第13話 手記⑦
卒業を控えていた頃、士道さんの体調が悪化した。もう長くはないと医師は判断した。私は病室に向かった。土手で星を見たときよりも顔色は悪くなり、細い吐息をしていた。それでもやはり、目に力があるのだ。不思議だった。もう長くはないと言った医師の判断が、間違いなような気がしてならなかった。
士道さんは右手を少し上げ、そばに来るように人差し指を動かした。横に立つと、酸素マスクを離し、ぼそりとなにかを話した。声が出し辛いのだろう、私は顔を近づけた。
「昔、言うたやろ、寛文は大きな人間になるって……本物の目をしてるって……。安心して、貫くんやで。アメリカでも、元気でな」
士道さんは震える右手を上げ、私の頬に力強く触れた。
「怖いとも思う、寂しいとも思う。そんときは、星を見たらええ。アメリカにも、日本と同じ星が輝いてる……お前を、いつも見てるから……」
頬から右手を離し、士道さんは笑った。子供のような、無邪気な笑みだ。涙を精一杯堪え、私も笑った。
八十七年二月二十三日、大マゼラン雲内の超新星が観測され、士道さんは病に侵されながらも大興奮していた。和子さんに怒られていたが、死ぬ間際まで学者だった。その数日後、士道さんは息を引き取った。
葬式で和子さんは涙を見せなかった。それどころか、私に優しい言葉をかけてくれた。雄一さんと、奥さんの貴美子さんは涙を落としていた。母もそうだった。誰よりも泣きじゃくっていたのは鈴木だ。尊敬する恩師が亡くなったのだから、当然である。なのに私は涙が出なかった。自分でも驚くくらい、心が静かだった。なにも考えられなかったのかもしれない。
葬式を終えると、私は町を巡った。
星を見に行った帰り道、士道さんにジュースを買ってもらった自動販売機。夢のことを話した土手。おじさんからお小遣いをもらい、大事に握りしめやってきた駄菓子屋。友達に恵まれ楽しい数年を送れた小学校。
士道さんと初めて会った、田んぼ道にもやってきた。遠くに民家が見え、森とその中に電波塔そびえ立っている。私も大きくなった気でいたが、あの頃見ていた高さと変わらない気がする。
山を登った頃、あたりは暗くなり星が浮かんでいた。広場に入り、柵から町を見下ろす。自然の中に、明かりの灯った民家がある。
都会から引越し、少しの不安と共にこの町へやってきた。いい町である、そう恥ずかしげもなく言える。田舎だが、それゆえ人に恵まれ環境に恵まれ、星も綺麗に見える。私の思い出が詰まっているのだ。アメリカへ渡っても、この思い出は財産になる。なにより、士道さんに出会えることができた。士道さんがいなければ、星に興味も持たず、アメリカへの想いも抱かなかっただろう。
ありがとうございます、士道さん。言葉がぽろりと口から零れ落ちた。今の素直な気持ちだった。
同時に、不甲斐ない自分がいることにも気づいた。
そうだ、もう会うことはできないのだ、大好きな士道さんに、父に。星を見ることも、話すことも、感謝を伝えることもできない。私はちゃんと感謝を伝えられたのか? なにか恩返しができたのか? 私は──
すると、私の心に波紋が広がった。数々の思い出が再生された。
視界が涙で滲み、星を見上げた。涙を拭うと、満点の星空が広がっている。星が近く感じる。今まで見たどの空よりも、芸術的で美しい。できるのなら、士道さんと見たかった……。
私の顔はたちまち歪み、ボロボロと涙を落とした。拭いきれない幾つもの涙を流した。鏡で見れば、酷い顔をしているに違いない。だが自分の力では止めることはできない。流れるがままにしておくしかできない。
ありがとうございました、士道さん。
私は呟き、もう一度星を見上げた。
貫き通してみせます。
そのあと私はアメリカへ渡り、S大学院へ留学した。それからもう、三十数年になる。
大学院を出たあとは、学者としてアメリカの研究所で働いている。晩年、母も病に伏せり入院生活を送っていたのだが、日本に帰って来ようとする私を強引に説き伏せた。私は現地で結婚しており、家庭があるのだからそれを大切にしなさいと言われた。最後を家族と共に看取れたのが、なによりの救いだ。
母にも迷惑をかけてばかりだった。渡米し顔もあまり合わすことができず、一人にし、親孝行もろくにできなかった。私が渡米したあとの数十年間、母は寂しい思いをせず楽しく暮らせていたのだろうか? 帰国し墓に手を合わせ、私はいつもそれを考える。士道さんのときもそうだ。いつも全てが終わったときに気づき、後悔する。
鈴木とは現在も連絡を取り合っている。相変わらず星や宇宙人の話で盛り上がる。まだ宇宙人は現れないな、いつになったら現れるんだろうな、と。帰国すれば雄一さんたちとも会っている。そのあと決まって町を歩き、電波塔のある田んぼ道や土手、山の広場から星を見るのだ。今も変わらない綺麗な星空が浮かんでいる。
私はこの文章を自室で書いている。外を見てみたのだが、すっかり暗くなり星が煌めいていた。私は窓の近くに立ち、星を見上げた。天体望遠鏡がそばにあるが、士道さんも言っていたように、肉眼で見るのが好きなのだ。三十年経った今でも、ふと隣を見てみると、無邪気な笑顔を浮かべた士道さんがいるような気がする。そんなはずはないのに。
その度に私は笑い、士道さんへ感謝の気持ちを送るのだった。
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