亡失者達の祭
鸚鷹 慶総(おうよう けいそう)
一:ロスト・ルインズ
プロローグ
とある場所、まだ遅くない時間、人の気配のない廃工場。
「おらぁっ、蹴れ蹴れぇっ!」
「そおらっ、ど~だっ!」
「ゴミガキがぁ、いい加減くたばれぇ!」
そこで複数…ざっと二十人程の、職業も年齢もそれぞれ異なる男の集団が、一人の少年を容赦なく痛め付けていた。
年齢にして十四から十五くらいの少年は髪が乱れ、全身が砂や泥でまみれた上に痣や傷だらけで、身に着けている衣服も破れが多く、数日間まともな飲食をしていないのか手足はやせ細っており、いつ死んでもおかしくない。彼は、助けてほしいと言おうとしているのか、はたまた命乞いをしているのか、ただ無抵抗のまま、苦しみと恐怖を込めた眼差しで男たちを見つめていた…。
…だが、対する男たちが彼に与えたのは無慈悲な制裁だった。
何度も少年を足蹴にし、殴りつけた。憎しみと、殺気を込めた拳で、少年の傷と痣を増やし、骨を折り、内臓を外側から破った。
それも何度も、何度も…。
「お前みたいな奴らがいるから、この『国』は壊れたんだ!」
「テメエ等なんか、誰が助けるかよ!」
「こんな奴らのせいで俺は…愛するものを失ったんだ!」
「これは、貴様らに対する『裁き』だ!」
「人間の形なんて、残してやるものか!」
「犬どものガキなんか、さっさと死んでしまえ!」
「この手で、殺してやる!」
「ぐしゃぐしゃにして、殺してやらぁ!」
「死ね!」
「死んじまえ!」
「死んでしまえ!」
男達が殴り、蹴りながら発したその言葉のひと言一言に、少年に対する憎しみと、怒りが込められていた。
少年の命は、幾度となく暴行を受け続けた末、もはや風前の灯だった。が、それでも男たちは、少年に振るう「裁き」の拳を止めようとはしなかった。男たちは、少年が自分達の手によって死にゆく様を、面白がっていたのだ。
空もまだ暗くないにも関わらず、その場に、誰かが通り過ぎても、誰もその惨状に気づかない。例え気付いたとしても、状況を理解しているのか、はたまたしていないのか、誰一人として少年を助けようとしなかった。
一方の少年もまた、助けを呼ぼうとしなかった。
「ママァ、ママァって、叫んだって無駄だぜぇっ!」
「お前の事をを助けに奴なんか、ここには来ねぇぜ?」
少年にそう言い捨てる男達の顔には余裕が見られる。
集団から離れること、およそ十メートル向こうには、少年の母親と思しき女性が、絞められ、刺され、鉄骨に心の臓を貫かれた、無残な姿で磔にされていた。余興として犯されたのだろう、股下からは白濁した液体がポタポタと滴り落ちている。
少年は、救いを求める相手を探すことが出来なかった…。
そして、「裁き」と言う名のリンチを初めて数十分が経過した時…、
「…うぃ~~~、旨ぇ~~~~っ!」
「お~い、こっちにもくれぇ~」
皆、興が覚めたのか、男達は少年を脇にやったまま退屈そうにスナック菓子を肴に酒を飲んでいた。
そんな中…、
「なぁ~~~!!」男の内の一人が、ビジネスバッグを手にこっち見ろとアピールするように大声で叫ぶ。
他の仲間は皆「何だ何だ」「折角楽しんでたのによぉ」と、男に注目する。
「俺さぁ、この状況をもっと面白くするモン持ってきてるんだぁー!」
視線を浴びる男は「…くくっ…見てろよぉ…」と言って、ビジネスバッグのポケットに手を入れる…。
「…ジャ、ジャ、ジャッ、ジャーン!」
男のポケットの中から、銀色にギラリと光る、刃渡り十センチの、短くも鋭いサバイバルナイフが姿を現した。その『玩具』に興味津々な仲間は、皆立ち上がる。
「おいおい、そんな物何処で買ったんだよ」
「持ってたら、サツに足付けられるんじゃねえか?」
ナイフの持ち主である男は、「チッ、チッ、チッ」と、人差し指を立てながら仲間の疑問を否定する。
「あのカイレイスの連中から買ったんだよぉ、いつかこういう時がくるかもしれねぇからなぁ…」
男はナイフをちらつかせながら、横たわる少年の傍にしゃがむ。
仲間も、ナイフの男に追随し、少年の周りを囲む。
