第9話 手記③
それから士道さんとの親交が始まった。道で会うと挨拶し、星のことを訊ねると、快く答えてくれた。士道さんの隣に奥さんの和子さんがいると、段々と難しい用語を使い始める士道さんを止めてくれた。和子さんは優しくて真の強い女(ひと)だ。士道さんが惚れている理由がわかる。
士道さんに声をかけられ、私は書斎へ招かれた。本棚には天文学に関する本があり、日本語、英語問わずずらりと並んでいた。窓の近くには天体望遠鏡が設置され、デスクには子供の頃から持っているのか、ボロボロになり表紙も色褪せている星の図鑑があった。天文学者らしき要素もあれば、星好きの少年を思わせる部屋だった。
「この本、読んでいい?」
私はデスクに置かれてある図鑑を指さした。士道さんはこくりと頷いた。
「もちろんええよ」
椅子の上に両膝を立て、本を覗き込んだ。士道さんは横に立った。私が図鑑に載っている星のことについて訊ねると、わかりやすく解説してくれた。北斗七星や夏の大三角、星がなぜ光っているのか、という単純な質問にも答えてくれた。
「宇宙人て本当にいるの?」
私は大真面目な顔をして訊ねた。星とは関係ないが、気になっていたのだ。藁さんはそれにも笑いもせず真剣に答えてくれた。
「星を見てると、確かにそういうのも気になるよな。わかるで。……でも宇宙人かぁ、どうなんやろな。見たこともないからなんとも言えへんけど、宇宙はめちゃくちゃでかいねんから、いてもおかしくないわな」
「それはタコみたいな形?」
「タコみたいな形をしてるとは限らん。ぼくらみたいな人型かもしれんし、考えもつかんような形をしててもおかしくないな。ただ火星にはおらんやろなあ」
「そっか……。ねえ、そんなに宇宙って広いの?」
「検討もつかんくらいな。しかも今も大きくなっていってると言われてる」
「今もなの!?」
「せや。君が成長していくように、宇宙も成長してるってことやな」
士道さんは言うと笑い、私の頭を撫でた。
今も成長している。途方もない話である。考えるとドキドキもワクワクした。しかしこの感情は、宇宙のせいだけではい。士道さんに頭を撫でられたのが、ドキドキとワクワクの原因の一つだった。父のような暖かさを、感じていたのだ。
私は士道さんに会う度に星や宇宙の話をした。訊ねると、士道さんが声を弾ませ楽しそうに話してくれるのが、たまらなく幸せだった。息子の雄一さんがあまり星に興味がなく、子供に訊ねられるのが士道さんは嬉しかったのだろう。歳を取り、私もその気持ちが痛いほどわかるのだ。
雄一さんは星よりも映画に興味があった。士道さんは星のことを話しているのだが、雄一さんは映画のことを話し出すという不思議な状態になっているのを、何度も見たことがある。お互いに熱弁を振るい、結局はその度に 和子さんがうるさい! と叱るのだ。
町で雄一さんに会うと、呼び出されこんなことを言われたことがあった。
「もう寛文くんに、おとんのこと頼んどくわ。おれ別に星のこと好きでも嫌いでもないしさ、話されてもやかましいねんな。笑顔で喋るから邪険にでけへんけど、今度からは寛文くんがおとんの話し相手したってや。おとんも喜んでるし」
父親のことを任され、私は大きく頷いた。士道さんと話すのは嫌いではなく大好きだったし、歳が九つも離れたお兄さんから頼られたのが認められたような気がして、胸をときめかせていた。
以前に増して、士道さんに構ってもらうようになったのだが、星や宇宙のことだけでなく、学校のことでも相談に乗ってもらっていた。好きな娘(こ)のことで悩んでいると、目を輝かせ嬉々としてアドバイスをくれるのだ。
「ぼくはこう見えてもモテるからなあ」
まるで自分に言い聞かすように、士道さんはにやけ面を浮かべながら言っていた。私は子供ながらに、これが嘘をつく大人の顔なんだなと思った。そして士道さんから教えてもらったアプローチの仕方では、上手くいかなかった。
士道さんに連れられ、天体望遠鏡を持ち山に星を見に行った。広場のようなところがあり、柵の先には私たちが住んでいる町が見えた。ぽつぽつと明かりが灯り、闇の中に浮かび、星とは違う綺麗さがあった。空気もいいからか、胸も楽になり清々しい気持ちだった。
望遠鏡を広げ、士道さんは覗いてみるように私を促した。胸のドキドキを感じながら、片目を瞑り食い入るように覗き込んだ。おおー! と思わず声に出すくらい、私は感動を覚えていた。丸の中に、無数の星々が散りばめられている。普段はこんなにも星を視認できていないのだ。なのに筒の中を覗けば、星は広がっている。大きな光り、小さな光り、赤だったり青だったりどれもが色が違い、どれもが懸命に輝いている。不思議な心地に陥っていた。眠りの中にいるような、ふわふわとした浮遊感と高揚感がある。星に囚われているのがわかった。
まだまだ覗いていたかったのだが、士道さんともこの感動を分かち合いたかった。顔を離し士道さんの方を見てみると、腕を組みうっとりと星を見上げていた。
「どや、凄いやろ望遠鏡。感動するやろ」
と士道さんは夜空を見上げながら、呟くように言った。
「うん、とっても」
「せやろ、ぼくも初めて覗いたときは心奪われたもんやでえ……」
士道さんは望遠鏡を覗こうとはしなかった。心奪われたのなら、どうして覗かないのだろう? その疑問を察したのか、士道さんはちらりとこちらを見ると、また見上げ星に指をさし、
「望遠鏡から眺める星もめっちゃ好きなんやけど、こうしてただ見上げるっていうのも、好きやねんな。望遠鏡は遠くを覗いてる感じがするけど、地上に立ちちっぽけな存在やと感じながらっていうのもええねん」
「なんだかそれ、わかる気がする」
「寛文はわかる男やな」
士道さんは笑みを見せながら私を見た。背後には星が広がり、満月もよく光っていた。月に照らされた雲が、ゆっくりゆっくりと流れている。
私も笑った。
「アメリカでも、今見てる同じ星を見ることができるの?」
「せやな、緯度はほぼ同じやから、全部ではないけど見えるな」
「へえ、凄いなぁ、あんなにも遠いのに……」
「……まあ、空は空っていうことやな」
空は空。
それでも私にとっては大きな問題だった。遠いアメリカを、近くに感じたような気がしたのだ。目に見えない遥か向こうのアメリカが、見えたような気がした。そんなにも遠くはないんだ──。
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