波紋は音もなく広がる



「お母さんが,書留で家に届いたって。昨日私に渡してきた。」


 封筒の封は一度開けられていた。美月は中身を取り出さずに私の前に置いた。美月はすでに中身を確認済みなのだろう。その表情から手放しで喜べるような中身ではないことは確実だった。でも,いったいどんなものが入っているのだろうか。いたずら? 脅迫状? 様々な思惑が頭の中でよぎったまま恐る恐る封筒に手を伸ばし,中身を取り出した。そこには写真が一枚。私と美月がバス停で口を合わせているように見える光景がフィルムに映し出されていた。 


「なにこれ・・・・・・」


 私は震える手を抑えきれずに,揺れる二人の写真を机の上に置いた。状況を把握するのに時間がかかってしまったが,次第にゆっくりと飲み込めてくると,その写真を見ていられなくなった。今すぐにでも破り捨てて燃やしてやりたいが,そうにもいかない。まだ正確なことは何もわかっていない。これが何かの証拠になって犯人を捕まえることが出来るかもしれない。


「私たちが,撮られたってことだよね。でも,誰に?」

「分からない。でも,通りすがりの人に撮られたとは思えない。わざわざ現像してきて,私の家にまで送ってくるってことは何かしらの関わりがある人だと思う。もしかしたら,同業者とかかも」

「同業者? それって,芸能関係とかってこと? そんな人が私たちの周りにそう都合よく現れるものなの?」

「現れるっていうか,わたしの粗を探しに来ていたんだと思う。この業界は黒いところが深くて,平気で人を蹴落としてくる。しかも,そのために手段を選ばない。最近レッスンでも順調にいってて評価されることが増えてはきたんだけど,それを感じるにつれて周りの反応が厳しいの。私,怖くなっちゃった」

 

 入れ替わりの激しい世界だとはよく聞くが,そもそも表の舞台に立つことが出来なければ入れ替わりもくそもない。その舞台に立つために死に物狂いで頑張り,時には手を黒く染めざるを得ないこともあるのだろうか。美月はそんなことをして日の目をつかみ取ったわけではない。厳しい世界だとはいえ,見ず知らずの他人が自分の周りを嗅ぎまわって見られていると思うと寒気がした。


「こういうときにどうしたら良いのか分からないけど,弁護士とか大人に相談する?」

「いや,もう少し待ってほしい。茜のことももちろん大事なんだけど,今やっていることも悪い方向に転んでほしくない。わがままかもしれないけど,全部妥協したくないの。心配だけかける形になってしまったかもしれないけど,とにかく聞いてほしくて。とにかく,私たちは周りに注意しながら行動はしなくちゃいけない。そのことだけは伝えたくて・・・・・・。その,何ていうか,私たちもう会わない方がいいのかな? 私はそんなことしたくない。もう,分かんないよ」


 私はその言葉に対して答えてやれる何かを持ち併せてはいなかった。なんだかすっきりしなかったが,美月は今芸能活動に向けたレッスンが順調に言っているみたいだしその邪魔もしたくなかった。高校生とはいってもまだ子供だと実感した。どう行動して,どこに助けを求めたらいいのかすら分からない。決して自分達だけでは解決しようもない問題であるにもかかわらず。

 私たちはぎゅっと抱き合い,その日は美月の家を後にした。




 教室に入ろうとすると,エロがっぱが私のところへ走ってやってきた。顔見るだけでも縁起が悪いのに,なんだか嫌な予感がした。そしてこういう時の予感はだいたい外れない。


「お前,美月ちゃんとどうなってんの?」

「どうなってんのってなに?」


 わたしはエロがっぱのいきなりの問いかけに動揺を隠しながら答えた。大丈夫。こいつは私と美月の関係を何も知らない。お茶会を開けだとか訳の分からない主張を今日もまくしたてるのだ。


「なにって・・・・・・。おれんちにこんなん届けられてて。おかんにすげー不審がられたんだけど」


 エロがっぱが手に持っているものを見て,私は絶望した。今すぐこの場から走って逃げだしたかった。彼の手には昨日美月から手渡された封筒の中身と全く同じものがあった。中を見ずとも,そこに何が入っているのかが分かる。


「・・・・・・なにそれ。ラブレターか何か? 気分悪いからやめてくれないかな」


 吐き気がする。身体が拒絶反応を起こしているのを無理やり抑え込み,軽口をたたいた。誰がどの角度で見ても,私の表情はユーモアを発している人のものには見えないだろう。


「いや,別に嫌な思いをさせてやろうとかではないんだよ。ただ,なにか困ってないかなって思って」

 

 私の中で何かが途切れた。プツンという音をたてて,もうつながることはないという冷たさを含んで。


「もうほっといて!! 私と美月に関わらないで!!!」


 封筒を投げつけるとそのままかばんを持って教室を飛び出した。耳が触らなくても分かるほどに熱くなり,のどが締め付けられるような感覚に陥る。息苦しい。両耳の上の方が痛い。

 相手が悪くないことも,自分のことを本気で心配していることも分かっていた。それでも,新しく気づいた自分の新たな側面に土足で入り込まれたような感覚になり,恥ずかしさと悔しさで訳が分からなくなっていた。廊下を走る。玄関へ向かう。行き先を考える前に,とにかくこの敷地から一刻も早く抜け出したい。景色がぐるぐるとまわっているようで,自分がまっすぐ走れているのかも分からないまま靴をきちんと履きもせず学校の外へ飛び出した。

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