「ほぉ~れ、ほぉ~れ…何処から刺して、い・こ・う・か・なぁ~」
男はヘラヘラと笑いながら、取り出したナイフを少年に突きつけ、いつ切るか、刺すかという、「遊び」を楽しみ、周囲にいる、他の男たちもいつその刃が、少年の身体を突き刺すか、もしくは切り裂くかと興奮していた。ナイフの刃先を、少年の頬に、鼻に、首筋に、顔の他にも、腕、足、胸、股間と、上から下へと順に突き付け、少年にこれから死ぬという事を思い知らせようと言うのか、これを男は、五回、十回、何十回と繰り返した。
「んじゃ、全員丁度良くムラムラしてきた所だし…そろそろ始めるかぁ…」
ナイフ男は仲間の様子をうかがったのか、
「…イッツ・ア・ショウタ~イム!!」
と、高らかと声を挙げた。その声はエコーとなって『会場』内に響き渡る。
「こ~れより、私達から、何もかもを奪い去った、腐った裏切り者のガキの『死刑』を…執行いたしまぁ~す!!」
ナイフ男の宣言に、他の男達もヒュー、ヒューと大いに盛り上がる。
「さあ、わたくしが今手にしているこの聖剣を、今皆さまの足元に転がっている汚らわしいクズガキの心の臓を突き、その魂を、マグマが煮えたぎる真っ赤っかな地獄にブチ落としてやりまぁ~す…あー、ちょっと済みませんが、誰か死刑囚を起こして、私と一緒に処刑台の所まで連れてきては貰えませんでしょうか?」
男の呼び掛けに応じ、仲間のうちの二人が少年の腕を掴み、男に誘われるままそこにあったボロボロのソファの傍に運んだ。少年を苦しめる喜びが、遥かに勝っていたからだろう。二人は男のアシスタント扱いされている事に、怒りは感じなかった。
「どうも、ご協力ありがとうございま~す。ですが、重ね重ねすみません…」
ナイフ男は、少年の体をまじまじと見て、そのボロボロの服をピラピラさせるや…、
「…このままではちょっとやり辛いのでぇ…死刑囚を丸裸に剥いちゃってくださぁ~い!」
ナイフ男のその言葉に、仲間の二人はにんまりし、
「うぉ、ハダカか?」
「ま、いいんじゃね?戦時中はコイツもスッポンポンだったろうし」
アシスタントとなった二人の男は、少年の着ていたシャツを破り、ズボンと下着を脱がしていく。
「おやおや、この死刑囚はどうやら口答えも抵抗もしてこないようですねぇ…」
ナイフ男の見かけ通り、少年はやはりジタバタすらせず、ただ男達に身ぐるみを剥がされていく。
「…お~し、終わったぁ~」
こうして、一糸纏わぬ姿にされた少年の、体の所々からは骨の形が浮かんでおり、男達の暴行の跡が生々しく残っていた。骨折も複雑骨折とまでは行かず、男達もまだ殴り足りなかったのか「あ~、もうちょいとやっとくべきだったかぁ」と、口を開くなど後悔する仕草を見せた。
ーボロン。
「うわっ、起つ前から立派かよ…」
「多分俺らのと同じくらいデカいんじゃねぇか?」
男達は、ダラリと垂れた『ソレ』に響めく。
少年の下腹部にぶら下がっている『ソレ』が太さ二~三センチに直径十五センチ、二つの玉が入っている袋もピンポン球大と、痩せ細った体に似合わず、太く立派で大きかったからだ。
「永久保存版じゃねぇかよ、みんな撮れ撮れ」
男の一人に扇動されるように、次々とギャラリーがスマートフォンやカメラを取り出す。
「おいおい、いいのかよ写真とか、サツにパクられんじゃねえのか?」と、仲間の行動に戸惑う者もいたが、
「構いやしねぇよ、どうせ旧政府の奴らのせいで法も何もありゃしねえんだ」
「そうだそうだ、文句があるなら、修正党のクソ共に言えってなあ!」
と、カメラを構える男達は返すと、一回、二回とシャッターを押し、丸裸の少年の姿を何枚も写真に収めた。
「じゃ、そこにある処刑台に寝かせちゃってくださ~い」
男達は少年をソファに寝かせると、そこから離れ、「観客」に戻る。
「あ、それと若干訂正させていただきますぅ。実はわたくし、心の臓以外にも色々な個所を刺してみたくなったんですよぉ~、皆さん、許してくださいますかねぇ?」
「なあ、いいよな?」
「ああ…いいんじゃね?」
