第二章10 『勝利の信託』

 救護室の外であしとトウフウは並んで立っとった。

 部屋の中では今、医者による治療が行われとる。それが終わるのをあし等は廊下で今か今かと待っとった。


 外はもうすっかり夜闇に包まれている。石油ランプの明かりだけが頼りの廊下は暗く、腕を伸ばさずとも触れられる距離のトウフウの顔がやっと見れるほどだった。

 もう治療が始まって一刻は過ぎたと思う。


 その間、あし等の間で会話はほとんどなかった。

 交わされた数少ない言葉は「……アイツ、死んでないよね」「きっと大丈夫じゃ」「……うん」といった、スサノオの安否に関するものだけじゃった。


 何人かの人間が目の前を通りがかったが、皆治療室の方を気遣わし気に見やっとった。スサノオと青龍の一戦が会場にいる人達に知れ渡っとるのか、あるいは救護室には常にケガ人が運び込まれとるのか。それはわからんが、その内の何人かの服は不自然なぐらいに湿っておった。


 永遠に開かんのではないかと不安になっとった救護室の扉が、ふいに開いた。

 あしとトウフウは中から出てきた医者に同時に詰めかけた。


「あっ、アイツは!? アイツはどうなったの!?」

 出てきた老夫の医者はちょっとばかし目を丸くしていたが、すぐに落ち着きを取り戻して教えてくれた。

「おったまげたよ、あの女の子は本当に頑丈だね。今は動くことすらままならないけど、意識はもうしっかり戻っとる」

「そっか、よかったぁ」


 心の底からほっとした様子のトウフウ。相当心配してたのだろう。

 あしは試合が終わってからずっと気になってたことを医者に訊いてみた。

「青龍の最後の一撃は見た感じ、ごっつヤバそうな攻撃じゃったんじゃが。青龍が手を抜いてくれてたんじゃろうか?」

「さあねえ、そりゃわからんけど。でも駆けつけた係官が言うには、ステージの抉れ具合がとんでもなく酷かったらしいから、生易しい攻撃じゃなかったのは確かだと思うよ」


「じゃ、じゃあ、下手したらアイツは死んでたってこと!?」

「どう捉えるかは、お嬢ちゃん達に任せることにするよ。さてと、わしゃそろそろ帰らせてもらおうか。定時を大きく回ってるからね」

 ほっほっほと笑い声を残して医者は去っていった。


 あし等は顔を見合わせ、ほんで救護室の方を見やった。

「入っていいのかしら?」

「まあ、ダメそうじゃったらお暇すればええじゃろ」

「そうよね。じゃあ、お邪魔しまーすっと」


 トウフウに続いてあしは救護室の中に入った。

 そこはこじんまりとした部屋じゃった。

 室内は清潔で、薬品の臭いが室内いっぱいに漂っとる。左手側の壁には木製の棚が並んでおり、ぎっしりと瓶が詰め込まれてガラスの戸に錠が下ろされさらに南京錠がつけられとった。


 光源には行灯が使われていた。石油ランプと大して光量は変わらんが、それでもふわりと柔らかみのある光はどことなく心に安らぎを与えてくれた。

 右手側には玄関口みたいな段差の上に畳の空間があった。そこに敷かれた蒲団にスサノオが寝かされとった。


「スサノオっ、生きてる!?」

 トウフウは草履を脱ぐのもそこそこに、布団の横にすっ飛んでいった。

 スサノオは首だけを動かしトウフウの方を見やり、自嘲的に笑った。

「小娘に心配されるたぁ……、情けねえなあ」

 その言葉を受けた途端に、トウフウは唇を尖らせてそっぽを向いた。


「べっ、別に心配なんてしてないわよ。ただその、あ、あたしの前で死なれたら寝覚めが悪いからっ。自分の心配をしてるだけなんだから、かっ、勘違いしないでよねッ!」

「ははっ。意味わかんねぇなお前は」

 あしはトウフウの横に正座し、スサノオに向かって頭を下げた。


「……すまんかった」

「おいおい、もっとわけわけんねえぞ。なんで謝ってんだ?」

「あしがもっと入念に下調べを行っとけば、あの変身した後の姿についても事前に知ることができたやもしれん。本当にすまんかった」


 再度謝罪すると、頭上から「はぁ」と大きなため息が聞こえてきた。

「バカは小娘の方だと思ってたが、優男も相当に抜けてんな」

「ちょっ、あんたっ、あたしがバカってどういうことよ!」


 キャンキャン吠えてるトウフウを無視してスサノオはあしに向かって言う。

「今回の敗北は優男のせいじゃねえ。俺様の実力が足りなかったのが悪いんだ。それに、たとえ試合前に青龍の変身について知れたとしても、結果は変わらなかっただろうさ」

「じゃけんど、なんらかの対抗策を練ることはできたかもしれんし……」

「それをお前等がやる義理はねえだろ。ただでさえ書字者とやらの試験で時間がねえだろうに、あれだけの情報を調べてくれたんだ。むしろ俺様の方が感謝し足りなくて恐縮しちまうぜ」

