第2話 星空を見ていると言っておきながらパンツを見るおじいさん
アパートに帰り、冷蔵庫を開けたところで気づいた。夕食を買い忘れていた。腐りかけのネギ一本しかなかった。十和田はため息をつき、財布をポケットに入れ外に出た。コンビニで弁当を買おう。ちょうど千円札を手に入れたところである。
人通りの多い道に出ると、十和田ちゃん元気かい! と道行く前歯が二本ないおじさんに声をかけられた。十和田も挨拶を返す。別のおじさんからは、商売のことを聞かれ、冗談交じりに返した。
十和田は事務所を持ち、大まかに説明すると探偵のような仕事をしていた。不倫調査や迷子のペット探し。それだけでなく臨時介護ヘルパーや、引越しの手伝いなども受け持つこともある。街のなんでも屋をしているのだ。珍しい仕事をしているが、平凡な男である。ただ一つだけ、人とは違う特性があり、それを仕事にもしていた。
数分後コンビニに到着した。そして変なおじいさんも発見した。コンビニの前の石ブロックの歩道に、六十代か七十代のおじいさんが仰向けに寝転んでいた。白の着物を着用し、どこか気品も感じられる。なぜ寝転んでいるのか? 瞳には煌めく星々が写っている、星でも見ているのか?
その予想は見事に裏切られた。女子高生がおじいさんの上を通ると、満面の笑みを見せた。パンツを見ようとしているのだ。プレゼントを開けた子供のような爛漫さがある。井戸に湧く真水のような濁りのない瞳をしている。十和田は思わず夜空を見上げた。やはり夜空を見てるのではないかと思ったからだ。だがおじいさんには、女子高生のパンツしか見えていない。
おじいさんは誰にも注目もされず、行き交う人々に踏まれ、その体に足が“通る”のを見て、十和田は確信した。このおじいさんは幽霊だ、間違いない。悪霊の類いではないだろう。寝そべり女子高生のパンツを見ているが、感じる空気のようなものが違うと教えてくれている。生きていればお縄につくが、幽霊だから罪にはならないのだ。
十和田は平凡な男だが、人とは違う特性がある。それは幽霊が見える、という特性だった。ぼんやりではなく、くっきりと見える。なので体に損傷がなければ生きている人と見分けるのは難しいが、十和田は幽霊を感じることができる。第六感が存在していた。
ぐうっとお腹が鳴った。おじいさんのことは気になるが、まずは弁当である。目的を先に達成するため、十和田はコンビニに入っていった。店内で流れている、流行りのドラマの主題歌を口ずさみながら、弁当コーナーへ向かった。
外に出たらおじいさんに声をかけてみるかと考えながら、唐揚げ弁当を手にした。
この特性を活かし、十和田は仕事をしている。探偵業や便利屋だけでなく、心霊相談も行っているのだ。胡散臭いと眉をひそめるものも多いが、依頼人はみな満足して帰っていく。街では密かにそのことで有名になっており、幽霊の兄ちゃんと呼ばれていた。幽霊ではないので是非やめてもらいたかった。
外に出ると、まだおじいさんは道に寝転び、満面の笑みを浮かべていた。羨ましいとも思うが、OLや女子高生が気の毒だった。
十和田は近づき、ガードパイプに尻を少し乗せた。「なにしてんの、おじいさん」
おじいさんは首を持ち上げ、こちらを見た。不思議そうにしている。声をかけられるとは思わなかったのだろう。十和田は、幽霊から珍妙な目で見られていた。
「お兄さん、ぼくが見えてますんか?」
十和田はスマートフォンを取り出し、通話しているふりをした。これで通り過ぎる人から一人言とは思われない。珍妙な目で見られるのは幽霊だけで充分だ。
「ええ、見えてます」
「へえ、凄いなあ! 見える人なんや、初めて見たわ!!」
おじいさんは嬉しそうに笑った。人と話すのも久しぶりなのだろう。けれど待ってみても、一向に立ち上がろうとはしなかった。わかりやすい性格をしている。
「それでおじいさん、なにしてるん」
「なにてあんた、夜空見てるんや。不思議なこと言うなー、こんな綺麗な星々を見やんわけにはいかへんでしょ」
「綺麗なのは認めますけど、見てたのはパンツでしょうに」
「かなんな〜あんたあ〜」とおじいさんはたっぷり語尾を伸ばした。「そんなもん見てへんで、失礼やなぁ」
十和田は顔をしかめた。「……ていうか、暗くてスカートの中見えへんでしょ」
「アホやな若いの、見えそうで見えへんのがええんやがな」
「やっぱ見とるやないかい!」
おじいさんはあっと口を開けた。通りかかった人は、十和田の大きな声にびっくりしこちらに振り返った。十和田は申し訳なさそうに会釈する。
「ま、まあ、そらこうしてたら必然的にパンツも見えるけど、目的は夜空でっせ? 視界に映る時間は、圧倒的に星やねんからやな」
「わかった、それでええですわ。でもそうやとしても、見られた女性が気の毒や。いくら幽霊が見えてへんといえど、パンツ見られたらかなん。違います?」
「紳士やな兄ちゃん……わかった」おじいさんは、よっこいしょと口に出し立ち上がった。「これでええやろ」
「ええ。……それで、おじいさんは、なにか成仏でけへん理由でもあるんですか? 亡くなられて、けっこう時間経っているようですけど」
おじいさんは目を細め、じっくりと十和田の顔を見つめた。
「もしかして兄ちゃん、十和田さんか?」
「ええ、そうです。よく知ってますね」と十和田は驚きもせず答えた。返ってくる言葉が予想できていたからだ。
「ぼくたちの間では、兄ちゃん凄い有名やからね。なにかあったら十和田のところへ行けって」
街の人だけでなく、幽霊界にも十和田の名前は知られていた。それだけ仕事の評判がいいのだ。幽霊が見えるからこそ、悩みを聞き解決することができる。主にしているのが、成仏の手伝いだった。未練を断ち、輪廻転生へ導く。だが、成仏する気のないものに強制するつもりはなかった。成仏するもしないも、それぞれの考えである。
「そうか、兄ちゃんが十和田さんか、そうか……」
「なにかあったら遠慮せず事務所に来てください。相談乗りますから」
「そうさせてもらうわ」
「じゃあ、俺はそろそろ。パンツが魅力的なのはわかるけど、ほどほどに」
「はいよ、兄ちゃん」おじいさんは十和田が持っている袋に目を向けると、笑いながら指をさした。「コンビニの弁当も美味しいけど、ほどほどにしときやあ」
十和田は袋に目を落とし、ふふっと笑った。これは痛いところを突かれた。
「ほなね」おじいさんは手を挙げると、ふわふわとどこかへ去っていった。
十和田はスマートフォンをしまいながら、おじいさんの背中を見つめた。後ろの車道で、車が猛スピードで駆け抜けた。突風が吹き、十和田の髪の毛がふわりと揺れる。車の音はすぐに小さくなっていった。視界には写っていないが、闇に光るテールランプも、同時に小さくなっていくのを十和田は想像していた。
面白いおじいさんだ。パンツを覗いていたが、やはりどこか気品や知性が感じられる。あの純粋な瞳は、生前からのものだろう。悪い人ではない。愛嬌もある。きっと色々な人から愛され、見守られ、逝ったに違いない。なのに成仏していないのは、なにか未練があるということだ。パンツを見続けたいという、邪な願いではあるまい。
腹がぐぅーと鳴り、十和田は急いでアパートへ帰ることにした。
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