「ジワジワ苦しめてその後サクッとかぁ…それも悪かねぇ~なぁ~」
「いいよいいよ、減るモンじゃあるめぇし」
「構いやしねぇ、刺せ、刺しまくれぇっ!」
「そうだ、ブッ刺せぇ!」
「ズッタズタに切って切りまくれぇ!」
「さっさとそのクズガキのハラワタ見せやがれぇっ、ヒャッハァァァァァッ!」
ナイフ男の血に飢えた願望に、観客となった仲間達は皆、異を唱える事無く笑い、声を上げる。
「刺~せっ」
「殺~せっ」
次第に、二つの言葉が繰り返される、狂気のコールが始まった。
コールは壁に弾かれてエコーとなり、建物全体に響き渡り、これから始まるショーの熱気を上げる。
「…重ねがさねありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて、最初の一刺し…行っきぁぁぁぁぁぁす!」
ードスッ。
狂った処刑人となったナイフ男が、手にしているナイフをドスッ、と少年の左手首を突き刺し、鈍いながらも肉が裂け、骨が砕ける音がエコーとなり男たちの耳に響く。
その刺し傷からは赤黒い液体がどろりと流れ出し、ナイフを抜いても出血の勢いは止まらない。
「ウォ~~~、いったぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「いいぞいいぞぉ~~~!」
男達は公開処刑の始まりに、改めて歓声を上げた。
一方の少年は、声を出す力が残っていないのか、叫び声すらも発しない。
そんな少年を見た男たちは
「おい、見ろよ。こんな奴にも赤い血が流れてんだな」
「ケッ、生意気が過ぎるんだよ」
と、笑いながら少年を蔑んだ。
「お~やおや、まだくたばらないようですねぇ、ま、そうでなきゃ面白くございませんけど。そんじゃ、次の一刺し、参りまぁぁぁぁぁぁぁぁす!」
処刑人は次に、少年の左太ももを刺した。骨折した上、神経も切れていたのだろう、左脚は痙攣すら起こさない。
ギャラリーとなった男達の中には、
「おい、次は耳、その次は舌だ!」
「何言ってんだよ、次こそガキの生意気なあの『ブツ』を滅多刺しだろぉっ!?」
「いやいやアソコは後の楽しみだろ、次は腹かっさいて、出したハラワタで縄跳びだぁっ!!」
他にも晒し首、眼球でピンポン、へそをドリル…。
狂った要望を、ナイフ男に掛ける者もいた。
「あらあら、まだ生きてらっしゃいますかぁ、しぶといですねぇ…ではジャンジャン刺して行きましょうかぁ!ぎぃぃぃぃやはははははは!!」
ナイフ男は更に続けて、右脚、腹部、右手、左肩、右眼、首筋、跨がった上で局部…と、全身まんべんなく次々に刺していった。部位によっては執拗に刺した。
だが、少年は何時まで経っても、死ぬ様子も、痛みに苦しむ仕草も見せなかった。痛みを感じているのか、いないのか、もはや誰にも、おそらく当の少年自身すら分らないのだろう。
「あ~、ガキをフルチンにしたのはこの為かぁ~」
「あんなズタズタじゃもう突っ込めねぇなぁ」
「あれで糞したら痛ぇんだろなぁ~」
男達は己の股間や尻を押さえたりするなどリアクションをするが、全く痛そうにしておらず、むしろケタケタと笑うなど、喜んでいた。
血に飢えた、狂った喜劇が何十分と続き、只でさえ汚れとアザだらけだった少年の体は、切創と鮮血で更にズタズタに傷つき、塗れていった。
しかし、それも長くは続かない。
「…さーてさて皆様、大変お名残惜しいところですが、次の一刺しで最後とさせて頂きます」
処刑人は宴の終了に残念そうな口調だが、その眼はむしろ笑っていた。その口もニヤリと不気味な笑みを見せる。
「あ~あ、もう終いかぁ~」
「もっとやって欲しかったなぁ~」
そう言う観客達も皆、悪魔のような笑みを浮かべ、興奮している。
「皆みな様、目をよ~く見開いておいて下さいねぇ…」ナイフ男は、大きく息を吸い込み、聖剣を構える両腕を上空に挙げる。
「…この『ニホン』を、腐らせて、俺らから、全部奪い去った、裏切者のぉ、屑ガキのぉ…惨ったらしい最後をよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼」
