第4話 人差し指は?

「では、そろそろ本題に入りましょか、藁さん。話して頂けます?」

「わかった」藁はこくりと頷いた。「先月くらい前から、そろそろ成仏しようかと思い始めたんやけど、なかなかそんな気配がなかった。好きなことして生きたし、未練なんてあれへん。それじゃあなんやろ? って考えてると、一つだけ思いつくのがやったんや」

「それが気になっていることってやつですね」


「せや」藁は人差し指を立てると、「ぼくが死んでからな、誰かに人差し指を切り取られたんや」

「えっ、指を!?」

「そや」

「誰かに?」

「そうやー」

 十和田は思わず藁の人差し指を見た。ちゃんとついている。それもそのはず、亡くなってから切り取られたと言っている。霊体になる前なのだ。


「確かに人差し指を切り取られたとなると、気になりますね」

「やろ? しかもそのまま持ち去られたらしくてな、まだ見つかってへん」

「謎やなあ、なんでや……」十和田は顎に手をやり、目を下へ向けた。

「それが気になってな、成仏でけへんのやと思う。子供からの夢やった、女風呂覗くのは死んで早々に叶えたからなあ」

「……成仏できても、行先は地獄でしょうけどね」

「死んだあとやし、別に指くらいええんやけど、誰かに怨まれてたんか、もしくは近しいものがやったんか……そうやとしても、理由はなんなんやろって気になって」

「ご利益があると考えるんか、偉人の墓石を削り持ち去る輩がいるみたいなんです。ガリレオの歯や指なんかも、持ち去られたことがあるみたいなんですよ。もしかすれば、藁さんの場合もそれかもしれませんね。ご利益があると考えた輩が、持ち去った可能性も」

「ふむ、なるほどな」藁は腕を組み何度か頷いた。

「藁さんがおっしゃったように、怨みとも考えられますね。誰か思いつくような人はいます?」

「ぼくはみんなから好かれてたんやで、思い当たらへんわ」

「女性から怨まれているということは?」

 藁は口を閉じ、目を逸らした。黙秘である。この質問こそ否定してもらいたかった。


「もう……。亡くなって、いつ指を取られたかわかります」と十和田は訊ねた。

「病院で亡くなって、ぼくは霊体になった。ベッドで眠ってる自分をぼくは見てたんやけど、そのときはまだあったな。切り取られたのは、葬式が行われる前に、家で遺体を保管していたときやわ。朝になって、人差し指が切り取られてるのが発見された。ぼくはふわふわと浮くのが楽しくて、どこか行ってたんやけど、家に帰ってくると大変な騒ぎになってたわ。うわ痛そうって他人事のように思ってたの覚えてるなあ」

「じゃあ、家族とか近しいものなら、チャンスはあったんですね?」

「そうやと思う。仲の良かった友達も泊まったり、夜に訪れてたらしいから、やろうと思えばできるやろな。布団も被ってるし、指を隠せられるからな」

「なるほど。じゃあ、藁さんと関係のないものの仕業ではなさそうですね。家には入れないでしょうから」

「侵入したとは考えられへん? ぼくが家に運ばれたのは、確か十八時くらいやから、盗む機会は幾らでもあるで」

「ううん、それもそうですねえ……でもリスクがありますし……。ああせや、怪しい動きしてた人はいませんか?」

「それがな、よくわからへんねん。みんな泣いてるとこにおりたないやん? やから外に出ててんな。葬式も出えへんかった。それで数時間して帰ってきたら、自分がこんがり焼けて骨だけになってたんや。さすがに驚いたね、そのときは。火葬場の職員が、割り箸でガシガシ突いて骨入れてんの見て、より驚いたし」


