第二章9 『スサノオ対青龍』

 会場に戻るとすでにスサノオと青龍の戦いが始まっていた。

 まだ開戦したばかりらしく、両者とも傷を負ったり疲労している様子はない。


 青龍は水を球形にしたものや自由自在に形を変える水流をスサノオ目掛けて放っている。どちらの攻撃も今まで相手をほぼ一発で仕留めてきた超威力を誇っているらしい。この前スサノオが倒れなかったのはおそらく尋常じゃなく体を鍛えていたおかげだろうが、それでも何発も当てられたら耐えられないじゃろう。

 一方のスサノオは動き回っての回避に専念している。


「なんで逃げてばっかりなのよ!? 攻めなきゃ勝てないわよッ!」

「いや、迂闊に突っ込んだらこの前みたいに返り討ちにされる。あの青龍ってヤツの反応速度と瞬発力は伊達じゃないからのう」


「でも青龍は攻撃を放つだけで一歩も動いてないのよ!? スサノオは大太刀を担いで走り回ってるんだから、あのままじゃ一方的に体力を削られちゃうじゃない!」

「ほりゃあ青龍もぶっちゅうじゃ。あの子だって神力を絶えず使っとる。スサノオは毎日のように体を鍛えて、体力もある。どっちが先に尽きるかは、実際にやってみなけりゃわからんじゃろう」

「そりゃ、そうだけど……あっ!」


 青龍が両手を合わせて、一際デカい水球を作り出した。今までの二倍……いや、三倍はある。膨張が終わった頃、その水球をスサノオへと射線を合わせていく。

「まっ、マズくない?」

「そうじゃな。水球は水流に比べて弾速があって、一発の威力も高い。もしもあれをまともに食らえば無事では済まんのう」


「ちょっ、えっ、どうすんのよ!?」

「落ち着き。攻撃を食らったらの話じゃ。スサノオなら距離を取れば躱すことも容易じゃろう」

「なっ、なんだ、よかった。でもどうしてそんな当たりっこない攻撃を青龍はし続けてるのかしら?」

「……愚直な攻撃の真意はさすがに読めんな。何か策があるのか、あるいは……」


「って、すっ、スサノオ!?」

 トウフウが叫んだのも無理はない。

 スサノオは巨大水球に狙われているにもかかわらず、青龍の頭上へ跳躍しおった。

「あっ……、あんなのいい的じゃない!?」

 トウフウが言うか言わぬかの内に、水球は射出される。


 じゃけんどスサノオは慌てふためく様子はなく、水球に向かって上段に構えていた大太刀を勢いよく振り下ろした。

 太刀の先端が水球に直撃するやいなや、それは針でつつかれた水風船のように形状を崩して辺りにこじゃんと水飛沫をばらまいた。“すてぇじ”はもちろん、近くの客席も大雨でも降ったかのような量の水をどばっと浴びる。

 当然、それには青龍も巻き込まれちょる。

 幸い、後部で見とったあし達はそれに巻き込まれずに済んだ。


「うわぁっ、すっごいわね。後ろの席でよかったぁ」

「……これはスサノオにとっては好機じゃな」

「えっ、どういうこと?」

「ほれ、見てみ」


 あしが指差した“すてぇじ”上部、そこには黒く青い光を纏った雲が浮いておった。

「あれって、スサノオの……」

「そう、雷雲じゃ。ほんで“すてぇじ”と青龍は今のでぐっしょりと濡れておる」

「……まっ、まさか!?」


 雷雲からバチバチと本来なら聞こえぬ威嚇が響き、青龍から離れた場所に降り立ったスサノオは大太刀を鞘に仕舞い、にやりと笑った。

「王手だ、青龍」


 ッパァアアン!