処刑人は勢いよく、血に染まりながらも、ギラリと輝く聖剣を少年に振り降ろした。
ードスッ。
処刑人の最後のひと振りの鉾先は、少年の左胸だった。
その左胸には、処刑人が持っていた短い「聖剣」が深々と、生々しく刺さっていた。少年は吐血し、傷口からも、おびただしい量の鮮血が流れ出し、その血はこれまでに作られた刺し傷から流れ出た血液と混じり合い、少年の身体を、処刑台となったソファを、赤く染めてゆく。
「ソラァァァァァァァァッ!!」
ーブシャァァァァァァッ…。
ナイフ男が勢いよく刀身を引き抜くと、少年の胸元の切創からおびただしい量の、赤い、命の水が吹き出す。その赤い水はナイフ男の体を赤く濡らしていく。
「…見よぉぉぉぉっ、この国を滅ぼした悪魔共が…チョメ公がまた一人討伐されし瞬間をぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ナイフ男は血塗られた聖剣を掲げ、観客達に向けて叫ぶ。
この様子を見た男たちは皆、確信した。
このガキはもうすぐ死ぬ。
この「国」を、「国」じゃなくした奴らの、腐ったガキが、また一人。
愛するものを破壊した奴らの、クソガキがまた一人。
ざまあみろ。
死んで詫びやがれ。
てめえの行き先は、きっと地獄だ。
「ウォォォォォォッ、シャァァァァァァッ!!」
「俺達はやったぞ、また一匹、仇を取ってやったぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ここにいた誰もが、悪魔の様に声を上げて笑った。
男たちは、スポーツの試合に勝った時の様な活気さこそ無かったが、声を挙げ、勝ち誇った…。
…だが、その確信は一瞬で消え失せた。
ー…ザシュッ…ブシャアァァァァ…。
「…ん?」
間近で肉の裂ける音が、次に遅れて血しぶきの噴き出す音が発せられた。
「一体、何が起こったんだ…?」
「あんな音、どっから…?」
男たちは皆、耳を疑った。ナイフもあの左胸への一撃でもう終わって、それ以外では何所も切りつけていないし、もう誰も少年には手を出していない。
じゃあ、一体、誰が…。
男たちは、あの音の聞こえたであろう所に、ゆっくりと、振り向いた…。
…そして、男達は皆、その光景に恐怖した。
「お、おい…どうなってんだよ…コレ…!」
あの処刑人…ナイフ男の頭が、頭を縦に割かれ、大量の血を噴き出していた。
男の頭部は、顔面から後頭部と、ぱっくりと裂け、左半分は今にもダラリと横に崩れ落ちそうな状況だった。右半分も、血液の流出が収まるにつれ、断面が露わになってきた。
そして、男はぐらつきながら、背中のめりにして、ドサッと音を立てながら倒れた。
突然の事態にどよめく中で、仲間の一人が、顔を割かれた仲間に恐るおそる駆け寄り、脈を確かめた。男が即死していた事については、皆が確かめるまでも無く分かっていた。だが、誰もそれを信じたくなかった。
「…駄目だ…もう…!」
改めて、仲間が死んだ事を確認した途端、恐怖が脳裏を過り、その場に生き残った者の、何人かが、狂いだした…。罰が…罰が当たったんだ…子供を数人がかりで襲い、殺したバチが…、いや違う。絶対に違う。あのガキは、この「国」を壊し、「国」でなくし、自分達から何もかもを奪い、消し去った奴らの生き残り。害虫だ。虫ケラだ。社会のクズだ。俺たちの誰かにクズガキを助けようとした奴か、敵を撃とうとした奴か、もしくはガキに肩入れしている輩が居たに違いない。きっとこの中に居る筈だ。見つけてやる。そして、この場で惨く殺してやる。あのガキの様に苦しめたうえで、息の根を止めてやる。何処にいやがる、誰だ、誰なんだ、一体、誰がっ…、
「…誰が殺ったんだぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
