第3話 女好きの天文学者
幽霊は幼少の頃から見えていた。あの頃のことを今でも覚えている。不思議に思ったものだ。他の人には見えていないものが見え、その見えないものは建物や人をすり抜け、抜け殻のように突っ立ているものもいれば、体の一部が欠損しているものもいた。頭裂けてるやん……と十和田は心の中で呟いていた。
勇気を出し、母に幽霊が見えることを告白した。からかわられるか、母はホラーが苦手なため嘘をつくなと怒られるかと思ったが、
「ああ、それ家系やねん。そういう家系らしいねん」とあっさり言われた。「亡くなったおばあちゃんも見えてたみたいやで、完全に血やね」
そのあと洗濯物で忙しいからと、しっしっと手でジェスチャーしながら十和田は追い払われた。十和田も色々なことを考え、悩んだが、まあ遺伝ならしかたないか、と納得した。むしろ身長が低いことのほうが納得できなかった。父親はでかいのに、十和田はクラスでも前列ほうに並んでいた。消し去りたい、忌々しい遺伝だとも思った。
事務所は雑居ビルの二階にあり、十和田は幅の狭い階段を上っていった。扉の前に立ち、カギを持ち手を伸ばしたところで気づいた。十和田はぴたりと手を止め、扉の先を見つめた。中から、霊の気配がする。悪いものではない。
鍵を開け、扉を開き中へ入る。薄暗い部屋の中、ソファーに誰かが座り、白髪の後頭部が見えていた。振り返ると、やあ兄ちゃん、と手を挙げ気さくに言った。不法侵入していたのは、昨日のパンツを覗いていたおじいさんだった。
「やっぱりおじいさんやったんか」
「ぼくがいること、気づいてたん?」
十和田は電気をつけると車のキーをポケットから取り出し、ソファーを横切った。おじいさんは首を動かし、十和田に視線を向け続けていた。
「幽霊の気配を感じることができましてね」キーをデスクに置くと、ソファーに座りおじいさんと向かい合った。「昨日、夜空を眺めていた紳士がいたから、もしやその人かと思ったんですよ」
「なるほど、なるほど」
「ここへ来られたっていうことは、俺に用があるんですね?」
おじいさんは数秒間黙ったあと、頷き答えた。「そうや」
「なにか未練でも?」デリケートの問題のため、不快にさせないよう笑みを作り、口調を柔らかくし十和田は言った。
「いや、未練いうよりも、気になっていることがあるというか……」
「気になっていること?」
「せや。その話を聞いて欲しくてな……」おじいさんは顎に当てていた手を下げると、「でもまずは自己紹介からやな」
「それもそうですね。教えて頂けますか」
「ぼくの名前は、まあ藁(わら)士道(しどう)いいますわ。いやいや、そんな大したもんやあれねんから! 驚かんといてや!!」
どうしてか、藁は自信に満ちた顔を浮かべかすかに口元を緩めていた。大したことないと言ったのは、藁という名字が珍しいため謙遜したのだろうか? それにしては勝ち誇ったような顔をしているのが気になる。
十和田が困惑していると、藁は驚いたように前のめりになり、目をぱちくりさせた。
「まさかぼくのこと知らんのかいな!!」
「そら知りませんよ。はいはいあの人ね、ってなりませんもの。今はパンツ覗いてた印象しかありません」
「そんな印象捨てなさい、ほんま今どきの若いもんは……ぼくのこと知らんとは……」
「誰なんです? 昭和に活躍した俳優とか?」
「もうええ、ウィキペディアで調べてみなさい、ウィキペディアで」
「へえ、ウィキペディアに載ってるんや、凄いなぁ」
「それほどでもあれへんでえ」と藁は一転して破顔し気分良さそうに言った。
十和田はスマートフォンを取り出し、『藁士道』と検索した。すると生前の藁の顔写真がヒットし映し出された。文豪のように顔を少し横に向け、どこか遠くを見ている。画面をスクロールすると、藁士道のウィキペディアがちゃんと作成されていた。タッチしサイトを開く。
先ほどの文豪のような写真も載っていた。藁士道、一九二一生まれ、一九八七年に死没、享年六十六歳。まさかそんな昔に亡くなっていたとは。三十二年間、十和田が生まれる前から、一人でこの世をさ迷っていたことになる──。気が触れてもおかしくはない、その精神力には兜を脱ぐ思いだ。なにか心の支えがあったのだろうか?
なんと天文学者だったらしく、K大学を卒業しK大学の名誉教授にもなっている。主に位置天文学の分野で活躍しており、業績を上げている。日本の天文学のレベルを上げるために、観測所の設立に人力し、巨大望遠鏡の導入を力説した。日本の天文学に多大な貢献をしている。十和田が思っていたよりも、数段は偉い人であった。K大卒だということだけでも、驚きなのだから。さすがは文豪のようにして写真を撮るだけのことはある。
十和田はスマートフォンをしまうと言った。「藁さん、名字だけじゃなく凄い人やったんですね」
藁は胸を張った。「そうや、凄いやろ。伊達やないで」
「ええ、めちゃくちゃ驚きました」
「日本の天文学の歴史を語る上で、ぼくは外されへんからな。まあぼくがいやな、君が持ってるスマホも十年は開発が遅れてたやろなぁ」
「いや、いっさい天文学とありませんがな」
藁は満足したように声に出し笑った。偉そうでないし、冗談もよく言うためこうして話していると、偉大な人とはどうしても思えなかった。パンツを眺めていたという印象を、消し去ることができなかった。ウィキペディアにも、女好きと書かれていた。生前から性格が変わっていない。
「星を眺めるのが幼い頃からの趣味だった、と書かれてたんですけど、そうなんですか?」
「ああ、そうやで。夜中、庭に出てずっと見てたこともあるな。考え事をしている時とか、特にええねんや。綺麗な夜空を見ていてると、心が洗われる気がしてな……。コーヒーを飲みながら、時にはクラッシックを聴きながら、時には妻と二人きりで。近所の子供を連れて、星を見に行ったこともあったなあ、あれが夏の大三角やで、とか教えてあげてなぁ……ええ思い出や、夜空に負けへん、綺麗な思い出や……」
藁は昔を懐かしみ慈しみ、目をとろんとさせ顔を綻ばせた。なるほど、昨日、夜空を見ていると言ったのも、あながち間違いではないらしい。
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