第二章5 『書契の真実』

 緊張に苛まれてると、ふと亮大の手からじゃらっと金属の擦れる音が聞こえた。

 やっこさんの圧倒的な存在感のせいで気付かんかったが、その鎖が伸びとる背後にはもう一人、もなかほどの小さな女の子がおった。

 ……おったんじゃが。


「のう、亮大とやら。その西洋の飼い犬みたいに、首輪で繋がれとる子は誰じゃ?」

「ああ、この子?」

 亮大は思い出したように背後をちらりと見やり、鎖を引いてその子を前に出した。

 染めとるのか……にしては妙に自然な青髪の女の子。頭からは黄色い角が生えとる。

 嗤えばさぞ可愛かろうに表情が硬く、つぎはぎだらけの粗末な着物に身を包んどる。


「……おいっ」

 スサノオは一歩前に出て、地獄の底から響くような低い声で言うた。

「ソイツ……神だろ!?」

 亮大は平然とした様子でうなずく。

「ええ、そうよぉ。ほら、自己紹介なさい」


 少女は一度亮大の顔を窺った後、ぼそぼそした声で言った。

「……青龍」

 それきり青龍は黙り込んでしまう。


「んもう、無愛想な子ねえ。本当、ごめんなさいねえ」

「んなこたぁ、どうでもいい。どうして鎖なんかに繋いでんだよッ!?」

 今にも飛びかからんという雰囲気のスサノオ。じゃけんどそれでも亮大はまったく怯えたり焦る気配を見せない。


「なんでって、決まってるじゃない。この首輪はあちしと、青龍たんの関係そのもの」

「あしにはまだようわからんが……」

「鈍いわねえ。つまり飼い主と飼い龍。もっと率直に言えば、主人と奴隷ね」


「――っざけんなァァアアァァアアッッッ!!」

 スサノオは大太刀を上段に構え、亮大に向かって突っ込んでいった。

 ヤツは激高した彼女を前にくすりと笑い、青龍に向かって一言。


「蹴散らしなさい」

 青龍は小さくうなずき、亮大の前に移動。

「邪魔だァッ、どけぇええッ!」

 頭に血が上ってるのだろう。スサノオは腕を振るって青龍を吹っ飛ばそうとする。

 が、次の瞬間。

 スサノオの身体がいきなりふっ飛んだ。その際、宙を何か煌めくものが舞っていた。


「かはッ……!?」

 視界から彼女の姿が消え去り、背後からガァンッと何かがぶっ壊れるような音。

 振り返ると、建物の壁にスサノオがめり込んでいた。

 なぜか彼女の前面が、酷く濡れている。


「ウォーター……水か」

 秋山の言葉に拍手と、小バカにしたような賞賛が送られる。

「せぇいかぁい。よくできたわねぇ、犯罪者」

「……イツァン・オーナー、器物損壊の罪人(同じ穴のムジナ)」

「大丈夫よぉ、後で弁償するからぁ。あぁたと違って、あちしはお金持ちなの」


「見たところ、ユーの青龍は東を守護するほどのパワーは持ち合わせていないようだが」

「そぉんなことも知ってるのねん。でもそれはとぉぜん。今の青龍たんは、この鎖で本来の力を封じてるから」

 耳障りな音を立てて鎖を見せつけてくる。よく見てみるとそれには赤い刻印のようなものが刻まれとった。


「なっ、なんでそんなことしてんのよ!?」

「なんでなんでって、あぁた達それしか言えないの?」

「だって、おかしいじゃない! 人や神を鎖に繋ぐなんて……」

「おかしかないわよ。この子、全力を出すとお漏らしをしちゃうのよねえ。でもそんなの美しくないじゃない? だからおむつの代わりに、これをつけてるってわけ」

「そんな……っ、そんな理由でッ!?」

 愕然としたトウフウの問いは、軽いうなずき一つで肯定される。


「ええ、そうなの。おむつを替えるのって、結構大変なのよぉ。この子、一人でお着換えもできないんだから。本当ぉにやになっちゃうわぁ」

「イヤなら離れればいいじゃない!」

「そぉいうわけにはいかないわぁ。この子はね、あちしの金鶴なの」

「金鶴……?」

「言い忘れてたけど、あちしは書字者ってやつでね。悪い神や人間を捕まえるのが、あちしの役目。そこにいるコソ泥とかね」


 亮大の目が秋山等の方を向く。

「青龍たんがいれば、捕縛なんてお茶の子さいさい。あちしは命じてただ眺めていればいいんだから。こんな楽なことってないでしょぉ?」

 トウフウの握りしめた手が震え、ギリッと歯ぎしりの音が鳴った。

「あんたっ……最低ね!」