怒りと恐怖のあまり、男の一人がそこに落ちていた鉄パイプを手に取り、仲間の顔面に一撃浴びせた。男の顔は大きく歪み、前歯の何本かが折れ、鼻からも、おびただしい量の鮮血が流れ出した。やがて男は白目を向いて前のめりにして倒れた。ほかの男たちも、あらかじめ持っていたナイフや拳銃を手に取り、ついに、仲間同士で殺し合いを始めた。一人は刃物で切り付け、また一人は銃を乱射し、また一人は鈍器で殴りつけ、仲間の命を奪っていった。
(いや待て、何かが、おかしい…)
男の中の一人が恐怖で混乱した末に、同志討ちを始めた仲間達をよそに、頭脳を回転させて、状況を判断しようとしていた。もし、天罰が下ったにしても、あのガキに下る筈。なのに、何故、自分達の方に犠牲者が出たのか。そもそも、神が裁きを下したにしても、これは、どう考えても都合が良過ぎるし、早すぎる。では、こちら側にガキを助けようとする人間がいたのか…いや、在り得ない。死んだ奴等を含めても、あのガキを助けようなんて奴は、この中には一人もいなかった。いなかった筈だ。もし仮にそんな奴が居たとしても、今更こんな攻撃を仕掛けるなんて、まず在り得ない。それに、最初に自分たちの側に死人が出たとき、そいつの傍にあのガキの死体が…。
「…待てよ、じゃあ、まさか頭を割りやがったのは…」
あの、自分達が殺した、子供。
己の思考をフル回転させて導き出した、その答えに、男の顔が青ざめた…あり得ない。あり得てほしくない。あのガキは、もう死んだ筈だ。自分たちの手で、「退治」したはずだ。それに、もし生きていたとしても、あんな殺し方は出来ない。頭を縦に切り裂くなど、あんな子供にはまず…少なくとも自分たちは立ち上がっているし、あのガキは寝ていた。そもそもこの身長差だ。殺せるはずがない。殺すならまず、足を狙って、倒れたころを見計らってそれから頭を狙う。そうでなければ、子供が大人を殺すなど、まず無理だ。なのに、やられていたのは頭だけだった。脚はやられていない…、
「そうだ…殺せる、筈が無い。殺せる、訳が…」
ーなっ…何だ…ぎゃああああああっ!
ーたっ、助けっ…ぐわあああああああっ!
突然、男の耳に、無数の人間達の、断末魔の叫びが飛び込み、その意識は現実世界に引き戻された。
「そっ…そんなっ、誰かウソだと…ウソだと言ってくれっ…!」
周囲を見回した男は目を疑った。仲間だった筈の男たちは皆、一人が不可解な死を遂げただけで、心を取り乱し、殺し合いを始めた末に全滅していたのだ。辺りには、飛び散った血や脳髄が散乱していた。
だが、男はある異変に気付いた。もはや、物言わぬ大きな肉片となり果てた男たちの中にも、手足が無かったりと、人の形を留めていないものがあった…もし、肉達磨にするとしたら、その時は相当長い刃物が要る。例えば…そう、刀だ。しかし自分を含め、少年を殺しに来た者達が持っていた武器は、銃やナイフ、後はそこらに落ちていた鈍器のみ。刀を持ってきている輩はいなかった。なら、何故…。
ー…ズバッ、ブシャァァァァァァ…。
また、肉の裂ける音と、血しぶきの音がこの辺りに響き、男の思考回路は一瞬停止した。
「うっ…うぐうぅぅぅぅぅぅっ…!」
同時に、男の身体に激痛が走った。
男はその痛みに耐えられず、その場に膝を着き、痛みが走った箇所を押さえようとした。
だが…。
ー…スカッ。
「…は?」
その部位がある筈の場所に、手を触れようとすると手は空を切り、風の感覚しか感じない。代わりに、生暖かい何かが手のひらにポトリ、と落ちる感覚を覚えた。
男は、その手を己の眼前に運んだ。
「…血…⁉」
男は、その赤黒い粘着質の液体をこれまでに何度も見た。
子供を嬲り殺した時、
最初に仲間が死んだ時、
仲間が殺しあった時、
仲間が全滅した時、
そして、今。
男は血の出所と己の視線を合わせ、またも恐怖した。
「おれの、右腕が…無い…!」
さっきまで「ソレ」が付いていたはずの箇所には、何も無く、骨と繊維状の筋肉がむき出しになっていた。そこからは命の水とも言える、多量の血液が流出し、男の命を徐々にに削ってゆく。
その事実に恐怖に慄く男は更に、信じられないモノを目の当たりにした。
