄絵図が、一日何時間も続いた。こうして男の子と子供たちは皆、心身を傷つけられた上で、また檻の中に閉じ込められる。
日常茶飯事の拷問には及ばぬものの、檻の中での生活も地獄だった。
まず、男の子を含めた子供達の周りには、娯楽など存在しなかった。
男たちは、自分は子供をいたぶって『遊んで』いたが、にそんな物など一つも与えず、
『ほら食え、クソが』
次に、子供達は皆、ろくな物を食べることすら許されなかった。
一食に一度、埃塗れかつカビだらけの食パンが一切れ配給されるだけで、後は飲み水すら渡されない。稀にだが、何も配られない日もあった。
当然、子供達は栄養失調から徐々に痩せこけた。元々古くなっていた物を食べていたのもあり、腹も下した。嘔吐もした。
『よし…出た…!』
子供達の多くは、駄目だと分かっていても、飢えを凌ぐために自分達が出した便や下痢、吐しゃ物を口の中に運ぶ。何も出なかったときは、指で肛門をほじくり出し、指に便がついたらそれを舐め、男子に至っては、勃起したアレを手で掴み、尿道から尿が飛び出したらそれを直接、噴水や蛇口の水のように飲み、のどの渇きを潤す。女子は自分の乳房をきつく握って母乳を出そうとする者もいたが、駄目だと分かれば潔く諦めて別の手段をとる。入ってきたネズミや虫を捕まえて、踊り食いしたり、自分の髪をむしったり、眼球を抉って、それを食べる者もいれば、わざと切創を創り、流れ出た鮮血を啜り飲む者もいた。
男の子も例外ではなく、パン一切れだけでは足りず、入ってきたネズミやクモを捕まえては口に運び、その歯で生きたまま噛み千切って食べていた。
皆、吐きそうになりながらも、そうやって一日を生き延びていた。
だが結局、その方法は子供達にとって、ムダな足掻きでしか無かった。
ーズル、ズル…。
毎日と言うわけではないが、週に数名の子供がその幼い人生の幕を下ろす。冷たい、一筋の光も入らない冷たい檻の中、生まれたままの姿で。大人たちは、ニヤリと笑いながら裸の死体を引きずりながら檻から引っ張り出す。
「楽しみが出来た」
「はぁ、ようやくヤれる」
「じゃ、最初はどこにいれようか」
「冷めない内にシてやるかぁ」
…なんて言葉が、男達の口から聞こえたような気もする。
たまにだが、その中には体の一部を失くした子供もいたし、さっきまで牢にいた子供や、拷問を受けていた子供もいた。掃除もされずただ空いた檻には、また新しい子供が、やはり全裸で閉じ込められ、先に閉じ込められた子供たちと共に、苦しみに満ちた毎日を送る。
死してもなお、子供達に安息の時は、一切与えられなかった…。
ーああっ…!
それでも、少女にとってはこれはまだいい方だった。
目下の問題は、男の子の方だ。
最初こそアザと、切り傷と、体の汚れだけだったが、度重なる拷問と暴行によってやがて指を、四肢を捥がれ、片目を潰され、男の子は日に日に人の形を失ってゆく。眼球や手足があった所からは、筋肉や血管、骨が露出していた。包帯で隠されていても、すぐに大量の血で滲んだ。手足がないために、自力で体を隠すことが出来ず、だらんと垂れた陰茎が丸出しになっていた。
お陰か、以降彼が拷問部屋に送られることは徐々に無くなっていったが、喜べる物では全くなかった。
『…』
果てには、彼は声を一切出せなくなった。五感の殆どを失っていたようにも思えた。
呼吸も自力で出来なくなったのか、ボロボロで、それでもどうにか使えるであろう、粗悪な人工呼吸器が取り付けられた。連日吐血し、彼が伏しているボロ絹のベッドも、彼の血で赤黒く染まっていった。失禁も繰り返し、シーツから排泄物が漏れ出していた。
だが彼は、自分がそんな惨たらしい姿になっているにも関わらず、その顔には苦悶の表情など無く、少なくとも自分の体や、全身の感覚が奪われ、消えてゆく恐怖など、微塵も感じていない様にも見える。寧ろ、彼は息が絶え絶えながらも、平静を保っていた。
一方の少女は、何故か天井から彼が原型を留めなくなってゆく、そんな惨状を黙ってみているしかなかった。同時に、そんな状況にあっても、苦悶の表情一つ浮かべやしない男の子を、不思議に思っていた。あの男の子は、あんな棲惨な目にあっても平気そうのに、自分はそれに耐えられない。
本当は、痛くて、苦しい筈なのに…。
―許せない…こんな子に、あんな事をするなんて…!
