第14話 謎解き

十和田は鍵を開け事務所へ入った。例によって藁はソファーに座っており、ちらりとこちらを見ると手を挙げひらひらと振った。


「おはよう、よう眠れたか」と藁は言った。

「ええ、それなりに」


 そう言ったものの、日付が変わり夜が老けても、十和田は本を読んでいた。一気に読み切ってしまいたかったのだ。なので少し眠く、気を抜けば意識を失いそうなのだが、おかげで人差し指を切り取られた理由がわかった。


 十和田は電気をつけ荷物を置くと、ソファーに座った。「藁さんは、夜どうしてるんです? 眠るはずはあれへんし」

「せやな、ぶらぶらしてる時もあるけど、大半は星を見てるかな。眠ることはでけへんけど、星を見てるととろんとしてくるねんなぁ……気がつけば夜が明けてるわ」

 なるほど、本に書いてあったように、星を見るのがなによりも好きなのだ。パンツだけではない。星を見る趣味がなければ、死後の世界は退屈で変になっていたかもしれない。今も充分変ではあるが。


「この街へは、俺に会うため来たんですよね?」

「せや、当たり前やんか。ぼく都会嫌いやのに」

「星が見え辛いから?」

「せや」

「普段はどこにいてるんです?」

「大半は故郷におるよ。でもたまに、場所を変えて星を見たくなって、出かけることもあるな」

「星が本当にお好きなんですね、本にも書いてありましたよ」

「もう読んだんか」藁は声色を明るくし、前のめりになった。「どや、ぼくのこと書いてあったか?」

十和田は藁の圧にやられ体を反らした。「ええ、めちゃくちゃ書いてありましたわ、藁さんを心酔してますね」

「そうかそうか! そいつは良かった!」藁は大きな声を出し笑った。

 今まで読みたくても読めなかったため、気になっていたのだろう。母と星と町、それと藁士道への愛がたくさん詰まっていた本だった。たとえ依頼がなくこの本を読んだとしても、損はないと十和田は考えていただろう。


「読んで良かったですわ、おかげで切り取られた指のこともわかりましたから」

 藁は反応を見せた。体を硬直させ、険しい顔を浮かべた。いつものおちゃらけた雰囲気はない。空気は張り詰めていた。

「ぼくの知ってるやつなんか、指を取ったんわ……」と藁は静かに言った。


 十和田はこくりと頷いた。

 藁が一気に緊張していくのがわかった。それも無理はない。知り合いの仕業で、かつ自分を怨んでいるのかもしれないのだ。しかし、十和田が導き出した答えが正しければ、そう悲観する必要はなかった。


「……誰が、指を取ったんや?」

十和田は息を吸い込み、座りなおすと言った。「武藤寛文さんです」

「ひ、寛文が……」藁は口を開け、視線をさ迷わせた。

「そうです。本には指のことを一切書いておらず、おやっと思い考えてみたんです。そしたら答えが出てきました」

「でも、なんで? 本当に怨みを持っていたわけや……」

「ないです」

「そうかぁ……」

藁は視線を下げ、顎に手をやり真剣な表情を浮かべた。なにかを考えている姿は知的で、偉大な学者であったことを思わせた。普段とは違う一面だ。こういったところも、武藤寛文が惚れ込む一因なのだろう。


「寛文さんはあなたのことを学者としても慕い、人としても慕っていました。藁さんのことが大好きやったんです、父親のように想っていました」

「それは、ぼくも感じてたけど……」

「本にも度々星を見たことが出てきましたが、藁さんと一緒に星を見たことが、寛文さんにとっては特別な思い出やったんです。留学の相談も、星を見ながら話したらしいですね」

「……せやな、懐かしいな……」

「アメリカへ渡ることは寛文さんの夢でしたが、同時に恐怖だったと思います。故郷を離れ母親から離れ、父の存在であった藁さんも危ない状況にありました。そのときの心情は、計り知れないほど辛いものだったでしょう。なにか藁さんとの思い出のようなものが欲しかった、形見でありお守りのようなものが──。