「あっ、ああ…!」
その包んでいる布地からはみ出た、ベージュ色の肉の塊には無数の細い毛髪が生え、先端に薄くて硬い板状の物が生えた五本のフレキシブルな棒も付いていた。
それはもう一つの形を構成する物の、一部ではなくなったと言うことを感じさせない位に、色味もまだ明るかったが、鮮血が一滴一滴と漏れる度白く変色する…、
…男の右腕「だった」ものが、男の足元に転がっていたのだ。
「うっ…う、う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
男は悲鳴を上げた。仲間が死に、自分も腕を失うという、受け入れられない事実を、受け入れなくてはならない現実に、この腕の痛みに。
「どうして、こうなっちまったんだよぉ…何がっ、何がいけなかったんだよぉ…あああっ…」
嘆く男にそれを考える暇は無かった。更に男は、左脚に痛みを覚え、同時にバランスを崩す。今度はすぐ理解した。自分の左脚が無くなったのだと。
直後、男の右脚が彼の身体から離れ、男の体は地に伏した。だがその頃には、男は恐怖のあまり痛みを感じなくなっていた。時間が経過する毎に訪れる死の恐怖に、男は怯えていた。
-ペタ、ペタ…。
そして、自分の視界に入るように歩む、その恐怖を生み出している主の正体を目前にし、驚愕した。
「ぞんな、まざが…あの、がぎが…」
男の推理は、当たっていた。
自分達が「殺した」筈の少年が、笑みを浮かべて平然と立っていたのだ。
左胸に刺さっていたナイフも、路上に落ち、屍と化した男達の血や脳髄に塗れている。体の汚れはそのままだが、自分達が与えた傷も、へし折った四肢も、ナイフ男が刺した切創も、完全に治っているように見える。
転がる死体に興奮しているのだろう、さっきまで垂れていた「アレ」も、ただでさえ太かったモノが、更に太くなり、ビンビンに天を向いて立っていた。どれもこれも、自分達が全裸に剥いたのでよく分かる。
「たっ…助けっ…」
まだ生きていたのか、四肢を斬られ、達磨にされた別の男が少年に助けを求める。
「…」少年は、男を発見するや、
-ビュン。
立ったまま、チョップをするように手刀を振り下ろす。
すると…。
-ズバシャァァァァァッ!!
男の体は縦に両断され、多量の血が噴き出した。左右に別れた体はそれぞれ別々の方へダランと傾き、断面が、今度はナイフ男の時よりもくっきり見えていた。
「あ…ああっ…!」
男は改めて、少年を恐れた。確かにあの時、殺した筈の子供が生きていたのだから。
そして…なにより…このガキは、仇だ。
「ぐぞう…よぐも、よぐもおでを、おでの仲間をぉっ…!」
男は残った左手だけで、少年をもう一度「殺す」為に、動かぬ肉片となってしまった、仲間の手から拳銃をもぎ取ろうと這い出す。
ようやくその場に辿り着き、手から拳銃をもぎ取ると、その銃口を少年に向ける。
「喰らいやがれっ、ごのっ…ごのヴぁげ物めぇぇぇぇぇぇぇっ‼」
引き金が引かれ、その銃口から、熱い銃弾が少年の体に一直線に飛び、その血に塗れた素肌に命中した。
…しかし。
ーパラリ。
「…え?」男は目を疑った。
銃弾は少年の体を貫通せず、彼の皮膚に当たったまま勢いが止まり、地に落ちた。
銃口から放たれたその鉛玉は確かに、少年の体に命中していた。だが、当の少年は少し蹌踉めくだけで倒れることは無く、男に向かって歩み続ける。
「…なんでだっ…何で死なねえっ…当だっだのにっ…だまはあだっだのにっぃぃぃっ!!」
男は何度も拳銃を少年に向けて撃つ。それも、男にとっては幸か不幸か全弾少年の体に命中した。
しかし結果は変わらず、鉛玉は少年の素肌を貫くことは無かった。
それどころか、防弾チョッキを着けた時、若しくはテレビや漫画に出てくるスーパーヒーローみたいに、ビクともせず、銃弾は体を貫通する事無くパラパラと落ちてゆく。
少年は確かに、何も身に纏っていない全裸、防具一つ着けていない。
(だが、コイツも男だ…)
男は、何を思ったのか、銃口を少し下げ…、
(ならば、これで…!)