「でも、少しくらい皆さんの反応を見たでしょう? 指を取られたのを知って、どんな様子を見せてました?」

「せやなあ、家内の和子(かずこ)はえらく落ち着いとったわ、指くらいどうもあれへんって言うて。死んだんやし、好きなだけ持っていきってな。息子の雄一(ゆういち)とその嫁はんの貴美子(きみこ)さんは、憤慨しとったよ。けしからん奴がいる!! て。まあこれが普通の反応やわな。吉田(よしだ)雅文(まさふみ)と折島(おりじま)芳郎(よしろう)は──ああ、こいつらは教授仲間やねんけど、二人も怒ってた。教え子連中もそうやな。……そういえば、一人だけ違う反応取ってたな」

「違う反応?」

「ぼくが死んで怒る気力もなかったんか、ずっと項垂れてたわ。名前は武藤(むとう)寛文(ひろふみ)」

「武藤寛文さん……なんか聞いたことあるようなあ……」十和田は目を細め考えた。

「なんや、ぼくのことは知らんで寛文のことは知ってるんかいな」

「有名な方なんですか?」

「そこそこやな、まあぼくには劣るけど。寛文も天文学者や」

「ああ、思い出した。確かテレビで取り上げられてましたよね? アメリカ人とのハーフで、二十代の頃にアメリカに渡ったとかで……」

「せや、わしが一流の天文学者に育てたんや。小さい頃に引っ越してきてな、可愛がってやった。実際可愛かったしな。肌の色が黒くて差別も受けたみたいやけど、それでも腐らず努力を続けて誠実な男やった。子供の頃から星のことが大好きで、ぼくの話をキラキラした目をして聞いてたなあ」

「その寛文さんのこと、お好きなんですね」

 藁は白い歯を見せ、満面の笑みを浮かべた。「可愛いやつやで」


「じゃあ、他の近しいものの反応はどうでした?」

「鈴木(すずき)清武(きよたけ)っていう、ぼくの教え子で寛文の友達でもあるやつがいるんやけど、そいつはぼくの切れた指を丹念に調べてたなあ。ナイフで切られ、切り口は丁寧で綺麗、怨みによるものではないかもって、集まってた面々に言ってたわ。指を取られた理由に、一番興味を示してたな。寛文の母親の夕美(ゆうみ)さんは、息子の隣にずっといて、二、三言しか考えを口にせえへんかったな。他人の家のことやし、ここは口に出すべきじゃないと考えたんかもしれん。我慢強い人なんや、寛文が小さい頃に父親が出ていって、元々東京に住んでたらしいけどこっちに越して来てからも、愚痴一つこぼさず息子のために頑張ってわ。寛文がアメリカに行くときもな。偉い人やでほんま」

「一人でか……。お金に困っている様子はありました?」

「息子を大学にも入れて、そら豊かな方やとは言えんやろな。色々苦労はあったと思うで。……もしかして、お金を目的にやったって考えてるんか?」

「その可能性は、ないと言い切れへんでしょ? 報酬を出すからと、誰かに頼まれたのかもしれません」

「でもそんな感じはせえへんかったけどなあ」

「もちろん、俺も絶対そうだと考えているわけやないんで」

十和田は言った。「……指を切り取られた理由がわかれば、藁さんは成仏できそうなんですね」

 藁は真っ直ぐな目を向け頷いた。「そんな気がする」

「この依頼、引き受けます」

「おお、ありがとう兄ちゃん!! 断られたら、怨んでるとこやったわ」


 十和田の体はびくりと動いた。恐ろしい冗談だ。霊は見えるが、呪いを払う術は知らない。スカートの中を覗きたくなるという呪いならばどうしたものか。


「他の人にも話を聞きたいんですけど、ご家族はどこにおられます?」

「すぐに会えるで。そやな、車で一時間くらい走れば着くわ。今は息子夫婦が住んどる」

「じゃあさっそくそこへ向かいましょか」

「おし、ええぞ」


 藁はソファーから離れ、宙に浮いた。十和田も立ち上がると、デスクに置いてある車のキーを持ち、歩き出した。駐車場はどこだと訊ねられ、ビルの裏手にあると答えると、藁は壁をすり抜け一直線に向かった。霊体は便利だとつくづく思う。扉を出て、階段を下りなくて済むのだから。

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