第一章第四節

 玖城は白い廊下を足早に進んでいた。

 右腕に書類を挟んで膨れたファイルを抱え、背筋を伸ばして歩を進める。リノリウムの床を革靴が打つ音をさせながら角を曲がったところで、後ろから少女の声が追いかけてくる。

「待ってください、玖城さん」

 追いかけてきたのは紺のジャケットに白いブラウス、チェック柄のプリーツスカートという制服姿の少女だった。髪の毛を後頭部で高く結び、弧を描いて落ちる髪はうなじほどで揺れている。

「用が済んでからでいいと言っただろう」

 榊に向けたものと同じ笑顔で、玖城は振り返った。少女もまたファイルを抱えてこちらに向かってくる。

「それで、今回のことはどうなったんですか」

「<不誠実な隣人Neighbors>案件として確定したよ」

 その返答は少女にとって予測の範囲内だったようだ。さして驚いた様子もなく、少女の質問は続く。

「新しく分かったことは、何かありましたか?」

「そうだね……今のところはまだ確証はないが……調査班からの回答を伝えておこう。今回の<始祖Origins>は、<ミラのニコラオス>という人物だ」

 聞きなれない名前に、少女は視線を上に向けて記憶を探る。該当する知識はない。

「<ミラのニコラオス>……あんまり有名じゃない人ですね」

「何を言っている、この人は日本で……いや、世界で知らない人などいないほどに有名だよ」

 微笑みながら、玖城は続けた。

「3世紀から4世紀の人物だ。一般的には、サンタクロースとも呼ばれている基督キリスト教の聖人だ」

「サンタクロース!?」

 少女は素っ頓狂な声を上げた。

「だって、今回の案件って、両親の失踪って……」

「その話はあとだ、さあ着いたよ」

 玖城は短く制し、目の前のドアを三度ノックした。


 榊は玖城と名乗る男性から誘われ、とある施設へと案内された。

 動かない教務主任を一人残すことは気がかりだったが、そもそも榊に選択肢はなかったのだ。

 玖城と少女、二人が乗る車の後部座席に乗ってからの記憶はあまりない。

 窓は黒く塗りつぶされて外は見えず、またいつの間にか眠っていたようだった。目を覚ますと、もう車は目的地に着いていた。否、目的地に到着したところで目を覚まさせられたのだろう。

 時計とスマホを預けさせられ、今が何時かもわからないまま、榊は白い部屋に通された。決して手荒なことはされなかったが、質問には一切答えてはもらえなかった。

 そして、待つことしばし。榊は玖城と再会することになったのだ。

「お待たせして申し訳ない。改めて名乗らせてもらうよ。私は玖城くじょういざなという者だ」

「ありがとうございます、さかき和衣かずいです」 

 榊は立ち上がり、玖城と握手を交わす。玖城は笑顔をそのままに座り、榊に着席を促した。

「さて、榊くん……いや、教員にくんというのは礼を欠くな。榊先生には今回のことをあらかじめ知っておいてほしいと考えたのだ。招致に応じてくれたこと、感謝しているよ」

 玖城は榊の目の前にファイルを置き、そして開いた。

「これから話すことは紛れもない現実だ。まずはそのことを確認しておきたい。私たちは実在し、また同時に私たちが追い求めているものも実在する」

 回りくどい遠回しな表現だ、と榊は感じた。玖城と出会ってからほとんど時間が経っていないが、この男らしからぬ物言いだ。

「私たちは<歴史補填局S.H.M.N.>という。the Society for the Historical Maintenance against Neighborsという団体だ」

 CIAやFBIなどと同じような呼称をもっている団体なのは分かったが、いまだに釈然としない。その反応を当然のことと受け止めた玖城は微笑みながらファイルをめくって示した。

 それは一枚の写真だった。白黒のものだったが、火災を映したものであろうことは分かった。

「覚えているかね? 今年4月にフランスのパリで起きた、ノートルダム大聖堂の火災の写真だ」

 その報道は榊も記憶にあった。濛々と煙を上げる石造りの聖堂の映像は衝撃的だった。

「火災の原因は、修復作業員の煙草の不始末や工事用昇降機のショートなどと報じられているが……一般には公開されていない。火災の原因は、<概念喪失>だ」

 意味の分からない単語が続く。

「ここで榊先生に私たちの全てを知っていただくには、時間があまりにも少ない。しかもその全てを受け止められる人間というのも、そう多くはない……だから、必要最低限の話に留める」

 玖城はファイルをめくる。今度現れたのは有名な炭酸飲料のメーカーのイラストだった。おいしそうに炭酸飲料を飲むサンタクロース。先刻の写真と比べて、あまりにも場違いだ。

「私たちが追っているのは、時間に囚われ、変質していく存在だ。過去において実在した人物や現物、そして人々の間で信じられている概念は、時間を経るとともに大きく変質し、力をもつ。今回、榊先生の教え子の少女の身に起きた出来事は、まさにこの力が引き起こした事件なのだ」

 玖城はとんとん、とサンタクロースを指で叩く。


「はっきり言おう。黒川さんからご両親を奪い去ったのは、サンタクロースだ」

 

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