第6話 息子

 車を走らせて一時間が経ち、目的地に到着した。都会の喧騒から離れた閑静な場所で、自然も多くあった。遠くには山があり、青い空に映えていた。田んぼには稲が生え、風が吹けば陽の光に煌めきながら揺れている。小さな頃から都会住まいの十和田には、心が安らぐ景色だった。マルコメのタンクトップと半ズボンの男の子が、鼻を垂らし駆けているイメージだ。


藁の言う通り、鈴木清武の教え子で、藁士道のことを興味を持ったと告げると、二つ返事で家の中に通してくれた。応接間に通され、ソファーに座った。息子の藁雄一は前のソファーに座り、その妻である貴美子は、お茶を二つ置くと部屋から出て行った。

 藁はソファーに座らずぷかぷかと浮かびながら、部屋を見渡していた。


「すみません、突然押しかけまして」と十和田は言った。

「いやいや、父に興味を持ってくれる若者が来てくれたんやから、嬉しいよ。亡くなった母も喜んでるよ、きっと」

「亡くなられたんですか?」

「ええ、もう歳やったからね、先月、亡くなりましたわ」

 藁の方を見ると、ばつが悪そうに顔を逸らした。なるほど、妻を見届けたから成仏しようと思ったのか。藁が成仏を考えたのも先月からだ。今まで成仏しなかったのは、妻がさ迷っていれば、一緒にいこうと考えたからかもしれない。藁士道という人間が、愛されている理由がわかった気がする。


「士道さんの人差し指を切り取られた理由を、雄一さんはわかりますか?」

「いや、それが全然。父はね、人から怨まれるような人間ではなかったよ。天真爛漫で、星を愛してた。子供である私の方が、大人やったというか、父は子供の目線になって話してくれる人やった。悩んでたら一緒に悩んでくれたし、わからないことがあれば真剣に答えてくれたしね」

 藁は浮きながらこちらにやってくると、腕を組み口元を緩めながら言った。「我が息子ながら、ええこと言うやん」


 だが雄一は言った。「女性が好きだっていう、致命的な弱点はあったけども」

 藁の方を見ると、組んでいた腕を解き目を閉じていた。聞かなかったことにしていた。


「そんな弱点はあったけど、母とも仲良くやってた。怨まれるとは、あまり思えへんのよね……」

「警察には連絡しなかったんですか」

「母がするなと言ってね。父の葬式だし、大事にしたくなかったらしい。別に指くらいくれてやってもええ、大切にしてくれたら、とも言ってなあ」

十和田は思いついたことがあり、訊ねた。「旦那の指を切り取られたんですから、怒りを表しても可笑しくありません。もしかすれば、誰が指を切り取ったか、知っていたとは考えられませんか」

「え、母が? いや、それはないと思うけど……共犯やっていうこと?」

「いえ、共犯ということではなく、黙認というか。親しいものの仕業だったので、大事にせず黙っていたのかもと思いまして。だから、大切にしてくれたら、と」

「まあ、母なら有り得るかもしれへんけど」

「確かに」と藁は言った。「さすがに関係のない第三者が犯人なら言うやろうけど、親しいものやったら、和子は黙ってたかもしれへんな。あいつはそういうやつやった」


 藁和子が生きていれば話を聞けたが、それはできない。黙っていたのかどうかは、もう知る術はない。少なくとも、後悔もなく成仏できたということは、藁のように指のことを気にしていないということだ。なにか納得できる理由があったのか、指くらいくれてやってもいいと言った、言葉の通りなのか。


十和田は言った。「武藤寛文さんは特に反応を見せず、黙っていたと聞きましたけど、怒っている様子もなかったんですか」

「よく寛文くんのことを知ってるね」

「鈴木教授から教えて頂きまして、ほら、お二人はご友人らしいし」

「君の言う通りやで、寛文くんはずっと項垂れてたな。誰よりも父のことを慕ってたのは彼やし、放心してしまってたんやろな。父も、寛文くんのことを可愛がっていたし……」

「今でも会われます?」

「時々やけどね、忙しいからなかなか日本には帰れへんらしいし」

「話を聞きたくても、そう簡単にはいきませんね……」

「アメリカ行かなあかんからね」雄一はくすりと笑った。「ああ、せや、ええもんがあるよ」

「ええもん?」

「そう、寛文くん数年前に本を出してね、その本に少しだけやけど日本にいた頃の話を書いてあるから、参考になるかはわからへんけど、良ければお貸しするよ」

「では是非」


 雄一が部屋を出ていくと、階段を上っていく足音が聞こえた。


「本書いてたんですね」と十和田はお茶を一口飲むと言った。

「ぼくはこの通り霊やし読めへんけど、元々アメリカで出して、自分で翻訳して日本でも出版したらしいわ」

「へえ、凄いなぁ」

 少しして、雄一が戻ってきた。手には少し傷んだ本を持っていた。

「これだよ」

「ありがとうございます」


 十和田が本を受けると、雄一はソファーに座った。十和田は本を見た。タイトルを確認する限り、天文学の本みたいだ。自叙伝ではないらしい。


「メインは天文学なんやけど、さっき言ったように日本にいた頃のことも書いてあるから。いやあ、ほんま凄いよね、寛文くん。確か何年か前に小惑星も見つけてたもんな」

「小惑星ですか?」

「そう、小惑星を見つけて、それにウォーター・シャドウっていう名前をつけたんよ。ほんま素晴らしいよ、アメリカに渡っても学者として認められてるんやから。父を越えたわ、これは」

藁は目を大きく、指をさしながら言った。「おい雄一!」

「それもそうかもしれませんね」と十和田も同調した。

「こらお前もか!!」


 藁は大声を出しているものの、嬉しそうに顔を緩めている。教え子の活躍に喜んでいるのだ。自分を越えたと言われ喜べられるのは、父親くらいなものだろう。藁は、武藤寛文のことを息子のように想い誇りにしているのだ。

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