牙なしライオン

トラツグミ

牙なしライオン


「なんだ、今日も来たのか」


 まるで地の底から響くような、低く唸るような声が響く。それでいてどこか優しさを感じさせるのだから、不思議だ。

 その声を発しているのが牙のないライオンなんだからもっと不思議だ。


「うん!イチローにあいたいからね!」


 晴れの日を思い浮かべるような、底抜けに明るい声が応える。とても嬉しそうな声は、今にも跳ね回りそうなほどだ。

 その声に、その姿に臆することなく、にこやかに立つのは小さな小さな、帽子をかぶった少年だ。


「お前も暇なヤツだな。おれはそんなに暇じゃない」


 イチローと呼ばれた牙のないライオンは、大きなあくびをしながら少年に言う。ぐいぐいと身体を伸ばし、もう一度大きなあくびをして、そしてぐたりと寝そべった。


「イチローはいそがしいの?」


 少年が首を傾げながら尋ねた。彼にはとてもイチローが忙しそうには見えなかったからだ。


「ああそうだ、とても忙しい」


 イチローがふんと鼻を鳴らしながらどこか自慢げに言った。


「どんなことをしてるの?」


 再び少年が尋ねる。


「例えば、ひなたぼっこをする。これは太陽をしっかりと浴びないといけないから時間がかかる」


 寝そべったままのイチローが、器用に指を立てながらそう言った。その顔はやはり自慢げだ。これこそが自分の大事な仕事だと言わんばかりに。「それでそれで」と、少年が続きを促す。


「その次は水浴びだ。これはしっかりと水を浴びて身体をきれいに、そんでもって冷やさなくちゃならないから時間がかかる」


 誇らしげなイチローは饒舌だ。どこか少年の元気がうつったかのように、楽しげな雰囲気さえ纏っている。「つぎはつぎは」と少年が続きを促す。


「最後は昼寝だ。これはしっかりと眠らないといけないから時間がかかる。長く話して疲れた。そら、もうすぐおれは昼寝の時間なんだ」


 イチローがもう一度大きな口を開けながらあくびをする。その口にはやっぱり牙はない。

 牙のないライオンは眠そうな目をうっすらと開けながら、少年を見つめる。


「そっかー、イチローはおひるねのじかんかー」


 少年がひどく残念そうに肩を落とす。イチローと会う時間をとても楽しみにしていたようだ。その姿にイチローはきょとりと目を開いたが、再びその目は眠そうに閉じられる。


「ふん、また明日来るがいいさ。おれはずっとここにいるんだ」


 イチローがふいとそっぽを向きながらそう言った。それを聞いた少年の顔はパァと花が咲いたように明るくなる。


「うん!またあしたもくるよ!」


 少年が大きな声でそう言った。

 イチローはパタリと耳を閉じてうるさそうにしていたが、尻尾はふりふりと揺れている。ぐぅぐぅとわざとらしい寝息を立てながら、イチローは目を閉じたままだ。

 少年はくすくすと笑うと、手を振った。


「またね!イチロー!」


 目を閉じたままのイチローは、その牙のない口の中で「またな」と呟いた。



 キィと軋むような音を立てて扉が開き、女性が一人部屋の中へと入ってきた。彼女はベッド上に座る少年の姿を見て、少し安堵のため息を吐く。

 また少し痩せただろうか。そう思いながらそっとベッドサイドの椅子に腰かけた。長く使われていない小さなスリッパが床の上で少し埃をかぶっている。


「あ、おかあさん!またね、イチローとおはなししたんだ」


「そう、よかったわね」


 嬉しそうにそう言う彼に向けて微笑みながら、彼女はちらりと、彼の枕元に目を向けた。

 そこには大きなライオンのぬいぐるみが一つ、まるで添い寝をするかのように置かれていた。

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牙なしライオン トラツグミ @Erddrossel

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