男の子を苦しめる奴らに対する、怒りが、込み上がってくる。
男の子への悲しみも、押し寄せてくる。
心の中の溶岩が、今にも噴火しそうだ。
―こんなのもう嫌だ…見てられない!
この地獄から、助けてあげたい。
救いに行きたい。
今すぐに。
この足で。
この手で。
この声で。
―なのに、どうして、助けられないの?
傍に行きたくても、行けない。
伸ばした手も、空を切る。
したくても、出来ない。
声も、届かない。
どうしても。
どうやっても。
何もすることが出来ない。
何度やっても、彼を助けることは、叶わない。
―…嫌だ…嫌だよ…
目の前にいる子供を助けられない絶望感と、そんな自分に対する嫌悪感。
そんな感情が、少女の心を満たした。
ズキッと、胸も痛んだ。
そうこう考えているうちに、男の子は白装束の連中とは違う、迷彩色の服を着た複数の大人達に連れていかれる。
―…待って!
少女は男の子と、彼を連れて行く大人たちを追っていった。
置いて行かないで…ただそんな解釈では片付けられない感情が湧き上がる。届かないと分かっていても、少女は男の子に手を伸ばす。
その思いが通じたのか、少女は段々と男の子に接近していく。
届いて。
届いて欲しい。
もうすぐなんだ。
もうすぐ、あの子にたどり着ける。
ボクはただ、あの子を助けたい。
助けたいだけなんだ。
だから、待って。
待ってよ。
行かないで。
置いていかないで。
ボクを――――――。
だが映像は、暗転と共に幕を閉じる。男の子の生死を知ることが出来ないまま、悪夢は終わってしまった。
「…待ってぇぇぇぇぇっ‼」
こうして朝毎日、少女…
その時はいつも涙を流す。眠気からではない、悲しみの涙を。全身も汗でグッショリと濡れ、そのせいで赤茶色の髪は湿り、寝巻きも体にびっしりと張り付き、肢体の形がくっきりと出ている。
周りを見渡すと、男の子が遊んでいた公園も、閉じ込められていた黒い部屋も無く、テレビやデスク、本棚と、あらゆる生活家具が至る所に立ち並び、カーテンレース越しに朝日が空間を照らしている。布団の上も、いくつものヌイグルミが転がっている。
「…また、あの夢だ…」
歌音は夢から覚めるたび、あの男の子の事を考えて、自己嫌悪に陥る。その度、生きる自信が無くなってくる。あの夢の先を見たことは、一度も無い。これまで生きてきた中で、一度も…いや、見たくもない。見てもいけない。もしその先を見たらきっと、生きていることすらも恐ろしく感じるだろう。いや、もう心の奥底では恐れているのかもしれない。ならば、いっその事消えてしまいたい。ここから。この場から。この世界から。死にたい。死んでしまいたい。じゃあ、死のうか。さて、どうやって死ぬ?この手で首を絞めるか?それとも手首を切るか?毒でも飲もうか?う~む、どれも捨てがたい。選べない。こうなったら、全部まとめて一辺に試して…。
「…ううん、駄目だ…」
もし、それで本当に自分が消えたらどうなる?残ったみんなは、どう思うのだろう?友達は?親戚は?先生は?
そして、何より家族は…。
「…きっと、みんな悲しむよね…」
…なら、消えないほうがいい。
この世界に、いたほうがいい。
生きていたほうが、ずっとマシだ。
たとえ、この世界に生きることががどんなに苦しいことだったとしても。
たとえ、どんなに悲しいことだったとしても…。
それでも…大好きな人たちを、悲しませるよりはいい。
なら、あんな夢でいつまでもウジウジしてなどいられない。
今日もまた、外の世界へ出かけよう。
自分が来るのを、家族も待ってくれている。
友達にも会える。
出会いだってきっとある。
そうすれば、楽しい時間が待っている…。
「…なら、今日も元気に笑わなくちゃ…」
…でも…。
歌音は、その汗まみれの体を見て、表情が引きつった。
「…ううっ…嫌だなぁ…」
歌音はベッドから立ち上がると、ヨロヨロとした姿勢で部屋を出た。
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