第10話 手記④

 その日、また天体観測をしようと約束した。約束は守られた。次の日もまた星を見に行ったからである。中学に上がり高校に上がっても、その約束は守られ続けた。ときには和子さんも一緒に、ときには雄一さんも、ときには母も、ときにはみんなで来たこともあった。

 高校は他の市からも生徒がやってくるが、なんのトラブルもなかった。中学からの友達もおり上手くやって行くことができた。


 しかし高校生活の中で、忘れられない差別を受けたのが一度だけあった。

 二年生に上がった頃、私に好きな娘(こ)ができた。物静かで目立つようなタイプではなく、いつも図書室で本を読み一人で楽しんでいるような娘(こ)だった。私も読書が好きで、図書室で彼女と顔を合わせる機会がままあった。いぜん私が読んだことのある小説を読んでおり、語り合いたくて声をかけた。それから仲良くなり、会えば話すようにまでなったのだ。彼女は内向的な性格だがユーモラスがあり、聞き上手でもあった。

 私たちは好き合っていたと思う。けれど恥ずかしがり言葉には出せないでいた。

知り合って数ヶ月が経った頃、勧められた小説を借りるため、彼女の家へお邪魔させてもらうことになった。やましい気持ちはなく、借りればすぐに帰るつもりでいた。ご両親とお爺さんに挨拶し、彼女の部屋に向かうと小説を借りた。礼を言い、十分ほど話したあと、私は別れを告げ家をあとにした。

問題は次の日だった。学校で彼女に会うと妙によそよそしく、あまり話そうとしなかった。目も合わせようとしない。疑問だらけだった。嫌われるようなことをした覚えはないし、部屋に上がっても紳士でいた。なのにどうして?

 そんな態度が数日間続き、私はとうとう我慢できなくなり彼女を問いつめた。


 すると、彼女は言い辛そうにしながら、

「前、部屋に上がってもらったでしょ……? あのあと、おじいちゃんに呼ばれて怒られたの。あんな奴と付き合うなって……。おじいちゃん戦争を経験して戦地にも行ってたから、その、アメリカ人が嫌いなの。黒人となんて、仲良くするなって……」


 私は言葉が出なかった。ショックを受け、呆然としていた。こんなにも直接的に差別を受けたのは初めてだった。確かに肌の色は黒いし、日本人には見えない、反米感情があるのなら拒否反応が出るのかもしれない。けれど、私は日本人なのだ。日本で生まれ日本で育ち、武藤寛文という名前がある。普通の日本人と変わりなんてない。いや、普通の日本人とは、いったいなんなのだろう? 悲しくて悔しくて、心が混乱していた。

 彼女はごめんねと言い、去って行った。彼女との関係は終わった。つかの間だった。私の初恋も去っていった。代わりに苦しみを残して。


 私は士道さんのもとへ向かい、話を聞いてもらった。士道さんはゆっくりと頷き、聞いてくれていた。怒ったような顔を見せることなく、悲しむ素振りも見せず、慈愛に満ちた表情だった。それがとても安心し、人の暖かさのようなものを感じた。私の感情はたまらず溢れた。涙を流し、声を震わせ士道さんに想いをぶつけた。

 すると、士道さんは私の頭を優しく撫でてくれた。

「世の中には、アホがおるんや。なにも知らんくせに、決めつけるやつがな。お前は悪ない、いっぱい泣け……。でも、下を見て生きたあかんで? 武藤寛文として、胸張って生きな。辛くなったら、またぼくに話したらええんやから」

 その言葉に、私はもっと涙を落とした。辛かったら、泣いてもいいんだ。武藤寛文という人間に、誇りを持ってもいいんだ。一人じゃないんだ。そう思えられた。

 今まで生きてきて、差別のことを誰かに話したことはなかった。迷惑をかけるため、母の前では強がっていたのだ。一人で抱え込んできた。悩みを聞いてもらい、思いやりのある言葉をもらうことが、こんなにも救われるとは知らなかった。

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