第二章第二節

「以上が<不誠実な隣人Neighbors>の各分類及び基準となります。繰り返しになりますが、第一段階の<Weird>であれば影響が微弱というわけではありません。人間を殺傷するだけの力は第一段階の<不誠実な隣人Neighbors>であっても有しているということを、忘れないでください」

 講師がホワイトボードの前で一礼し、今日の講義が終了した。


 榊はあの事件以来、<歴史補填局S.H.M.N.>の所属となっていた。今日の講義は、「<不誠実な隣人Neighbors>取扱資格に関する初級講義」。白い長机がいくつも並び、パイプ椅子とホワイトボードがある、どこにでもある研修室に、参加しているのは自分一人。数年前に受けた、教育委員会が主体となった初任者研修よりは余程実践的な内容だった、と榊は一人苦笑した。

「何か質問はありますか」

 講師に問われ、榊は頷いた。

「以前に玖城さんという方から、<絆侶Comrade>について少し話を聞く機会がありました。差し支えなければ、<絆侶Comrade>について教えてください」

 差し支えなければ、という言葉を、榊は自然と口にしていた。

 直接伝えられたわけではないが、自分が所属しているこの組織が公的なものではないことはわかる。しかも、非常に秘匿的情報を取り扱っていることもだ。

 となれば、数日前に局員となった程度の自分が知り得て良い情報とそうでないものがあることくらいはわかる。玖城との話は、どこまでが「今の自分が知っていてもよいと組織が判断する情報」なのだろうか。

 案の定、講師は逡巡した。

 ややあってから、講師から質問が来る。

「榊さんの質問は、一般的な<絆侶Comrade>についてということでしょうか」

 やはり、玖城の力というものは共有されるべきものではないということか。

 榊は頷いた。

「申し訳ありませんが、玖城さんの<絆侶Comrade>について私からお伝えすることはできません。個人情報に該当する部分でもありますから、玖城さんの許可が必要になり、また……」

 講師の話を遮るように研修室のドアが開いた。


 入ってきたのは、玖城本人だった。

「それについては私から話そうか」

 講師は驚きを隠せない表情を浮かべたが、玖城が柔和な笑顔で頷く。

「君の職務を中断するようなことをして済まない。ただ、榊くんは特殊な方法で同僚となった人間だからね」

 玖城はどうやら組織の中ではなかなかに地位がある人物らしい。講師はファイルをまとめ、一礼して研修室をあとにした。

 後に残された榊の前に、玖城は咳払いをしながら立った。

「榊くん、この話をする前に一つだけ、覚えておいて欲しいことがある」

 玖城は人差し指を立てて念を押す。

「<絆侶Comrade>というのは、<歴史補填局S.H.M.N.>の中でも非常に限定された人間しか持っていない力のことだ。むしろ、9割以上の職員は特殊な力など持ってすらいない人間だ。だから、このことはおいそれと口外すべきことではないのだ」

 自分の不用意な発言に釘を刺された榊は、素直に頭を下げた。

「不躾な質問をしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いやいや、これは私のミスだよ。非常に短期間だったことで、君に伝えるべき情報の優先順位を間違えた。これは私の責任だ」


 堅苦しく、糾弾するような空気となっていた研修室の雰囲気を変えるべく、玖城はぱんと一度手を打った。

「さて、それでは君の質問に答えよう。<絆侶Comrade>とは、憧れの力のことだ」

 憧れ。

 唐突に効いた言葉のせいで、榊は面食らった。

「君にも経験があるだろう。スポーツ、音楽、その他様々な世界においてトップレベルの人間に憧れ、自分もこうありたいと願う。<絆侶Comrade>の力の源はそこだ」

 玖城はホワイトボードに一人の棒人間を描き、その周囲にサッカーボールやバットなどを描き足す。

「ここに一人の少年がいたとしよう。彼は幼い頃にサッカーに憧れ、ジュニアスポーツクラブに入会し、中学高校では部活動を続け、そして見事サッカーの社会人チームへの所属を果たした」

 サッカーボールからクラブ、部活、社会人チームというキーワードを矢印で繋いでいく。

 それは数少ない成功例だ。しかしサッカーをしたいと熱望する子供は多い。

「彼の成功は、彼の努力なくして成し得なかったことだろう。しかしそれだけだろうか。彼をサッカーへと駆り立てた原動力はどこにあるのか」

 玖城は榊の答えを待たずして、棒人間に最も近いサッカーボールを指し示した。

「これが彼の原動力だ。幼い頃のこの出会いがなければ、彼はここまでの熱意をもつことはなかったかもしれない。そしてこれが、<絆侶Comrade>という力なのだ」

 榊は挙手をした。

「それでは、<絆侶Comrade>は誰しもが持っている力ということなのではないですか」

「無論、誰しもが持っている力ではある。しかし多くの人間は、その力を自身にのみしか使うことができない。またほとんどの場合、その力は成長と共に消失してしまう」

 それは理解ができた。

 憧れは子供の特権だ。自分にはもはや、子供と同じ熱意で、一つの道を追い求めることはできない。無知さ故と考える者もいるだろう。しかし無知であればこそ、まだ見ぬ道へと憧れる力は強くなる。

「憧れを強くするのは、自分との共通点だ。大好きなサッカー選手が、自分と同じ年からサッカーを始めたと知ればどうだ。学校の体育の時間にサッカーが好きになったというエピソードがあれば。子供たちはよりその選手を身近に感じ、自分もそうなりたいと願うようになるだろう」

 玖城はマーカーを置いた。

「自分と対象との結びつきが臨界を超えたとき、それは<絆侶Comrade>となって発現する」


 玖城はゆっくりとした足取りで、榊のもとへと近づいた。

「まだ君には伝えていなかったね。我々がなぜ君を局へと招いたか……それは、君に<絆侶Comrade>適性があると判断したからだ」

「僕に、<絆侶Comrade>の力が……?」

 玖城は頷いた。

「君の力がどういうもので、<絆侶Comrade>が何であるかはわからない。しかし君は間違いなく力を持っていると、上層部が判断したからこそ、君はここにいる」

 困惑する榊に、玖城はさらに続けた。

「これを知っている人間は局内でもそう多くはない。しかし君には伝えておこう。私の<絆侶Comrade>は【フランツ・アントン・メスメル】という人物だ」

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