「うふふぅ、なんとでも言うがいいわ。さあ青龍たん、そこのコソ泥をこらしめてやんなさい」

「……了解」


 青龍は掌(てのひら)上ににどこからともなくスイカのような形と大きさの水を発生させ、そのてを秋山達の方へ向けようとした。

 しかしやっこさん等は不敵に笑い。

「スカイでクロウが鳴いている」


 指差された上空を見やると、数匹のカラスが青空を飛びながら盛んに鳴いていた。

「……それがどぉしたのよ?」

「こういうことさッ!」

 視線を戻した先、秋山がいきなり地面に何かを投げつけた。

 途端、周囲に白い煙が発生する。


「えっ、これっ、何よ!?」

『ごほっ、ごほっ。煙幕ですね』

 混乱が起きる中、高らかな笑い声が響く。

「ハーっハッハッハ、ハーっハッハッハ! レディース&ジェントルメン、またどこかでお会いしよう! さらばだッ!!」


 声がどんどん高くへ遠ざかっていく。

 徐々に晴れてきた煙の中、空を仰ぐとそこには黒い羽の生えた数人の人型の何か、そして彼等が持ったロープの先には大きなカゴが吊るされていて。その中にこちらに向かって手を振る秋山と宗次郎の姿があった。


「あ、もなかあれ知ってる! 天狗さんでしょ、天狗さん!」

『そうですね。もなかは物知りですね』

「えへへ、お姉ちゃんに褒められちゃった」

 天狗の運ぶカゴ、秋山達の姿はどんどん小さくなっていく。


「あらぁ、もうあれじゃあすぐ街の外ねぇ。あちしの管轄から外れちゃうし、もぉ放っておきましょ」

「……おまん、結構適当じゃな」

「あちしは職務に忠実なだけよぉ。幸いけが人もいないし、盗まれたものもあぁた達のおかげで戻ってきたみたいだしぃ。逃がしたところで、あんなブ男達じゃ大したことできっこないでしょぉ」

「ブ……なんじゃ?」

「妖怪か何かじゃない?」

「違うわよぉ、イケてないっていーみ。もぉまったく、あぁた達少しは勉強した方がいいわよ」

「どんな勉強したらそんな知識がつくんじゃ……」


「さぁてっと。後の処理は下っ端に任せて、あちしは退散させてもらうわ。行くわよ、青龍たん」

 青龍は力なくうなずく。

 そのまま亮大が踵を返そうとした時だった。


「……待てよ」

 掠れたスサノオの声と共に、地面を踏みしめる音が響く。

 亮大は肩を竦め、面倒臭そうに肩越しに振り返る。

「なぁに、まだなんか用があるの?」


 スサノオは背から血を流し、ふらつきながらも亮大へ歩を進めていく。

「おっ、おい、おまん……」

 止めようとするあしを手で制し、スサノオは亮大を睨みやり口を開く。

「お前、今すぐ青龍を解放しろ」

「どぉしてあぁたに、あちしが指図されなきゃいけないわけ?」


「んなこたぁどぉでもいいんだよッ!」

「どうでもよくないわよ。あちしはこの子を使っておまんまを食べてんの。今時、字を書いたところでロクなお金になんないしぃ。貴重な収入源を捨てられるわけないでしょぉ」

「だったらもうちょっと丁重に扱えよッ! 恩を感じてんなら、もっと相応の接し方があるだろうがッ!!」


 スサノオが憤れば憤るほど、亮大の表情は冷めていく。

「書契した神をどう扱おうが、人間の勝手でしょ?」

「人間がそんなに偉いわけねえだろッ!? お前もお前だッ!」


 スサノオはぼうっとした表情の青龍に呼びかける。

「なんでそんな言いなりになってんだよ!? 好き勝手指示されて、奴隷同然の扱いを受けてッ! 悔しくねえのかよッ!? 人間なんて俺様達神にとっちゃ取るに足らない相手だろうがッ! お前のあのスゲェ力でやっつけてやれよッ!!」


「無駄よぉ、無駄無駄」

 妙に甘ったるい鼻笑いをして亮大は言った。

「書契した神は、契約者の人間に危害を加えることはできないの」

「……は?」

 スサノオの顔からすっと表情が抜け落ちていく。


「あらぁ、神のくせに知らなかったの? おっくれてるぅ」

 甲高い笑い声が響き渡る。

 スサノオとぶっちゅうように、あしも相当な衝撃を受けとった。

 そんな不平等な契約を、何も知らないトウフウと結んでしまっとったのだ。

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