恋人たち

 







恋人たち
















水の華の如し









 あなたの恋人は、何人ですか。

 一人ですか。二人ですか。三人ですか。それとも――。

「ねえ。話があるの」

 二人っきりの部屋の中。

 小さなテーブルをはさんで向かいに座る彼女は、唐突にそう切り出した。

「話?」

 き返した俺の目を、彼女は真っ直ぐに見つめる。深刻そうな表情の彼女。心なしか、部屋の空気が重たくなったような気がする。

「うん。私……」

 彼女は一旦、俺から視線を逸らして下を見ると、再び俺の目を見て口を開いた。

「私、子供ができたの」

「こっ、子供?! 俺、お前に触れたこともないのに?!」

 突然の告白に俺は驚きを隠せない。そう。俺たちはつきあい始めてから今日まで、プラトニックな関係を築いてきたのだ。俺は彼女に触れたことすらない。

「うん」

「だっ、誰の子だよ……」

「私の……」

「いやっ。そうじゃなくて」

 その時、突然。俺の後ろから声がした。

「私ね」

 目の前にいるはずの彼女の声が、後ろから。振り返る俺。

「分裂しちゃったの」

 そこには彼女が一人、立っていた。

 俺を挟んで彼女が二人、声をそろえてそう言った。

「分裂……」

 分裂――。

 有性生殖によって増える我々ヒトにとって、分裂と言えばそれはすなわち細胞分裂のことを指し、分裂した片割れが子供という表現には違和感があるかもしれない。

 しかし。一つの細胞からなる単細胞生物では、細胞の分裂がイコールで個体数を増やすこととなる。

 それだけではない。分裂することで有名な生物、プラナリアをはじめヒトデやクラゲなど、我々と同じ複数の細胞によって成り立っている多細胞生物にも分裂によって増える種が存在するのだ。

 そう。分裂とは立派な生殖。無性生殖の一様式なのである。

 そして今、俺の彼女は言ったのだ。分裂したと。

「ごめんね。驚かせちゃって」

「でもこれは、あなたのせいなんだよ」

「おっ、俺の……」

「そう。あまりにもあなたが私に触れてくれないから」

「私の本能がこのままでは生殖できないって危機を感じちゃって」

「一個体でも生殖できるようにって、無性生殖ができる体になっちゃったの」

「そっ、そんな……、馬鹿な……」

「本当だよ」

「ほら」

 そう言って、自分の髪の毛を一本引き千切る二人の彼女。

 その髪の毛からは瞬く間に頭が、体が、再生され。あっという間に彼女が二人誕生した。部屋の中には今、四人の彼女が存在している。

「どう?」

「信じてくれた?」

「っ……」

 目の前で起こったその出来事は、にわかには信じがたかったが、しかし。確かに今、俺は四人の彼女に囲まれている。

「それでね、あなたには申し訳ないんだけど」

 そう言って、座っていた彼女が立ち上がった瞬間。彼女の体に、縦に割れ目が生じた。そうして彼女は真っ二つになり、その断面から一瞬で半身が再生された。

「なっ……」

 室内を見回し、俺は驚愕する。いつの間にか俺は、八人の彼女に囲まれていた。

「見ての通り、私ね」

「すぐに分裂しちゃうの」

「このペースでいくと、食料とか」

「色んな資源が枯渇しちゃう」

「だからね」

「私以外の人間には、絶滅して貰おうと思うの」

「なっ! 何を言って」

「私はもう、私だけで繁殖もできるし」

「私以外の人間はいらない」

「ごめんね」

「まずは彼氏の」

「あなたから」

 そう言って笑った彼女の一人が、俺に向かって手を振るう。

 それと同時に、彼女の指が第一関節から切れ、手を振るった勢いで俺に向かって飛んできた。五本の指が、飛んできた。

「なっ。これは……。まさか……、自切っ?!」

 自切――。

 トカゲのしっぽ切りと言えばわかるだろうか。トカゲのほか、昆虫のナナフシや甲殻類のカニなどにも見られる自切。

 本来その多くは、自分の体の一部を切り離すことでそちらに外敵の注意を引きつけ、逃走の成功率を上げるものである。

 しかし、彼女のそれは、もはや用途が全く違っている別物。

 五本の指は、瞬く間に五人の彼女へと変貌し、俺に飛来。

 もはや切り離された方も再生するこれは、自切とは言えぬ行為。

 それはまさしく、分裂!

「くっ、うあ!」

 彼女の重みで倒れる俺。五人の彼女が俺に群がり、俺を圧死させようとする。

「あなたにこんなに触れたの」

「初めてかも……」

「くっ……、こんな時に何を……。っつう、ラァ!」

 俺は思いっきり叫びながら、力を振り絞って彼女たちを吹っ飛ばし起き上がった。

「はぁ……、はぁ……」

 息を乱す俺を見て、涼しげな顔で笑う彼女たち。

「ふふ。苦しそうだね」

「大丈夫?」

「今、私たちが楽にしてあげる」

「ううん、私一人で十分だよ」

 そう言った彼女は一人、俺の正面に立った。すると。

 ビキッ。ビキビキッ。

 突如、彼女の肩に亀裂が入り、両肩の断面から二本ずつ腕が再生した。

 三対六本の細腕をうねらせて、彼女は微笑む。

「阿修羅フォルム」

 その微笑み、アルカイックスマイル!

