第一章第六節
そうだ。
それこそが榊が確かめたかったことだったのだ。
伊達や酔狂で自分を施設に招いたとは考えられない。見たところ、これまでにこの施設の場所や階層、そして現在時刻などの情報は一切遮断されている。車内で眠ってしまったのは、疲れもあっただろうが意図的なものだろう。窓もなくスマートフォンも取り上げられてしまっている現在、玖城から与えられる情報以外のものを手に入れる方法はない。
だが一体、自分にどのような「助力」ができると言うのか。玖城にしろあの少女にしろ、圧倒的に情報量が違う。
そんな榊の思考に気づいたのか、それとも読み取ったのか。
玖城はファイルを閉じて机の上で指を組み、身を乗り出した。
「今度は榊先生にお話を伺いたい。あの家の少女が家族を失う経緯について、教えてほしい」
榊はいささかなりとも感じていた居心地の悪さに気づき、苦笑しながら手を上げた。
「先生、というのは止めてください。私はここでは教員ではないし、第一玖城さんは私よりもずいぶんと年上です」
「なるほど、了解した」
玖城もまた、同じように口元だけに笑みを浮かべた。
「どうも君は私が知る教員とは違うようだ。私が学んだ教員は、先生という呼び名に異常なまでにこだわっていた……それでは、榊さん、でよろしいか?」
「はい、それでお願いします」
そうして、榊は話し始めた。たった二日間の間に起きた、尋常ならざる出来事について。
「私が知っていることと言っても、大した話ではありません。はじめは……ああ、ここでの話は内密にお願いします」
地方公務員法には守秘義務が定められている。職務上知りえた情報を公開してはならないという内容だ。これには昨今、個人情報が抵触し、児童生徒の住所や電話番号といった直接的な内容から、個人の特徴的性格や学力、児童間のトラブルの原因などといったものまで含まれる。
玖城は頷き、榊は話を続けた。
「初めは夏休み明けの宿題でした。学力が……勉強があまり得意でなく、宿題や提出物もほとんど出さない一人の児童が、丁寧な文字でほぼ完璧に宿題を仕上げてきたんです」
玖城の表情には僅かではあったが懐かしさを感じることができた。教職に就いていない者にとっては、学校で用いられる特徴的な言葉は思い出とともに記憶されていることが多い。「連絡帳」「筆算」などと言う言葉は、一度学校を卒業してしまえば、我が子を育てるときまで使うことはない。
「その児童は、同日行われた実力テストでクラスで二番目の成績でした。その日、私は別の子どもから、夢についての噂話を聞いたんです。今にして思えば、その夢の話が、黒川さんの家族の失踪に関係する話だったのだと思います」
初老の男性、願いを叶える夢。そして引き換えに自分の大切なものを差し出す。
「あとから気づいたのですが、その児童に私は家庭学習の大切さを何度も伝えていた。あの子も内心、今のままではだめだと焦っていたんでしょう。だから彼は学力を願い、二年生のころからずっと続けていたスポーツへの熱意を差し出した」
小学生にとって、数年というのはおよそ人生の半分だ。しかも生まれてからの数年は記憶があまりないことを考えれば、ほぼ自分の時間の全てを費やしてきたものと言える。
「その話を聞いたあとで、黒川さんのご家族の失踪を聞いたんです。もしあの夢に関係しているのだとすれば、黒川さんは何かを願い、そして大切にしていた家族を失った」
五年生になってすぐの国語の授業で、「わたしの宝物」というテーマの作文で、自分が最も大切にしているものは両親であると書いていたことを思い出した。
榊の言葉が途切れたため、玖城は後ろに控えている少女を振り向いた。少女は玖城の意図を察し、短く頷いた。
「これまでに確認している案件と内容は一致しています。願いを叶えるかわりに自分にとってかけがえのないものを失う。それは物質や概念など一致しません。また、夢の中である以上、潜在的な願望に左右されることが多い点も一致しています」
「ありがとう、榊さん。これで今回の件について確証を得ることができた」
玖城はゆっくりとした所作で立ち上がった。
「部屋に案内する。今夜はゆっくり休んでもらいたい……食事はあとで届けさせよう」
初対面の男性職員によって案内されたのは、これまでと同じように窓のない個室だった。
華美ではないが機能的な寝台。シャワールームとバスルーム。それ以外のものはない。ここまで情報を制限している以上、最低限の監視もされているのだろう。本が欲しいところだったが、まあ仕方がない。
明日、どのような対応がとられるのだろうか。玖城の名乗った<
それに、あれから学校ではどうなったのだろうか。教務主任と学級担任の二人が帰らず、うち一人は行方不明。それに黒川は家には帰れていないはずだ。警察に保護されたのか、それとも。
考えれば考えるほどに気がかりなことが増えていく。それに対し、自分は何もすることができない。もどかしくもあったが、現状何もできないという状況のおかげで、諦めにも似た奇妙な心境でいることができた。
機内食のような食事を済ませ、シャワーを浴びて備え付けの浴衣に着替えると、途端に眠気が襲ってきた。溜息をついて寝台に横になり、心地よい温もりの中で目を閉じると、榊の意識はあっという間に眠りに落ちた。
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