拒絶とともに差し出された正しい道
何も考えたくなくて,休むことも忘れて走った。信号待ちが鬱陶しい。車が来ていないことを確認すると,青信号に代わる前に駆けだしていた。そういうことが何度もあった。普通ならバスに乗って移動する距離であっても,時刻表を見てすぐに駆け出したりもした。とにかく,じっと何かを待っているような精神状態にはなかった。
そうこうしていると,美月の部屋に来ていた。大きな門を目の前にした時,会いに来るのは得策ではないと分かっていながらも,会わないという選択肢を取ることはできなかった。
チャイムを鳴らすと,美月が出てきた。一通の封筒を持った私の顔は,きっとただならぬ雰囲気を醸し出していただろう。美月はすぐに私を部屋へと案内した。
わたしは美月に,学校で全く同じ封筒に入れられた写真を学校で見せられたことを伝えた。意外なことに,美月は動じることなどなく落ち着いて振舞っていた。そして,冷静に分析した。
「多分,同一犯だろうね。アンチがいるのはスターの証拠っていうし・・・・・・もしかして私,私いけてるのかも」
思わず噴き出した。こんなにシリアスな状況にも関わらず,ふざけたこと言っている。でも嫌な気はしない。私たちと仲良くなってから,ずいぶんと雰囲気や印象が変わった。菜々美の影響も多大に受けている。
「なーに能天気なこと言ってるの。一般人には本当にキツイ。って,なに芸能人ぶってんのよ。まだまだこれからでしょ」
「間違いない。今の私は一般人も同然だよ。・・・・・・迷惑かけてごめんね。でも,私は自分の気持ちに素直でいたいから。これからも茜とは変わらない関係でいたい」
やっぱり間違っていなかった。美月に会いに来てよかった。彼女の素直で純情な心に触れると,心が洗われる。まだ頑張れると思える。まだ頑張っていいんだと背中を押された気持ちになる。美月のように私も自分の気持ちに素直でありたい。
天使のような表情に少しだけ暗い影を浮かべて,美月は心配そうに言った。
「でもね,茜に辛い思いをさせ続けるわけにはいかない。もう一度何かあったら,私も事務所にお願いして本格的に動いてやろうとは思っている。だから,何かあったらすぐに教えてね。」
別れを惜しむかのように,私と美月は抱き合って部屋を後にした。実際に部屋を競るのが本当に惜しかった。もう少し一緒にいたかったが,外は暗くなり時計は帰る時刻を告げるようにメロディを響かせていた。
時間に背中を押されるようにして玄関に向かうと,美月の母がいた。目が合うと,思わず獲物ににらまれた草食動物のように縮こまった。その顔はいつもの柔和な表情とはうってかわっていた。眉間には深く皺が深く刻まれ,口は一文字に結ばれている。組まれた腕は決して攻撃的な姿勢ではないが,体中から嫌悪感と憎悪で満ち満ちた雰囲気があふれ出ていた。綺麗な顔立ちの人が怒りを滲ませるとどうしてこんなに怖いのだろう。私は靴を履くこともできず,挨拶の言葉さえものどから出てくることもなく,どうしようもなく玄関に立ち尽くす形になった。
美月のお母さんは,感情の高ぶりを無理やり抑えるように,出来るだけゆっくり,声のトーンを変えないように言葉を発した。
「あら,茜ちゃん。美月と仲良くしてくれているみたいね。今日はもう帰るの? 少しだけお話がしたいのだけれど。時間はあるかしら?」
しばらくの間言葉が出てこなかった。時間が無いわけではない。ほんの少しぐらい,家に帰る時間が後ろにずれたって全く問題ない。でも,これだけの負の感情をまざまざと見せつけられ,それを受け止める自信が私にはなかった。さっき,自分に素直になろう。美月を大切にしようと決めたはずなのに。私の周りにある壁はあまりにも高すぎて,堅くて,とても乗り越えられそうにない。
打ちひしがれてぼろぼろになった心とともにかろうじて立ち尽くしているところで,階段から足音が聞こえてきた。美月が見送りに降りてきたのだ。
「ちょっとママ,これから帰るんだから引き止めないで。小言はあとで聞くから」
「何言ってんの? もうこれはあなただけの問題じゃなくなってきているのよ。家族の問題でもあるし,あなたの将来の問題でもあるの。それに,これまでさんざん辛い思いをしてきたじゃない。約束もしたでしょ? 忘れちゃったの?」
美月の母は涙をにじませながら続けた。
「茜ちゃん,美月は今,夢に向かって頑張っているの。あなただって,道を踏み外すことはない。家族も必ず辛い思いをする。茜ちゃんのところの親御さんはご存じなの? 悪いことは言わないから,その気持ちは隠しなさい。そして,正しい道を歩むのよ」
「何よ正しい道って! 偉そうに! いちいち人のことに口を出さないで! 私も茜も,幸せは自分たちで決めるから」
「幸せって,あなたたちは何もわかっていない。世間はそんなに甘くないの。熱いのは今のうちだけ。きっとどこかで気付くわ。茜ちゃん・・・・・・もう美月には近づないでほしいの」
目の前が真っ暗になった。美月は大きな声で何かを訴えていたが,私には一切言葉が入ってこず,ただただ美月の母が言った言葉が頭の中でこだましていた。
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