「くっ、流石俺の彼女だ。六本腕も、似合ってるよ」

「ありがとう」

 彼女は嬉しそうに微笑むと、素早く俺へと向かってきた。

 六本の腕から繰り出される、激しいボディータッチ!

 それはさながら、武神の如く。俺の体に降りそそぐ。

「でもよぉ……、二本の方が、似合ってたぜェ!」

 俺の反撃。ブチブチブチィと、余計な腕を引き千切る。

 しかしそこから生えしきる。数多の腕が、生え頻る。

「いったいなぁ、もう。でも、ありがとう」

 ビキッ、ビキビキビキビキッ。

「千手観音フォルム」

「マジかよ……」

 千を超えるボディータッチが、俺を昇天させようとする。

 その時! 眩い光が、室内を埋め尽くす。

「ごっ、後光?」

 否。俺は足元に閃光弾、スタングレネードの存在を確認した。

「きゃあっ!」

 室内に広がる、彼女たちの悲鳴。

「大丈夫か!」

「その声は……、ハカセ!」

 ハカセは俺の近所に住む、ハカセである。

 俺はハカセに救出され、九死に一生を得た。俺はハカセの家兼研究室で、一息つきながら事情を話すことにした。

「そうじゃろうなぁ……」

 ハカセは俺の話を全て聞き終えると、テレビのリモコンを取り、スイッチを押した。

 テレビに映し出された光景に、俺は絶句する。

 それは道路を埋め尽くす、何万人もの俺の彼女。

 右も左も彼女、彼女、彼女。

「こっ、これは……」

「今、君の彼女たちは自分以外の人類抹殺のための拠点を探しているんじゃ。まだ君以外の人間を襲ってはいないが、きっと時間の問題じゃろう」

「そんな……」

「もう、どうすることもできん。後は、自衛隊と米軍に任せるんじゃ」

 俺は勢いよく立ち上がると、玄関に向かった。

「どこへ行くんじゃ!」

「決まってんだろ。アイツのところさ」

「さっきの戦いでわかったじゃろ。君が彼女に勝つことはできん。あれはもうヒトではない、バケモノじゃ! 次は本当に殺されるぞ」

「……それでもだ。ああなっちまったのは俺の所為でもあるみたいだしな。それによう、惚れた相手の間違いを、正してやんのも恋人の役目だろうが。もしもアイツがもうどうしようもないって言うんなら、そん時は、引導を渡してやんのも俺の役目だ。悪いな、ハカセ。ありがとよ」

 そう言って一歩踏み出した俺の後ろで、ハカセは立ち上がった。

「君ならそう言うと思っとったよ。ちょっと待て」

 振り返った俺に、ハカセは液体が入った無数の針と銃のような武器を手渡した。

「これは……」

「それは君の彼女の生物の域を超えた再生能力を止める薬じゃ。その薬を打ち込めば、打ち込まれた個体の異常再生は止まる。分裂によって増えた子彼女はその薬で異常再生を止められ即時死滅するじゃろう。そして……」

「そして?」

「一番おおもとの親彼女、つまりオリジナルの彼女に薬を打ち込めば異常再生のみが止まる。後は子彼女を駆逐すればいい。薬はまだまだ作っておく。まずは薬を打ち込んでも死滅しない、オリジナルの彼女を見つけ出し分裂を止めるんじゃ!」

「ハカセ……、一体どうやって」

「ワシは天才じゃぞ」

 そう言って笑うハカセに、俺は再度尋ねた。

「だから……、どうやって」

「なんやかんやじゃよ。そんなことは今、どうだっていいじゃろ。ほら。早く行って来んかい。愛する彼女が、待っとるぞ」

「ありがとう、ハカセ」

 走り出す俺の背中に、ハカセは言った。

「ちょっと待て。今、君の彼女は東京ドームに向かっておる」

「東京ドームに?」

「ああ。今の彼女の人数は、東京ドーム約三個分。三分の一も自分を収容できるあの施設は拠点にするにはぴったりだと思ったんじゃろう」

「ハカセ、ありがとう」

「……本当に行くんじゃな。成功率は、限りなくゼロに近いぞ」

「……ああ。それでも行くよ。それにな、俺はアイツに謝らなきゃいけないことがあるんだ」

「謝らなきゃいけないこと?」

「ああ。俺はアイツに子供ができたって聞いた時、驚きのあまり、誰の子かって、そう訊いたんだ」

「……」

「でも、俺にはもっと他に言うことがあったんだよ」

「言うこと?」

「ああ。惚れた女に子供ができたんだぜ? しかも、それが俺の子じゃないってぇんなら、なおさら言うことがあったんだ」

「何をじゃ……」

「んなもん、決まってんだろ」

 ――大丈夫か?



―――――――――――――――――――



二〇一六年 六月一五日

二〇一六年 七月 六日最終加筆修正

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