 破裂音と同時に雷雲から青龍に向かって稲光が落ちる。光速の一撃にさしもの青龍も回避はできず、まともに食らった。

 凄まじい光量を間近で受けたせいで、目が眩む。

 観客の誰もが息を呑み、会場は水を打ったように静まり返っていた。

 誰もが青龍の身を案じていただろう。


 じゃき、次に視界が戻った時、驚愕せずにはおれんかった。

「うっ、嘘じゃろ……」

「どうして……立ってんのよ」

 あし等だけじゃなく、誰もが驚嘆しとった。

 けんど一番その事実を受け入れられんかったのは、多分スサノオじゃろう。

「……お前、どうして……」


 彼女の眼前、未だ目に見えて電気の流れとる水だまりの上。

 そこには雷の直撃を受けたはずの青龍が、さっきと変わらぬ態勢で立っとった。

 無傷がやない。多少の火傷の跡はある。

 ほんでも表情からは苦痛の欠片も汲み取れん。


 あし等があっぽろけている時、今まで黙りこくっていた青龍が口を開いた。

「……あ、う」

 彼女の声は蚊の鳴くようなものだったが、会場が静まり返っているため後ろの席でも十分に聞き取れた。

「うう、あっ……」


 苦し気な声が上がる。

 平気そうに見えても外傷はあるし、やはり苦痛が身体を苛んでいるのか。

 あしの心配は、次の一声を耳にした途端。たちまち恐怖へと転じた。

「う、うっ……ウグァ、ガ……ァアアッ、ギュアアッ……!」


 青龍の口から人のものとは思えぬ呻きが発される。

 と同時に信じ難い現象が立て続けに起きた。

 彼女の体から青き焔のようなもんが立ち上る。

 こんまい体が縦にぐんぐん伸びていく。


 肌の形状が鱗(うろこ)のようなもんに変化し、青く染まってゆく。

 顔の鼻から下が出っぱり、目が横にぶっとく(大きく)眼光が鋭利で冷たいもんになっとる。背からは薄く煌めく毛が線状に生えそろっとった。

 体はもはや人間の元型を留めておらん。


 でっかい蛇……いや、ありゃ龍じゃ。中香(ちゅうか)や火之本(ひのもと)の神話に出てくるように、胴体が長い。

 高い天井の中、とぐろを巻くようにしてようやく身体が収まるぐらいにでっかい。

 服はどこかへ消えとったが、その手枷だけは体長の変化に合わせて太さ(大きさ)を変えて、そのままに残っとる。


 ふと左胸の辺りに目が吸い寄せられた。そこには黒い横棒が一本。青い体色にそれは明らかに不自然ちや。

 けんどその違和感は突如として響いた高笑いで吹っ飛んでしもうた。

「オーッホッホッホッホ! まさか青龍たんの真の力を引っ張り出すなんてねぇっ。んっふっふっふ、なかなかやるじゃないっ、褒めてあげるわぁっ!!」

「お前っ、何しやがった……!?」


「何かしたのはあぁたの方じゃなぁい、スサノオたん。面倒だけどあちしは優しいから、察しの悪いあぁたに説明してあげるわぁ。青龍たんは自分の身に危険が迫ると、この本来の姿に変化するのよ」

 青龍は冷たい眼をスサノオに向け、口をかっと開いた。

 そこにさっきとは比べ物にならない太さ(大きさ)の水球が生成されていく。

「どうやらお別れのようねぇ。もしも生き延びることができたら、また会いましょぉね」


 レースの付いたハンカチを亮大はスサノオに振った。

 その直後、スサノオに向かって水球が放射された。

 まるで隕石のような一撃。


「うぉおおおおおッ!」

 スサノオは雄叫びを上げ気合一閃、大太刀を振るい迎え撃った。


 水球は太刀が触れると同時に保たれていた形こそ崩れたが、それ自体がスサノオに襲い掛かって津波のように彼女を飲み込んだ。

 高台の固い地面に、多量の水と共にスサノオの体が打ち付けられる。その光景はまさにとんでもなく巨大な瀑布そのものだった。

 滝と言えば僧などの修行に用いられる印象があるだろうが、中には命を刈り取らんとするもんもある。それは巨人の万力に真上から押し付けられるがごとく。もしも生身に受けたらどうなるか……、思わず俯いてしまう。


「いっ、いっ……、イヤァアアアアアアアアアアアッ!」

 すぐ横で、トウフウが体の底から振り絞ったような悲鳴を上げた。

 あしの目の前が暗くなった。


 心情的なもんじゃない。本当に暗くなったんじゃ。

 天井を見上げるとスサノオが出現させる雷雲なんて比じゃないぐらい広範囲に黒い雲が広がっとった。

 そこから一粒、一粒、何粒、何十粒と水滴が落ちてきて、やがて雨となって会場中に振り注いだ。ただの雨じゃない、大雨じゃ。ざあざあと音を立てる、土砂降りじゃ。


 観客は気が動転して、わあわあ騒いどる。

 そんな中、赤鬼の胴間声が響いた。

「いっ、生きてるでごわすッ! まだ生きてるでごわすッ!」


 即座にぶっちゅう服を着た運営関係者らしき人々が“すてぇじ”に向かって駆けだしていく。

「応急手当を!」

「それが済み次第、救護室へ運ぶぞ! 担架を用意しとけッ!!」

 試合結果こそ審判は告げなかったが、勝敗は一目瞭然だった。

 ただスサノオが生きていることがわかり、会場には僅かにほっとした空気が流れた。

 大雨の中、照明の近くから青龍の眼光がぼぅっと光を放っていた。

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