第12話 手記⑥

 夢への想いが強まったのも、上手くは説明できないが、その頃、士道さんは癌を患い体調が悪くしていたのも関係しているのかもしれない。夢を追いかけていることを知ってもらいたいのか、褒めてもらいたいのか。とにかく士道さんの容態を考えると、いてもたってもいられなくなるのだ。足掻きたいのだ。


 私は士道さんのもとへ向かった。悩みを聞いて欲しかった。思えば士道さんには悩みを聞いてもらうばかりで、私はなにも恩返しができなかった。

 士道さんは寝床につき、咳き込んでいた。挨拶し、二、三言かわすと、士道さんは口を閉じ私の目を覗き込んだ。初めて会った日と同じだった。すべて見透かされている気がする。私もじっと士道さんの目を見つめた。

頬がこけている。無邪気さからくる、元気が感じられない。目は落ちくぼみ紙のように白い顔をしている。それでもまだ、目の奥には力があった。生気を感じた。


「星を、見に行くか」

 と士道さんは言った。

「星ですか? でもお体は……」

「平気や。もう山には登られへんけど、近くの土手に行こさ」

「はい」


 士道さんはゆっくりと立ち上がった。手を貸そうとしたが、首を振り断られた。部屋を出ると、星を見に行く、と士道さんは和子さんに言った。本来ならば床に入り、安静にしていなければならない。貴美子さんは士道さんの顔を数秒間見つめたあと、行っておいでと言った。私はそのやり取りの中に、夫婦の愛というものを感じた。長年一緒だったからこその、熟成された愛だ。感情が込み上げてきた。目柱が熱くなる。私は視線を逸らし、息を吐き出した。下唇を噛むのだが、堪えようとすると余計に溢れてくる。だが私がここで湿っぽくするわけにはいかない。堪えるしかなかった。


「許可出たわ、ほな行こか」

「はい、行きましょうか」

 私は笑顔を作り言った。

家を出て、暗い夜道を歩く。士道さんの体は丸くなり、歩幅は小さかった。幼さなかった頃、士道さんと星を見に行き、その背中がとても大きかったことを覚えている。あの頃と比べると、小さく感じる。けれどけっして敵ないはしない。父の背中はいつまでも偉大なのだ。

 数分で着くところ、十分ほどかけて土手にやってきた。


「綺麗やな、やっぱり。見てみ」

 士道さん星を見上げ、指をさし言った。相も変わらず星たちは煌めいている。当たり前だが、地上のことなど一切感知せず見下ろしている。悩みも不安も悲しみも、関係ない。

「そうですね……」

「なんや、元気ないな。お前が星を前にしてそうなのも、珍しいな」

「かもしれませんね……」

「……悩んでるんか」

「はい」

 私は項垂れるように頷いた。

「話してみ」


 私は留学のことを話した。アメリカへの想いも語った。けれど母のことも心配だと言った。それに認めてくれるかもわからないと。

 士道さんはいつものようにゆっくりと頷きながら、私の話を聞いていた。そして私の顔から星を見上げると、


「寛文が小さかった頃、言ってたなあ……。アメリカでも、同じ星が見えるのかって」

「はい……」

「その頃から、ずっと夢を見続けてたんやな……ええことやないか……」

 士道さんは懐かしむようにふふっと笑った。

「お前は、今のぼくより死んだような顔をしてる。このままやと、あかん……絶対にあかんわ……」

 士道さんは、もう一度私の方を向き、目を見つめた。

「お前はまだ若い、ここに居座らんでもええ。縛られるな、世界を見ろ、長い時間をかけて歩き続けるんや。ノスタルジーに負けるな、感傷にも負けたらあかん。そしたら、新しい道が開かれる。お前はぐんと成長する、ぼくりよりもな……。お前が歳を取り、ふと歩いた足跡を振り返ってみると、確かに輝いてるはずやさかい……」

 士道さんは笑うと、私の肩に手を乗せた。暖かな手だった。心にまで染み渡る。いつも士道さんは私に手を貸してくれ、確かな言葉をくれる。私が士道さんを越えるようなことは、今後なにがあってもないだろう。いつまでも私の前には、士道さんの背中がある。暖かな、力をくれる背中だ。


 私と士道さんは星を少しだけ眺めたあと、家へ戻った。夜風は体に触る。士道さんには元気になってもらわなくては困る。


 次の日、私は母に留学のことを話した。もちろん反対されたが、士道さんの言葉に押された私は、想いをぶつけた。母は考えさせてほしいと言い、部屋を出ていった。反対されても、是が非でも渡米するつもりだったが、母はその夜、留学を認めてくれた。涙を流し、体にだけは気をつけてね、辛かったら無理せず帰って来るんだよ、と言った。士道さんと和子さんとはまた違う、大きな愛を感じていた。

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