それが人差し指でした。では、なぜ人差し指やったのか? それは星を一緒に見たことに関係しています。藁さんとの特別な思い出が」


 藁はこくりと頷くと、唾を飲み込み十和田の言葉を待った。


 十和田は人差し指をぴんと立て、天井に向けた。「藁さんも経験があるはずです。星空を見るとき、“星に指をさしたことはありませんか”? 人差し指を」

「ああ!」

「先日も話しましたが、偉人の墓石を削り持ち帰ったりするファンがいますよね? 誰よりもあなたのファンである寛文さんは、一緒に星を見てさしたあなたの人差し指と共に、特別な思い出と共に、アメリカへ渡りたかったんでしょう。あなたを近くで感じられるように。今でも、あなたが指さした星は輝いている。

もちろん、人差し指を切り取り形見にするなんて、常識では考えられません。渡米への不安と藁さんが亡くなったショックで、どうしても形見が欲しかったのかもしれません」

藁は腕を組み、呟くように言った。「そんなにぼくのことを……」

「ええ、尊敬していました、言葉では言い表せへんほどに。本を読めばよくわかります。星に藁さんの名前をつけるほどですからね」

藁は驚いて顔を上げた。「えっ、ぼくの?」

「そうです」

 何度も首を傾げ、藁は困惑していた。「……ごめん、どういうことなん」


「本に書いてあったんですが、寛文さんはジョン万次郎のことに興味を持ち、調べたことがあったみたいなんです。シンパシーを感じたんかもしれません。アメリカへ渡ることになったジョン万次郎に、憧れも抱いているようでした。調べたということはこのことも知ってると思うんですけど、日本語で書かれた教科書なんてもちろんないため、ジョン万次郎は覚えた英語をそのまま発音していました。発音が似た日本語に言い換える工夫もしていました。Nightならナイですし、Yellowならヤロー、How much? ならハマチ、“Waterはワラー”と発音していたようなんです」

「てことはつまり……」

「寛文さんがつけた名前は、ウォーター・シャドウ。ウォーターは藁、シャドウの発音は士道の発音に似てると思いませんか? 寛文さんは、星に尊敬する藁士道という名前をつけたんです。藁士道と直接名前をつけなかったのは、ちょっとした遊び心とジョン万次郎への敬意でしょうね」

「あいつ、ぼくの名前を星につけたんか……そうか……」藁は慈しむようににっこりと笑い、目を瞑り光を浴びるように顔を少し上げると、記憶を巡らせた。「あいつは、ぼくのこと大好きやったからなあ……小さい頃から懐かれて星のことをよう聞かれたわ……純粋で傷つきやすく、ほっとけへんかった。可愛いやつやったなあ……」


 藁は目を開けると、私を見た。

 穏やかな表情をしている。すべてを理解し、心の淀みがなくなり山の空気のように澄んでいる。幾人かの旅立ちを見てきたが、藁にも同じ雰囲気を感じた。


「これですっきりできたわ、ありがとう」と藁は言った。

十和田は笑った。「納得して頂けて、良かったです」

「満足できた……最後に謎がなくなって良かったわあ、これで心残りはない」


 藁の体が、白く光る霧のようなものに包まれた。いや、包まれたというよりも、藁の体が光の霧になっていくような印象だ。それは暖かく、いつ見ても神秘的であった。藁は驚いて自分の体を見ていたが、すべてを理解したらしくまた穏やかな表情を浮かべた。満足し成仏していくものは、人間よりも上位の存在になったように感じる。苦痛や悲しみが消え去り、なにもかもを達観したため、そう思わせるのかもしれない。


「体が光ってるな。やから人は死んだら星になると、言われてるんかもな」

 十和田はなにも言わず深く頷いた。

「ありがとうな、兄ちゃん。世話になった、株でがぼがぼ儲けてや」

「俺も藁さんの最後を見れて良かったです、お達者で」

「ありがとう。……最後に、指を大事にせいよって寛文に言ってやりたかったけど、まあそれは贅沢やな……ありがとうな、兄ちゃん。ほな」


 目が眩むような光があたりを覆い、十和田は目を閉じた。藁の笑っている顔を思い浮かべ、数秒後、目を開いた。藁の表情は、十和田の思い出になった。会って三日しか経っていないが、確かな存在感を示し去っていった。いずれまた、武藤寛文が書いた本を読もう。そして儲けさせてもらいましたと、藁に報告するのだ。

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