文章の世界では遠慮なんかしている場合じゃない。
木谷日向子
文章表現は自分の為にある
今までの人生を振り返ると、人に対し遠慮ばかりして生きてきた気がします。
自分の本心を伝えることも遠慮。甘えることも遠慮。学生生活でも社会人生活でも誰かを優先して自分は後に回る。
そんな風に生きることが当たり前で、自分は現実世界では主人公タイプじゃありません。
ですが、本を読む人が少なくなってきた現代社会において、私は本を多く読む方の人間として生きてきました。
そして文章を書くことが好きです。大学も文学部で、美術史を専攻。絵画や工芸に描かれたものを文章化する勉強をしていました。
去年から脚本の勉強もするようになりました。その際、あるテレビ局の脚本賞の一次選考を通過したことを同じ教室の生徒に知られました。
するとあからさまに嫉妬されるような態度を取られ、困惑し、傷つき、落ち込みました。
その人も同じ賞に出していたようなのですが、落選していたということを知りました。
文章を書くことが好きで、これを仕事にしたい。
でも、自分が少しでも成功の兆しを見せると嫉妬して悪口を言う人がいることを知り、その人たちの為にこの道ですら遠慮しようとしていました。
ですが、考え直します。何故文章の世界ですら人に遠慮しなくてはいけないのか?
文章の世界では自分の精神世界との対話で、自分にしか表現できない奥底の想いや映像を表に出すことを目的として、そしてそれを他者に伝えることを目標としています。
この道ですら遠慮をしてしまったら、いったい自分はどこで本当の想いを表現することが出来るのだろうと考えました。
なので、自分に言い聞かせる答えは一つです。
「文章の世界では、他人に遠慮せず、自由に心を解き放つ」
これに限ります。
文章の世界では遠慮なんかしている場合じゃない。 木谷日向子 @komobota705
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