ー…バァァァァァン!!
そのまま、銃弾を放った。
火の粉を撒きながら、それが向かっていった先は、勃起し、天に突き立った、少年のふとましい男の象徴。
どんな化け物でも、ここをやられれば…!
「…じねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
男は、今度こそ勝利を確信した…。
ー…ビィィィィィン。
「おい、マジかよ…」
銃弾は、確かに硬くなった「ソレ」に当たり、その斥力で少年のへそ近くまで反った。
…が、命中した所は粉砕されず、肉片一つ飛び散らない。
当然一滴の血も噴き出さず、少年は痛みすら感じないし、歩みも止めない。
更に、反った「ソレ」がバネになり…、
ー…ビィィィィン!!
勢いよく、銃弾を跳ね返した。
-ビスッ。
「…ぐああああああっ!!」
そのまだ熱い銃弾が、男の左眼を潰した。
眼球は熱で溶けて液体となり、男の頬を血と共に濡らしてゆく。
男はのけぞり回ることすら出来ず、潰された目を押さえることも出来ずに、ただ苦しんだ。
「何でっ、何であんなっ、あんなぢょめごうのぐざれぢ…ごに、目をやられるんだぁぁぁぁぁっ、ざけんなぁぁぁぁぁ!!」
男は思った。こんなギャグ漫画みたいな事、あり得ないし、あり得て欲しくなかった。しかしそれは現実に起きている。その現実が、男を更に苦しめる。
そして…。
ー…カチン、カチン。
「おいっ、出ろよっ、出でごいよっ!!」
金属同士がはじき合う音が鳴る。弾が底を尽きたのだ。だが恐怖で怯えている男には、ソレも理解できず、ただ引き金を引き続けた。
一方の相対する少年は右脚をあげ、ダン、と勢いよく、男の左手を踏んだ。
ーグシャグシャ…ブシャァァァァッ!!
「…あ…」
男の左手と拳銃が、トマトのようにいとも簡単に潰れ、鮮血と肉、砕けた骨、鉄屑、火薬が飛び散る。
男の、最後の悪足掻きが、完全に終わった瞬間だった。
ー…ポリポリ…。
己の象徴を、気持ちよさそうにイジる少年は、さっきまで自分を苦しめていた連中が、死んでいたのが愉快だったのだろう、その表情は悪魔のようにニヤリとしていた。
「…あ…ああ…」
男には、恐怖に続き、疑問も生まれた。これまで感じていた少年に対する殺意も、身体を失う恐怖も、忘れてしまう程の、疑問が。
あの時、さっきまでは、確かに、普通の子供だった。
只、この「国」を、今の状態にした俗悪な輩の血統である以外は、何処にでもいるような普通の子供だった。
なんの力もない、ましてや、自分たち大人に歯向かえるような力など、まるで持ち合わせていない、丸裸に剥かれても抵抗すら出来ない非力な子供だった。
それがどうだ、今や大の大人数名をただの肉片に作り替え、今もまた一人をバラ肉と挽肉に作り替えている。
しかも、こいつはそれを高志空拳でやってのけている。
おれは、こいつを化け物と言わず、何と言おう…
…こいつは、一体何者なんだ…?
こいつは…何時から…化け物…だったんだ?
こいつは…人間…じゃ、無いのか…?
「じゃあ…いま、おれの、目の前に、いる…あの…ガキ…は…」
ー…バキバキバキ、グシャッ。
これが、男の最後の一声だった。
かつて複数の男だった「モノ」は、バラバラに切り刻まれ、まるでスーパーの生鮮コーナーで出されているようなバラ肉やスライスハムのようになり、その内一人に至っては、頭部がまるでトマトが潰れたように、全く原型を残していなかった。
「…ざまぁみろ」
唯一、その場に立っているのは、一度は男達の手で虐げられ、刺され、無残な姿にされた、一糸纏わぬ姿の少年只一人のみとなった。
ーぷしゃああ…。
その肉塊に、少しだけアンモニア臭のする多量の、黄金色の透明な液体が降り注がれる。
ーツー…。
少年の眼からは、一筋の涙が伝う。
「…仇とったよ、母さん…ううっ…あははっ…あはははは…」
一人生き残った少年は生まれたままの姿で、物言わぬ屍を前に、垂れ流しながら勝ち誇り、泣きながら声高らかに笑った。
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