 スサノオに「いい加減頭上げろよ」と言われ、あしは畳から額を離した。


 彼女は苦笑交じりの顔でこちらを見とった。

「なんだかさ、お前と話してると調子が狂うよ。人間なんざクソ食らえ、字なんか滅んじまえって思ってたのに、そういう気分も失せてくる」

 一つ軽く息を吐き、スサノオは行燈の光を眺めやる。

「負けたのが悔しくないって言ったら、嘘になる。だけどわかるんだ。俺様じゃ青龍には勝てっこないってな」

「そんなこたぁ……」

「あるんだよ。実際に戦った俺様が一番よく理解している。だけど……」


 スサノオは再びこちらを真っ直ぐに見据えて言った。

「お前等なら、勝てる。そう俺様は確信してる」

「……どうしてそう断言できんのよ?」

「勘だよ」

「勘って、あんたねえ……」


 白目のトウフウに、スサノオはいたずらっ子のような笑みを投げかけた。

「そうバカにしちゃいけねえ。俺様の勘は結構当たるんだぜ」

「あー、はいはい。すごいでちゅねー」

「チッ。もし満足に体を動かせたら、その髪をわちゃくちゃにしてやるんだがな」


「ふふふのふーんだ、残念でしたー。あたしの髪はとっても素直だから、いくらわちゃくちゃされようが、まったくクセなんてつかないんですぅー。梅雨の湿気にだってびくともしないんだからね!」

「そりゃ、ある意味頑固だな。まあ、ちっと安心したぜ」

「安心したって、何がよ?」

「今日の戦いを見た小娘が臆して逃げ腰になってんじゃねえかって、ずっと心配してたんだよ」


 そう言われた途端にトウフウの顔が土気色へ変わっていった。

「べっ、べっ、別に臆してなんかないし? もう全然へっちゃら、へっちゃらすぎて夜中に一人でお手洗い行けちゃうぐらいなんだからッ!」

「……おい、優男。小娘のこと、ちゃんと支えてやれよ」

「言われんでもわぁっとる」

「そうか。まあ、実際青龍は強敵だ。逃げも一つの手だと思うぞ」

 冗談など欠片もない、真顔の忠告。


 じゃがあしが何かを言う前に、トウフウがそれを一蹴した。

「逃げ? そんなのイヤよッ、あたしがあの鎖筋肉だるまに屈しろっての!?」

「だけどあの変身後の青龍には加減ってもんがない。俺様だって下手したら死んでたんだ。アイツに挑むってことは、命を懸ける覚悟が必要だ」

「ったく、臆してないか心配―とか言っときながら、逃げも一つの手とか、あんたも十分意味不明よ! 大体、書字者になる継愛についてくってことは、常に毎日命懸けってことでしょ? だったらこんなところで逃げてる場合じゃないじゃない!」


「そうかよ。まあ、せいぜい死なない程度に頑張れよ」

「あんたこそ、ちゃんと安静にして回復を怠るんじゃないわよ! そのまま体力尽きてご臨終とかになったら、幽霊になったあんたを叱り飛ばしてやるんだからッ!!」

「へいへい」


 くぁっと欠伸をして目を閉じたスサノオは、そのまま寝息を立て始めた。

「うわっ、いきなり寝始めたわね」

「疲れとったんじゃろう」

「にしたって、寝つきよすぎでしょ。子供みたいなヤツね」

「まあ、生死の境目におったんじゃし、ゆっくり休ませてやろう」

「それもそうね。……はあ。なんか安心したら、喉渇いちゃった」


「まだ売店が開いとるじゃろう。小銭を渡すから、好きなもん買(こ)うて来い」

「本当ッ!? 団子とかお寿司も買っていい!?」

「……まあ、ええじゃろう」

 小銭を入れた巾着の中を確認し、あしはうなずいた。


「いと嬉しーっ! じゃあ行ってくるわね!!」

 お駄賃を受け取ったトウフウは飛び石を渡るかのような足取りで部屋を出ていった。


 あしは肩を竦め、袖に入れておった小さな手帳を取り出した。

 日記代わりに最近使っているこれには、“かれんだぁ”なる簡単に日付と曜日を確認できるもんがついておる。


 その項を開き、今日の日付に起こった出来事を簡潔に書き込んだ後、明日の日付が書かれた枠の中を見やった。

 そこには『戦闘試験当日』と書かれとった。

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